サニーボーイ 第4話考察 猿殺し事件には結局どんな意味があったのか。

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うまく言えねえけど、なんつうか、「野球やりてえ!」って思ったんだ。

「偉大なるモンキー・ベースボール」

気になったポイント

飛び込み遊び

 「この世界」への扉にも似た真っ黒な水面へ高台から飛び込む遊び。別の「この世界」へ転移することはないが、代わりに水中での様子が立体映像として映し出されるらしい。怯まっすぐ飛び込めばそれだけ美しいフォームで映し出されるというかたちで勇気が証明されるためか、一種の度胸試しとして楽しまれているようだ。

元の世界に帰れた?

 マウンドに立つ青い猿の存在感が強すぎるせいで視聴者的にはあんまり現実世界という印象にならないが、長良以外の生徒にはあれが元の世界に見えたらしい。このシーンに限らず、今話は至るところで語られる話と映像とに意図的なギャップがつけられている。

ロビンソン計画

 無人島(ハテノ島)を含めた「この世界」から脱出し、元の世界へ帰還するための計画。ラジダニが中心になって動いている。ちなみに第2話では「ロビンソン・クルーソー計画」という呼称だった。
 希の【コンパス】と長良の【テレポート】能力が帰還の鍵になると予想されているが、両者とも肝心の能力の詳細がまだわかっていない。今話で長良が行き先を任意に決められないことが明らかになるものの、そもそもそれは校舎内で扉を見つけていたころからわかっていたこと。ラジダニにとっては推察の裏付けにしかならなかった。

シェルター建設計画

 空気・水・食料のエコシステムを持つ、完全自己完結型のシェルター構想。動力はエーテル発電とやらで賄うらしい。6階建てで生徒36名全員分の個室付き。何のために建設するのか、そもそも無人島内も時間の巻き戻しが発生しているのに手間暇かけて建設する意味があるのか、など詳細は不明。

ハテノカレー

 生徒と思しき人物が経営している。カレー屋かと思いきや長良たちが食べているものはビリヤニ。中華鍋で炒めているあたり実際はビリヤニですらなくカレーチャーハンなのかもしれない。でもフライドオニオンがトッピングされていたりと見た目は明らかにビリヤニ。
 スターアニスを麻袋いっぱいに仕入れているが、一日あたり最大36人前しか調理しないんじゃ何ヶ月あってもあんなに使いきれないだろ。

エースの能力【水がおいしい】

 この手のマンガやアニメにおける異能の多くは、自分が置かれている現状への不満、何かを変えたいと願う切実な思いが能力傾向を決定するもの。元々現状に不満が少なかった人物は不遇な扱いになりやすい。
 本来なら汗水垂らして部活に一生懸命励んでこそ水がおいしく感じられるもの。練習嫌いにもかかわらず水をおいしく飲めるようになって良かったね、とでも言ってさしあげるべきか。内心ではマジメに練習に打ちこむ部活仲間がうらやましかったのかもしれない。

モンキーリーグ

 通称「Mリーグ」。この世界(=モンキーマウンテン)に野球のルール(=ゴールドバット)を落として始まった、偉大なる猿たちの野球リーグ。ただし不可視。
 年間80本塁打を叩き出したステロイドモンキー、あの打撃の神様モンキーリバーの通算打率を2厘も上回るアッパーモンキー、ビッグフット史上最強の捕手にして、チームをリーグ優勝V10に導いた名監督としても知られるミスターモンキー、先人たちが残した伝説を次々打ち砕いていった青い毛の異端児モンキーブルーなど、数多くの名選手を輩出している。
 エースやキャップたちはリーグ発足後いったい何十年間彼らのプレーを見届けてきたというのか。

元の世界に帰れない

 長良は「どこかに行きたいが、自分なんかどこにも行けないと思い込んでいる」と思い込んでいる人物。ならば希の【コンパス】に導いてもらえさえすれば元の世界へ帰還することも可能だろう。だが、おそらくそういうことにはならない。希がそれを望まない。
 ボーイ・ミーツ・ガールが使い古された物語の定型たりえたのは、その構造が主人公の心の成長を描くのに適していたからこそだ。

あき先生

 漂流した「この世界」に初めて現れた大人。「俺たちを助けに来てくれたんだ!」などと甘えきった発言をする生徒がいたのも当然のことではある。

キャップはクソどうでもいいことを延々語った

 「――ルーキーながらキング・ステロイドモンキーをブレイク! バットも心もへし折り引退に追い込む! そしてその豪腕で弱小チーム・モンキーアンドクラブを引っぱり、ビッグフットのV11を阻止するんだ! 民衆は新しい毛色を受け入れ、“モンキーブルーの時代が始まる!”、そう誰もが疑わなかった! だがしかし、あの悲劇! 完全なるパーフェクトゲーム未遂! 猿殺し事件が起きてしまうんだ!!」

 モンキーリーグの試合映像は一切映りません。全ての出来事はキャップの口から垂れ流される超々長広舌によってのみ語られます。

 こういうの、舞台演劇ではよく見られる演出なんですけどね。なにかと制約の多い舞台上ではいちいち全部の情景を実際に演じてみせることなんてできないので。観客もそのあたりの事情は織り込み済みなので割と普通に受け入れます。
 ですが、今作はアニメ作品です。シーン描写の自由度が高い映像ドラマのなかでもひときわ非現実的な情景描写を得意としている表現媒体です。「猿がベースボールをしている」などというバカげた絵面すらも簡単に描けるのがアニメ。ですが、今話ではあえて描きません。描かないことに意味があります。

 舞台演劇というのは観客の想像力に委ねる範囲が広い表現媒体です。今話のような超々長広舌を演出として組み込むタイプの演目は特にそうです。舞台上から観客へ提供する情報量をできるかぎり減らそうとします。
 背景に書き割りは使いません。全面を真っ黒な暗幕で覆います。
 舞台装置も極力減らします。必要に応じてちょっとした家具を置いておくくらい。ヘタしたらパイプいす1脚だけなんて場合もままあります。
 手持ちの小道具すらほとんど使いません。落語のごとくパントマイムだけで全て表現するのもよくあることです。
 そんな、どこかの会議室みたいな味気ない空間で、ぼっ立ちの俳優がその場に存在していない情景を長々と語るんです。

 その瞬間、観客の目は舞台上に向きつつも、舞台上を見ていません。脳内で手前勝手に想像した自分だけの世界を見つめるんです。
 そしてその瞬間、舞台演劇はあらゆる物理的な制約から解き放たれて、真に自由な表現媒体へと変貌を遂げます。

 モンキーリーグの試合映像は一切映りません。
 しかし、語られて、描かれます。アニメなのに舞台演劇の手法で。視聴者の想像力に委ねて。丸投げして。人間の想像力は無限大です。

 ・・・で、実際どうですか?
 モンキーリーグの映像、脳内で再生されましたか?

 「見たい! 私、猿が見たい!」
 「え、そっち?」

 ぶっちゃけ、よほどのベースボールファンでもなきゃ全然興味を惹かれなかったと思います。こんなくだらない情報のためにいちいち想像力をフル回転させてやる気になんてならなかったと思います。実際、劇中でも瑞穂や希はそういう反応をしました。
 あえて描写できるものを描写せず、視聴者の想像力に委ねた時点でこの結果は必然です。想像力を使ってもらえさえすれば豊かな表現にもなりうるでしょうが、そうならなければただただゲンナリするばかりのつまらない画面になるだけ。

 今話はそういう物語です。
 キャップの見ている情景と私たちの見ている画面に大きな隔たりがある。キャップが熱く語っているものが私たちの心には響かない。クソどうでもいい。
 なのに、私たちのそのシラけっぷりをガン無視して、ひたすら地味な画面を垂れ流したまま、物語のほうも勝手に進行していく。

 その隔たりこそが今話の核心です。

モンキーブルーとは結局どんな選手なのか

 「16対0、モンキーアンドクラブの大量リードで迎えた最終回。9回裏ツーアウト、ブルーはここまで80球で26三振を奪い、最後の打者をまたたく間にツーストライクと追い込んだ。超満員の球場では『あと一球!』のコールが巻きおこり、異様な雰囲気に包まれる! そこにいる全ての猿がブルーの一挙手一投足に熱い視線を注いだ! 誰もが完全なるパーフェクトゲームの達成を疑わなかった!」

 まず、モンキーブルー以前の名選手として3人の名前が挙げられていました。

 ステロイドモンキー。年間80本塁打の記録を持つホームランキング。
 アッパーモンキー。“打撃の神様”モンキーリバーの打率を2厘上回ったというアベレージヒッター。
 ミスターモンキー。現役時代は名門チーム・ビッグフット最強の捕手として名を轟かせ、監督就任後はチームを10年連続で優勝に導いた。

 このうち、モンキーブルーの伝説に関わってくるのはステロイドモンキーとミスターモンキーです。

 モンキーブルーは珍しい青い毛並みを持つ猿でした。少なくともモンキーリーグの選手で青い猿はモンキーブルーただひとりでした。この毛並みのせいでデビュー当初は酷い差別と迫害を受けていたようです。ポジションは投手。

 モンキーブルーが歴史上に名を残した代表的な偉業はふたつ。
 ひとつは上記ホームランキング・ステロイドモンキーに対する圧倒的勝利。しかも当時ステロイドモンキーは大記録達成済みのベテランで、モンキーブルーはまだデビューしたてのルーキーでした。モンキーブルーはそんなステロイドモンキーの強打をものともせず封殺してみせ、結果、ステロイドモンキーに引退を決意させるきっかけとなりました。
 もうひとつはミスターモンキー率いる名門チーム・ビッグフットを抑えてのリーグ優勝。10年連続で優勝しつづけたビッグフットと異なり、モンキーブルーの所属していたモンキーアンドクラブは弱小チームでした。ところが、その圧倒的な戦力差をモンキーブルーひとりでひっくり返し、名監督・ミスターモンキーの連勝記録をストップさせました。

 当初はモンキーブルーに差別意識を持っていた観客たちも、彼が往年の英雄2人を下す圧倒的な強さを見せつけたことで、次第に態度を改めました。嫌われ者の青い異端児は、やがてモンキーリーグそのものを背負って立つヒーローに。

 このあたりの流れはアメリカメジャーリーグのハンク・アーロンを彷彿とさせますね。
 アメリカンベースボール最大の英雄ベーブ・ルースの通算ホームラン記録を史上初めて更新したアーロンは、よりにもよって黒人でした。ベーブ・ルースの記録に肉薄しはじめたころなどはそれはもう苛烈なバッシングに遭っていたようです。それが、実際に記録を塗り替える前後から少しずつ応援するファンが増えはじめ、現在では黒人差別を完全にはねのけ、ベーブ・ルースと並び称されるほどの名選手とされています。

 さて。猿殺し事件は、そんなモンキーブルーの全盛期に起きました。

 チームはすでにその年の優勝が確定、本人もマウンドに立つたび全戦全勝。
 そんな年の最終試合。相手チームの戦意が萎えきった純然たる消化試合において、モンキーブルーはまたひとつ歴史に名を残すであろう偉業に挑戦していました。
 81球による完全試合です。81球、つまり全9回3アウト交代制のベースボールの試合において、全ての打者を3ストライク・ノーボールで凡退させるという途方もない大記録です。現実にはまず起こりえないトンデモ試合ですが、ブルーモンキーは実際80球、あとほんの1球で偉業達成というところまで肉薄してみせました。

 ところが、その最後の1球で異変が起こりました。世界が動いたのです。ブルーモンキーに失投はありませんでした。なのに、世界がズレたせいで、結果として彼の投球はストライクゾーンからギリギリ外れてしまったのです。
 球審による判定はボール。前人未踏の大偉業は幻に消えました。
 ブルーモンキーは当然球審に抗議しました。再審を要求しました。けれど、球審は首を横に振りました。これもまた当然です。ベースボールのルールに、世界そのものがズレた場合の規定などあるはずがないのですから。
 ストライクゾーンから外れた投球はボール判定。それは誰にとっても明確で、例外のない、公平なルールでした。

 この頑迷な球審の態度に機嫌を損ねたブルーモンキーは当てつけのように寸分違わぬコースで同じボール球を投げ続けてフォアボール。81球どころか通常の完全試合のチャンスすら自ら投げ捨てました。そしてそのまま試合放棄。同じく球審の判定に不満を抱いていたファンたちを煽りたて、暴動を起こして球審をリンチするよう仕向けました。
 この試合を最後にブルーモンキーは引退。球審は全身を八つ裂きにされて絶命しました。

 ひととおりの顛末を見届けたモンキーリーグの観客、それからキャップやエースは、この事件をこう捉えました。
 正しいのはモンキーブルーだった。球審が、そして世界そのものが間違っていたんだ。

 「ブルーはあの一球にみんなの希望を背負っていたんだ」
 「すごい猿だ」
 「だよな。あいつは最高の投手だった」
 「違う! 球審だよ。彼は“世界”に打ち勝ったんだ!」

 正しいのはモンキーブルー。間違っていたのは球審と世界。
 けれど、キャップたちのそういう共有世界観に、希が真っ向から食い下がります。

“世界”とはどちらのことか

 「長良は何も感じないの? 怒りを、感じないの!?」

 そう。希は怒っていました。
 猿殺し事件の理不尽さに。“世界”の理不尽さに。

 ここで彼女が「彼は“世界”に打ち勝ったんだ!」と語った、その“世界”が何を指すものなのかを勘違いしてはいけません。これこそが今話における最も重要な要素です。

 「おい、正気か!? この1球で完全なるパーフェクトゲームなんだぞ!」

 「すでにゲームの勝敗は決まっている。おまけにこの試合はただの消化試合だ。バッターに戦意もない。なのに、ストライク、ボール、どちらで取っても問題ないこのボールをなぜストライクにしない!? それに何の意味がある! なによりこの観客の期待が、この希望の歓声が聞こえないのか!! わかるだろう!? 彼らが求めているのはこんな結末じゃない!!」

 「これはベースボール・ショウだ! みな俺に希望を抱き、夢を重ねている! この偉大なるモンキーリーグは俺が背負ってる! 今この場所に置いては俺がルールだ! さあ、判定を覆せ!!」

 「あんな猿、殺されて当然だ。凡人が天才を殺す、無知なバカが才能を潰す世のなかなんて――。あの荒々しくも美しいフォーム、稲妻のようなストレートはもう見られない」

 世界の理不尽さに怒り狂っていたのはモンキーブルーやそのファン、キャップたちのはずでした。
 ですが、希が理不尽を感じ、怒りを向けている“世界”とは、彼らの見ている世界と同じものではありません。

 今話は“隔たり”の物語だと↑で書きました。
 キャップの見ている情景と私たちの見ている画面に大きな隔たりがあるのだと。キャップが熱く語っているものが私たちの心には響かないのだと。
 同じ「世界」という言葉を使ってはいますが、その意味するところはキャップたちと希とで明らかに異なっています。
 キャップの情熱を鼻白んで聞いていたであろう大多数の視聴者は、だからこそ、ここに存在する隔たりに気付かなければなりません。だって私たちはすでに体験しているのですから。世界の見えかたというものは、個々人によって、見ているものや興味関心などの違いによって、それぞれ異なるものなのだと。

 希の言う“世界”とは、モンキーブルーの偉業に固執してベースボールのルールを歪めようとする人々の世界観のほうです。
 彼らは世界がズレたから偉業が成らなかったのだと認識しています。それが起きなければ偉業は現実になっていたのだと。だから正されるべきなのだと。

 違う。

 世界が本当にズレたのかどうかは知りません。集団心理による盛大な勘違いかもしれませんし、もちろん本当に起きたことなのかもしれません。どちらにせよ検証不能です。
 ですが、彼らがベースボールのルールを歪めようとしたことについては明白です。大記録がかかってたから。どうせ消化試合だったから。ボール判定にしたところで誰も喜ばないのだから。モンキーブルーが人気選手だから。モンキーリーグの象徴たるべきヒーローなのだから。誰もがその偉業達成を見届けたいと思っていたのだから。様々な言い分はあるでしょうが、彼らがベースボールのルールブックに書かれていない、超法規的措置を求めていたことだけは明らかです。
 これを“世界”と呼ばずに他の何を世界と呼べるものでしょうか。
 圧倒的多数派。圧倒的支持。圧倒的世論。世界を揺るがすに足るマンパワー、意志。
 圧倒的大勢力であることを錦の旗にして、彼らこそが世界のルールをズラそうとしていました。

 希が怒りを露わにしたのは、そんな多数派勢力の身勝手さに対してです。
 希という人物は誰に何を言われようと自分らしさを貫きとおそうとするゴーイングマイウェイです。そんな彼女にしてみれば、自分の信じるルールを守っただけの球審の名誉が陵辱されてしまったことに腹立たしさを覚えるのは当然のことでしょう。

 「長良は何も感じないの? 怒りを、感じないの!?」
 「・・・わかんないよ」

 ただ、そんな彼女の思いもまた、この世界に多数ある世界観のひとつでしかありません。
 長良に意見を求めたところで、期待通りに同意してくれるとは限りません。

球審が守りたかったもの -長良視点-

 「なあ、どうだ? 俺の球は」
 「うん。すごいね。まったく打てる気がしない」
 「お前、打つ気ないだろ」
 「あるわけないだろ」

 全身を震わせながら無関心を装う長良。
 無様です。結局、正面から負けるのが怖いだけじゃないですか。「負けて当然だ」って自分に言い訳したいだけじゃないですか。
 そんなだから希の怒りがわからないんです。勝負を捨てて、プライドを捨てて、尊厳を捨てて、何ひとつ守ろうとしないから。たかがベースボールのルールごときを必死に守ろうとして死んでいった球審の気持ちがわからないんです。

 危険球。

 頭蓋スレスレを掠めた悪意まみれの投球を受けて、ようやく長良の脳裏に危機感が浮かび上がります。
 エースは本気だ。本気で自分を侮蔑している。憎悪している。痛い目にあわせていいと思っている。ここで負けたら、自分がいくら泣き言を言っても元の世界に帰れるまで能力を使わされるだろう。どうやら対等な扱いをしてやる価値を一片も感じていないようだから。あのときの言葉は全て本気だったらしい。

 「え。さ、猿? ・・・片腕の、猿」

 2ストライク1ボール。自分が崖っぷちに立たされていることを自覚した長良は、ようやくここで猿の球審とシンクロします。
 希が怒っていた理不尽、それに単身立ち向かっていた、戦わざるをえなかった当事者。
 どうして彼がモンキーブルーの恫喝に屈しなかったのか、今ならわかります。

 「・・・本当は、君も野球選手になりたかったんだね。だけど無理だった。でも君は野球というその残酷なまでの平等に惹かれて審判になったんだ」

 彼にとって、ベースボールのルールを歪めることは己のアイデンティティを陵辱されることと同義だったから。
 片腕だから選手になれませんでした。万人に対して公平なルール下に置いて、片腕を失った彼が五体満足な他の猿より数段劣ることは仕方ないことでした。どんなに努力を重ねても覆しきれない、とてつもない理不尽。だけど公平ではある。だから諦めもつく。
 もしあのとき、モンキーブルーの恫喝に屈してルールが歪められてしまっていたらどうなったことでしょう。――夢を諦めてしまった自分がバカみたいじゃないですか。白熱する試合を描くべく、哀れな自分などではなく純粋に資質に優れた選手のみをグラウンドに招いてくれたルールの厳格さ、それに敬意を払った自分まで侮辱されてしまうじゃないですか。
 だから、逃げられない。球審にとってベースボールのルールは己が尊厳と同義でした。生命の危機に等しいものでした。だから――。

 「殺されたのは球審じゃない。殺されたのは野球だ。――この目で見た」

 だから、猿殺し事件において球審は結局、恐るべきモンキーブルーの手引きした暴力によって“敗北しました”。
 そこの認識は長良と希とでなおも異なります。
 長良から見て、球審は何も守ることができませんでした。己が生命に等しいルールを守るべく立ち上がって、結局自分の生命を奪われたわけですから。いくらルールを守りきったところでそれでは意味がありません。どちらも守りきらなければ。

 長良は、だから、球審の二の舞とならないためにも、まずはこの勝負に全力をかけて絶対に勝たなければなりませんでした。
 もはや言い訳することなど許されませんでした。

 「ストライク! バッターアウト!」

球審が守りきったもの -希視点-

 「そうだ! 行け――!」

 長良はエースに敗北しました。
 きっと負けてはいけなかった戦いに、純粋な実力差で敗北を喫しました。片腕の球審と同じように。

 だけどそれは長良が見ていた世界観でのお話。

 「すげえな、長良!」
 「見なおしたよ」
 「残念だったね。でもいいスイングだった」

 長良のただ一振りのスイングは、ここに来て再び世界にズレを生じさせました。
 無様にバッターアウトを取られた長良は、けれど、まるで英雄であるかのように暖かく迎え入れられました。
 勝つことばかりが正しいんじゃない。たとえ負けたって、白熱した試合を演じさえすれば、それは良いベースボールとして歓迎される。
 あのモンキーブルーも認めた話じゃないですか。「これはベースボール・ショウだ!」って。

 だからこそベースボールにはルールが必要なんです。
 だからこそモンキーブルーの81球は認められなかったんです。
 だからこそ球審は選手になれなかったんです。
 だからこそ、希は生命を賭けて戦った球審の勇気を称えたんです。

 それらは、グラウンド上が公平であることを保障されていなければ、全て無価値になってしまう類いのものだったから。

 81球による完全なるパーフェクトゲーム。素晴らしい偉業です。「球審の忖度によってボール球をストライク扱いに改竄されていなければ」。

 モンキーリーグ初の隻腕打者。かっこいいです。同情も誘います。「無様にチームの足を引っぱるようなことさえなければ」。

 挑む前から負けることがわかりきっていた出来レース。なのに長良は健闘を讃えられました。「棒立ちで終わらず必死に食い下がってみせたから」。

 ベースボールの世界では弱者も強者も全て同じルールのもとで審判されます。
 だからこそ大記録は他の誰にも真似できないトッププレイヤーの証明となるし、だからこそ選手はどんな不幸があろうとけっして甘やかされず実力のみによって選抜されます。

 その意味で、球審は確かに守ってみせました。
 死に様を陵辱されてなお残る、自身の尊厳を。
 そしてモンキーブルーがここまで築きあげてきた数々の名誉を。
 モンキーリーグ史に刻まれた全ての偉業を。彼らの真剣勝負に魅了された全ての観客の情熱を。

 ベースボールがそこに関わる全ての人々を熱狂させるショウであればこそ、球審がその全ての人々を公平に扱うためのルールを守り抜いたことは、全ての人々にとって何にも換えがたい最大級の偉業でした。

 「殺されたのは球審じゃない。殺されたのは野球だ」

 違う。ベースボールは死んでなどいない。

 「彼は“世界”に打ち勝ったんだ!」

 世界の理不尽に脅かされてなお、孤独に震えながら必死にそれを守り抜いた英雄は、確かに勝利を収めていました。

 「俺、本当はずっとやめたいと思ってたんだ。野球。上でやるには才能が足りないってことは自分が一番わかってるんだ。それでも昔は楽しくやってたんだ。それこそ猿みてえに。・・・それが、いつの間にか才能のあるなしだとか進学のためだとか、そういう余計なことばっかに気を取られて。――だけどさ。猿の試合を見てたらいても立ってもいられなくなってさ。うまく言えねえけど、なんつうか、『野球やりてえ!』って思ったんだ」

 球審が成したのは、全ての人にとってのかけがえのないものを守る戦いでした。
 当時はその意義がわからず彼を攻撃してしまった者もいました。
 もしかしたら彼自身もそれほどの偉業に挑んでいたとは自覚していなかったかもしれません。
 今なお理解できていない人もいますし、そもそも興味を持たない人だってたくさんいます。
 たくさんの人が、たくさんの視点から、たくさんの世界観によって、猿殺し事件を見つめました。
 人によって見えかたは大きく変わり、件の球審に対する評価も様々。

 ただ、ひとつだけ。
 モンキーリーグが今なお存続し、今なお多くの人々の心を白熱させていることだけは、そこに関わるほとんどの人物にとっての共通認識です。

 結局のところどこまでいっても世界の見えかたというのは人それぞれでしかありませんが、それでも、相互に共有できるものはあるものです。
 今回、長良は敗北を喫しながらもそういった“何か”に救われました。

 「これではっきりしたね。長良は他の『この世界』へ移動できる能力を持っている」
 「でも行き先は選べない。だって、今までの世界が長良が望んだものとは思えないし」

 大人と子どもの狭間で不確かまみれの己に惑う、ティーンエイジャーたちの冒険は続きます。

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    コメント

    1. ああああ より:

      世界がズレたんならやっぱり世界のほうが悪いんじゃないの?
      世界がルール破ってるのにそのまま押し付けられたルールの中で勝負するのがただしいというのは奴隷根性極まれりだ

      • 疲ぃ より:

         “誰が悪いのか”を論点にするということは、あなたは“誰が責任を取るべきなのか”に重点を置いて考えるというわけですね。
         その視点であれば、私は私の行うことについて私自身が責任を負うべきだと考える人間です。だって自分のことは自分で決めたいから。

         責任とはすなわち主導権です。何かあったときに自分で責任を取れるということは、何かが起こるまで少なくとも私だけは自分の自由にできるということです。
         これが他人に責任が渡ると、私はそうそう好き勝手できなくなってしまいます。あんまり勝手なことばかりしすぎると責任者に迷惑をかけちゃうから。

         で、仮に今話の件が世界の側に全ての非があるとして、それを正す責任も必然的に世界の側にあるとします。
         その場合、球審にはいったい何ができたでしょう?
         悪いのは世界。だけど現実としてその世界は一向に自分の過ちを改めようとしない。球審が正しいと信じる野球観を、残念ながら彼以外の全ての猿は少しも尊重しようという気持ちがない。
         この状況下、あなたが球審の立場だったらどういう行動を取りますか? なお、球審には自分の行動を自分で決める主導権が一切与えられないものとします。

         第三者視点から見てどちらが正しいとか、どちらが間違っているかとかって話、自分が正しいと思うことを行えるかどうかには一切関係ないことなんですよ。
         相手に責任を求めた時点で自動的に主導権も向こうに渡っちゃうので。
         ルール破りの無法を押しつけられたくなかったら、どんな理不尽な暴力に晒されようと、自分に課した責任だけは絶対に守り通すべきです。

    2. 匿名 より:

      読んでいて心から楽しい
      自分では見つけることが出来なかった新しい発見を見つけれて嬉しい

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