
「与えられたものに最初から価値が決まってる」「意味が備わってる」なんて、なんか他人任せで気持ち悪いよ。

「跳ぶ教室」
気になったポイント
クリア条件とご褒美
生徒たちの口コミにより、「この世界」ひとつひとつにクリア条件があり、それをクリアすると“能力遺物”と呼ばれる特殊なアイテムを手に入れられることが判明した。どうやら生徒たちに与えられている超能力同様、能力遺物ひとつひとつに固有の超常的効果が秘められているらしい。クリアした「この世界」とその能力遺物の関連性は見当たらない。
能力遺物
今回得られた“結びつきを解く”PS/2接続マウス・アームストロングのほか、“頭につけると運気が上がる”ジョー・ロー、“みんなの歳取った姿が見られる”老GO眼鏡などがある。
第3話でポニーが拾った暗幕や、第4話で相良の服についていたサル毛玉もこれに含まれる。ということは、エースが持っていたモンキーリーグを見られるようになる懐中電灯も能力遺物か。第1話の学校や第2話の焼失した島からも能力遺物が見つかるかもしれない。
長良のテレポーテーション実験
何らかの液体で満たしたカプセル内で長良の能力を繰り返し使用し、ラジダニが開発した設備でそれを観測している。こうすることで長良の能力の効果範囲をカプセル内に限定できるようだ。
テレポート先は相変わらず長良の意志で決めることができない。ほとんどは新しい世界だが、たまに既存の世界にも跳べている様子。なお、ネズミの世界を小麦畑に塗り替えてみせたように、必ずしも「人間の生存に適さない環境」ばかりではなくなったようだ。
土の教室
出入口も採光口も頭上にしかないという見るからに息苦しい空間。全面茶色いことに目をつぶれば偏執的なまでに普通の教室っぽいディテールになっている。爪が真っ黒になるまで土木作業に勤しんでやっと完成したもののようだ。
そこまでして元の世界に固執しているアピールをしたがっていたのかと思うと悲しくなる。
あき先生
「この世界」唯一の大人。大人なので高圧的で、大人なので母性的でもあり、大人なのでおっぱいが大きく、大人なので諦めることを強いてきて、大人なので子どもには理解不能な理屈を平然と振りかざす。生徒たちにとっては、ただ大人というだけで無条件に従うべき存在となる。彼らがまだ無責任な子どものままでいたいと願うかぎり。
もうひとつの無人島
第2話で焼失した島は本当は時間が巻き戻ったのではなく、ただ世界そのものを新しくつくり直されただけだった。焼失した島の世界もそちらはそちらで依然存在している。
どうやらあき先生と朝風たち一派はこちら側の世界に居を移したようだ。
長良の能力【テレポート】
元の世界に帰りたい生徒たちの間で定義され、ラジダニも暫定ながら採用した呼称。8月13日現在、公式サイトでもこの呼称で紹介されている。
現在、長良の能力は“自分がいる空間ごと巻き込んで様々な「この世界」に移動する”ものとして認識されている。もし長良が漂流前からこの能力を使えていたとしたら、この漂流事件自体が長良の能力による人為的なものという可能性が出てきた。
長良の能力【エスケープ】
あき先生が一方的に定義してきた長良の能力の呼称。
「もうここにいたくない」という感情を発現キーとし、周囲を巻き込んで世界移動するものとされている。あくまで今いる場所から逃げだすための能力だから自分で行き先を選べず、元の世界にも帰れない。
長良の能力【】
ラジダニが結論づけた新たな定義。呼称はまだない。
長良の能力は世界を移動するものではなく、その場に新たな世界を創造するもの。漂流先の「この世界」全てが長良の創造物だったのだと考えられる。
実際にはときどき既存の世界に出たり、無人島の世界に帰ってきたりしているため、テレポート能力を兼ねてもいるのだろう。
朝風の能力【スローライト】
公式サイトでは重力をコントロールする能力だと紹介されているが、それでは説明のつかない描写が多すぎる。「この世界」を守る守護者とされる理由にも納得がいかない。
おそらくは“既存のルールを変革する”能力といったところではないだろうか。物理現象も世界のルールもねじ曲げ、自分が活躍できる舞台を整えられる。世界移動を伴う長良の能力が何かから逃れるためのものだとしたら、朝風のものは逆に自分に注目を集めるための能力だろう。
派閥が形成された背景
「今、楽しんでんだろ? たまたますごい能力を手に入れてさ。女子たちにも仲よくしてもらって。元の世界じゃいないも同然だったやつがさ」
HYO-RYU-COIN以降、俄然生徒間の力関係は明確になっていきました。生活物資を供給する瑞穂と帰還のための研究を推し進めるラジダニを筆頭に、強力で便利な能力を与えられた生徒たちが活躍の場を広げるようになりました。
反対にしょっぱい能力を授かってしまった生徒たちの立場は無くなりました。強能力者からの“施し”を受けるために汗水垂らして土木作業し、ちまちまとHYO-RYU-COINを稼がなければなりませんでした。
彼らの努力の結晶のひとつが、あの土の教室です。一応地上の建築物なのに、ドアどころか窓すらない息苦しい部屋。しかもせっかく教室を設えたところで授業があるわけでもない。いってしまえば無意味な空間。瑞穂やラジダニが涼しい顔で大豪邸を構えている一方で、無能力者たちがいくら力を合わせてもできることなんてその程度。有り体にいって、無様でした。
エースや上海などは「NO CATS ALLOWED」(第3話)と掲げて明確に島の経済社会参加を拒否していましたね。
上に立って活躍している顔ぶれが彼らの不平不満をいっそう加速させます。転校生や生徒会役員はともかく、他は軒並み元の世界で目立った活躍をしていなかった面々ばかり。特に長良。いっつもひとりでダルそうにしていた無気力人間。そんな彼が、まるでなろう小説の主人公のごとくしれっと人生一発逆転をかましているわけで。
能力モノってそういうものですしね。この手の作品に出てくる異能というのは願望に根ざして発現してくるものなので、長良みたいに日常的に不満を溜め込んでいた人物ほど強い能力を発揮しやすいんですよね。願望ベースに設定したほうが人間ドラマを描きやすい事情もあって。
そんなわけで、エースなど元の世界でいい思いをしていた生徒を中心に、一刻も早く帰還したい気運が高まっていました。
「ねえ。あなたにはわかんないかもしれないけどさ、みんな向こうに置いてきた大切なものがあるんだよ」
「心配して待っている親だっているし、受験に向けてがんばってたやつもいる。部活だってそうだ。俺らは帰らなきゃいけないんだ。俺ら、お前と違って必要とされているんだ」
いやあ、でもその物言いはどうかな?
エースが目立っていて見過ごされがちですが、こちらの派閥にはさりげなく第3話の暗幕の世界に引きこもっていた4人も参加しています。それこそ誰にも必要とされず、良い人間関係を築けず、島での居場所をなくしていた生徒たちです。ちなみに生徒会役員たちは意外と全員参加していません。
そんな彼らですら元の世界に帰りたいと主張しているわけですね。
派閥全体としての争点は要するに、元の世界と「この世界」のどちらをマシだと感じているか、というところなんでしょうか。元の世界で必要とされていた云々は派閥内でもさらに一部の生徒にしか当てはまらない話です。思春期真っ盛りの子どもたちがそうそう簡単に自己肯定感を獲得できていてたまるか。
そして彼らは不思議なことに、あき先生の庇護下に加わります。
「貴様らはもう元の世界に帰ることはできない!」
彼女はむしろ彼らの希望と真っ向から相反することを言っているはずなのに。
“大人”という都合のいい責任者
「じゃあ、先生はどうやってここに来たんですか?」
「クソの割にいい質問だ。いいか、よく聞け。“神が必要とされた” だからだ!」
“あき先生が神様に必要とされた”と受け取るのが素直なところなんでしょうが、“生徒たちが神様(=あき先生)を必要とした”というニュアンスにも聞こえます。今話のストーリー的には後者がふさわしいので余計にそう感じてしまいます。
「まだ義務教育は残ってる。私が貴様らを導いてやる!」
ある種の人間にとって、この言葉のいかに頼もしいことか。
「私が教師であるかぎり、貴様らはまだ子どものままでいいんだ」
そう言ってくれているわけですから。
生徒たちはこの島での成りあがりに失敗しました。
今上に立っているのは特別な能力を持つ者ばかり。しょっぱい能力しか持たない自分たちでは逆転は見込めないでしょう。
それは誰のせいでしょうか?
長良のせい? 瑞穂やラジダニのせい? 生徒会役員が公平じゃなかったせい? それとも「この世界」のせい? ろくな能力をもらえなかった不運のせい?
・・・少なくとも、自分のせいではない。
元の世界において、彼らのうち幾人かは栄光を勝ち得ていました。
がんばったからです。一生懸命努力したからです。勉強なり、部活なり、友だち付きあいなり。
がんばった結果彼らは他の人より良い立場にありつくことができて、だからそれ以外の者たちは彼らより努力していなかったはずでした。努力は報われるものでした。怠け者はヒエラルキーの底辺を這いつくばるべきでした。
それが、この島では逆転。
ところで、元の世界において、彼らのうち幾人かはつまらない人生を送っていました。
理由なんて知りません。周りが自分より努力したのかもしれませんし、生まれついての才能差だったのかもしれません。
少なくとも、彼らは栄光を勝ち得ませんでした。だから努力が報われるかどうかなんてわかりません。自分が人より努力したのか、そうじゃないのか。自分に栄光を掴む権利があったのか、なかったのか。その判断基準すらも彼らは持ちません。
彼らは、この島においても何も変わりませんでした。
なんて理不尽な!
この島では / どこの世界でも 自分は持たざる者の立場。
それは誰のせい?
それぞれ立場は違えど、結局のところ思うことは一緒です。
「少なくとも自分のせいじゃない!」
「だから、ここは自分のいるべき場所じゃない!」
「この世界は理不尽だ!」
そう思いたいからこそ、口調は荒々しいあき先生の言葉を、彼らは無性に甘やかに感じてしまいます。
あき先生は彼らを導いてくれると言いました。それはつまり、自分で判断しなくていいということ。どんな結果になろうとも自己責任を感じないで済むようになるということ。全部あき先生のせいにできるということ。
あき先生は大人でした。教師でした。
大人には、子どもを導く義務があります。
大人がいるかぎり、子どもはあらゆる義務から解放されます。
「悪いけどあいつの説教にはみんなウンザリしてるんだ」
「じゃあ、あき先生の説教ならみんな聞くのかい? 第一彼女は『僕らは元の世界には帰れない』そう言ってなかった? 自分は神の名を騙りこの世界に現れたのにだよ? おかしくないか? それは君たちの願いではないだろう? そんなの、救いがないじゃないか」
明星の主張は道理に適っています。
理屈として、元の世界に帰りたいと言っているはずの彼らがあき先生の庇護下に入るのはおかしい。
だけど違う。
実質的に彼らが求めているのは元の世界への帰還ではありません。
だから元の世界が居心地よかった生徒も、そうじゃなかった生徒ですらも、白々しく同じ願いを口にして徒党を組める。そんなもの本当はただのお題目でしかないわけですから。
彼らが本当に欲しかったものは――、
「とぼけるな! 貴様の能力は【エスケープ】! 逃げだすための能力だ! 『もうここにはいたくない』という思いが皆をこの世界に巻き込んだ! 嘘じゃない! 逃げるための能力だから一方通行で戻ることができないんだろう!? 貴様らはこれから永遠に、こいつの逃避に付きあわされるんだ!!」
今、逃げているのはどっちで、それに付きあわされているのはどっちだ。
少なくとも、今。
責任転嫁
「別に僕は帰れなくてもいい。お前らがどうなろうとどうでもいい」
はやとを激昂させた長良の言葉は、別に悪意あってのものではありませんでした。
「逃避に付きあわされている」と無実の罪を擦りつけられたから、「付きあわせたいだなんて思っていない」と反論しただけです。言いかたはすこぶる悪かったですけどね。
「お前はいつもそうやって諦めてるふりしてるけど、本当は心の底で何かに期待してるんだ! もういいかげん自分の希望に人を巻き込むのはやめてくれよ!」
そしてその激昂したはやと。
この子、意外といいやつですね。長良が無気力そうにしているのを本心からの行動じゃないと見透かしたうえで今日まで友だち付きあいしてくれていたわけです。長良の鬱々とした感情が自分にまで伝わってくることをわかっていながら、それでも離れずにいてくれたわけです。
暑苦しいな。私だったらこんな友達がいたら自分から距離を取ると思う。
あき先生庇護下の生徒たち一派、すなわちこの世界からも自分が負うべき責任からも逃れようとしている子どもたちと、彼は若干異なる思想で動いているように見えます。
長良に対して怒りを露わにした理由のピントがズレています。
「だって、話しても伝わらないんだ。仕方ないだろ。みんながそれで納得できるならそれでいいだろ」
「仕方ない? バカにすんな! そうやって周りをバカにして、自分だけかわいそうみたいな顔してよ。あ? ふざけんな!」
はやとが激昂したのは瑞穂と同じ理由によるものです。
長良の「逃げたい」という思いに巻き込まれたからではありません。彼は今回の件をそういうふうに捉えていません。
長良がこちらのせいにしようとしたように感じたからです。言ってもわかってくれなさそうだから言う前に諦めた。だからお前たちのせいだ。そう言われた気がしたからです。こっちは友達だと思っているのに。聞くつもりはあるのに。なのに、それを試す機会すらくれずに諦めたことへの責任だけ押しつけようとする。はやとは長良のそういう態度に腹を立てました。
そんなもの、あき先生の言う【エスケープ】の能力とは全然関係ありません。異能ですらありません。ただの感情の発露。友達としての共感。感情移入。そういった類いのものです。
この子、なんであき先生のほうに着いて行っちゃったの?
いやまあ、自己責任とか嫌いそうな言動はしていたけどさ。だからといって他人に責任を押しつけちゃうのも好まない性格なのは長良とのやりとりを見ても明らかなわけで。
「き、救世主だ!」
派閥の生徒たちが口々に朝風を救世主認定していくなか、はやとだけが納得いかないように表情を曇らせます。
朝風のこと、慕っていましたもんね。責任なんてひたすら嫌でしかないもの、大人であるあき先生に押しつけるならともかく、仲よくなりたい朝風に押しつけるのはちょっと違いますよね。
自分と他人
「ごめん」
「お? なんで謝るの? 失敗すればするほど成功の可能性は高まるんだ」
「そうだよ。ここじゃ明日はいくらでもある」
「ここがいつまでも続くなんて何の保証もないだろ」
「それもそうだ。だけど、偶然に期待してもしょうがない」
今話は誰かに押しつけてしまいたい感情のありかたについて描かれました。
こちらの世界に留まった長良も、あき先生とともに焼失した世界へ旅立った朝風も、責任というものを嫌がる点ではよく似ています。
ただ、大きな違いが1点。
「誰にも責任はない」と言われたとき救われた心地がするのが長良です。
同じことを言われたとき、それでも誰かに責任を負わせたいと思うのが朝風です。
だから長良は希に惹かれました。彼女の論理では自分のすることは全て自己責任。その代わり誰も巻き込まないし、誰にも巻き込ませない。だから、もし何かあったとき自分のせいじゃないのなら誰のせいでもない。
根が優しい長良にとって、そういう誰のせいにもしない考えかたは気が楽でした。そのぶん自分が何かをするとき自己責任を覚悟しなければならないということでもありますが――、そのあたりまで受け入れられるようになるにはもう少し時間がかかりそうです。
朝風はあき先生に付いて行きました。あき先生は朝風に「特別な存在」と言ってくれたからです。しかも朝風自身はそう思わなくていい、朝風の代わりにあき先生がそう信じてくれると。
「誰にも責任はない」では納得できない朝風にとって、自分や他の生徒が負うべき責任まで含めて常にあき先生が肩代わりしてくれるというのは気が楽でした。全ての責任から解放されたことで、これまではできると思えなかった、自分にしかできない何かができるような気がしました。
正直言って私は長良の、というか希の考えかたのほうが好みです。
たとえ事実はどうあれ、他人に責任を求める態度は気に食いません。他人を責めたところで自分自身には何も得るものがないからです。多少気分がすっきりするだけで。
どんなに他人に理不尽な迷惑をかけられようとも、その人はどうせ私のために後始末をしてくれない。罰則で強制してみても手を抜かれるばかり。ああ、面倒くさい。自分がやったことじゃなくても後始末をつけることになるのはどうあっても私です。利害関係者が自分であるかぎり、責任を持たなければならないのはいつだって自分です。だから、他人を責めることに大した価値はありません。労力に見合いません。
「ちゃんとやってよ。そんなんじゃ手伝いにならないよ」
「才能ないんだ」
「才能関係ないよ、これ」
「そう。関係ないんだ。どこに行っても、どんな力を持っていても、結局同じなんだ。生まれつきそういう人生なんだ」
「そうやってまた諦めるんだ」
「――人って、生まれただけじゃ価値なんてないんだよ。だからその後の人生でその意味を見つけなくちゃちゃいけない。『与えられたものに最初から価値が決まってる』『意味が備わってる』なんて、なんか他人任せで気持ち悪いよ」
実際のところ、どういうことにも才能は関係あって、生まれの有利不利も案外大きくて、そういうところである程度人生が左右されてしまうことは認めてしまっていいと思います。家が裕福なほど高偏差値な大学へ進みやすいって統計データもあるわけですし。
でも、そんな自分じゃどうしようもない部分で腐っていても何の意味もありません。それを言い訳にして諦めていい理由にはなりません。自分に何の得もありません。
「与えられたものに最初から価値が決まってる」「意味が備わってる」 正直、そういうのはよくあることだと思います。希は怒るかもしれませんが、私はそう思います。
だけど自分がそういうふうに納得してしまうのはやっぱり気持ち悪い。事実はどうあれ、自分ががんばったから上手くできた、手を抜いてしまったからダメだった。そういうふうに考えたほうがずっと気が楽です。
だから私は自分のことに自分で責任を持って生きたい。たとえ他人のせいで悪いことに巻き込まれても、そこは自分の力で挽回したい。
希の考えかたとはもしかしたら少し違うかもしれません。どっちかというと長良のほうが近いくらいの後ろ向き加減だとも思います。だけど、だからこそ、長良には希を慕っていてほしい。
これはもう、完全に自己投影ですね。よくないよくない。長良は私じゃない。だけどまあ、それはそれとしてやっぱり応援はしたい。
「あ・・・。すごい光景だ。光はもうすぐそこだ!」
相変わらず希に見えている世界の姿は私たちに共有されません。モンキーリーグですらブルーモンキーや球審のビジュアルくらいは見せてくれたのに、こっちはもう本当に一切、なんにも見せてくれません。
けれど、空を見上げる希の姿なら私たちにも良く見えます。希が何よりも尊重している、希という人間の核たるもの。他の誰でもない希。ただの希。希その人。
そういうものを、長良にはこれからも追いかけていてほしいと願います。たとえ希と同じものが見えなくとも。希という人物、希という思想の一番大事な部分を、これからも好きでいてほしいと祈ります。
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