ポプテピピック 第10話感想 今日もポプテピピック。

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なんたってピピ美ママは銀座イチのおせっかいママですもんね。

―― 銀座と錦糸町が別の土地だと初めて知りました。

 クラブピピ美に飾られている花のうち最も特徴的なかたちをしているのがコチョウラン。花言葉は「幸福が飛んでくる」あるいは「優雅」。
 最も大きく華やかに飾られているのはカサブランカですね。花言葉は「高貴」、「祝賀」など。
 うん、まあ、花言葉を意識しての登場ではなさそうですね。どちらもお祝い事によく用いられる花というだけでそれ以上の意味はないものと思われます。

 目についたもの全部を片っ端から作品解釈に取り入れようとしてしまうのはオタクの悪いクセですね。
 アニメは人物から背景、音楽、セリフに至るまですべて人の手でつくられていることがはっきりわかるメディアなので、観る側としてもついつい全部計算して配置されているものと思ってしまいがちです。ちゃんと全部に意味を持たせるべきだ、みたいなことをいうアニメーターさんも実際いますしね。

 ですが、ですよ。
 そもそもつくり手の意図なんざ元々私たちには知りようがないことなんですよ。考察し、想像することはできますが、それだって答え合わせができるわけではありません。
 私たちがアニメを観て笑い、あるいは泣き、感動とともに受け取ったメッセージは、制作者が込めたものそのものではありません。それは私たちの瞳を通して変質し、私たちの人生経験と照らし合わせて改竄されたものです。制作者の意図はおそらくある程度は反映されているでしょうが、最終的にそのメッセージをつくったのは他でもない私たちです。

 私たちは私たちを楽しませられるようにアニメを観なければなりません。私たちは私たちがアニメを楽しめるようにするためのありとあらゆる努力を尽くさなければなりません。なぜなら私たちはアニメが好きだからです。
 花言葉だのパロディだのを追いかけるのはそのための手段です。そういったものを深く掘り下げることでアニメを一層楽しめるからそうしているだけです。誰かにそうしろと命じられたわけではなく、そうしなければアニメが楽しめないというわけでもなく、純然たる自己満足としてアニメに様々な要素を見出します。

 そういう性質の行為だからこそ、目についたもの片っ端から全部意味を見出そうとするのはちょっと危険なことなのかもしれませんね。
 それはアニメを自分なりの視点で楽しもうとする態度とはちょっと違う気がします。目的と手段が入れ替わっているように思います。

 うん、まあ、ちょっとね。ちょっとした自分に対する戒めです。
 私にとってポプテピピックは鏡です。この作品自体は私にとって無味無臭で、観ていて笑いもしなければくだらないと腹を立てることもありません。そのかわり、なんだかいろんなことを考えちゃうんですよね。
 とかなんとかいいつつ、思いは泡沫、浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでなので、いざ文章化を試みると書き癖のように結局毎回同じことしか書いていない気もするのだけれど。というか他人に読ませる前提の文章になっていない気すらするのだけれど。

 面白いですよ、ポプテピピック。
 楽しもうとすればするほど、楽しもうとしている自分自身の姿ばかりが見えてくるんです。

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