サニーボーイ 第7話考察 ビートニクはなぜバベルの塔を逆さまにしたのか?

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ねえ。希も僕たちはもう帰れないって思ってる? 光はなくなったのかな?

「ロード・ブック」

気になったポイント

ビートニク

 二つ星曰わく「それぞれの世界のエリートが集まった、いわばドリームチーム。彼らは世界を股にかけて活躍しているんだ」とのこと。つまりは『高機動幻想ガンパレード・マーチ』の“世界移動存在”“オーマ”“絢爛舞踏”と同じ概念か。(※ その喩えわかる人いないって)
 元ネタは1950年代アメリカのカウンターカルチャー。第二次世界大戦を勝利で終え、非常に安定していた当時の社会ムードに反発するかたちで発生した。定型的な創作物を拒絶し、東洋的宗教観を探求し、法の支配に抗い、経済主義者を侮蔑し、スピリチュアルに傾倒、ドラッグを常習し、自由恋愛を好み、人間の動物的初期衝動と即興性を尊んだ。要は反体制主義にして熱烈な自由主義、個人主義思想。このカルチャーは後にヒッピーやロック、ラップミュージックとして派生していった。
 こんな用語を掲げている連中が漂流被害者の会のような他人任せ集団とウマが合うはずもなく。彼らはむしろ個人として明確な目的意識を持っていた長良に協調した。

漂流被害者の会

 描写的になんとなくビートニクと同じ組織っぽく見えるが、実は別の団体。長良を断罪してもらうためにビートニクのコウモリを招聘していただけ。
 思想的にはあき先生に着いていった生徒たちと同じ。自分の身に降りかかった不幸と理不尽の原因を他人に求めて鬱憤晴らしをしたがっているだけで、不幸を克服するための建設的な活動ではない。自分たちとビートニクとの思想的違いすら理解していなかった時点で幼稚だったといわざるをえない。数千年生きておいて未だに学校の講堂に執着しているところにもその幼稚さが表れている。

裁きと悲劇

 漂流被害者の会は長良の断罪を求めていたが、コウモリには最初からその意志がなかった。コウモリは長良を罰することが悲劇の予防になるとは考えなかった。
 現代司法において、刑罰とはあくまで犯罪者を更正し社会に復帰させるために存在している。けっして被害者のためを思いやって行われるものではない。だからこそ被害者の救済は民事として別個に取り扱われるし、だからこそ彼らの憎しみや不平を量刑には反映させない。死刑や無期刑も更正の余地がないときのみ用いられる。
 悲劇とは少数の罪人によってもたらされるのではない。数人の個人ごときが大勢を不幸に陥れることなどできはしない。彼らの思想や行動に多数が同調して、あるいは同情して、もしくは憤怒して、恐怖して、憂慮して、収拾のつかない暴徒と化すことこそが悲劇。不幸を連鎖させてしまうことこそが悲劇。悲劇とは、多数の衆愚による無思慮な行動によってのみもたらされる。その意味では断罪による鬱憤晴らしも悲劇の予防につながるかもしれないが――。
 根本的な話、【観測者】とされる長良はそもそも漂流被害者の会に在籍する大勢の先輩漂流者たちを観測していない。映画館の世界も長良の主観視点のみを収蔵していた。長良は彼らの顔や名前すらも知りはしない。少なくとも現時点で長良は罪人たりえない。それでもあえて罰したいというのなら生贄とでも呼ぶべきだろう。

あき先生

 正体がやまびこ先輩と同じ先輩漂流者、長良たちと同じ元中学3年生だったことが確定した。すでに白衣の下に制服のプリーツスカートを履いていたことが前話で描写されていた。
 「君の能力と私の相対性は相性がいい」(第6話)と、意味がよくわからない発言もしていた。相対性? 大人の指導者に責任を委ねたがっていた生徒たちの前にちょうど都合よく大人の姿で現れたのは、そういう能力の持ち主だからだったのか? あるいは元中学3年生というのもブラフで、最初からそういう鏡のような存在だったのかもしれない。
 他人任せに生きたい者にとっては“先生”も“先輩”も大差ないのだろう。正体が明らかになってなお結構な人数の生徒たちが彼女に着いていった。ちなみに第3話のヒキコモリ4人組のうち手芸の子と筋トレの子は離反して明星の箱船に乗っている。

洞窟内の流れ星

 ヒカリキノコバエのこと。オーストラリアのグローワーム洞窟が有名。日本でも八丈島に生息域がある。幼虫期に洞窟の天井から青く発光する粘液を20~40cm程度垂らして羽虫などを誘引し、この粘液で絡め取って捕食する。最近プリキュアにも登場した。

能力遺物【万物の力】

 世界移動能力を持つ箱船の中枢。宝の地図に導かれたエースたちが発見した。世界移動能力を持つ能力遺物は他にも複数存在するようだが、やまびこ先輩が「君らには万物の力がある。あの船が君たちを守ってくれるはずだ」と発言したあたり、他にも何か特別な力が秘められているのかもしれない。

能力遺物【猿毛玉】

 日なたのようないい匂いがする。そして、その匂いは燃やしてもカレーに入れて煮込んでもけっして変わることがない。どんなときも変わらぬ自分らしさを持つようになった長良を祝福し、ラジダニが手渡した。

長良の能力【天地創造】

 はやとが厨二マインドあふれるネーミングとともに定義した。内容自体は【観測者】に対する認識と大して変わらないが、長良に対する友情とエールがめいっぱい込められている。
 「長良は僕の親友。がんばれ!」

卒業式後の無人島

 前話時点ですでに長良たち以外の生徒たちは元の世界への帰還を諦めつつありました。このため、ラジダニのディレクターズカット作戦が失敗に終わった時点で、いよいよそれぞれの派閥が準備していた計画が実行に移される流れとなりました。

 「いや、ちょっと。やり残したことがあって」

 あき先生派は他の派閥から完全に分離。ただし、朝風だけ後から合流すると言って派閥から離脱しました。彼女たちの行き先は不明ですが、後から合流できるということは今後も焼失した無人島の世界を拠点にするつもりかもしれません。元々帰還を諦めて安寧に暮らすことを目的とした集団ですから、どこでだって生きられるでしょう。

 「俺ら卒業したんだ。これからどうするかは自分で決めなきゃな」

 エースたち一派は予定どおり明星の箱船に合流。ただ、前話時点とは多少異なり、自分たちが学校を卒業した立場であることを自覚したうえで主体的に行き先を選びつつあるようです。なんで公式サイトだと上海だけ紹介されてエースがいないんだろう・・・?

 「ついに旅立ちのときが来た。これは僕たちの居場所を見つける旅だ。恐れるな、僕たちには自由がある。そしてなにより仲間がいる。さあ、行こう!」

 明星と生徒会役員たちの派閥は箱船を使って旅を始めました。目的は明確。自分たちの新しい居場所探し。まさしくノアの方舟。
 明星がヴォイスの予言に従っていたころと異なり、「そうしなければならない」から旅立つのではなく、自分たちの自由意志によって積極的に望んだ旅立ちとなりました。

 「僕はこいつと旅することにしたよ。全ての『この世界』を見てまわって、この宇宙の真理を解明するんだ。どこまでできるかわからないけど、やれるだけやってみようと思う」

 ラジダニは帰還作戦が全て失敗に終わりしばらく錯乱していたようですが、最終的にはひとりで世界を旅してまわる決断をしました。目的は宇宙の真理を解明すること。なんだかんだで仏教徒らしい世界観の持ち主です。悟ってしまえ。

 「それでも僕は僕の道を進む。それだけだ」

 長良、希、瑞穂、朝風、やまびこ先輩の5人だけがこの島に残りました。目的はそれぞれ異なります。長良は引きつづき元の世界(ないし自分たちがいるべき世界)への帰還方法を模索するようですが、他のメンバーはまだ帰還の可能性が残されていると信じているわけではありません。

主要キャラクター雑感

長良

 「全部僕のせいなんだ。それでも、もう逃げないって決めたんだ。この漂流を間違いにしたくないから」

 初めは希のまっすぐな意志力に憧れ、やがて自分だけがこの漂流事件を解決できるという使命感と責任感を獲得し、ついに折れない意志を持った主体的な人物として成長しました。いかにもボーイミーツガールの主人公。
 ボーイミーツガールという物語テンプレートの一番面白いところは、ただ主人公が成長しただけでは物語が完成しないところにあります。主人公の成長は中盤の山場でしかありません。

 本質的に優しく、自分以外の人間の思いを理解しようと思えるのが元々持っていた彼の良さですね。そこに希から見習った行動力が伴ってきて、ひとりでも物語を動かせる力として結実しました。
 ただ、彼がやろうとしていることは彼ひとりの力ではどうにもなりません。だって、それはみんなのためになることですから。大勢の人生を左右するようなこと、たったひとりの人間が成し遂げられるだなんて思い上がりも甚だしいでしょう。彼はこれから、人の心を動かせる人間にならなければなりません。ひとりひとりが自分で長良と同じことを成し遂げられるようになるために。

 「私が行っても役に立てないから」

 【コンパス】の光が指し示していたのは元の世界への帰還経路ではありませんでした。【コンパス】が示した先で希は死んでいました。これまで自分ががんばってきたことはいったい何だったのか。
 そんなやるせなさにより、現在自信と希望を喪失しています。今彼女が信じられるのは長良だけ。彼女の知るかぎり長良だけが着々と自己変革を繰り返し、たくさんの不可能を可能に変えてみせました。――希と違って。
 だから、希が今信じて縋っていられる対象は長良だけになっています。希自身はもう何の希望も抱いていませんが、長良が信じているものであれば希も信じることができるでしょう。希が長良に着いていくのはそういう理由です。
 これぞまさにボーイミーツガールの正統派ヒロイン。最初は主人公の成長を促す指針として登場しながら、途中で立場が逆転し、今度はヒロインが主人公を見て成長する側になるというのがボーイミーツガールの基本です。

 「光だ。ここに光がある。うん。やっぱり私たちは正しかったんだ!」(第6話)

 ところで、【コンパス】の光が見えなくなったのって今まさに自分が光のなかにいるからなのでは?

瑞穂

 「みんな長良が心配じゃないのかな?」

 なんか気がついたら世話焼きキャラが板についてきたサブヒロイン。世話焼きキャラという時点ですでに恋愛的に負けフラグなのはここだけの話。だってそれ、幼馴染みポジションの属性だし。

 冗談はさておき。
 瑞穂はまだ未熟だったころの長良に救われた人物です。長良は未熟で、不完全な人物で、だからこそ不出来な人間の気持ちも理解してくれる。隣に立って優しく微笑んでくれる。そういうふうに考えています。だから無闇に世話を焼こうとしているんですね。長良が未熟で、未熟だからこその魅力を持つ男の子だから。乙女かよ。
 瑞穂の場合、元の世界で婚約した相手が教師で、しかも「まだ子どものままでいい」と甘やかしてくれていたので、なおさら“未熟”というのは大事な要素だったんでしょう。
 逆をいうと、つまり彼女はヒロインとして主人公の成長を促せない人物だということになってしまいます。現状維持こそが彼女の望みだから。現実でならそういう恋のありかたも全然アリだと思うんですけどね。でも残念ながら彼女は物語の登場人物なんです。

朝風

 「お前らいつまでこんな島にいる気なんだ? 俺と一緒に来いよ。希も。お前、何もできないんだから俺と一緒にいたほうが安心だろ。・・・おい。長良も来るだろ?」

 構図的には明らかにライバルポジションなのに、長良が競うということを知らない人物なものだからなかなか対決させてもらえずにいた不憫な子。しかもボーイミーツガールはその構造上ヒロインが中盤まで恋愛自体しないので、恋の当て馬としてすら大して機能していませんでした。今後ならまだわかりません。マザコンキャラのイメージを払拭できるかが鍵。ついでに【スローライト】の本当の効果早よ見せろ。

 一応マジメに語るなら、朝風はとにかく希に執着しているようです。たぶん、こないだまであき先生に従っていたのと同じ理由。希のまっすぐ希望を信じつづける心の強さに一目惚れしたんでしょうね。彼はどうも自分を認めてくれる誰かに飢えているようですから。希やあき先生のような強い女性に認めてもらえたなら、彼にとってこれほど心強いこともないでしょう。だからマザコンイメージがつきまとうんだ。
 いっそ上海みたいな共依存気質の子が傍にいてくれたらよかったんでしょうけどね。朝風は自分を見てくれる相手のためなら自分で自分を高められるタイプのようなので、意外と健全な関係を築けそうです。けれど残念、あの子はカレシ持ちだ。

ラジダニ

 「どこにいても、どんな状況でも変わらない。今の君にぴったりな能力だ。――君と友達になれてよかった」

 なんか唐突にアリの観察を始めていましたが、ラジダニが突飛なことをするのはいつものことなので全然違和感を感じませんでした。「もうおしまいだあ」とか言いだしたのでやっと異変に気付きました。
 つまるところ、8ヶ月も研究しつづけて出た結果が「帰れない」というつまらないものだったのでガッカリしていただけなんだと思います。まわりのみんなとっくにその結論に行き着いていたので、なおさら腰砕け感があったでしょうね。
 ただ、そもそも彼は元の世界に帰ることが目的だったのではなく、研究すること自体が好きだから難問に挑んでいただけです。そして「この世界」にはまだまだそこらじゅうに解明されていない謎が転がっている。それもみんな気力が萎えているせいで未解明のままの謎が。
 アリの観察みたいなものです。どんなに身近に興味深い研究テーマが転がっていようと、ラジダニ以外はそもそも見向きもしない。だったらラジダニのほうも帰還研究だけに固執しつづける必要はないわけで。
 「この世界」はまだまだブルーオーシャンです。少なくともラジダニにとっては。

明星

 「もうあの声は聞こえない。もっと早くこうすればよかった。そしたら君の声がもっと聞けたのにね」

 明星は元々権力者の家系でした。家が持つコネを使えばたいがい何でもできました。生徒会選挙の投票結果捏造から、学校裏サイトの書き込み端末割り出しまで。もちろん、彼自身の聡明さもあってこそでしょうが。
 そういうふうに自分の持ち物ではない権力を我がもののように使うことが日常になっていたせいで、行動原理まで自分のものと他人のものの境界が曖昧になってしまっていたんでしょうね。いわゆる親の敷いたレールみたいな。ヴォイスの予言に支配されていたのにはそういう背景があったんだろうと思います。そもそもあのヴォイス、いかにも第三者っぽい発言だったり、明星自身の希望に添う発言だったり、立ち位置が変に曖昧でしたしね。実際にはヴォイスの発言も半分くらい明星自身の意志だったんじゃないでしょうか。
 それが前話、長良の自分の力だけでの活躍と、希の自分で見てきたものだけで組み立てた未来予想が、ヴォイスの予言を上回ってみせたから、明星もまたヴォイスに頼らない道を選ぶ気になったのでしょう。
 元々借りものの力に頼らずともカリスマ性を発揮できる優秀な人物なんです。家からもヴォイスからも自由になった今、彼はかえって力を増していけるようになるでしょう。

バベルの正体

 「天国を目指してるんだ」
 「天国?」
 「天国ってのは元の世界への出口ってことさ」
 「出口って、外への?」
 「もちろん。でもそれだけじゃない。ついでにお宝も探してるんだよ。うん。それだけだよ」
 「天国が出口で、お宝も・・・? いったい何が目的なの?」
 「まあ、どれもだよ。うん」

 「塔の建設だって同じさ。『いつか天国に行ける』なんてこと本当に信じてる漂流者はいないんだ。――なに恐い顔してるの? 本当のことだよ。わっちらはただのアリンコだから。ニセモノの希望でも、それを目指していたほうが幸せなんだよ。それだけさ」

 天上の楽園を目指して高い塔を建設しているという世界。漂流者たちは石材を運ぶ人足と、それを見張る監督員、人足たちの疲れを癒やすコンパニオンなどに分かれて働いています。ただし、石材はなぜか塔の上から下のほうへ運ばれており、1000年以上働いていても一向に完成する様子がありません。べったべたなディストピア。
 人足として働いている者たちも薄々自分たちが意味のない労働をしていることに勘づいています。けれど不満はありません。叶いやしない希望であれど、希望を信じつづけるという行為自体が彼らの心を支えているからです。

 ちなみに劇中で二つ星がヒカリキノコバエの怪物に食われるという事件が起きましたが、その後彼は何事もなく労働に勤しんでいます。「この世界」において生徒たちはケガを負わず、餓死することもなく、永久不変のまま存在しつづけることができるというルールがあるからです。
 時間が巻き戻ったのか、あの後無傷で逃げられたのかはわかりませんが、ともかく二つ星は無事でした。こういう不死の存在になってしまっているからこそ、彼らはこんな露骨なディストピアでも希望がないよりはマシだと受け入れてしまえるわけですね。

 この世界の管理者はビートニクの一員であるスス頭という人物。ただし、同じビートニクのコウモリの協力を得て世界の天地を反転させているとのことです。
 ・・・なんか辻褄の合わないことをしていますね。
 塔がけっして天上世界へ到達しないことを明示するかのように石材を上から下へ運ばせておいて、実際にはその天地そのものが反転しているわけですから。結果的に人足たちは正しく天上に向かって石材を積み上げていることになります。

 そもそも人足たちの生活環境が劣悪なこと自体おかしいんですよね。
 彼らは全員不老不死です。何も食べずとも、眠らずとも、鞭で打たれようとも、つまりは無理に働かずとも、彼らは生命を脅かされるということがないんです。空腹や痛みを感じることくらいはありますが、それでも第3話のヒキコモリたちのように働くことを拒否できる自由を最初から持っています。
 それなのに彼らは劣悪な生活環境に身を置いて満足している。
 世界の管理者も本来何も強制できるものではないと理解していながら、それでもあえて劣悪な環境を彼らに提供している。
 「これでいいんだ」ということを双方が納得したうえで、一見ディストピアなこの世界は成立していたわけです。

 「素晴らしい景色だろう。天国へと果てしなく続くバベル。これは全て人間の手によってつくられる巨大な“空っぽ”だ」

 「この世界は逆さまで、大きな穴なんだなあ。みんなを守るためにここに希望を閉じこめている。僕の【逆さま】の力でね」

 どちらも必要なことだったんでしょうね。無意味な労働だと感じさせることも、無闇に劣悪な環境に身を置かせることも。不老不死たる漂流者たちの心を守るためには。

 たとえば白粉顔のヒメは都市伝説の流れ星を所望しました。天国でステキな旦那さんに出会いたいという願いを叶えるために。
 長良はその正体たる虫を見つけて、ヒメのところに届けました。
 ひどい味でした。もちろん、食べたところで願いが叶うわけでもありませんでした。

 希望なんてものは、まだ叶っていないからこそ信じていられるんです。
 すでに叶ってしまった希望に価値なんてありません。そもそも、長良たちが漂流した「この世界」において漂流者たちの本当の希望なんてものはそうそう叶いそうにありません。
 もちろん、叶いっこないとわかっている希望を追いかけつづけるのもそれはそれで苦痛ですが。

 じゃあ、いっそ希望なんて捨ててしまったほうが幸せですか?
 たとえばあき先生に従って長良たちの妨害をしつづける暮らし。
 たとえば漂流被害者の会の一員としてナガラへの憎しみを湧かせつづける暮らし。
 自分もあんな生きかたをしたいと、あなたは思いましたか?

 あんなものは下の下です。希望を捨て去ったところで私たちは虚無にすらなれません。そういうことができるのは、もっと全然違う厳しい修業を積んだ仏教徒の最高峰・如来だけです。楽に虚無を手に入れられると思うな。
 希望を捨てるということは、ただ自分のなかにあったポジティブな要素だけ捨てるという意味にはなりません。どういうわけか、捨てた分だけネガティブな感情が湧きあがってくるものです。

 私も2年間ほどニートをやっていた時期がありましたが、いやあ、あの頃のストレスときたらつくづくホントもう。ネットとかゲームとかやってるだけだと将来のことが頭に浮かんできて毎日死にたくなったものです。創作活動をしているときはまだマシ。本当は素直に就職活動をするのが一番楽だったんでしょうが、ソッチはソッチで活動そのものがすこぶる苦痛なので、ハイ。
 普通に働いている今のほうがよっぽど何も考えていない時間が多いですね。仕事中とか。仕事中とか。

 つまりはそういうことで、このバベルの世界とは人工的に虚無の感情をつくりだすための装置でした。
 現状に満足させるわけにはいきませんでした。だんだん希望なんてどうでもよくなってしまうからです。
 希望が叶いそうな実感を与えるわけにもいきませんでした。やがて希望を捨てたくなってしまうからです。
 だからといって本当に無意味な作業をさせるわけにもいきませんでした。希望は、それでもいつか本当に叶うべきだからです。

 「えっ? ・・・流れ星だ。本当にあった! すごいや!」

 バベルは、だから、絶対に天上へ至ることはないと思っている人々がそれでも諦めず抱きつづける願いを密かに積み上げ、本当に高みへとその巨体を伸ばしつづけているのでした。

 その儚い希望への旅路がいつ終わるのかはいっそ問題ではなく。
 彼らは、ビートニクたちは、何千年何万年と抗いつづけてきました。

 「みんなわかっているはずだ。結局どこにいたって僕らは抗いつづけなければならないって。誰も長良を批難することはできないし、――僕がさせないんだなあ」

 この何千年何万年を、それでも己が身に降りかかった理不尽を憎むだけの時間として終わらせないために。

 彼らの人生は神様が勝手に弄んでしまえるものではありません。
 彼らの人生は、彼ら自身が自由に使うためにあります。

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