
変わらないわね。枕が変わると眠れないの。

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「トラブル列車! あすかの修学旅行!」
活躍したひと
あすか
我が強そうに見えて意外と折衷案ばかり提案したがる気づかいの人。今話ようやく「仲間なんて必要ない」と言っていた事情が明らかになった。白鳥と衝突するとすぐ熱くなる犬猿の仲だが、実際そのおかげで予想を超えた成果を叩き出せているので、今の関係も案外悪くないんじゃないかとハタから見ていて思う。
白鳥
できることできないことの分別をつけすぎるきらいがある前生徒会長。いつもピリピリしている印象があるが、トロピカる部がムチャを言いださないかぎりは意外と穏やかな表情をしている。毎度あすかに現実を諭そうとするものの、最終的にどうにかしてみせられちゃうのであんまり強く言えずにいる。
ローラ
白鳥とはまた違った理由でよくあすかをカッカさせているフリースタイル人魚。この子にいちいち腹を立てている時点であすかには最初から一匹狼気質がなかったことがわかる。2本の足を手に入れて以来、どんどん他人の心のなかというものへの興味を深めつつある。あんまり深入りしすぎて泡になっても知らんぞ。
トロピカってたもの
修学旅行
みんなの楽しみ一生の想い出。あおぞら中学校では今どき珍しく寝台列車での旅らしい。なぜかお昼前から丸一日ずっと乗りっぱなしのようだが、いくらなんでもその距離は飛行機か新幹線を使ったほうがいいと思う。昭和の時代でも乗車するのは夕方くらいだったはずよ?
旅の恥はかき捨て。
うまくいかなかったこと
あすかと白鳥の険悪な仲が解消されない。
やりきれたワケ
未だ関係が改善したわけではないが、お互いみんなを助けたいと思う気持ちは共通していたようだ。
「あすか、食べる?」
「お。ありがとう」
ひとり寝台列車の通路に佇んで風景を眺めているからてっきり集団行動が苦手なのかと思いきや、クラスメイトからの声かけにはフツーに嬉しそうに応じるあすかの姿。今話はそういう1コマから物語が始まります。
当初、あすかは「誰ともツルむつもりはない」「仲間なんて必要ない」(第5話)などと言って、いつもひとりで過ごしていました。今の彼女を思うと、なかなかあすからしくない言動だったように思います。
今のあすかはトロピカる部部長です。ほとんどなし崩し的に部に加入させられたようなもので、そのうえさらに部長を任せられた身の上ですが、なかなかどうして精力的に部長職を勤めあげています。打ち合わせなど身内での活動ではまなつが実質的なリーダーシップを発揮しますが、対外的にはいつもあすかが前に出ますし、生徒会から締めつけがあったとき抗議に行くのもあすかの役目。
仲間を引っぱっていく、というよりは仲間が動きやすいように調整するタイプの部長さんですね。
「仲間なんて必要ない」だなんて言っていたのが信じられないくらい、地味な役回りを自分から取り仕切っています。損な性格ですね。
「百合子とは小学校から一緒だったんだ。性格は全然違うけど気が合った」
うん。わかる。
白鳥前生徒会長も自分から積極的に損な役回りを引き受けようとしていましたもんね。まなつの創部申請を断ったり、風紀を乱しうる横断幕に苦言を伝えたり。いっつも厳めしい鉄面皮を被っていました。
反対に、生徒会選挙のときは打って変わって穏やかな表情が印象的でした。最初から勝負が決まっていた選挙とはいえ、あのローラのムチャクチャな演説を聞いてなお腹を立てなかったのは大した度量です。
なるほど。ふたりとも、目指すところは一緒だったんですね。
「生徒会長として」
「何か用?」
「今、話し声が聞こえたようだけど」
「ずっとひとりだ」
「さっき外で誰かと揉めていたんじゃ?」
「いや。別に」
「・・・生徒会長として言うわ。“また”揉めごとを起こさないように」
「何!?」
腹が立ちました。その横暴な言い分に。
今となってはわかります。あすかは、白鳥の態度に腹を立てていたんじゃなかったんですね。
あすかが苛立っていたのは、本当の意味で、その発言内容そのもの。
「私は生徒会長として――!」
「出たな。『生徒会長として』が」
あすかは、彼女のこういう押しつけがましい言葉を聞きたくなくてテニス部を辞めたんですから。
「――あすか! ・・・棄権します。テニス部の部長として、仲間のために」
とても理不尽な出来事でした。
発端でいえば100%相手に非がある話。地区大会決勝直前、あおぞら中学校テニス部控え室での出来事。卑怯にも相手チームの選手が白鳥のラケットのガットを切ろうとしているところを目撃して、あすかは彼女たちを問い詰めようとしました。それが失敗。不幸にもそのタイミングを相手校顧問に目撃され、「あすかにも非があるのではないか?」という言い分を与えてしまいました。
白鳥が交渉の席に着き、なんとかイーブンの和解条件を掴んできてくれましたが、あすかには到底納得することができませんでした。
元はといえば全部相手が悪い話だったはずなのに。
「棄権? そんなのおかしいだろ! こっちは何も悪くないのに棄権!? みんなは納得できるのか、こんなおかしな結論を! 私たち仲間で正々堂々戦おう! そうすれば、きっと――!」
あすかにしてみればこんな理不尽な話はありませんでした。
みんなもわかってくれるはず。そう思っていました。
だけど――。
「もし、騒ぎを表沙汰にされたら・・・」「試合に出たいです・・・」
他の部員たちにしてみれば、あすかがしたこともまた理不尽。
彼女たちは正義のために戦っているわけではありません。
今日はテニスをするためにやって来ました。あすかが憤る気持ちはわかりますが、その義憤のために、自ら自分たちの大切なものを壊すというのは、やっぱり違う。
プリキュアは自分たちの日常を守るヒーローたちの物語です。
そういう物語の文脈において、彼女たちが当たり前に抱く思いを批難するべきではありません。彼女たちのその思いは正当で、そして大切なものです。“地球のため”“みんなのため”そんなお題目よりもチョコパフェのほうがかけがえがないのと同じくらいには。
これを軽んじたとして、プリキュアという物語はいったい何を守ろうというのでしょうか。
あすかには彼女たちの気持ちがわかります。わかってしまいます。けっしてただの自己保身として捉えるのではなく、自分が我が身かわいさの生贄として捧げられたと思うのではなく、ただ、テニスを愛する仲間として、彼女たちの切ない気持ちがわかってしまいます。
「仲間のため・・・」
だからあすかは、仲間を批難することができませんでした。
自分と違って本当に一切非がない白鳥まで仲間のために自分から損を受け持とうとすることを、止めることができませんでした。
何も、できませんでした。
自分たちの日常が大切であればこそ、自分の憤りなんかのために、他に誰かを巻き込むわけにはいかない。
「――そんな仲間なんて。・・・仲間なんて、要らない」
あすかはテニス部を辞めました。
結果を見れば彼女の選んだ道は白鳥と同じ。――仲間のために、自分が我慢する。
「気に入らないな。あんた、自分がえらくなりたいだけなんだろ」
「それのどこがいけないの? そうすれば人魚の国も人間の国も救えるのよ。いいことずくめじゃない」(第5話)
最初、あすかはローラのことが気に入りませんでした。
彼女はあのときのあすかと違って、自分の都合のために平然と他人を巻き込める性格だったから。もちろんあすかが思っていたほど性悪だったわけではありません。win-winの関係になれると考えてこそ、ローラは他人でもどんどん巻き込んでいいと考えるタチでした。
あすかには到底マネできない考えかたでした。
「仲間なんて――、意味あるのか?」(第5話)
周りの仲間を巻き込むことを恐れてやりたいことができなくなるくらいなら、仲間なんていないほうが気楽でいい。
そう、思っていたはずなのに。
「こんな何も決まってない部、許可することはできません」
「えー、そんなー。あ。じゃあすぐ書きなおします!」
「いえ。それには及びません。そもそも空きの部室はないのでこれ以上新しい部活はつくれないんです」(第5話)
白鳥はテニス部部長であると同時に、生徒会長でもありました。
彼女は言います。「許可できない」と。
またです。
せっかくテニス部を辞めたのに、これがイヤだからテニス部を抜けたんだというのに、それでも周りの誰かに対する責任というのがどこまでもつきまとってきました。
もううんざりでした。
大っ嫌いでした。
こんな押しつけがましい理不尽に苦しむ人を見るのは。
「部室の空きがないのはその子のせいじゃない」
「そんなこと言われても、こちらにはどうすることもできないわ」
「ふん。生徒会が無能ってだけだろ」
「ずいぶんな物言いね。じゃああなたが部室を用意できるっていうの?」
「ああ。やってやろうじゃないか」(第5話)
あすかが白鳥に苛立つ理由は、そういうわけでした。
「仲間なんて要らない」
「ねえ。さっき生徒会長が言っていた“揉めごと”って何?」
「別に。大したことじゃない」
「そんなわけないでしょ。ねえ、言ってみなさいよ。“旅の恥はかき捨て”っていうじゃない」
踏み込みます。
ローラは平然と踏み込みます。自分に興味があることなら。相手にとってもきっと悪いことにならないと信じられるなら。
ローラはあすかほど繊細ではなく、あすかほど他人に対して気づかいを尽くす性格でもありません。
少し席を離すあすか、慣用句の意味が間違っていることを指摘するあすかの気持ちなんて気にも留めず、ただ、良かれと思って踏み込みます。
「やっぱり同じじゃない。“旅先では心を開いて打ち解けられる”ってことでは? 私たち、仲間じゃない」
この呆れるほどの横暴ぶりにちっとも悪気がないことを今のあすかは知っています。
知っていて、だけど距離を取ってみたんです。意味なかったけれども。
渋々、自分の過去を語るハメになりました。
「――あすからしいわね」
そして、ひととおり話を聞いたローラが返した言葉といえば、そんなたった一言。
「人魚! その力、貸しな!」
「ふふ。その気になったのね」
「あんたのためじゃない。私がこうしたいってだけだ!」(第5話)
この子はそういう子でもありました。
横暴そうに見えて、実際横暴ではあるけれども、それでも自主性は尊重してくれる。やる気を尊重してくれる。好きにさせてくれる。
まなつと一緒で、「今、一番大事なこと」を自由にやらせてくれる。
「仲間なんて――、意味あるのか?」
「へ? 意味? ――あ。私たちって、今一緒にメロンパンを食べる、メロンパン仲間?」(第5話)
ローラやまなつ、トロピカる部にとって、“仲間”という概念はあすかが思っているほど重いものではありませんでした。
一緒に部活をすれば部活仲間。プリキュアをやればプリキュア仲間。みんなでトロピカルメロンパンを食べたならメロンパン仲間。
気安い関係。お互いそれぞれのやりたいことを邪魔しないし、それぞれのやりたいことが邪魔にならない。理不尽な思いをすることがない。そういう関係が居心地よくて、もう仲間なんて要らないと思っていたあすかもいつしかトロピカる部に根を下ろすようになっていました。
気付いたら、自分から積極的に面倒ごとを引き受けるようにまでなっていました。
あすかという少女は本質的にそういう性格なのでしょう。テニス部部長と生徒会長の二足のわらじを履きこなす白鳥と気が合うはずです。
・・・さて。
あすかはいつ気付くのでしょうか。
「まったく。勝手なまねをしないで。あなたたちも逃げなさい」
「何? そっちこそ下がってろ!」
「私は生徒会長として――!」
「出たな。『生徒会長として』が」
大嫌いな言葉でした。
「テニス部の部長として」「生徒会長として」。そんな言葉で勝手に責任を引き受けて、勝手にこちらを身動き取れなくして。
もっと自分の意志で動きたいのに。もっと自己責任で選びたいのに。自分のやりたいようにやりたいのに。なのに、そうさせてくれない押しつけがましい言葉。
だけど。じゃあ、どうしてあのときあすかはひとりでテニス部を辞めてしまったんでしょうか?
そんなにイヤなら白鳥の言うことなんか無視してしまえばよかったのに。
仲間の言い分なんか聞かずひとりで戦ってしまえばよかったのに。
大切だったからです。
白鳥が。テニス部が。仲間が。
絶対に許せなかったからです。
自分のワガママに、そんな大切な人たちを巻き込んでしまうことが。
気付いていたはずなんです。
“テニス部部長”“生徒会長”・・・そんな肩書き無くたって、あすかの思いにはまわりも仲間を巻き込んでしまいうる強制力があること。
ただ一緒にいるだけで、自分が大嫌いだと思っていることを大切な仲間に強いてしまうかもしれないこと。
だからこそ、彼女はテニス部を辞めることしかできなかったんですから。
「はあーっ!」
「みんな!」
「・・・うん? それにしても、よくヤラネーダがいるってわかったな」
「うん? こっちが聞きたいよ。なんで?」
「何だ、知らなかったのか?」
「うん。まったく偶然」
今、あすかにはまた仲間がいます。
あれだけ仲間を持つことを恐れ、あれだけ仲間という関係性から逃げていた彼女に、今はまた大切な仲間がいます。
聞きましたか?
あの子たち、全然ちっともあなたの都合に巻き込まれているとは思っていないそうですよ。
あの子たちは部活仲間で、プリキュア仲間で、メロンパン仲間。
そういういいかげんで、気安い関係。
なのに、“仲間”。
大切な仲間。
「・・・わざわざ枕をねえ」
あすかはいいかげん気付くべきです。
自分が重く考えすぎてるってこと。
仲間にそこまで怯えなくたっていいんだってこと。
だれもそこまで気づかってくれることなんて求めていないってこと。
もっと、仲間を頼ってもいいんだってこと。
だいたい、あなた、自分自身がそうじゃないですか。
その自分から貧乏クジを引きに行く性格。必要以上に厄介ごとを引き受けたがる性格。
どうしてそういう性質が自分だけのものだと思っているんでしょう?
すぐ近くに似た者同士――、白鳥だっているのに。
「・・・生徒会長として言うわ。“また”揉めごとを起こさないように」
むしろ、あなたのその臆病さが、かえって誰かを傷つけてしまうことだってあると思うんです。
あなたはまだ気付いていないのかもしれませんが。
コメント
今日は滝沢 あすからあおぞら中の3年の修学旅行でした
私は寝台列車に乗ったことはありませんが(笑)
で、今日のトロピカル~ジュプリキュアはヌメリ―が乗務員に成りすまして電車に潜入した余り、ふたりはプリキュアSplash Starのミズ・シタターレ編を思い出しました
また私のお母様も変身シーンなど2回面白いと口にしました
次回は涼村 さんごがファッションショーですね
トロピカル~ジュプリキュアの敵幹部の中に、「さぁ、出て来いキュアコーラル」というのはいませんが、いとこのお姉さんの次女にとってもすごく楽しみな話になって、期待値がありますね
私のちょっと前の代までは寝台列車だったらしいんですけどね。私も乗ったことないです。
ちなみに「駆けろランウェイ!」とか言ってますが、普通ファッションショーのランウェイは歩くものです。
予告映像を見た感じどうやらマジで走るようですが、大丈夫大丈夫、ランウェイには滑走路という意味もあるのでそんなに間違っていません。
制服で列車に乗りっぱなしは身体凝りそうな気が。
調べてみたら、テニスラケットの調整用にニッパーを持ち歩くのは普通のことなんですね。
つまり没収したとこであんま意味ないと。
相手校、無駄に知能的な真似を!
で。逆に百合子はあすかや事件のことを実際どう思ってるんでしょ。
今までの割と挑発的な言い方から、あんま退部させてしまった負い目らしきものを感じないのが気になりました。
どうやら何回か似たような言い合いがあったみたいですし、積もり積もったものが彼女なりに爆発しちゃって今に至るんですかね?
たぶん制服がシワになるってことで怒りだす女子も出てきますね。
ラケットのガットって選手の好みと作戦でテンションを微調整するものらしいですね。真ん中のスイートスポットだけ少し緩めるのがコツだと中学校の体育の先生が言っていました。
白鳥さんはたぶん、あすかが相談せず勝手に部活を辞めたことを怒っているんじゃないかなあと。
あのとき白鳥さんは自分に非がなかったはずなのに連帯責任を被って出場停止を受け入れたわけですからね。そこまでして庇いたかったあすかが自分の殻に閉じこもって「仲間なんて要らない」とか宣うんですから、まあ、裏切られたような気にもなるというものです。
小学生で岡山大学の鉄道研究会にスカウトされた当時、1980年のことですが、当時はまだ、ブルートレインも、旧型客車の寝台車もありました。食堂車も、ありました。
当時のことを知っている鉄道趣味人として、今回は、興味深く視聴しました。
その視点から、書かせていただきます。
今の子どもたちに、あのような列車があれば、そりゃあ、楽しいでしょうね。
もっとも、私たちの頃は、あのような車内設備を持ったブルートレインがブームにもなっていて、昔からの趣味関係者から雑誌上で非難を浴びせた大人と、子どもたちをかばう雑誌の編集長とのやり取りが、激しくかわされたこともあります(1978年の話です)。
その頃も含めて、以前からの修学旅行については、当時労使紛争が激しかった国鉄でさえ、労使とも、どんなにストをしようとも修学旅行列車だけはきちんと動かすということで合意をしていたほどです。
もっと昔は、修学旅行用電車というのも、国鉄だけでなく、近鉄にもありました。
ただ、ああいう寝台車ではなく、向かい合わせの座席車でしたが。
当時の寝台車は、今のビジネスホテルよりむしろ高額な寝台料金を取っていました。
結局、本日の放送でも描かれた二段式の寝台のような「無防備性抜群」なものは、ビジネスユースから早々に外されていきました。
新幹線もそうですが、飛行機網の発達、それに国鉄の相次ぐ値上げも、その方向に一気に仕向けて行きました。
その結果、ブルートレインも、食堂車も、相次いで姿を消しました。
ひょっと、今の子どもたちのための修学旅行用列車として、あのような車両を作れば、案外(案の定?)好評を博するかもしれません。
あと、超絶対やらねーだにされたディーゼル機関車と貨車。
国鉄時代の典型的なディーゼル機関車(DD13)がモデルで、貨車は、有蓋(屋根のある)貨車で、なぜか色は、当時の国鉄のコンテナの色でした(そういう色のあの手の貨車は存在してないはずですが、あの色合わせはむしろ、40年前の国鉄らしさが出ていました)。
最後に、旅先まで出張ったプリキュアたち。
キュアパパイアのみのりん(実は私の娘=隠し子?)が、時刻表を調べている光景。
まさに、40年近く前の中学生の私と、一緒(苦笑)。
もっとも私なら、岡山鉄道管理局(現在のJR岡山支社)に行って職員の人にもらったダイヤグラムを読んでいたかもしれんですな(まあ、そういうことにおおらかな時代でしたから~苦笑)。~当時、鉄道研究会の例会に行ったついでに、土曜日の昼、管理局にも行って知合いの職員さんに、昔の資料をコピーしてもらっていました。
いろいろな意味で、プリキュアの親世代のかなり上のほうの私にも、懐かしさと新鮮さのある回でした。
国鉄ストライキが修学旅行生に配慮した話は大学で教わった覚えがあります。今よりも地域ぐるみ・国ぐるみの教育システムが機能していた時代の美談のひとつですね。根底にある思想的には全体主義というか家父長制的、ある種ノブリスオブリージュにも似た施しの発想だったので、個人主義の台頭とともに廃れるのも仕方ないことではあります。ただ、彼ら大人は自分たちの行使できる力がいかに影響力甚大かをよく理解し、相応に大きな責任を果たしていました。立派だと思います。
むしろ今の寝台列車って個室が基本なんですね。考えてみたらそりゃそうだって感じではありますが、なんかイメージと違う・・・。
私、自分の2年くらい上の先輩まで寝台列車で修学旅行に行ってて、自分の代は飛行機だったもので、当時の想い出話で聞いたおぼろげなイメージばかり持ってるんですよね。(※ なお、青森空港は発着2時間遅れがデフォな空港だったので、日程に余裕ができるかというと別にそんなことはない)
修学旅行生向けにあえて当時の寝台列車を再現するのも一興ではありますね。田舎の沿線ってマジ田んぼと草と時々林くらいしかないんで車窓からの風景は早々に飽きられるでしょうが、たぶんスマホか何かでゲームやって盛り上がるでしょうし。結局子どもにとって一番楽しいのは友達が集まる・集まれる空間。
学校の皆から慕われ信頼される生徒会長·白鳥百合子。でも彼女には“友達”がいないらしい。客室や食堂車でのボッチぶりを切り出してくる何とも痛烈なカットの連打。
百合子さんにはもともと“同僚”や“支持者”はいても“友達”はいなかったのか(滝沢あすかは貴重な例外)?あるいはあすかと決裂したあの一件以来、友達を持つことに恐怖を感じるようになってしまったのか(そして友達を持たないことで“皆の為の”判断に徹することが出来るよう自分を追い込んできたのか)?
そんな百合子さんの抱える“権力者の孤独”は、“権力者志望の女”ローラ·ラメールにとっても決して他人事ではないはずで――――実際ローラ自身、百合子さんの考え方や境遇に感じ入るところがあるのかもしれません。
あすかから百合子との過去について告白されたローラの「……あすからしいわね」という達観や諦念の入り混じった台詞は、たぶん「百合子らしいわね」という意味も込められていて――――ローラ自身は「権力者の使命に徹した」百合子の決断に共感しつつ、しかしあすかが百合子に示した痛烈な反発を「権力の座にある者が甘受すべき宿命」と受け取っている、ように思われます。
そういえば、前回ローラ達3名の生徒会長選挙立候補者に、百合子さんが向けた眼差しがやけに温かかったのは、「生徒会長に立候補する=“権力”や“権力者”の必要性を理解してくれている」という(やや一方的な)好意を向けていたから、と考えると、対照的に「“権力”“権力者”に脊椎反射的に反発する」あすかに向ける眼差しが異様に厳しかったことも含めて説明がつくような。
さて、そうなってくると、白鳥百合子と滝沢あすかが過去に見舞われた悲劇は、ローラ·ラメールと夏海まなつの未来に横たわる悲劇であるのかもしれず――――そこに、ローラが百合子とあすかの問題にくちばしを突っ込む(作劇上の)必然性があるのか、も。
「怖くなったの。私達も友達でいられなくなっちゃう時が来るんじゃないかって」
「ケンカしないで済む方法ってないのかな」
「でも、仲直りする方法はあるから、いっか」
(前年度作品「ヒーリングっどプリキュア」主人公の台詞。まあ彼女が遭遇した仲違いの理由は、百合子あすかコンビのそれとはだいぶ性質が違うわけですが)
白鳥元生徒会長、読書はともかくさすがに食事までひとりというのはどうなのかとちょっとツッコミ入れたくなりましたね、アレ。演出にはあんまり皮肉った意図を感じなかったので、単純にひとりでいるのが(もしくはあすかと一緒が)好きなだけだとは思いますけど。私もひとりで食べていいならひとりで食べたいクチですし。
テニス部の事件のときはむしろ白鳥さんこそが他の部員に味方する立場でしたし、生徒会長としても普通に慕われている身の上ですし、どっちかというと孤独を甘受しようとしていたのはあすかなんだと思います。いつの時代も本当に孤独と戦わなければならないのは反体制的な立場の人、ロックな思想を持つ人です。
そしてローラもどちらかといえばロックの側にいる人。あの子、やたら権力を持ちたがるくせに他人に合わせるということを知りませんし。そもそも(※ 普通選挙制度がある)民主主義体制下における権力者の意味をご存じないものと思われます。だからこそ、あそこであすかの事情に踏み込むのはローラの役割なんでしょう。
まあ、事件自体はすでに終わったことで、思想的にかち合わないのも仲がよかったころからの話なので、気持ちの問題をガン無視していってしまうなら、あすかが意地を張る理由はとっくに無いんですよね。
それこそケンカしないで済む方法は無いんでしょうが、仲直りできない理由も無いのが今のあすかと白鳥さんの関係です。