私、“かわいい”でいっぱいのこの場所にいられてとっても幸せ。
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「駆けろランウェイ! さんごのファッションショー!」
活躍したひと
さんご
“かわいい”が大好きなかわいい女の子。引っ込み思案な性格だが、第3話でふっきれて以来主張すべきところはしっかり主張していくよう心がけているためそこまで臆病な印象はない。一方で引けない場面以外では受け身にまわって周りを立てる動きも見せていて、自然とバランスの取れた立ち回りができている。
コニー
毎年1人は登場する、プリキュアシリーズ恒例クリエイティビティほとばしってる系職業人。今年は穏健派。厳しいことは言わないが、相次ぐトラブルに対して次善策を講じるわけでもなく、とりあえずパワーで当初計画を押し通そうとする程度には情熱家な様子。どうせ本名は小西。
いおり
劇中で名前が出ていないのにスタッフロールにクレジットされている謎の人物。たぶんさんごと一緒に風船のカゴを運んだモデルの人。役どころは地味だが出番は多く、さんごが“かわいい”を発信したい気持ちに立場の違いはないと気付くきっかけをくれた重要人物でもあった。
トロピカってたもの
あおぞらプリティコレクション
さんごが幼いころから憧れていたファッションイベント。オートクチュールメインのアート系ではなく、レディメイドのカジュアルブランドコレクションらしい。プロのデザイナー、プロのスタッフ、プロのモデルが多数参加している。
この手の興行にしてはバックヤードをケチらず広く確保しているあたり、意外と注目度の高い予算潤沢なイベントなのかもしれない。それでも更衣室は絶対足りていないが、そもそもこういうイベントではそのくらい普通のことなので、本番中は通路で堂々と着替えるモデルが何人もいたことだろう。(※ 不思議なことにこの手のイベントは更衣室の数=モデルの人数であっても足りなくなるのだ)
うまくいかなかったこと
さんごが場に呑まれ、緊張のあまりランウェイを歩けなくなってしまった。
やりきれたワケ
周りにいるプロの人たちも自分と変わらない思いを抱いていることに気付き、周りと同じ勇気を得た。
地味にオープニング映像が変わりましたね。最後のほう、プリキュア・ミックストロピカルと一緒にキュアラメールが飛び出してくるところと、最終カットで人魚ローラが人間ローラに差し替えられているところ。
今作は最初からローラが重要キャラクターとして陣取っているのもあって、個人的には変える必要はないと思っていたのですが、まあ、さすがに一切変えないというわけにもいかなかったんでしょうか。せっかく毎年恒例にしていたことでもありますし。
さて、今話はヤラネーダとのバトルと同時に、風船の納品が遅れたというトラブルへの対処も平行して行われるという、ちょっと珍しい構成になりました。あげく今話の主役たるさんごが取り組んだ問題は“ランウェイを歩けない”という、またさらに別の問題。なんとも落ち着きのない、しっちゃかめっちゃかな構成ですね。
「ファッションショーはね、服の魅力を余すことなくお客さんに伝えることが大切なの。『どうすればその服が一番よく見えるか』を考えるのもモデルのお仕事よ」
たまに勘違いしている人もいますが、ファッションモデルはクリエイターです。パフォーミングアーツのアーティストです。何かかたちある作品をつくっているわけでも、コレクションなどの大イベントを主催しているわけでもありませんが、ファッションモデルだってクリエイティビティを持たない人間には務まらないお仕事です。
これは舞台俳優や声優にも同じことがいえます。アニメーターひとりひとり、イベント会場の照明や音響スタッフに至るまで、クリエイティブな興行に携わる人間のほとんどは大なり小なりクリエイティブな仕事をしています。彼らはただ歩いているだけ、ただ台本を読んでいるだけ、ただ言われたとおりの仕事をしているだけではないんです。
たしかにスタッフやキャストを統括する立場の人はいて、興行全体を見たらその人のクリエイティビティが一番色濃く反映されることにはなりますが、それでもその下で働く人にクリエイティビティが必要ないということにはならないんです。統括者には統括者の、末端スタッフには末端スタッフの、あるいはキャストにはキャストの、それぞれのレイヤーごとの創作行為が確実に存在しています。
大人数か関わる興行には、それだけたくさんのレイヤーで、それだけたくさんの課題に取り組む人たちがいるわけです。みんな最終的には「“かわいい”を届けたい」などひとつの共通目標に向かっていくわけですが、そこへ向かうためのアプローチはそれぞれ違っていて、トラブルももちろん同時並行的にいくつも発生します。
今話はそういう物語。
ファッションモデルにはファッションモデルにしかできない創造的活動があります。
主役である服をデザインしたのは別の人間です。ですが、それを引き立てる歩きかた、表情、仕草ひとつひとつを考えるのはモデルの仕事。
フォーマルなスーツと原宿系ファッションを全く同じ歩きかたでアピールしてみせても違和感しかないでしょう。モコモコした冬服と軽快な夏服でもそう。ビビッドカラーの服とアースカラーの服でだって、その服を着たいと思うシーンやムード、そもそもの客層なんかは服ごとに必ず違ってくるはずです。
だからファッションモデルという仕事は、自分の着る服をよく観察して、よく解釈して、よく想像を巡らせて、その服が一番似合うと思う場面を全身で表現してみせるんです。実際の舞台はランウェイ。だけどファッションショーのお客さんはモデルの一挙手一投足から、その服を着て渋谷の街を歩く自分、熱海の海岸を歩く自分、北海道の高原を歩く自分、あるいは東京駅を歩く自分、自宅近くをお散歩する自分・・・。ランウェイ上に留まらない様々なシチュエーションを夢想して、「あ、この服いいな」「着てみたいな」と興味を持つわけです。ファッションモデルは、そういう世界観をお客さんと共有するところまでできなければなりません。
そこまでできて初めて、ランウェイはrunway、空想の翼を飛びたたせる滑走路としての使命を果たせるようになるんです。
孤独な聖域のなかでひとり
「幼稚園のときにね、みんなでチューリップの球根を植えたことがあって、好きな色を選べたの。それで私は紫が一番かわいいと思ったんだけど、紫を選んだのは私だけだったの。みんなは気にしてなかったけど、『私もピンクにすればよかった』って、すごく後悔した」(第3話)
かつてさんごはひどく臆病な子でした。自分と他人の違いに誰より鋭敏に気付いて、その違いを意識して、その違いにとてつもない不安を感じる女の子でした。
どうしてそんなことを不安に感じるの?
周りの目なんか気にしなきゃいいだけの話じゃない。
人によってはそういうふうに考えるかもしれません。さんごは変な子だって。ただの意気地なし、自分というものを持たない、情けないキョロ充だって。
私もそちら側の人間なので、さんごのことは、ちょっと周りの動向を見た程度で自分らしさを貫き通せなくなる、意志の弱い子のように見えてしまいます。
けれど、それは私の尺度。私たちの価値観に当てはめた場合の価値判断でしかありません。
「私、デレラちゃんに入る前に、久しぶりに『シンデレラ』のお話読み返してみたの。そしたら昔は気にならなかったことが気になって。あのお話で魔法使いのお婆さんからシンデレラがもらった一番のものは何だったんだろうって」
「え?」
「きれいなドレスでしょ?」
「ガラスの靴?」
「カボチャの馬車とか?」
「ちっちゃいころは私もそんなふうに思ってた。でも、今は――、シンデレラが受け取った一番のものって、舞踏会に出て自分の新しい運命を切り拓く、そのための勇気だったんじゃないかって。そう思ったんだ」(第9話)
きれいなドレスより、ガラスの靴より、カボチャの馬車より、たかがひとかけらの勇気程度のものが何よりかけがえなく感じられる人もいます。
でも、どうして?
そこをただ生まれついての個人の性質の違いとして納得してしまうのでは、彼女の切実な思いを理解するための思考が足りていないかもしれません。
私は私の眼球で、私の視神経で、私の脳でしか物事を見ることができません。私は私の主観でしか世界を観測することができません。いわゆる“客観”なんてものは厳密には存在しません。
だけど。
そこで納得してしまったら、私は自分以外の誰の視点も理解することができないでしょう。
「・・・やっぱり緊張する。でも、私だってモデルの一員としてこのショーを成功させるんだ」
指先が震え、太ももの奥深くが震え、思考が震え、ただ歩くだけのことすらままならなくなる瞬間があります。
やらなきゃいけないこと、やりたいと思っていたはずのことが、満足にできなくなる病理。緊張。
「さんご! ・・・大丈夫?」
「あんまり気にするな」
「練習どおりにやれば大丈夫」
「さんごは“かわいい”をみんなに届けるんでしょう」
誰も、さんごが転んでしまった理由を正確には理解することができません。
自分なりの目で見て、自分なりに届けてあげられる言葉を紡ぐだけ。
そういう言葉が救いになれるシーンはもちろん存在します。だけど、今回はそうではありませんでした。
「ど、どうしよう。本番ちゃんとランウェイを歩けるかな――」
「昔の人はジュゴンを見て人魚と間違えたんだって」
「えー? 人魚って絵本だともっとかわいいじゃない」
「わかった! 本当は人魚もジュゴンみたいな面白顔なんだよ」
「あはは! ウケる。人魚、面白い顔説」
「間違いない。人魚は面白顔! さんごもそう思わない?」
「え? ・・・あ、うん。きっと面白顔だよ。えへへ・・・」(第2話)
自分の気持ちを引っ込めて周りの意見に迎合する、少し前までの自分が嫌いでした。
さんごがプリキュアになって獲得した力はペケ印のピンポイントバリア。小さな小さな、だけど自分の領域をけっして他人に侵害させない隔絶の力。
周りの目を気にしすぎる少女は、あえて周りの目を拒絶することで、自分らしくいられる聖域を守れるようになりました。
だけど今回は少々事情が異なります。
緊張しているのはさんごです。
誰かに強制されてランウェイを歩かされているわけでもなく、誰かに失敗を厳しく叱責されたわけでもなく、だけど、震えている。
誰もさんごが緊張する原因なんかつくっていません。むしろ周りのみんな優しくて、よく気づかってくれていて、なのに、さんごがひとりで勝手に緊張しているだけです。
「うわあ、本格的。――すごい。みんなプロって感じ。ここでショーができていくんだ」
「・・・やっぱり私、場違いなのかも」
周りの目から隔絶されたはずの聖域で、さんごはひとり、自分で自分を追い込んでしまいます。
聖域の外へ
「そんなにすごいの? その『あおぞらプリティコレクション』って」
「うん。あおぞらプリティコレクションはね、オシャレなファッションブランドがいくつも出るし、全部がキラキラしてて、かわいくて、見ている私まで幸せな気持ちになれるんだ。昔から大好きで憧れだったの。だから、すっごく嬉しくて! ・・・うわあ! ごめんなさい。ひとりで興奮しちゃって」
大好きでした。憧れでした。周りの友達にはいまいちピンと来ないような、少しニッチなジャンルのオタクトークに聞こえるかもしれませんが、それでもさんごにとって好きなものは好きでした。
今のさんごはそういう自分らしさを貫くことができる子です。
もしかしたらなかなか理解してもらえないかもしれない趣味かもしれません。少し突き抜けすぎた興味関心かもしれません。それでも気にする必要はありません。
さんごがひとりで楽しむ分には。
どうして、自分もランウェイを歩いてみたいと思ってしまったんでしょう?
そんな出すぎたマネさえ考えなければ、こんなにも恐怖で震える必要はなかったのに。
ずっとひとりで楽しく大好きなことに打ち込めていたはずなのに。
それなのに、コニーさんのオファーを喜んで受けたのはさんごで、ランウェイを楽しみにしていたのもさんごでした。
そこがたくさんのお客さんの目に晒される、たったひとりの「好き」だけでは認められない領域だってことくらい、わかっていたはずなのに。
「あ、あれ? なんだか、思ってたより、広い、かも・・・」
震える体、揺らぐ思い。
これは、本当に自分がやりたいと思っていたことだろうか?
――ええ。
そうですとも。間違いなく。
ランウェイがそういう領域だってことくらいわかったうえで、それでも歩いてみたいと思ったんですとも。
「ファッションショーはね、服の魅力を余すことなくお客さんに伝えることが大切なの」
「服の魅力?」
「『どうすればその服が一番よく見えるか』を考えるのもモデルのお仕事よ」
「それって、その服を着た自分をかわいく見せるって事とは違うんですか?」
「そうねえ――。あ。コニーさんもよく言ってることなんだけど、『モデルはお客さんに“かわいい”を届ける』ってこと」
かわいいを、届ける。
それがやってみたくて、そういうことをやっている人たちへの強い憧れがあって、さんごはランウェイを歩きたいと思ったはずでした。
最初は周りの言葉を聞かないことを志向していたはずの少女は、今、再び周りのみんなのところへ歩み寄ろうとしています。
「さんごのオシャレウォーキング講座ー!!」
「まず、基本の立ちかたね。姿勢をよくして、あごを引いて、それで、頭のてっぺんからまっすぐ下に。体の中心に一本の芯が入っていることを意識するの。そうすればバランスもうまく取れるんだって」
そういえば、トロピカる部では普段から当たり前のようにしていることでした。
最近なんか文化祭でコスメ講座までやってみせました。とても楽しいと感じました。
さんごがプリキュアになって獲得した力はペケ印のピンポイントバリア。他人からの侵害を許さない隔絶の力。だけど側面と背面は無防備。そこまでは隔絶しない。それで構わなかった。むしろそのほうが都合がよかった。仲間の盾になれるから。聖域に仲間を招き入れて、自分だけじゃなくみんなを守ることもできるから。
さんごという子は、自分の我を押し込むばかりの気質ではありませんでした。主張すべきところはしっかり主張しますが、普段はむしろ昔と変わらず受け身で、周りを立てることを好む子でした。
さんごという少女の本質は、自分の聖域に身を隠すだけの引きこもりではありませんでした。
「あれ? このスカート、こうすると模様が見える。せっかくかわいいガラがあるのに、見えないともったいないね」
小さな“かわいい”が勇気を抱くまで
「幼稚園のときにね、みんなでチューリップの球根を植えたことがあって、好きな色を選べたの。それで私は紫が一番かわいいと思ったんだけど、紫を選んだのは私だけだったの。みんなは気にしてなかったけど、『私もピンクにすればよかった』って、すごく後悔した」(第3話)
どうしてそんなことを不安に感じるのでしょう。
周りの目なんか気にしなかったらいいだけの話なのに。
私のような根っからの引きこもり気質はそういうふうに考えます。
自分は自分、他人は他人。明確なラインを引いて、相互不干渉を貫けば、お互い傷つかずに済むと理解しているからです。
だけど同時に、こんな感じでブログを書いてみたり、昔は演劇をやってみたりしていたような私は、こういうふうにも考えます。
私の思いを、考えかたを、クリエイティビティを、広くたくさんの人に知ってもらいたい。
誰かに面白がってほしい。誰かを感動させてみたい。誰かの心を動かしたい。ひょっとして生きかたを変えてしまう人まで現れるようなら、それだってもちろん嬉しい。・・・恐くもあるけど。
傲慢かもしれません。いえ、傲慢ですね。けれど本心です。
相当自分に都合のいいことを言っています。隔絶と融和。それを自分の都合で使い分けようと。
もちろんそう都合よくなんかいきません。
昔のさんごがひとりで勝手に傷ついたように。今日のさんごがひとりで勝手に緊張したように。
他人と接するチャネルを開いた時点で、そのリスクから逃れることはできません。それは自分の“大好き”を発信することに決めた私やその他の人々がそれぞれ負うべき責任です。私は私が発信すること全てに責任を負っています。なぜなら私以外に責任を負える人間がいないものを発信すること、そもそもそれ自体が、私の目的なんですから。
「・・・やっぱり緊張する。でも、私だってモデルの一員としてこのショーを成功させるんだ」
さんごが緊張するのは当然のことです。
そして、私個人としてはその緊張は大切なものだと考えます。自分にも思い当たる経験がある同士として慈しみたいと思います。
さんごは今、自分だけの責任で、自分だけの目的でもって、隔絶していた他人とのチャネルを一部繋ぎ直しました。
「みんな。早く終わらせましょう」
「でも、時間が・・・」
「うーん。でもね、この風船があったほうが絶対に“かわいい”でしょ」
「まさかファッションショーで風船を集めることになるなんてね」
「はい。予想もしてなかったです」
「でも、これでちょっとでもショーがよくなるなら、それってすごくワクワクするよね」
「私たちは“かわいい”が大好きなの。あなたもよね。――見てたわよ。“かわいい”を届けるためにレッスンがんばってたじゃない。その“大好き”さえあれば、あなたは大丈夫よ」
ふと周りを見渡してみれば、そこには自分と同じことを目指しているご同類がたくさんがんばっていました。
今、自分が一番やりたいことのためにできること、その何もかもを自主的に引き受けようとしていました。きっとみんな、それぞれの夢のために。
「さっき転んだの見ーちゃった。仲間のところに来られるかしら? そこのランウェイを通って。恐いなら無理しなくていいのよ? 嫌々やったところで――」
「違う! 私がやるのは、好きだから!!」
即応。
不思議と勇気が湧いてきました。ひとりで“かわいい”と向きあっていたころとは全然違う、不思議な高揚感とともに。「これこそが自分の今やりたいことだったんだ」と確信できる熱い激情が、さんごの体に曲がることのない一本の芯を通してくれていました。
そういえばこの感覚をどうにか言語化しようと試みていた子もいましたね。
「どう?勇気が湧いてこない? 『トロピカるぞー!』って感じで! 『トロピカるぞー!』っていうのはね、常夏の太陽みたいにキラキラ眩しい幸せな気持ちが、胸の奥からこう、ぶわーっ!って湧きあがってくるような感じ!」(第1話)
そうとも。
涼村さんごは、今、最高にトロピカっている!
いつものように。
「――そうなんだ。ここにいるのは私とは違う世界の人たちだって思ってたけど、みんな、気持ちは同じだったんだ!」
かつて他人の目を恐れていたか弱い少女は、ひとりだけの領域で力と思いを蓄え、今、反攻作戦を開始しました。
恐かった外の世界にこそ、さんごが一番欲しかったものがありました。
「あの子が着てる服、かわいいね!」
「うん。とってもステキ!」
「すごい。これが――、ファッションショーなんだ!」
周りの視線こそが喜び。
もしかしたら、自分の“かわいい”はみんなとどこか違うかもしれない。似ているところもあるかもしれない。わからない。出してみるまでわからない。
だからまたいつか傷つくかもしれない。また疎外感を受けてしまうかもしれない。だけど、今日みたいにまた、誰かに喜んでもらえるかもしれない。また「かわいい」って言ってもらえるかもしれない!
「私、“かわいい”でいっぱいのこの場所にいられてとっても幸せ。――それっ!」
喜びを噛みしめるさんごの手元に、ふいに風船がひとつ飛び込んできます。
さんごが大好きな紫色の風船。
慈しむように少し見つめて、また、会場の空へトスしてあげます。
どうか、あなたの“かわいい”を喜んでくれる誰かのところに届きますように。
小さな願いを込めて、またひとつ“かわいい”を発信します。
コメント
2年ぶりとなる出雲(大学)駅伝の前日のトロピカル~ジュプリキュアは涼村 さんごが、ファッションショーのランウェイを歩くことになる話でした
その涼村 さんごが「このスカート。(以下省略)」と「許さないんだから」という2つのセリフにシックリ着ました!!☆☆♬
女児向けプリキュアで物語開始時点でのプリキュアが<スカート>というボトムスの名前を口にするのは、フレッシュプリキュアのラブ以来なので感無量なのです!!☆☆♬
さらに「許さないんだから」は、アニメでは主人公である宇宙軍人美少女ゲームのピンクヘアーのパティシエタイプ軍人が
「許さないんだから」
と口にするので、日曜の8時30分から10時までに終わるアニメの作品的に感慨深いですね!!☆☆♬
まなつも「みゆきさん。お邪魔してます」というセリフにもシックリ着ました
私が中学生の時の体育会の練習期間中、弟の小学校の時の男子の後輩の家に遊びに行って、その子のお姉様が私の小・中学校の時の同級生なのです!!
で、彼女の友達同級生が「お邪魔してま~す」と私に直接あいさつしました
だから私の経験談的に感慨深いですね
そして男性スタッフが「でも時間が」と口にし、火曜の17時55分から始まった幼稚園児向けのアイドルアニメ・プリパラにて、主人公の妹が
「今から!!!!?でも時間が」→「あるウチャ」と続くワケで、半分幼稚園児までの女の子向けのアニメ的に感慨深かったですね!!☆☆♬
>で、今回言いたい雑談は
イオン倉敷の銀だこには銀のあんも下のフロアにあるので、そのたこ焼き屋にはクロワッサンたい焼きがありませんでしたが、広島県福山市の銀だこには、その福山市内に銀のあんがなく、私が広島県福山市のゆめタウン3号店には銀のあんがあって欲しい!とインターネット上に要望したことで、そのゆめタウンの銀だこにはクロワッサンたい焼きも取り扱っていることが実際に行ってみてわかりました!!☆☆♬
だから1日でも早く広島県福山市の銀だこにはクロワッサンたい焼きも取り扱っていることを、銀だこの公式サイトにアップして欲しいですね!!(厳→咲)
スカートって意外とセリフに出てこないものなんですか。『ハートキャッチプリキュア』の来海えりかとかちょこちょこファッショントークしていた印象でしたが。
まあいわれてみればたしかに、それこそえりかくらいしか具体的なコーデの話はしないですもんね。『ハピネスチャージプリキュア!』の白雪ひめは相方がジャージの民だったせいもあってあんまり突っ込んだ話はしていませんでしたし。
銀だこはクロワッサン鯛焼きの他、焼きそばやクリームソーダあたりを一部店舗限定で展開していますね。すき家の唐揚げなんかもそうなんですが、こういう店舗限定ものって意外とwebサイトのメニューページに載ってないものなんですよね。
今回のさんご回、見ていて本当にしびれました。
私はなぜか、元大毎オリオンズの榎本喜八選手をすぐに想起しました。
片や、「かわいい」を届けるためにスカウトされてランウェイを歩く少女。
片や、赤バットの川上哲治をして「野球の神様」とまで言わせしめた打撃の職人。
でも、根本は、一緒なのだ。
私はこの回をリアルで見ていて、宿泊先のホテルのテレビに向って、
「臍下丹田だ、さんご!」
と、怒鳴っていました(心の中で、ね)。
臍下丹田に意識を沈め、そこから動きを作る。
榎本選手が師事したのは、王貞治選手の一本足打法を考案した荒川博氏。
その言葉を、榎本氏は若い選手によく話していたとか。
荒川さんは合気道にも造詣があり、阪神戦でバッキー投手に合気道の気合よろしくパンチを返したほどの人。
その結果、バッキーさんは投手生命を絶たれましたが。
そんな荒川さんでさえも手におえないほど、野球(打撃道)にのめり込み過ぎた榎本氏は、現役引退後、コーチなどの声が何一つかからないまま、生涯を終えました。
その「奇行」ぶりさえも、伝説を彩るほどです(マジで洒落にならない)。
さんごちゃんが「かわいい」を届けるのは、実は、榎本選手が打撃道を極めるのに匹敵するほどの厳しい世界だということを、でも、それ以上にその「厳しさ」を人に見せられない世界であるということを、この回では、余すところなく示してくれました。
~榎本さんみたいに、師匠の荒川さんのいる前で、自宅で猟銃をぶっぱなすような真似、普通出来ないです(汗)。実際これ、あった話でしてね。
先ほどTVERで観なおしていて、途中から、自宅に飾っている川上哲治氏の色紙をパソコンの横に持ってきて、観ていました。
話が少しずれますが、ある私立高校の理事をしている大学の先輩が、塾対象の説明会で、こんなことを言っていました。
「ベーブ・ルースであっても、大谷翔平という人物がいないと、比較され語られる対象とならない。(一部の野球ファンにはともあれ)若い人たちに知られることさえも、ない」
さんごちゃんのあの回が放映されなくたって(されたところで)、榎本喜八という選手が語られることなんて、普通、ない。でも、さんごちゃんのああいう物語がなければ、私にしても、榎本喜八という野球選手を語る機会はなかったわけです。
いつか、さんごちゃんもこういう形で語られる日が、来るのでしょうね。
その頃には、私は生きていないでしょうけど(苦笑)。
~みのりんパパを自称している私、娘?のみのりんからも、相当、呆れられているでしょうね(まあね)。
逸話なんてものは結局のところ語り継ぐ人がいなければ伝わらないもので。けれど逸話を知っている人だって四六時中その話ばかりするわけではないんですよね。昔の本が古書店の隅で埃を被るように、マニアックなwebページが検索サイトの表示順位で埋もれゆくように、いくらそこに情報があっても、積極的にアクセスしようという誰かの意志がなければそれは世間に開陳されることがありません。
実際のところ別に大谷翔平以外の話題からでもベーブ・ルースが語られる機会はあるでしょうし、榎本喜八を語る人も同様にいることでしょう。ただ、いずれにせよ何かしら話題の起点は必要だろうというだけで。
逆をいうとですね、どれほど埋もれゆく一方の情報であっても、偶然のきっかけで日の目を浴びることになる可能性は常にあるわけですよ。いくら忘れられようとも。完全に失伝でもしない限りは。
語れるきっかけはいつかあるし、興味を持つ人もいつか現れます。
さんご、自分の「かわいい」を諦めずに保持しつづけたかいがありましたね。
もしあのとき「かわいい」を捨ててしまっていたら、今日彼女がランウェイに立つこともなかったでしょう。