真・女神転生5 プレイ日記 その4 品川区:シナガワ駅まで

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世界、時代・・・。人の死が当然な時代の到来、か。

このブログはあなたがプレイ済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

現況

 スキル適性を3まで上げたら状態異常もだいぶ通るようになってきました。毒ならボス相手でもほぼ必中。睡眠も2~3回に1回は成功するので充分実用の範囲内です。
 毒の液を習得できたのも僥倖。状態異常が失敗したときでも全くのムダ行動にはならずに済んで精神衛生的にたいへんよろしい。なんといってもそれが最大のメリット。必中って素晴らしい! ええ。今回こういう主人公でやっていますが、私はこの手のギャンブル要素あるスキルが大のニガテです。

パラダイスロスト(3回目)

 「襲ってきたのは悪魔だけじゃない・・・。オレ、見たんだ。天使が何人も殺しているところを・・・」

 妖精の集落に保護されていた生徒のひとりがこんなことを言っていました。
 スクショしていたセリフを読み返してみると、そういえばアブディエルがこんな発言をしていましたね。

 「アトゥムにバアル・・・。かつての王たちの知恵はこれでカタがついた」

 考えてみればラフムがサホリにだけ執着しているあたり、人間の身体にある知恵の実って特定の古き神と対になっているってことですもんね。テキトーにそこらの人間を食っただけじゃ悪魔はナホビノに戻れないんですね。
 縄印学園に何か秘密がありそうな雰囲気だったのは、あそこの生徒みんな大物悪魔の知恵の実持ちばかりだったってことなんでしょうか。で、今回ラフムのせいでその危険物を学園内に封じておくことができなくなっちゃったので、せめて危険度の高い知恵の実だけでも応急対応的に天使が摘み取って(殺して)まわっていると。

 人間も知恵の実を食べてから何千回何万回と世代交代しているはずで、それでも知恵の実が人間の体内に現存しているわけですから、たぶん殺したところでまたどこかで別の人間として転生か何かしちゃうんでしょうけどね。人間を殺してもその場しのぎにしかならなくて、だから法の神もわざわざ魔界化した東京のド真ん中に学園を建ててまで管理したがっていた・・・ってところでしょうか。
 さしずめ第二の楽園、第二の知恵の実の果樹園みたいな立ち位置だったんでしょうね、あの学園。
 法の神、神話時代と20年前、過去2回もルシファーに出し抜かれた件を1mmも反省してねーな。もうちょっとマジメに失敗から学んでいただきたいところ。

神様も営業活動する時代

 「オレはな、人間に永遠の若さを与えてやりたいんだ。大いなる恵みを神々が独占するだけじゃ人間は不幸のまま。――そうは思わないか?」

 「いいか。人間の信仰は神様からお金様に取って代わった。ならそのお金様を信仰ごと手に入れればいい。都合のいいことに世界中の富が一部の人間にだけ集まっていてな、そいつらが次に求めるモノ・・・。いくらでも金を出すモノ・・・。ほらな。需要と供給が一致してるだろ?」

 サブイベントでロキが面白いことを言っていました。

 どうやら知恵の実(ナホビノ)の件とは別に、一部の旧神は人間の信仰を集めることでも力を得ることができるようです。
 逆に人間を贄にすることで力を得られるらしい悪魔もそこかしこにいましたしね。そのあたりは個々神ごと来歴ごとに色々あるんでしょう。

 で、今の時代に人間の信仰の力を集めたいロキは、資本のパワーに着目するわけです。
 現代人は神の加護を信じないけれど、お金の力は信じる。それはつまりお金が神のごとく信仰されているのと同じだと。お金には実質的に信仰と同質の霊的エネルギーが篭もっているんだと。

 多神教的(アニミズム的)発想ですね。人間が神の加護(災害からの保護、豊かな収穫など)を期待して祈りを捧げていた時代の世界観。
 これが一神教になると人間が信仰の対価として神に求めるものがまた変わってくるので(※ 前回のプレイ日記参照)、法の神あたりならまた違った考えかたをするんでしょうけれども。

 この自分の置かれた立場を客観視した、ビジネスライクな発想がいかにも北欧神話のトリックスターらしくていいですね。さすがロキ。神らしからぬ現代思想をよく勉強していらっしゃる。お前本当に知恵を奪われているんか?

 人間社会の基本はリソースの委託と集中、つまり分業です。

 わかりやすいところでいえば軍事力。社会を維持するためには外敵から身を守るための戦う力が不可欠なわけですが、だからといって全ての人間が武器を持つわけではありません。そういうのは軍隊の仕事。プロフェッショナルに任せたらいいこと。社会の構成員みんなが武器を持つのは危ないし、なにより非効率です。普通の人はみんなそういうふうに考えます。
 そういうわけで、必然、軍事力は軍事基地にだけ集中配置されるようになります。戦争が起きたとき真っ先に狙われるのもその国の軍隊であり、基地です。民間人はそれほど積極的に狙われません。民間人をいくら殺しても勝ちに繋がらないからです。勝ちたいなら軍事基地を空爆するのが一番です。

 同様に、政治的な権力も一部の代議士のところに集中的に集まります。民主主義下においては国民全員が等しく1票の発言権を持つわけですが、実際にはいちいち国民全員が集まって議論することなんてできないので、選挙でそれぞれの政治思想に近い代議士をひとり選んで、みんなの権力を委託するわけです。
 まあ、だから頻繁に汚職事件が起きるわけですけどね。普通の国民を買収しても1票分の政治的権力しか手に入りませんが、代議士を買収すれば数万票分の権力をいっぺんにゲットできるわけで。このあたりの考えかたは戦争で最初に軍隊が狙われるのと同じ構図です。

 お金も、そういうことですね。
 お金持ちはその資金力相応の生産力を持っています。何千何万何億人もの生活を支える商品の生産設備が一極集中的に整備されていて、一般人は自分に必要な食料や道具を自分では生産しません。そもそもイマドキの生活用品は個人じゃどんなにがんばってもつくれないモノばかりですしね。パソコンとかスマホとか。
 お金持ちは、自分のところの商品を買おうとする全ての人間の生活を一手に支えています。
 かつて川の神や山の神が、大勢の信仰を受けて、人間の集落全体を守っていたように。

 そういう関係性なら、なるほど。たしかにお金は信仰と同質のものということになりますね。軍事力とか政治権力とかでも同じことなんですけど。

 多神教時代の神々って、加護を商品とし信仰を通貨として、商売していたようなものだったんですね。
 お疲れさまです。

 さて。
 ちょっとだけメインストーリーの話をするなら、今回ラフムから主人公を守るためタオが犠牲になりました。
 神造魔人アオガミは嘆きます。

 「人間をサポートするためにつくられた私が、逆に命を救われ、聖女を死なせてしまった・・・」

 その言葉に対して「誰のせいでもない」とは言いたくないと思いました。

 タオには命に代えてでも成し遂げたいことがあったそうなので。
 それを為すためにこそ彼女は命を支払ったわけなので。

 これも信仰とお金の話と同じです。

 タオは命を対価に主人公を蘇らせ、蘇った主人公に親友であるサホリの魂を救わせました。
 ならば、彼女の犠牲が必要だったことは、それを対価として受けとる立場になった私とアオガミが認めるべきでしょう。

 主人公のせいで死んだのだとは思いません。世界のせいでもありません。ラフムのせいでも、サホリのせいでも。あえていうならタオのせいです。彼女の責任です。彼女が自分で自分の運命を決めました。
 けれど、それは「誰のせいでもない」ということにはなりません。誰かのせいではあります。それすらも否定することは、彼女の意志と決断を侮辱してしまうような気がして、私は嫌でした。

 「そういう世になった」

 別に私が望んだわけではありませんが、彼女の意志とその執行権について、私は彼女から委託を受けました。その事実を認め、そういうことが起こりうる世界であることを認めます。
 ならば私は“誰かのせいではある”彼女の犠牲の価値を最大限に尊重し、最大限の効力を得るための努力をするべきでしょう。

 「過去を嘆いても過ぎた時は戻らない。私は彼女たちの死を無駄にしないため、この経験を次に活かそうと思う」

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