
HUGっと!プリキュア! エール・フォー・ユー!!

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(主観的)あらすじ
私はさあやとほまれとは違う。何もできない。いつもいっぱい元気をくれていたはぐたんを守ることすらも。はなはそんな自分がどうしても好きになれません。
けれど、お母さんが、さあやが、ほまれが、はなのステキなところをいくつも見つけてくれるんです。はなの知らなかったはなから。はなが目を背けていたはなから。だから、フレフレ私。がんばれがんばれ私。もう何も無いなんて言わせない。
未だ目を覚まさないはぐたん。この子のために何ができるだろうと考えたとき、はなは自分の持っているものを見つけました。みんなを笑顔にできるという自分の元気、トクン、トクンという鼓動に乗って、はぐたんにも届くだろうか。さあやの音も。ほまれの音も。はぐたんの大好きな音がみんな重なって、果たしてはぐたんは目を覚まします。
時を同じくしてクライアス社の襲撃。いつもと何かが違うオシマイダーの正体は全てを失ったチャラリートでした。対峙するはなの手には、何も持たない少女のもとに現れるというプリキュアの剣。はながその剣を振りかぶるとチャラリートは恐怖に身をすくませます。
――こんなの、私がなりたい野乃はなじゃない。
必要なのは敵をおびえさせるための剣ではなく、みんなを応援するためのメロディ。プリキュアの剣はメロディソードに姿を変えて、明日を怖れるチャラリートの心に暖かな希望を育むのでした。
はなが再起する物語。はぐたんを目覚めさせる物語。剣を応援に変える物語。たった1話で3つの物語を同時に進行させたわけですが、それで全体をひとつの物語としてまとめきった坪田シリーズ構成の筆はさすが。
今の自分を否定して夢見る“なりたい自分”とは、いったいどうやったらなれるものなのでしょうか。具体的に何をしたらいいのか、どうやったら変われるのか、見当もつきません。現在と未来は連続しています。現在を切り捨てた先に未来はありません。
何の才能も持たないと自分を見限ったチャラリートは未来を怖れるようになってしまいました。それはあまりにも悲しいこと。だからどうか、まずは今の自分を好きになってほしい。
はなの応援というのは、つまるところそういうものでした。
何も持たない少女
「明日を失いつつある世界のため、剣は何も持たない少女を選んだ。そして少女は勇気を胸に戦った。なぜ少女は戦うことができたのか。誰かのために身を削ってまで」
実際は違います。
「私がプリキュアになれなかったから・・・」
自分が何も持っていないと思い知ったとき、はなは戦う勇気を持てなくなりました。
「ごめんねはぐたん! 私のアスパワワ全部あげるから、だから目を覚まして!」
「今オレらにできることは何もない」
身を削ることすら許されなくなりました。
「私、プリキュアもうできない・・・!」
だったら、はなはどうして昨日まで戦うことができていたのでしょう。
はなは今何かを失ったのではなく、そもそもはじめから何も持っていないことに気づいただけなのに。
「おい! それがお前のなりたい“野乃はな”なんか!?」
何も持たない少女は明日をも失います。
なにもできない、なににもなれない。
未来に可能性なんてない。
輝く未来なんてもう信じない。
「・・・ごめんね」
へらっと笑って望ましくない結論を受け入れます。
それが、おとぎ話とは違う現実の“野乃はな”でした。
・・・なんて。
「私のなりたい私・・・。うー、ああもう! なんで!?」
諦めたはずなのに。見限ったはずなのに。
それでもなりたい自分を捨てられない。胸がモヤモヤして眠れやしない。
当たり前です。だって、それはそもそもあなたが望んで受け入れた結論ではないのですから。
「どうして私はさあやみたいに賢くないし、ほまれみたいに運動もできないんだろう。どうして私、何も持ってないんだろう」
なのにどうして?
何も持たない少女だったはずのはなは、なのにどうして、自分でそれを自覚するまでは立派に戦うことができていたんでしょう。
はなは元気のプリキュアでした。
みんなの笑顔を守るため、恐ろしい怪物をやっつけて、みんなをいつも応援しつづけてきました。
どうしてそんなことができていたのでしょう。
その答えはとても簡単なこと。
さあ、そろそろ奮起しましょう。
未来を信じることをやめたところで結局楽になんてなれないのだから。
その答えはとても簡単なこと。
「はなが生まれてきたときね、パパとママはとっても嬉しかったの。はなは笑うだけで私たちを幸せにしてくれた。今もそう。はなの笑顔はどんなときだってママたちに幸せをくれる」
あなたは持っているからです。
「いつでもがんばり屋さん。誰かのために一生懸命になれるところ。失敗してもガッツで乗り越えるところ。素直で表情がクルクル変わって、見ているだけで元気になれるところ。まだまだいっぱいあるよ。私が憧れた、はなのステキなところ」
あなたは持っているからです。
「はな」
いつものあなたが大好きだったハグのぬくもり。
あなたは持っているからです。
あなたが知らなかったとしても、あなたは持っています。
あなたが忘れていたとしても、あなたは持っています。
あなたが自分を嫌ってしまったとしても、あなたは持っています。
あなたが何も持っていないと思い込んでしまっていたって、そんなの全然関係ない。
誰かが知っています。誰もが知っています。あなたがステキなものをたくさん持っている人なんだって。
「さあやちゃん勇気あるよ! だって、誰かに優しくするってすっごく勇気の要ることだもん!」(第2話)
「ほまれちゃん、私まだよくわかんないけど、でも、負けないで! 負けちゃダメ!」(第4話)
だって、これはそもそもあなたがしてくれたことなんです。
あなたはみんなのステキなところを代わりに見つけてくれました。
あなたは誰かが信じられずにいた未来を代わりに信じてくれました。
だからこれは、あなたに向けられたこのたくさんのエールは、そもそもあなたの持ち物です。
フレフレみんな。フレフレ私。
どんなに自分がめっちゃイケてるお姉さんとはほど遠い、めっちゃカッコ悪い人間に見えたって、それでもはなの現在はちゃんと未来につながっています。はなはステキな女の子です。
なんでもできる、なんでもなれる。輝く未来はここにある。
だって、あなたの大好きなみんながそう信じてくれているから。
あなたはたくさんのものを持っています。絶対に。
だから、いつものように胸を張って、
「行ってらっしゃい!」
ハーモニー
コスモスという花は、野原一面に広がるたくさんの花弁たちを夜空の星々に見立てられ、そこからコスモス(宇宙)という名で呼ばれるようになりました。
だから花言葉は「調和」。私たちの生きるこの宇宙は数多幾千の存在がそれぞれに咲き誇ることで全体を構成しています。
「吹奏楽はね、いろんな楽器でハーモニーをつくるんだよ。ひとつの楽器だけじゃなくて、いろんな楽器の音がある。楽器ひとつひとつの個性が合わさって、想像を超えた、ステキな音が奏でられるんだ」
「野乃さんは野乃さんにしか出せない音を思いっきり奏でればいいんじゃないかな」(第10話)
前話では苦い印象にしかならなかったひなせ君の言葉。
でも今のはなならもう大丈夫。自分にしか出せない音が見つからないのなら探せばいい。だって、少なくとも何かしら持っていることはすでにわかっているんですから。
あなたの音。
「はぐたん、聞こえる? 私の心の音はどんな感じかな? 聞いた人が、はぐたんが元気になれるような音が鳴ってるかな?」
まだまだ子どものはなには、いつかのお母さんのように赤ちゃんを安心させる音を鳴らすことはできないかもしれないけれど。それならそれで、お母さんとは違う音なら鳴らせるかもしれない。
いいえ。鳴らせることは知っているんです。だからはなが願うのは、どうかそれが今の自分の望むような音でありますように。誰と違っていても、自分らしい音を奏でることができますように。
みんなの音。
「私の音も聞こえるかな」
「のびのびタワー。音楽。抱っこ。はぐたんの大好きなものばっかりだ」
もし仮に自分ひとりでは思うように鳴らせなかったとしても、それでガッカリする必要なんてありません。
「私の大好きなものもいっぱいだ」
ここにははながステキだと信じているたくさんの人や物がついています。だから、みんなと一緒なら絶対に、望む音を、自分らしい音を奏でられると信じられます。
どうかはぐたんが目を覚ましますように。
「何度でも起こすよ、きらめく奇跡。輝く未来につないで」
「“叶えたい”より“叶える”私なんだ」
「最大のピンチだって、最強の愛でハグ組む仲間となら、We can !! なんだってできるよ」(OP)
輝く未来をつかみとるのは、何ができるかという才能の力ではありません。何をやるのかの意志の力です。
だから、現在の自分を信じて輝く未来を望む今のはなならば、はぐたんが目を覚ます未来にたどり着くことだってもちろんできるんです。
ほら。あなたはたくさんのものをちゃんと持っています。あなたにはあなたにしか奏でられない音が確かにあります。
みんながあなたを信じてくれたから。
あなたがあなたを信じてくれたから。
あなたはなんでもできる。あなたはなんでもなれる。みんなと一緒なら。
フレフレみんな。フレフレ私。
プリキュアの剣
「明日を失いつつある世界のため、剣は何も持たない少女を選んだ。そして少女は勇気を胸に戦った。なぜ少女は戦うことができたのか。誰かのために身を削ってまで」
かくしておとぎ話は否定されました。
何も持たない少女は戦うことができずに明日を失うより他なく、明日のために戦う少女はたくさんのものを持っていました。
なぜ少女は戦うことができたのか。そんなの決まっています。そもそもおとぎ話の語り部が前提から盛大に勘違いしていたからです。
「違うよ。必要なのは剣じゃない」
“何も持たない少女”を選ぶとかいう性悪な剣は野乃はなにふさわしくありません。
誰かをおびえさせてしまう恐ろしい剣なんて元気のプリキュアにふさわしくありません。
「これが私の応援。私のなりたいプリキュアだ!」
はなは自分の意志で自分の未来を信じることができる強い子です。
ときどき挫けてしまうこともあるけれど、そのときは支えてくれる友達がいます。
はなは、どこかの誰かが書いたくだらないおとぎ話をそのまま素直になぞるような子ではありません。
チャラリートは“何も持たない青年”でした。
なにもできず、なににもなれず、だからなにもがんばれない。そんな中途半端な自分が嫌いで、才能のない自分が辛くて、いつしか自分を苦しめる未来を怖れるようになってしまいました。ああ、オレの明日はオシマイだ。どうせオシマイしか待っていないんだ。
ですが、“何も持たない”などというくだらないおとぎ話はすでに否定されています。
“何も持たない少女”が存在しなかったように、“何も持たない青年”だっているわけがありません。
はなはおとぎ話の剣を捨てて、きっとたくさんのものを持っている青年を応援することにしました。
自分がダメな人間だというのなら、ステキな自分を見つけたらいい。
未来が怖ろしいというのなら、それでも未来が輝かしいことを信じればいい。
「大丈夫だよ。その気持ち、私が抱きしめるから!」
どうせ何もできない、どうせオシマイだという悲しい気持ちは、あなたに代わって私が否定してあげるから。
辛いこと苦しいこと全部を踏み越えて、それでも輝く未来にたどり着けることを私が信じてあげるから。
だからフレフレ。
必要なのは“何も持たない”を認めるおとぎ話の剣なんかではなく、“たくさんを持ってる”を信じるプリキュアたちの応援組曲。
「心のトゲトゲ、飛んでいけ! プリキュア・トリニティコンサート!」
未来を信じるエールをあなたにも。
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