真・女神転生5 プレイ日記 その7 台東区突破まで

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八雲ほど人間を愛し、信じているものはいないぞ。人間は強く在れると信じるがゆえ、強く在ることを諦めた人間に厳しいのだ。理解できるか、少年?

このブログはあなたがプレイ済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

現況

 スキル構成はたぶんこれで完成。あとはどの耐性を選ぶか。

 即死判定に運のパラメータが参照されているのか、破魔属性弱点の悪魔にはほぼ確実に即死が通るようになったのでマハンマのままにしてあります。ハマバリオンにしたところでどうせダメージは出ませんしね。そもそも破魔属性弱点をあんまり見かけなくなってきたのは、まあ、うん・・・。
 台東区はレベル上げがやたら面倒でした。ボスのレベル-5くらいで挑むことが多くなったせいか、ステータス異常がまた通りづらくなる弊害も。毒すら不安定。なので主人公は毒の液とラスタキャンディでバフデバフを撒く係になっています。予想どおりといえば予想どおりのオチ。最大MPだけはやたら潤沢なのでこれでも意外と頼りになります。

ルート選び

 「神の御座である至高天は三本の柱で支えられた頂点にある。三本の柱とはすなわち、峻厳、均衡、慈悲である」

 「汝はそのひとつである、峻厳のカギを手に入れた。新たなる王となる者は、他者の求めに応える受動性を持たねばならぬが、そのためには自己に厳しくあらねばならぬ。甘えず、甘やかさず、常に厳しくあれ」

 「汝はそのひとつである、均衡のカギを手に入れた。世界には相反する力が存在するが、それを否定してはいけない。全てにおいてバランスが不可欠である。進化を促すには一方の力を伸ばす必要がある。だが均衡を欠いた世界はすぐに崩壊する。それを忘れるな」

 「汝はそのひとつである、慈悲のカギを手に入れた。新たな王となる者は、自ら他者のために行動する能動性を持たねばならぬが、そのためには深き慈悲が必要である。絶対の存在として、けっして慈悲を忘れてはならぬ」

 これを念頭にエンディングを選べっていう話なんでしょうが、まあ改めて考えてみても王権なんて個人に持たせるものじゃないですね。どうがんばっても幸せになれる気がしません。人間誰しも自分が幸せになるために生きるべきだと私は思うんですが、この3ヶ条明らかに実践する人の利益が一切考えられていませんもん。
 自分に得のないことのために全力を尽くせる人間なんてまずおらず、その意味でも個人が神の御座に坐すのは望ましくありません。

 これを解決する手っ取り早い方法として、たとえば民主主義なんてものが提案できます。
 要は民衆のために尽くすことが統治者側の利益に繋がらないことが問題なんですから、最初から統治者が統治者のために尽くすシステムにしてしまえばいい。民衆と統治者をイコールで結んでしまえばいいわけです。
 もちろん民主主義も万能ではなく、むしろベテル会議のように何も決まらないまま無様に破綻してしまう場面も多々あります。集団を導くためのシステムとしては無駄が多く、脆弱です。
 ですが、健全なんです。
 何やら息苦しくシチ面倒くさいことがズラズラ書かれている「峻厳」も「均衡」も「慈悲」も、民主主義下でなら自分たちのためになることなんだと納得できるから。

 その意味で、八百万の神々による共同統治を謳う越水長官の思想は論外です。
 ゲーム内では彼らこそが民主主義的だと語られていて、実際私も前回までどれかひとつ選ぶならこちらかと考えていましたが、越水長官の正体が天津神だというのなら話は違ってきます。
 神は人間ではありません。人種(?)差別をするつもりは毛頭ありませんが、向こうが神と人間とを区別して、神が人間を庇護する関係をつくるというのならその違いは意識するべきでしょう。いちおう八百万の神々のなかには元人間の祖神なんかもいることを知ってはいますが、それにしたって今を生きる人間のことではありませんしね。
 だいたい、八百万の神々って多神教神じゃないですか。その大半が自然現象や災害への畏れを出自としている存在。人間が信仰するまでもなく強大な力を振るえる存在。たとえ地球上に人間がいなくなったって地震も台風も起きる。そんな彼らの庇護に、私たち人間は何か報いてやることすらできません。
 統治者と民衆が別レイヤーに分かれる時点で、あれは民主主義ではないんです。

 「そもそもたった一柱の神に全てを任せるというのが過ちなのだ。多くの神が世界を見守る世こそが正しい。そして自分たちの国は自分たちで守る。 日本は我々、天津神が守らねばならない」

 天津神は、日本の民じゃない。

 となると、選ぶべきはショウヘイとジョカの思想になっちゃうんだよなあ・・・。
 言っていることが苛烈すぎ、単視点的すぎて大変気に入らないのですが、それでも人間が人間の世界を統治するという当たり前の発想を持っているの、彼らしかいないのよね。

 「ひとつ聞くが、貴様にも唾棄すべき人間はいるか? 嘘や裏切りを何とも思わず、自分に都合のいいことばかりを信じ、都合の悪いことには目を向けない連中だ。人間の世界のためには天使も悪魔も倒さねばならぬが、腐った人間が残っては世のためにならない。・・・そうだろう? 騙されるお人好しも世の害になるだろうが、騙す者がいなければ害にはならんもの。悪意を持つ者の存在が世を曲げるのだ」

 うん。やっぱり考えかた逆だなあ。
 私は、もし世を正すなら騙される側をこそなんとかするべきだと考えるのよね。
 騙す側はそれが自己利益に繋がるからこそそう行動しているわけで、彼らの活動を止めるためには刑罰を与えるとか社会のルールを少し調整するとかして、悪事を犯すメリットをデメリットが上回るようにすれば、彼らは自然と健全な道を歩むようになるでしょう。
 でも、騙される側は違う。彼らは自分にとって不利益になることを自ら積極的に行ってしまう。その不健全さ、浅はかさこそ救いようがない。たとえこの世から全ての悪意が消え去ったとしても、どうせ彼らはひとりで勝手に誤解し、曲解し、盲目し、被害者ヅラして暴れはじめるでしょう。彼らを動かすものは悪意ではなく、損得勘定ですらなく、思いつきと一時の感情なんですから。・・・私はそういうふうに考えるんです。

 自らの行いの結果に想像力をはたらかせない者、無責任で浅慮な者の存在が、世を曲げるんですよ。

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