多田くんは恋をしない 第3話感想 ありふれた日々、いつもの幸せを重ねた先に。

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男と女は8秒目が合えば恋に落ちると聞く。

(主観的)あらすじ

 吾輩は猫である。名前はニャンコビッグ。彼の目から見た飼い主の多田はそれなりにいい男で、そして最近出会ったテレサもなかなかいい女でした。けれど自分に似て硬派な男に育った多田なら恋にうつつを抜かしたりはしないだろう、とニャンコビッグは考えているのでした。
 昔から変わらない多田珈琲店の店内。いつもと変わらない多田の友人たち。賑やかな日常にすっかり溶け込んだテレサはニャンコビッグの目から見ても魅力的な子で、そして間接キスなど何気ないちょっとした出来事に心ときめかす年頃の少女でもありました。
 男と女は8秒目が合えば恋に落ちると聞きます。ならば、案外多田とテレサだって――。そんなことを思ったり思わなかったりしつつ、ニャンコビッグは自身の身に訪れた恋の予感にすっかり夢中で、それ以外のことは割とどうでもよくなってしまうのでした。

 ラストシーン、テレサの部屋の卓上に飾られている丸くて黄色い花をバターカップといいます。(たぶん。あんまり自信はない) 和名でいうところのキンポウゲのことですね。その名のとおり、まるで小ぶりのカップにバターが盛られているようなかわいらしい色合いの花です。
 花言葉は「子どもっぽさ」「無邪気」「訪れる幸福」など。

 多田に先んじて始まったテレサのトキメキは初々しくてかわいくて、まだまだ恋心といえるほどのものではありません。ふたりはまだ大人と呼べる年頃ではありません。ふたりはまだ恋を知りません。
 だから、今しばらくはあの楽しかった幼い日々の続きを。幼かった頃だって必ずしも楽しい想い出ばかりだったわけではありませんが、甘きにつけ苦きにつけ、その一時ひとつずついずれもが忘れがたい大切な想い出。想い出を積み重ねてきた先に今の多田とテレサがいます。

 幼かったあの頃。それぞれに水辺でまたひとつ想い出を増やしたあの頃。あのとき多田は伊集院と知り合い、テレサはアレクの忠心を目の当たりにしました。
 想い出を積み重ねてきた先に今の多田とテレサがいます。今の多田の隣には変わらず伊集院がいて、テレサの隣にもやはりアレクがいます。
 そして今、伊集院の隣の多田の、そのまた隣には、テレサがアレクとともに立っています。
 幼かった頃の想い出が今の自分をつくっています。想い出はいつまでも色あせることなく変わることなく、しかし日々新しい想い出たちが積み重なって今の自分を少しずつ変えていきます。

 多田と出会い、多田のいる日々に親しみ、そして今日はちょっぴり多田との距離を意識する。
 テレサの思い出は少しずつ積み重なっていって、少しずつ彼女を恋するお年頃へと押し上げていきます。
 幼い日々の延長線上に、いつか幸せな恋を知る季節が待っています。

 ・・・とまあ、小むずがゆいポエミイ駄文はこのくらいにしといて(すでにむっちゃ長えよ)、要するに今話はふたりのどうってことない想い出を軸に展開されました。
 河童にビビって泣きべそかいてた伊集院との出会いの想い出。
 花輪を追いかけて川に落ちたらアレクに泣くほど心配された想い出。
 どちらも割とどうでもよさげなエピソードだというのがミソ。

 一見どうでもよさげではあるけれど、その結果として2組の子どもたちはそれぞれ今も続く友人関係を育むことになりました。
 なにもセンセーショナルな大事件だけが人間を変えていくのではありません。むしろ何気ない毎日の積み重ねこそがその人のその人らしさを日々更新していくわけです。
 ならばこそ起伏の少ない多田とテレサの今の日常だって決して無価値ではなく、そんな平穏な日々のなかでもじんわりと、しかし着実に、恋心は育まれていくのでしょう。

 「男と女は8秒目が合えば恋に落ちると聞く」
 そんな眉に唾つけたようなしょうもないオカルト話は、何気ない日常のなかでこそ意味を持ちます。
 だって、日常のなかの恋にきっかけらしいきっかけなんて無いのですから。
 本来きっかけが存在しないからこそ、テキトーにそれっぽく根拠づけてくれるオカルトは恋する少年少女にちょっとした勇気をくれるのです。

 今回多田とテレサが視線を交わらせた時間は8秒に足りませんでした。
 それでも、テレサはなんとなく多田が気になるようになりました。
 8秒未満とはいえ目を合わせたから?
 背中を抱き留められたから?
 それとも間接キスをしたから?
 ちなみに多田の方は今のところ何とも思っていない様子ですが。

 日常のなかの恋にきっかけらしいきっかけなんてありません。
 こうなれば人は恋をする、だなんてオカルトめいた法則もありません。
 むしろそれはどうってことない日々の積み重ねのなかでじんわりと育まれていくものです。
 多田と伊集院との腐れ縁のように。
 テレサとアレクの主従関係のように。
 恋はいつか、いつの間にか、じんわりとあなたの胸に芽吹くでしょう。
 あなたがあの人と過ごす日々を好ましく思えば思うほどに、きっと。

 「あの頃を思い出すわね。ふふ」
 「ああ」

 10年前から老夫婦だった老夫婦は、多田とテレサの働く姿に、在りし日の多田の両親の面影を重ねます。
 あの頃にもこういうありふれた恋はここにあった。

ついでに:多田の両親の戒名

 「写鬼院継道惇一居士」
 「陽蓮院雅光知信女」

 現代の戒名は多くの宗派において概ね4要素で構成されます。
 冒頭の“○○院”というのが院号。本来は宗派に多大な貢献を果たした人にだけ与えられていたものだそうですが、まあ深く考えないで故人の人柄とか個性を表現したものだと考えておけば大丈夫です。
 続く2字が道号。故人の悟りの在り方を表すもので、まあ要するに理想に掲げていたこととか実際の活動とかに沿った言葉を与えられます。
 その次が戒名。ええ、戒名というのは本来この部分だけを指す言葉です。普通は2字構成で、生前とは別の名前が与えられるものです。生前の名前から一字だけ拾ったり、家系で共有する一字があったり、色々あるみたいですね。本作ではわかりやすさ重視なのか「惇一」「知」といかにも普通の人名っぽいのがそのまま置かれていますね。
 最後が位号。身も蓋もない言い方をすると、「居士」は成人男性を示すもののうちちょっと値の張るやつ。「信女」は成人女性の普通の位。
 ちなみに戒名の上に置かれている梵字は大日如来を表すものなので、多田家の菩提寺は天台宗系か真言宗系ということになりますね。

 というわけで、
 父親の方は「写真の鬼で、道を継がせる、惇一さん」
 母親の方は「陽の光と花が似合う、上品で明るい、知さん」
 みたいな感じに解釈するといいのではないでしょうか。

 真面目に考察しようとするとお坊さんからツッコミ食らいそうな気がするので深く考えない!

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