きっとそのときから多田くんは強くなろうと思って生きてきたんでしょうね。
(主観的)あらすじ
雨の日。ちょうど10年前のこの日、多田は父親に約束を反故にされてふてくされていました。まさかそれが両親に見せる最後の顔になってしまうとは思いもせず。あの日もこんな雨が降っていました。
そんなしんみりした空気をぶち破って、頼んでもいないのに“第10回 伊集院薫SHOW”が騒々しくも襲来します。こちらも10周年。多田珈琲店を貸し切ってやることといえば、みんなでトランプと食事会。それから場所を移してみんなで銭湯。いつにも増して鬱陶しい伊集院のテンションがアクセントです。会が進むにつれて多田の表情は次第に明るくなっていくのでした。
テレサは多田をつくった10年の歳月に思いをはせます。その日、彼も強くなろうと決意したんだろうか。やはり彼の傍にも優しい友人がずっとついていてくれたんだろうか。
雨はいつの間にか上がっていました。
みんなで銭湯。それすなわち視聴者サービス回です。嬉し恥ずかし全裸乱れ飛びです。青少年諸君に置かれましてはすっぽんぽんなんぞ2次元3次元問わずネットでしょっちゅうご覧になられていることでしょうが、たとえ100回見たとしても101回見たくなるのが裸体というものです。今回はなんと無修正。謎の光や謎の湯煙による無粋な自主規制もありません。見逃すことなかれ。
茹だって前後不覚になった、とある人物がカッパの洗面器を踏んづけてすっ転びます。カメラに向かって見せびらかすように大股かっ開いて宙を舞います。そのときです。大胆にも黒縁眼鏡がピン部長をキャストオフし、一糸纏わぬ生まれたままのその姿、その全容をあられもなくカメラの前にさらけ出します。なんて赤裸々。なんて曲線美。なんて工芸美。眼鏡フェチなら絶対に見逃すことなきよう。
これがあるから銭湯回はたまらない。自宅の風呂に眼鏡をかけたまま入る人はあまりいませんが、大浴場ではさすがにそうもいきませんからね。しっとりと火照った無防備な眼鏡の艶姿に酔いしれたまえ。
後悔
「はは。そっかお前高所恐怖症だもんな」
「だからお兄ちゃん、飛行機も怖いんだよ」
「怖いんじゃない。乗りたくないだけだ」(第1話)
第1話のこれ、実際は高所じゃなくて飛行機にトラウマがあるんだろうなと思っていたら案の定。
これまでも描写の端々で多田だけが両親の死を吹っ切れていない様子が垣間見えていました。
「私はどんどん歳を取るのに、お前たちの笑顔は変わらないな」
「爺っちゃんもぜんぜん変わらないよねー、ニャンコビッグ」
祖父の語り口は穏やかですし、葬式のときはあれだけ泣きじゃくっていた妹も今ではざっくり自然体で話すことができています。
もう10年です。七回忌までは法要を執り行う家庭も多いでしょうが、その次の十三回忌となるとどうでしょうか。月日を重ねて故人を忘れていくのではありません。大切な人がいなくなった毎日に馴染んでいくのです。
多田は・・・。未だ毎朝の習慣として仏壇に手を合わせ、父親と同じメーカーのカメラを愛用してプロを目指している彼は、果たして両親がいなくなってからの毎日に適応できているのでしょうか。
「ごめんな、光良。出発が急に早まってしまって。帰ったら一緒に電車の写真撮りに行こうな」
あの日、多田はふてくされていました。本当は父親が海外に行くのがさびしいくせに、約束を破られたことへの抗議として、意地になってぶーたれた顔ばかり見せつけていました。
まさかそれが最後になってしまうなんて。
「カメラだけ無傷で戻ってきて、中にこの写真が残ってた」
あのとき父親が見ていた最後の自分が、今も自宅の壁に飾られています。
あのとき両親を笑顔で送り出していた妹はよく笑う少女に育ち、ふてくされていた多田は今も笑顔が少ないまま。
「結衣と爺っちゃん、ニャンコビッグを頼むぞ」
あの日からもう10年です。
後悔
「・・・10年前ですか。きっとそのときから多田くんは強くなろうと思って生きてきたんでしょうね」
会話の流れからすると少々脈絡なく感じるテレサの言葉。
彼女は自分の昔を思い出します。
「テレサ様! もっと、ご自身の立場を考えて・・・行動してください!」(第3話)
以来、幼馴染みが自分の名に敬称をつけて呼ぶようになったきっかけの記憶。そうさせてしまった苦い想い出。
いつも天真爛漫に笑っているように見えるテレサ。ですがそれはいつもアレクが傍にいて、万難を排してくれるからそうできているだけです。
「あはは・・・。ごめんなさい。これじゃダメですね。お邪魔しました」(第1話)
「これで大丈夫。――だ、大丈夫だよ。――あ・・・。だ、大丈夫」(第1話)
アレクがいないときの彼女は人並みに不安を感じる弱い子で、けれど気丈でいようと自分を律する、強い女の子です。
だって、自分が笑っていないとあの子が心配してしまうから。
自分が不甲斐ないままではまたあの子が自分を責めてしまうから。
だからテレサはいつも笑っています。いつも笑っていようと努めています。アレクがいるときも、そうでないときも。
テレサが多田と出会ってからまだ数ヶ月。それも恋仲でもないただの友達関係。
未だテレサは多田の心の深いところまで触れられているわけではありません。多田について知っていることといえば、彼がとても親切な人で、それから写真に真摯であるということくらい。
なのに、彼女は写真に写ったふてくされた表情を見て、その写真を撮った人の多田への確かな愛情を感じ取って、そしてそれが多田の父親の最後の写真だと知って、――たったそれだけのヒントから、多田の心の深いところを探り当てました。
「多田くんは強くなろうと思って生きてきたんでしょうね」
だって、自分もそうだから。
本当は笑って見送ってあげたかった。
本当は泣かせたくなかった。
強い自分になりたい。あの人に喜んでもらえる自分でありたい。
あの日の後悔が、今のふたりをつくっています。
道化師(騎士)
「ども。お待たせしました! ジャンジャジャーン! 記念すべき第10回! 伊集院薫SHOWはー? ジャン!! 贅のかぎりを尽くしたおもてなしをしちゃいまーすっ!」
滑ってるぞ。いつものことだけど。
このダダ滑りを厭わない彼のクソ鬱陶しいテンションは、お葬式のあの日に始まりました。
妹が泣きじゃくり、祖父も辛そうな顔を隠さずにいる隣で、多田ひとりが平静を保った表情をしていました。両親が亡くなって悲しくないはずがないのに。それがあまりにも悲しくて、故人と直接の縁がなかったはずの自分がまず泣いてしまいました。
翌日。学校での多田は平気そうな顔をしていました。みんな楽しそうにしている学校のなかで、彼はお葬式のときとまったく変わらない表情でした。
伊集院少年は友達のそんな様子を見ているのがイヤでした。
「元気出せよ!」
「何でも相談してくれよ! な!」
「光良! 今日は俺が伊集院薫SHOWに招待するからな!」
年齢相応にバカな子どもであった伊集院少年はちっともTPOをわきまえられない子でしたが、友達思いでした。本当なら楽しいはずの毎日のなかで、友達がお葬式と変わらない表情をしているのが我慢なりませんでした。どうしたらいいかわからないくせに、どうにかしたいと張りきりました。
こうして、表情が死んでいた友人のために、伊集院薫はクソ鬱陶しい人物になりました。
その力技としかいえない彼のムリヤリなテンション上げっぷりに果たして意味があったのかといえば、それはもちろん視聴者たる私やあなたが見てきたとおり。
「で、今年は何するんだ?」
(子どもの頃よりマシとはいえ)命日ゆえにいつも以上に表情が死んでいた朝の多田が、
「委員長、まさかグルとか・・・お、成敗!」
トランプのときにはいくらか普段どおりの調子を取り戻し、
「うん、うまい」
カレー(甘口)を食べたときにはもういつもより柔らかな笑顔。
「ありがとな、いつも」
銭湯にも浸かって会がお開きになる頃には、もう笑っていないカットが存在しないくらいに満面の笑顔です。
これを見てしまうとね、そりゃね、本人がもう大丈夫だと言っていようが続けたくなるよね。
「ありがとな、いつも。伊集院薫SHOW。けど、俺はもう大丈夫だから」
「わかってるよ! お前は大丈夫だよ! でも、これは俺が好きでやってることだから!」
多田は多田なりに両親のいない毎日に適応できています。10年もの月日と、なにより、伊集院という得がたい友人を得たおかげで。
未だ後悔に縛られているところはありますが――そこまで深く介入されなくても人間は健全に生きられますし、そもそもそこに深入りできるのは本人か恋人くらいのものでしょう。
「では私も――」
「大丈夫よ、アレク」
テレサがアレクの保護から離れつつあるように、もしかしたら伊集院薫SHOWもいつかは続けられなくなる日が来るかもしれません。
ですが、彼らにそういう日を迎えさせることができたのは、それでも間違いなくあなたです。多田は(そしてテレサは)良い友人に恵まれました。
あなたがいてくれたからこそ、彼らは後悔から自分を律する決意と、何気ない毎日を楽しむ気持ち、そのふたつともを両立できるステキな人間になることができました。
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