作詞・作曲:浦島健太,TETTA
歌唱:.LIVE
初出:.LIVE 1st fes 『星物語』
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初めにひとつツッコミを入れておきましょう。
星は鏡になりません。
「星鏡」という言葉も、少なくとも私の手元にある『精選版日本国語大辞典 2006年版』(小学館)、『広辞苑 第七版』(岩波書店)、『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店)の各辞書には収載されていません。
インターネットを検索しても、せいぜいツツジ科の一品種としての登録だとか、インディーズアーティストだとかが見つかる程度。
だいたい自分から光を発する鏡ってどんなだよ。せめて反射しろよ。
星は鏡になりません。
遠い天辺に針穴のごとく小さくきらめく光点をいくら見つめていても、自分の顔すら見ることはできません。
星は、自身の放つか細い光以外、何者の姿も映すことはありません。
星鏡
当時を知るファンであれば2年半前を思い出さずにいられなかったでしょう。書いていて私も驚きましたが、あれからもう2年半も経っています。早いものですね。
新しくファンになったかたはあまり詳しく知らないかもしれません。旧来のファンの多くもあれからナイーブになって、難しい話題は避けたがるようになりましたから。
私もここでは多くを語りません。虚偽煽動と曲解・思い込みによって引き起こされた一連の炎上事件は、今では「ドルアンec騒動」として各所にまとめられています。
飽きることなく襲い来る悪意と、努力だけでは何も変えられない理不尽を、たくさん、たくさん、見つめることになりました。
凜と咲いた星の欠片 水面に映し出した
空に舞う一雫の祈り
正解とは何なのか 自分に問いかけた
振り返れば光る道標
第1フレーズを歌うのは花京院ちえり。
第2フレーズを歌うのはカルロ・ピノ。
第3フレーズを歌うのは神楽すず。
あの日、きっと正解なんて初めからどこにもありませんでした。
身勝手に答えを要求していた人たちですら、開示できる限りの説明を受けてなお、けっして納得しようとしなかったくらいですから。
彼女たちはかつてアイドルでした。偶像としてファンからたくさんの夢を、願いを託され、それを励みにいっそう強く輝くはずの少女たちでした。
けれど、たとえ星の光が地上に映し出されたとて、その輝きに託された祈りまでもが地上に複写されるわけではありませんでした。
あの日の夢は忘れられ。あの日の願いは侮辱され。そこにあるべき祈りは行きどころを失い宙を漂うばかり。
では、アイドルとはいったい何のために存在するのか。
誰のために存在できるのか。
ふわり手のひら乗る花弁
どうしてどうして
生きる価値やその意味を 何度も何度も探す
彼女たちの手に残された唯一柔らかなものは、かつて幸福だった日々の残り香。
これから歩んでいく地獄には望むべくもないもの。
そうさ 叫べ叫べ叫べ叫べ 胸に抱いた想いを
疾れ疾れ疾れ疾れ 信じた道
何度 泣いて泣いて泣いて泣いて 躓いたって良いんだよ
生きて生きて生きて生きて 声のかぎり響け
勇ましくもやけくそじみた咆哮。
花京院ちえりが立ち向かい、カルロ・ピノが訴え、神楽すずが守ろうと必死に頑張っていたあの日々を、私は覚えています。
「前しか向かない! やるしかない!」と、みんなで一丸となってリスタートしようとしていた彼女たちの姿を私は覚えています。
それで何も変わることがなかったという現実も。
彼女たちはかつてアイドルでした。
汚辱にまみれてからもなお、彼女たちはアイドルであろうと走りつづけました。
彼女たちに夢を託すファンはずいぶん減ってしまったのに。
燦然と輝いてる 雨上がりの空は
雲ひとつなく綺麗な青さ
羅針盤はなくても 電波で繋がれるんだ
願いは色褪せる事なくて
その後、彼女たちの名誉が回復されたのはほとんど偶然のようなものでした。
正すべきだから正されたのではなく、理不尽に遭った彼女たちを神様が哀れんだわけでもなく、あれはきっと、彼女たちと全然関係ないところで起きた、本当にただの偶然。
だから、名誉が回復したところで失ったものまで取り戻されるわけではありませんでした。
そこまで都合のいい運命ではありませんでした。
手に残ったものは彼女たち自身の努力で辛うじて守り抜いていたものだけ。
彼女たちの手を離れ失われていったものたちはどこまでもひたすらに失われたまま。
変わったことといえば、ただ、ほんの少し風通しがよくなっただけ。
変わったことなんて、ただ、ほんの少し遠くまで見えるようになっただけ。
ここで諦めたらダメだ
だから、ようやく訪れた雨上がりの空の下、あえて「ここで諦めたらダメだ」に繋がっていきます。
あのとき彼女たちの必死の努力は実を結びませんでした。
偶然も本当に必要なところでは彼女たちを救ってくれませんでした。
だったら次はどうすればいいのか。
きっと、正解なんて初めからどこにもなかったのでしょう。
そうさ 叫べ叫べ叫べ叫べ 張り裂けそうな心を
届け届け届け届け 世界の果て
もっと あがけあがけもがけもがけ 格好悪くて良いんだよ
生きて生きて生きて生きて 今日も生きて前へ
彼女たちは愚直でした。
現在に至るまで、彼女たちはまだ努力に釣り合うだけの幸福を充分に得られていません。
少なくとも私にはそう見えます。
最近になってようやく彼女たちを取りまく世界は少しずつ明るさを取り戻しつつあります。
でも、私はもっと欲張りたいです。彼女たちにはもっともっと欲張ってほしいです。
努力が無駄に終わった出来事はその後も何度もありました。
本領を発揮できる舞台に上れる機会は依然限定的です。
どんなに声を張り上げても、きっと彼女たちを好きになってくれる可能性がある全員のところには、まだまだ行き届きそうにありません。
努力だけではどうにもならない現実は依然として彼女たちの前に立ち塞がっています。
それでも。
溢れ出す感情を勇気に 変えるよここから
それでも、彼女たちはアイドルでした。
アイドルとはいったい何のために存在するのか。
誰のために存在できるのか。
僕が僕らしくいられるように
君が君らしくいられるように
誓うんだ さあ一歩踏み出そう
彼女たちはかつてアイドルでした。
偶像としてファンからたくさんの夢を、願いを託され、それを励みにいっそう強く輝くはずの少女たちでした。
たとえ星の光が地上に映し出されたとて、その輝きに託された祈りまでもが地上に複写されるわけではありません。あの日の夢は忘れられ。あの日の願いは侮辱され。輝かしい過去は遠く離れて。
それでも、そこにあるべき祈りはまだ宙に残されたままでした。
星鏡。
かつて、星は道標でした。
旅人は星を頼りに進むべき道を探り、遠くで待つ大切な人、まだ見ぬ新たな大陸を夢見て次の一歩を歩んでいました。
夜闇に身を置き、寒さに身を震わせ、不安にすくむ足にそれでももう一度勇気を吹きこんでいたのは、天辺にあるか細い星の輝きでした。
正解がわからないなかでただひとつの光明。
失われた羅針盤に代わる古びた指針。
いつか託された夢と願いを勇気に変えて、自分のために。誰かのために。
星は鏡になりません。
星が映すのは、今の自分の姿ではなく、これから進むべき未来。
いいえ。
進みたい未来。
そうさ 叫べ叫べ叫べ叫べ 胸に抱いた想いを
疾れ疾れ疾れ疾れ 信じた道
何度 泣いて泣いて泣いて泣いて 躓いたって良いんだよ
生きて生きて生きて生きて 声のかぎり
ずっと 過去も現在も未来も 等身大で歌うと誓うよ
巡り巡る時代の中で いつも君へ
もっと あがけあがけもがけもがけ 格好悪くて良いんだよ
生きて生きて生きて生きて 今日も生きて前へ
これは闇のなかで膝をつく努力家たちへの応援歌です。
努力さえすれば何でも叶えられるなんておとぎ話だけのことかもしれません。
どんなに努力しても無意味なときは無意味なのが現実なのかもしれません。
それでも、彼女たちはまた踏み出しました。
けっして努力が報われた子たちではありません。
あまりに多くの挫折を繰り返し、転んで、泣いて、それでもバカみたいに前を向いて走ってきました。
星鏡が映し出すかすかな未来の可能性を信じて。
過去と現在と未来は繋がっています。
彼女たちの頭上にある星鏡を照らしているのはかつての夢。かつての願い。
それが今、新たな未来に向かって像を結びなおしています。
無駄に終わった努力。
救いにならなかった偶然。
だけど、それらを繰り返してここまで歩んできた今だからこそ、見える未来があります。
過去から届く光があります。
過去も現在も未来も、あなたに必要なかったものなんて、無い。
彼女たちはかつてアイドルでした。
汚辱にまみれてからもなお、彼女たちはアイドルであろうと走りつづけました。
今ももちろん、彼女たちはアイドルです。
偶像としてファンからたくさんの夢を、願いを託され、それを励みにいっそう強く輝く少女たち。
そんな彼女たちが泥臭いまでの努力の価値を愚直に信じつづけているのなら、あなたもその価値を信じていい。彼女たちに憧れていい。彼女たちを信じていい。
だって、彼女たちは私たちの夢と願いを原動力に、今日まで走りつづけてくれたのですから。
躓くことがあったかもしれない。格好悪いこともあったかもしれない。
また躓くかもしれない。もっと格好悪い目に遭うかもしれない。
それでも、どうか負けないで。
その祈りは彼女たちへのものであり、私たちへのものでもあります。
あなたが彼女たちと同じ思いを共有したいと望むのならば。
だから『星鏡』は、闇のなかで膝をつく努力家たちへの応援歌。
コメント
あまりにもどっとライブファンの心に刺さる記事。
自分が胸に抱えていたものは自分だけのものではなかったと分かりますね。
ただ「かつて幸福だった日々の残り香」というのはどうなのでしょうか?
縛られ、交流さえゆるされず、仲間内で疑心暗鬼になっていた日々は幸せだったのでしょうか?
おそらく本人たちにしか答えは分からないないでしょう。
これは彼女たちではなく応援すればするほど伸びていたファンの目線である気がします。
今回、このタイトルにイラッとくるであろう人たちを思って文章を書きました。
まずはごめんなさい。
そしてそういうわけで、おっしゃるとおり、これは当時の私に彼女たちがどう見えていたのか、私個人の気持ちとしてこれからどういうふうに見ていきたいのかという視点で書いてあります。
諸々の話から舞台裏を想像すると根本的な問題はもっと古くからあったように思えますし、書いておいてなんですが彼女たちの努力も全部が全部実を結ばなかったわけでもありませんでした。『アイドル部の侵略』なんて件の雨上がりよりも前の成果ですしね。
ただ、ファンとしての私は彼女たちに同情するのではなく、尊敬したいって思ったんです。
一部に出ちゃっているやや身勝手な解釈はその気持ちの現れですね。
彼女たちへの熱い思いと、それを精緻に表現する貴殿の筆力に脱帽しました。こんな文章書きたかったな。でも、書けないな。それでも、あなたに及ばないながらも、私も私なりの思いを書きたいと思いました。心を震わせる文章をありがとうございます。
ニコニコ動画に切り抜き動画を上げていらっしゃるかたですよね。何作か拝見しております。
私はこのとおり、どうあっても元々そのコンテンツが好きな人向けの文章しか書けない人間なので、あんなふうに新しくファンの輪を広げうるものを作れる人のことを尊敬しています。
星の欠片はシロちゃん達やメンテちゃん達
水面は画面で雫の祈りは配信活動だとしたら
花弁は俺たちなのかなと
どうして残ったのかどうしてたどり着いたのかでもその花弁のために生きる価値や意味を探してくれたってことなんかな
と解釈しました
読んで泣いてしまいました。筆者さんの謡うような言葉選び、とても好きです。
「星鏡」というタイトル、私はただ語感が良いな、これまでの彼彼女達を反映しているのかな、くらいにしか思っていなかったのですが、筆者さんの「星は鏡になりません。映すのはこれからの進みたい未来。」という解釈がとても良いなと思いました。
あなたもアイドル部を、どっとライブを大切に想ってくれてありがとう。
これからも彼彼女達を応援していきたいですね。
「星鏡」、いちおう湖面に星空が反射している様をそう呼んでいる人もいなくはないみたいなんです。もしかしたら作詞者さんもそっちの意味で使っているのかもしれません。
ただ、「玻璃鏡」「銅鏡」「水鏡」など、「○○鏡」は鏡の材質を指していうものという認識が私のなかで強く、じゃあ星自体が鏡になることがあるとしたらどういうときだろう? と考えたのが今回の記事の起点になっています。
『きらきら星』の英語版も一部元ネタに借用しています。
Then the traveller in the dark,
Thanks you for your tiny spark,
He could not see which way to go,
If you did not twinkle so.
夜闇をさまよう旅人さんは
小さなあなたに感謝してるわ
あなたのきらめきがなかったら
歩むべき道が見つからないもの
解釈のしようはいくらでもありますし、制作者の名誉を毀損しないかぎりはどんな受け取りかたも自由であってほしいというのが私の考えです。「作者の死」肯定派。
素直に受け取るなら「凜と咲いた星の欠片」はプラスイメージのモチーフですよね。だったらそれを映す水鏡や傍にある祈りも純粋に良いものとして捉えるのが自然。実際私の解釈はちょっとひねくれているというか、自分が見てきたものを踏まえてだいぶ感傷的になっているはずです。
すごく熱心で気持ちも分かるけど努力が無意味て事はないと思うよ
表に見えてなくても色んな所で努力の結果は出てくるもんさぁ
そのとおりです。
だから、目に見える成果が出なくても努力しつづけて強くなった彼女たちを尊敬しますし、同じように成果が出ないことに苦しんでいる多くの努力家たちにも負けないでほしい。
とても良い文でした。
脳の真ん中を殴られているようでひどく心が揺れ、感動しました。
がむしゃらで愚直な感情をぶつけてくれた彼女達がやはり大好きなのだと再認識できました。
どっとライブのファンの1人に貴方がいて良かったと思います。
険しくも恵まれずとも前を見て道を走り続ける人達に幸あれ、と思います。
私はあの出来事のおかげで少しでも良いことがあったとは思いませんし、一方であの出来事は忘れてしまったほうが幸せだとも思いません。
不幸は不幸でしたが、それも含めて彼女たちだと思っています。それでいてまっすぐ前に進んでいくのが彼女たちらしさだと思っています。
そういう個人的な(ちょっと重めかもしれない)ファン感情をたくさんの人たちと共有できたことを嬉しく思い、また、自分もここに書いたとおりの生きかたをしたいと改めて思います。
俺はこの子達を尊敬してる
俺の半分も生きてないこの子達を
感謝しかない
3月と12月はどうしてもセンチな気分になりますね。
のほほんと活動を続けてくれている彼女たちと、安定した活動環境を守ってくれているスタッフさんたちは本当に立派です。
ポエム
見ました。