「今披露した曲は『星鏡』といいます」
「この曲はバーチャルという不確かな夜空で輝くひとつひとつの星が水面に映って鏡のように映し出された情景をイメージしています」
「私たちどっとライブがみなさんと一緒に歩んできた軌跡を振りかえり、そしてさらに強く前へ進んでいこうという思いを込めた楽曲です。新たな一歩を踏みだそうとしている人たちにもぜひ聞いていただけたらなと思います」
「そしてこの『星鏡』はイオリたち5人だけの曲ということではなくて、どっとライブ全体のオリジナルソングとしてリリースされます」
.LIVE 1st fes.『星物語』
以前ああいう感想文を書いておいて今さら公式見解を引っぱってくるのも我ながらアレですが、論旨は前回からブレていないはずなので許してください。
前置き(※ 何故か3000字以上ある・・・)
さしあたって、どっとライブ所属のくせに『星鏡』を歌わなかった世界初男性バーチャルYouTuberばあちゃるの昔のインタビュー記事を引っぱり出してきましょう。
ばあちゃる、というか、どっとライブというプロダクションのバーチャルYouTuber観は当時から一貫していました。
――インサイドちゃんの応援ありがとうございます(笑)。せっかくなのでお聞きしたいのですが、ばあちゃるプロデューサーならば、バーチャルYouTuber・インサイドちゃんをどうプロデュースしますか?
ばあちゃる:あ、いいんスか?どうプロデュースしたいか言っていいんスか?フンフンフンフンフン、性格面ですよね……?うーん、インサイドちゃんに関してだと……はい。プロデューサーがこんなこと言うのもなんですが、魂のままに振舞うのが一番いいと思いますね。いやプロデューサーとしては失格かもしれないんですけどね。ノビノビと活動してほしいですね。
――ちょ、ちょっと待ってください(笑)。これからプロデュースする10人のアイドルたちに対しても、そんな放任主義で行くのですか!?
ばあちゃる:いやいやいやいやいやいやいや、ばあちゃるくんは、ばあちゃるプロデューサーはちゃんと設定とか考えますよ!そ、そんなことは言ってないです。はいはいはいはい。いやいやいやいや。ただ魂の重要性は感じるってだけですよ。
――魂の重要性……。えっと、ばあちゃるさんってAIなんですよね?
ばあちゃる:もちろん。結構高性能なAIですよ。魂というかなんて言えばいいんでしょう。魂という名の、AIを構成している記憶というか中の人というか、そういうのが大事なのかなと。昨今のバーチャルYouTuber界を見ていると考えちゃいますね。
2018年3月31日 INSIDE 『大人気バーチャルYouTuberシロにインタビュー!のはずが…思わぬ邪魔者に介入されて!?』
山中氏「では、プロデューサーとしてのばあちゃるさんにお聞きしたいのですが、VTuberの世界観はどういう点を大事にしていけばいいと思いますか?」
ばあちゃるさん「なかなかシビアなところをついた質問ですねぇ。あくまで、ばあちゃるくんの所感ですよハイ。個人の場合は、え~、なんといえばいいんですかねぇ。VTuberさんを構成する魂の部分とでも言いましょうか、その体験などに依存されます。企業さんの場合は魂の方々がそこまで影響しないので……、設定とかをですねぇ…しっかり考えることが多いわけですハイ。個人的にはハイブリッド型がいいと思っているので、そこを目指したいですね。魂の輝きにも依存しながら活動していくのことが、みなさんが楽しめる世界観の共有になるのではないかなと思います。言葉を選んでいるので、ちょっと伝わりづらいかもしれませんがハイハイハイ~」
2018年10月10日 マイナビニュース 『魅力的なVTuberの世界観とは – シロさん×ばあちゃるさん、VRインタビュー』
1つ目は2018年3月31日付の記事。ちょうど旧アイドル部のオーディションとキャラクタービジュアル公開が終わった直後くらいの時期ですね。
2つ目は同年10月10日付。インタビュー自体は同年9月21日の東京ゲームショウ(ビジネスデイ)の講演の一環として行われたものだそうです。旧アイドル部が3D化しはじめた時期ですね。
2018年といえばまだまだ動画勢が主流だった時期で、つまり当時のバーチャルYouTuberの多くは事前に書かれた台本に沿って収録を行っていました。(※ とはいえカッチリとしたドラマ仕立てのバーチャルYouTuberは当時からごく少数派だったので、台本といってもざっくりした流れだけ書かれてセリフはほとんど指定しないバラエティ番組型の台本だったと思われます)
また、この年は生配信主体の活動で頭角を現したプロダクション・にじさんじがデビューし、またたく間にバーチャルYouTuber業界のトレンドを席巻した年でもありました。にじさんじは当初配信システムの一般販売で利益を出す計画だったこともあり、各バーチャルYouTuberの配信活動やプロデュースをそれぞれの演者に一任していました。
どっとライブはこの2つの潮流の中間を目指していたということですね。
企業として提示するキャラクター設定と、それを演じる人物が持つ個性の融合。
基本的には自由に活動させてひとりひとりの人間的魅力を引き出しつつ、設定というバックボーンで管理することでファンが期待するキャラクター的な面白さからも逸脱しすぎないようにすると。現実に生きている人間ではなく、虚構につくられたキャラクターでもない。その両方の魅力を併せ持つことで、そのどちらにもない新しい面白さを醸成できるのが、バーチャルYouTuberというキャラクターコンテンツだけが持つ独自性ということになるのでしょう。
まず、シロは踊ってみました。シロがシロを魅力的だと思えなければ、人間も振り向いてくれるはずがない! シロは自分の個性を見つけるために、毎日欠かさず、人間界に向けて動画を配信することに決めました。それぞれ異なる挑戦をする動画です。
その中で、コメントの中に「共感」を示してくれる言葉を見つけました。共感を覚えると、人間は親近感を感じてくれるんだ! シロは学び、方針を打ち立てました。
飾った自分でなくていい、体当たりな自分で、誰かを傷つけないようにだけ気をつけてお話ししたり表現しよう! シロはそれから、以前より積極的に自分のことをお話しするようになりました。好きなことや嫌いなこと、日常生活で気づいたことはメモをとって、動画の中でお話をしよう。動画のテーマに沿った、ゲームや企画へのリアクションと別に、自分のお話を少しずつ織り交ぜるようになりました。
電脳少女シロフォトエッセイ『電脳濃厚しあわせバター味』
これは旧アイドル部より1年先行して活動していた電脳少女シロを通して見出された知見でもありました。
リアルタイムでのコミュニケーションがない動画勢は、一見するとコンテンツ製作者→視聴者の単一方向メディアのように受け取られがちですが、実際のところ当時の動画勢はファンからのフィードバックをよく吸収して、柔軟にキャラクター性を変化させていました。重要なのはリアルタイムかどうかではなく、ただ相互に思いを発信可能かという点のみ。
特に毎日投稿を売りのひとつとしていた電脳少女シロはそれだけ細かくフィードバックを受けつづけ、演者のクセの強さも相まって、現実世界にもアニメの世界にも存在しえない全方位的に強烈でツッコミどころしかない個性を獲得するに至っていました。しかもその濃すぎる濃さをファンは全然ヒかずフツーに受け入れていたという。
最初純粋な虚構のキャラクターとして出発しようとしていた電脳少女シロが、ファンのリアクションを見ながら少しずつ演者の個性を出していった結果、そんな珍妙で目新しい、バーチャルYouTuberという形態でなければありえない半虚構のコンテンツへと成長を遂げたわけです。
──VTuber活動を始めようと思ったキッカケは何かあったのでしょうか?
みりり:自分のプロデュースブランドを持ちたい・宇宙に行きたいという夢があって、それが叶えられるかもしれないということがきっかけです!
リクム:悪夢を見る子が多いから、一緒に楽しんでいい夢を見るように出来れば食料に困らないからね。
ルルン:うちに入れば魔王になれるよと言われたので……。
2022年2月7日 Up-Station 『3人で共に歩んできた”みりくるん”の軌跡──初のオンラインライブも控える七星みりりさん、リクムさん、ルルン・ルルリカさんら”みりくるん”にインタビュー!』
そういう視点で見ると、2021年デビュー組の三者三様っぷりそれ自体とともに、とりわけルルン・ルルリカのデビュー理由がすごくステキに感じられるんですよね。
なるほど確かに。現実の世界で魔王になれるわけなんてなく。
さりとてアニメや映画で魔王を演じてみたところで、世間は自分を魔王だと認めてくれません。どこまでもひとりの声優です。
本当の意味で自分が魔王になるためには、すなわち自分以外の大勢の人にまで魔王だと認めてもらえるようになるためには、実際バーチャルYouTuberになるのが一番手っ取り早いでしょう。
「うちに入れば魔王になれるよ」とは、なんと夢があり、そしてなんとバーチャルYouTuberというものの本質をよく捉えた言葉でしょうか。
それは、現実と虚構が混じりあったところに生まれる不思議な世界。
『星鏡』ミュージックビデオの感想(※ とはいえここまでで語るべきことはほぼ語りつくしている)
さて、長々長々と脇道気味な話題を延々書き連ねてきてようやく本題です。
『星物語』での初邂逅以来ずっとファンが待ち焦がれていたMVは、思いのほかシンプルなつくりでした。
とはいえ歌詞自体がひたすらに“強い”楽曲ですから、この歌詞を前面に出してくるプロデュースはむしろ王道といえるかもしれません。
ジャケットイラストでは誰とも判別つかないシルエットの人物が立っていた水辺に、MVでは10人が佇んでいます。
10人ということはどっとライブのタレントたちでしょう。しかし、いずれも見慣れた姿ではありません。初めて披露するファッションに身を包んだ、新規書き下ろしの立ち絵です。遠景でどの人物が誰なのか全員を判別するのはなかなかに困難。
彼女たちは何をしているのでしょうか。
そういえば前回の感想文ではそのあたり考察しませんでした。ネットでもそこまで言及している感想はあまり見かけなかったように記憶しています。
『星物語』でのカルロ・ピノの解説によると、星鏡とは「夜空で輝くひとつひとつの星が水面に映って鏡のように映し出された情景」のイメージとのこと。しかし、ここに佇む10人の視線は水面に下りているような、正面にいる私たちのほうを向いているような。やはり遠景なので細かい視点まではわかりません。
確実に見て取れるのは、ただ、星々の影とともに10人の影も水面に映っていることくらい。
せっかくなのでここでひとつ日本語知識。
日本語の「影」は英語でいう「shadow」と同義ではありません。「影」は「shadow」を含みますが、同時にもっと他のニュアンスをも内包します。
小学館の2006年版『精選版 日本国語大辞典』によると、「影」は大きく分けて以下の4つの意味を持ちます。
1.日、月、星や、ともし火、電灯などの光。
『精選版日本国語大辞典 2006年版』(小学館)
2.光を反射したことによって見える物体の姿。
3.光を吸収したことによってうつし出される物体の輪郭。また、実体のうつしとりと見なされるもの。
4.特殊な対象に限った用法。
4.は覚えなくていいです。慣用表現とかそんな感じの寄せ集め項目なので。
私たちにとって一番馴染み深い、「shadow」に相当するニュアンスが3番目に来ていることがわかるでしょうか。実は語源を辿ると「影」という語の本義は1.と2.なんです。“物質から放たれた光が私たちの視界に入って結ぶ像の姿”。それが「影」。ややこしいですが「影」なのに「光」なんです。3.のニュアンスはそこから派生したものに過ぎません。
英語に置き換えるなら、「影」とは「light」であり、「image」であり、そのうえで「shadow」でもあるんだといえるでしょう。
こういった予備知識を蓄えたうえで『星鏡』のMVを見るとまたひとつ趣深く感じられますね。
水面に映る「影」は、星々の「light」であり、10人の「shadow」。人の影だけが黒抜きになっています。
ちなみに、これ絶対製作者はそこまで考えていないやつなので、ここにどんな意味を受け取るかは各々自由に想像力をはたらかせていい領域だと思います。
さて。
そろそろMVの視聴に戻りましょう。
以後に描かれるのは先ほどの10人の立ち姿。アップになってようやく誰が誰だか見分けられるようになります。もこ田めめめとヤマトイオリだけは「お前誰だよ! かわいいな!」って言いたくなりましたけど。
それぞれ街に、道ばたに、晴天に、雪空に、あるいは昼に、夜にと、シチュエーションも様々です。共通していえるのは、全て写真を元にわずかに加工しただけのリアルな風景だということくらいでしょうか。
そういう風景の中心に、いつもよりリアル調なタッチのタレントたちが佇みます。
視線は案の定、真正面。
まるでバーチャルYouTuberたる彼女たちが直接現実世界に降り立ったかのような、奇妙な実在感。
けれど、この違和感のなさも背景がホンモノの写真ではなく若干の加工を施されたものだからこそ。
彼女たちは依然として、言ってしまえば“絵”です。とはいえ“絵”だなんて冷たい表現で切って捨てるには生々しすぎる感じもあるけれど。
このモニョモニョっとした何ともいえないどっちつかず感、共感していただけるでしょうか。
そう、これ。
この虚構とも現実ともつかない、どっちともいえるしどっちでもない感じ。すなわちこれがバーチャルYouTuberです。
これを最初に観たときの奇妙な感覚と納得感をどうにか言語化したいがために、さっきバーチャルYouTuberとは云々みたいな文章を書き連ねました。この記事、割とマジでこの話をしたいってだけの気持ち9割です。
いつもの姿に比べたら、彼女たちは私たちがいるところの相当近くにまで来てくれたんだとわかります。
ファンとしてとてもうれしいこと。
電脳世界から現実世界へ。
だけど、やっぱり彼女たちと私たちとでは、住む世界の位相がわずかに異なるようです。あと一歩、やはりどこか違う世界の住人なんだという印象が拭えません。
だけど。
同時に私はこうも思うんです。「そんなレベルまでこの子たちにやってもらわなきゃいけないもんでもないよな」と。
『星鏡』は泥臭いまでの努力を謳う物語です。
報われないまま終わる可能性を恐れず走りつづける努力家たちへの応援歌です。
「ここで諦めたらダメだ」
彼女たちは歩み寄る姿を示しました。
元々現実と虚構の中間に棲まう住人。そんな彼女たちが普段よりももう少し、現実に近づいてみせてくれました。
なんで私たちだけ何もせず自分の領域内で待つことを許されるというのか。
もしかして、私たちのほうからも彼女たちと同じくらい努力してみせれば、案外手の届く場所まで行けるんじゃないのか。
何かを訴えかけるかのような瞳の意図を解するまでもなく、私たちにはそれぞれやるべきことがあるはずです。
偶像としてファンからたくさんの夢を、願いを託され、それを励みにいっそう強く輝く少女たち。
その輝きに魅せられ、憧れ、一種の敬意を抱くのならば、その時点で私たちは努力の価値を知っています。
きっと誰もが努力しきれず挫折した経験を持っていて、だからこそ躓きながら、格好悪い姿をさらしながら、それでも努力しつづける少女たちの姿に心を焼かれるのです。
私たちの身のまわりにはきっと、本当ならまだまだ諦めず努力しつづけるべきだったものごとがありふれているはずです。彼女たちのひたむきさに憧れたあなたは、努力していい。努力の価値をこれからも信じていい。
あの子たちは私たちの期待に応えました。あるいは今まさに応えようとしています。
逆にあの子たちが私たちに何か期待してくれているかは神のみぞ知るってところでしょうが――、もしあなたが彼女たちを信じるというなら、それもまた一面の事実でしょう。
人と人との関係性なんてたいがい鏡写し。
他人の心なんてどうせ見通すことができないんだから、自分で想像するしかありません。どうせ想像するなら都合よくポジティブに考えたほうが得というものじゃないですか。
そして10人の少女たちは再び星空の下へ。
背景を見るかぎり日本各地に散らばっていたような気もしますが、同じ時間に空を見上げたなら、どこからでも同じように見られるのが星空というものです。星空はどこにでも繋がっています。ジャケットイラストのあの人のところにも、たぶん。
ちなみにあなたがこれを読んでいる今は何時ですか?
水面に星々を映せば星鏡。
星々が照らす白い光点(light)は「影」。
それを覗き見る私たちの黒い輪郭(shadow)もまた「影」。
今の自分のありようを知るための姿見としてはまるで役に立たない鏡かもしれませんが、星がどこで輝いているかを確認するくらいにならまだ役立つかもしれません。
星は鏡になりません。
星が映すのは、あなたが歩むべき先の道標くらいのもの。
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