デリシャスパーティプリキュア 第9話感想 友達がマネしてみせる私の姿は、友達と同じくらい私にもステキに見えた。

この記事は約11分で読めます。
スポンサーリンク

あら。思ったことを言いあえるなんてステキじゃない。何でも相手に合わせてたら、それこそいい関係とはいえないもの。

↓dアニメで全話配信中!↓

↓YouTubeチャンネル限定コンテンツも配信中!↓

「かみ合わないふたり? ここねとらんの合わせ味噌!」

Lead Character:がんばったひと

ここね,らん

Major Happening:大きなできごと

 ここねとらんの性格がいまひとつ噛みあわず、お互い不本意ながら微妙な空気になってしまった。

Sub Questions:小さなできごと

ブンドル団の内情

 ジェントルーは精神操作されているらしい。このためかジェントルーがいくら忠誠心を示そうと一生懸命働いても他のふたりには小馬鹿にしたような態度をとられており、彼女も彼女で周りと気持ちがが噛みあっていなかった。

Battle Depiction:どんなバトルだったか

 らんは直感に頼りすぎて有効打を出せず、ここねは慎重すぎて防戦一方。そこでお互いのやりかたをマネることで、らんは敵の弱点をうまく突くことができ、ここねは攻勢に転じるチャンスをものにできた。

I’m curious !:気になるポイント

テイクアウト推しにリニューアル

 ジェントルーに利用されないようテイクアウトしてお店の名前を伏せるのかと思いきや、テイクアウト専門店ならほかほかハートが一ヶ所に集まらないからレシピッピも集まりにくいということらしい。実際今回ジェントルーが襲撃した屋台村は若干のイートインスペースがあってなおレシピッピは2匹しかいなかった。
 ちゅるりんがグルメレビューアカウントとしての期待に応えられなくなるんじゃないかと心配していたのでこれは一安心。でもテイクアウト店にレシピッピが来ないというのは作品テーマ的にどうなの?

スイセン

 ここねが観ていた『おともだちDAモン』に咲いていた花はスイセン。花言葉は「自己愛」「うぬぼれ」など。ギリシャ神話のナルキッソスが変化した花でもある。

ナルシストルー

 なんという語感の悪さ!
 ブンドル団の名前の元ネタ、Gently(地方地主)とSecretary(書記官)だと職場が違いすぎるよなあとずっと疑問に思っていたのですが、これはGentle(上品な)、Secret(こそこそした)、Narccictic(自己愛的な)あたりの性格を表す言葉から来ているということでしょうか。

自分の尻尾を抱いて転がるコメコメ

 かわいい。

 そういえば私もtwitterのアイコンを変えなきゃと思ってからかれこれ10年ほど経ちました。まいっか。

 毎年恒例のプチケンカ回。
 昨年の『トロピカル~ジュ!プリキュア』第2話では夏海まなつとローラの間で使命に対する意識の差が原因に、一昨年の『ヒーリングっどプリキュア』第5話では沢泉ちゆと平光ひなたの性格の違いが原因になっていましたね。
 今話のストーリーに近かったのは『ヒーリングっどプリキュア』のほうでしょうが、ウルトラマイペースなちゆといちいち自己卑下しすぎなひなたとで本当に性格が正反対だったあちらとは異なり、今年のここねとらんは本質的に似た者同士です。どちらも周りに気を使いすぎ。だからこそなかなか噛みあわなかったわけですが、根っこの部分ではむしろ相性がいい子たちなので、お互い付きあいかたを理解したらどんどん仲よくなっていけることでしょう。友達であってもお互い気を使いあうこと自体は別に悪いことではありません。

 『デリシャスパーティプリキュア』はおいしいごはんを通してそれぞれの思いを伝えあおうとする物語です。
 ゆいは食べたときのおいしい笑顔を見せることで、
 ここねはおいしいものを友達とシェアしあうことで、
 らんはおいしかった料理の感想を教えることで、それぞれつくってくれた人や周りのみんなと幸せな気持ちを共有します。

 それぞれやりかたは違えど、根底にある思いは同じ。だからコミュニケーションさえうまくできれば気持ちは間違いなく共有できる。どうやったら気持ちをまっすぐ伝えることができるだろう? そういうテーマで物語が動いています。
 ちなみに『ヒーリングっどプリキュア』は本質的に相容れない者同士がお互いを理解しようとする物語、『トロピカル~ジュ!プリキュア』はそれぞれのやりたいことを力を合わせて実現していく物語でした。
 ケンカの原因ひとつ取ってもそういう作品性が如実に表れるわけですね。

自分でもよくないとは思っているんだけども

 「やっぱオススメは麺類かなー。麺といえばラーメン、ラーメンといえば――はわ! ごめん!」

 「パンダ。かわいいし、目立つから目に留まる。パンダでフォロワーが増えるかも。・・・パンダも一推し!」

 相手の話し出しを待たずに自分の言いたいことを話しはじめてしまうらんに、相手の言っていることを汲まずにしれっと全然違う提案をしてしまうここね。

 「はひょー! おいしそうなパン! あ、もしかしてここぴーパン好き? 何パンが好き? ハートベーカリー! おいしいよね、生地はフワモチで! ――はわ! ごめんね、読書の邪魔しちゃった?」

 「趣味? メイクのほうが好き」

 文学作品を読んでいるだけの相手に自分の視点ゴリ押しで話題を振ってしまうらんに、せっかく振ってくれた話題をガッツリ否定しにかかってしまうここね。

 「ほえ? らんらんは先に食べてもおいしいと思うけどな。――あ! ここぴーって好きなもの後で食べるタイプ? もしや甘いもの好き?」

 「――甘い。おいしい、けど、甘いものは食後に食べるものじゃない? うちはいつもコースの最後にデザートが出るから・・・」

 自分解釈で決めつけ気味に相手の気持ちを想像してしまうらんと、自分流を貫くあまり場の空気を悪くしてしまった(気がする)ここね。

 「大丈夫大丈夫。単に眠たいだけかも。大丈夫だって。ちょーっと疲れちゃったんだよねー。・・・もう、ここぴーは心配性だなあ」

 「コメコメ、どうしたの? なんで泣いてるの? お腹空いたのかな? ――で、でもすごい泣いてるし、どこか痛いのかも! ――かもしれないけど、もしかしたら!」

 下に弟妹が2人いる経験則から子育てに楽観的に構えるらんと、子育てに心配しすぎというものはないと考えるここね。

 「慣れてるからってちょっと雑になってるんじゃない!?」
 「雑? そんなことない! ちゃんとわかって見てるもん!」
 「らんはテキトーなときがあるから!」
 「ここぴーこそ頭カチコチだよ!」

 それが悪いって言いたいわけじゃないのに。

 「はううー! らんらんってお喋りだよね! けど、お友だちとは話を合わせたほうがいいって聞くし・・・。よし、決めた! 今度からここぴーの話をちゃんと聞く! 聞く! 聞く! 聞くぞー! おーっ!」

 自分に悪いところがあるってことはわかっていました。
 相手の話を聞かなすぎ。ついつい一方的に自分の話ばかりしてしまう。

 「私、らんに意見しすぎたかな。思ったことを押しつけて、困らせたかも。ラーメンのほうがらんっぽいのに。――お友だちなら意見を合わせなきゃ」

 自分に悪いところがあるってことはわかっていました。
 相手の話を聞かなすぎ。いつの間にか話の腰を折って、一方的に意見を押しつけてしまっている。

 どちらも一事が万事その調子。日頃から反省してはいるんです。自分が悪いんだってわかっているんです。なのに繰り返してしまう。
 我がことながらなかなかにコミュ障。理想のコミュニケーション像はちゃんと頭のなかにあるのに、どんなふうにしたらうまく会話ができそうか頭ではイメージできているのに、生まれついた性根というものはなかなか変えられない。

 私ってばなんて未熟者!
 いかにも中学生らしい悩みですね。自分が発展途上の身の上だという前提があればこそ、冷静に考えるぶんには全面的に自分が悪いんだって理解しています。
 これがそれぞれもう少し大人だったら、あるいはもっと幼かったら、「でもこれはこれで間違いじゃないはず。相手も悪い」って、若干のプライドから自己擁護的な思考パターンも絡んでくるのですが。

 「らんが!」
 「ここぴーが!」

 それでもケンカになっちゃうのは、ただ、現実を自分の思うようにできないからっていう八つ当たり。

だって、絶対正解はあるんだもん!

 「ヤムヤムが人の話を聞かないから」
 「それはヤムヤムも気をつけてるし。でも、何もしないよりはいいかなって」
 「ちゃんと考えればいい方法が見つかる」
 「でもでも! 思いつきのほうがうまくいくし」

 お互い、相手を批難したいわけじゃないんです。
 単に自分が正しいと思う方法論を完遂してみたかっただけ。
 これが絶対正しい方法のはずなのに、なぜか反発されてやり通させてもらえないから、ついイライラしちゃう。

 ふたりとも、実はケンカの原因が自分の内側にありました。

 「はううー! らんらんってお喋りだよね! けど、“お友だちとは話を合わせたほうがいい”って聞くし・・・。よし、決めた! 今度からここぴーの話をちゃんと聞く! 聞く! 聞く! 聞くぞー! おーっ!」

 「私、らんに意見しすぎたかな。思ったことを押しつけて、困らせたかも。ラーメンのほうがらんっぽいのに。――“お友だちなら意見を合わせなきゃ”」

 要はここなんですよね。今回ケンカになってしまった原因。
 それぞれ自分にある程度コミュ障なところがあるっていう自覚があって、それはコレコレコウイウフウニ直すべきだという思い込みがあって、だけど自分というものほど簡単に曲がらないものはないから、結果、全然うまくいかない。変わりたいのに変われない。理想はそうあるべきなのに何故か現実の自分には合わない。
 そのイライラが吹き溜まってしまっているんです。

 すなわち一種の劣等感です。コミュニケーション能力に関する自己肯定感の低さ。
 自分を信じきれないからいちいち不安に囚われて、“こうしたほうがいい”“こうしなきゃ”なんていうふわっとした考えに、信仰にも似た妄執を抱いてしまう。
 そんなもの絵に描いた餅でしかないのに。実践したら絶対うまくいくだなんて確証はどこにもないのに。

 私ってばなんて未熟者! ・・・なんて。

 知らず知らず確信してしまっていました。今の自分とは真逆の生きかたこそが正しいのだと。
 それで自分のなかにある正解以外を無意識に拒否しようとしていました。
 むしろ、その思い込みこそがディスコミュニケーションを呼んでしまっていたわけで。

 「くっ。・・・ダメ!!」

 今回、対比として精神操作の解けかかっているジェントルーが描かれたのもそういうわけですね。

 本来の自分らしさとは違ったことをしようとしまっている。
 その生きづらさ。居心地の悪さ。
 誰かに強制されている場合でも、わざわざ自分で追い込んでしまっている場合でも、その苦しさは同じです。

間接的自己肯定力

 「そうだ。――いい方法、いい方法・・・。あそこなら! バリカッターブレイズ!」
 「ナイスよ! 正面さえ塞いじゃえば攻撃が飛んでこない!」
 「へへん。スパイシーが言ってたことを合わせ味噌でやってみた」

 「あ――! ピリッtoサンドプレス!」
 「うきゅー
 やるぅ!」
 「思いつきも大事」

 自分なんてものはそうそう変えられるものではありません。頭で理想像を描き出すことはできても、それを現実にできるとは限りません。
 あなたが思い込んでいるほど、それが絶対に間違いのない正解だとは限りません。しょせんは机上の空論なんですから。

 そんなふわっとした考えよりもずっと確かなものがここにはあります。
 たとえばパムパムが心酔し、あるいはメンメンが信頼する、今のあなたらしさ。

 大丈夫。今のあなただって、あなたが思っているほどダメな子ではありません。

 その証拠に、ほら、友達があなたのマネをしてみても案外うまくやってみせるじゃないですか。

 「『違う味が仲よくなれば、味噌も人も旨味が増す』! おいしい合わせ味噌のコツ! 味が違えば違うほどいいってお婆ちゃん言ってた!」

 結局のところ今回のケンカの原因はここねとらん双方の自信のなさにありました。自分を信じられないから、お互いのことも信じきれない。どこにも存在しない、絵に描いた理想ばかりを信じ込もうとしてしまう。
 そこを、お互いがお互いの正さを現実に証明してみせることで、ふたりの自己肯定感を回復してみせたのが今回のお話です。

 たいがいのこと、別に正解なんてひとつとは限らないものですからね。
 理想を追い求めて現実にはそうそう実践できない高いハードルなんか無理に乗り越えなくたって、試しに身近でうまいことやれている人のマネしてみれば案外うまくできるもの。本当はいつもの自分のやりかただっていくらでもうまくやれるはず。そもそも十数年間それでうまいこと生きてきた実績があるんですから。たまの失敗がやたら印象的に記憶に刻まれてしまっているだけで。

 「私、ひとりが楽だった。静かなひとりの時間が好き。人と関わるのは面倒だし、すごく疲れるから。でも、あの子と一緒だと心の中で温かいものが、今まで知らなかった思いがどんどん膨らんでいく」(第4話)

 「――嫌われたくない。せっかくお友だちができたのに、楽しく話しかける方法も知らないし、勝手にリップ勧めちゃうし、お料理もできないうえに、プリキュアまで・・・。こんな私じゃ嫌われる」(第5話)

 「レシピッピ・・・! らんらんがレシピッピに会いたいなんて思ったから・・・」(第7話)

 「らんらん、キュアスタやめたんだ。・・・だって、らんらんのせいでお店が狙われたり、レシピッピが捕まっちゃったりするのは嫌だから。もう書かないことにしたの」(第8話)

 ここねもらんも相当な気にしいです。周りに気を使おうとする思いが人一倍強くて、そのせいで自分らしく気楽に生きることを苦手としています。
 そうなんですよね。あからさまにおひとり様気質なここねはともかく、一見明るくみえるらんも実は似たような性格をしています。自分が不幸になるより周りが不幸になるほうが嫌だと感じる優しい性格。周りの幸せのためなら自分は我慢してもいいと思えちゃう、やや自己犠牲的な性格。
 いい子たちではあります。でも、その性格は彼女たち自身を幸せにはしません。

 だって、ここねは分けあうおいしさのプリキュアで、
 らんはおいしいものを独り占めしないプリキュアなんですから。

 そもそも自分が幸せを感じていなかったら誰とも幸せを共有することなんかできません。

 「違うからこそ、自分に無い世界を広げてくれる」
 「うん! おかげでレシピッピも助けられた」

 『デリシャスパーティプリキュア』はおいしいごはんを“食べる側”の物語です。
 一見して創造的な立場ではないため、ただごはんを食べるだけでは何の価値も生み出せていないように思えます。
 けれど、ごはんを食べておいしいと感じるのは食べた人だからです。幸せな気分になって、つくってくれた人に「ごちそうさま」と感謝の思いを伝えられるのは、食べる側だからこそできることなんです。
 彼女たちは積極的に幸せにならなければなりません。彼女たちは自分の幸せいっぱいな気持ちを周りにシェアするために戦うプリキュアなんですから。

 その誰にとってもステキな活動に彼女たちはもっと自信を持つべきだと、私はそう思います。

よろしければ感想を聞かせてください

    記事の長さはどうでしたか?

    文章は読みやすかったですか?

    当てはまるものを選んでください。

    コメント

    1. 亀ちゃん より:

      今日のデリシャスパーティプリキュアはいとこのお姉さんの次女に対してLINEで感想を送るのも神経を使った話でした!!
      その反面、大人のプリキュアファンとしては、今でも注目度が尽きないので、先が楽しみな視聴者も多かったはずです!!
      それがアバンからいつか+いずれ芙羽 ここねとらんらんがケンカになっても、案の定おかしくないという意味で、私個人としては本当に怖かったですね!!(厳→汗)
      妖精が和実 ゆいのところに、芙羽 ここねとらんとの今現在の対立のことをジックリ話すと
      「ここねちゃんとらんちゃんが」
      さすがにこのサイトには書けるはずがないと思ったセリフで間違いないでしょう
      それでも私はいとこのお姉さんの次女には
      わすれにくくて、シックリきた
      と裏を返すと和実 ゆいがハッとしたことで、和実 ゆい自身が巧くサポート出来そうな予感がした!というプリキュアファンは大人が大半というほど大多数でしょう
      私個人としては「ここねちゃんとらんちゃんが」というセリフほど今日のデリシャスパーティプリキュアでは1番プリキュア的に感慨深かったことだけは変わりないですね!!♩
      それにコメコメが泣き出したのは芙羽 ここねとらんらんのケンカが1番の原因と気づきました!!(厳)
      一方、今ではプリキュアファンである本物の女の子も見逃せるワケがないであろう敵地ルポでは、いきなり3人目が登場するし、ジェントル―も仕方なく出場しましたね!!
      ジェントル―がプリキュアに仲間入りすることが既に判っているプリキュアファンの女の子ことを考えると、今は何も言えないです!!(厳→汗→冷や汗にも)
      その後もいろいろとあって戦闘が始まると、今回は主人公が読み上げるサブタイトルの通り合わせ味噌
      これを和実 ゆい自身は自分自身のおばあちゃんから言われたことを初めてプリキュアの完全大勝利のために生かせてあげることが出来たと思うと、これ以上ないほど好い“緑色”になったとも言えますね!!☆☆♬
      要するに今回の話でいとこのお姉さんの次女に最後の最後まで視て良かったといえる内容は芙羽 ここねとらんらんが戦闘の最中でも仲直り出来たことこそがすべてなのです!!☆☆♬
      まだ先は長いかもしませんが、来年の2月から始まるプリキュアも、全国のプリキュアファン(間違いなく全員が大人)に確信が持てる意味で、発表された時は、それこそ
      20年間の集大成
      ということで、タイトルロゴから鮮やかに決め始めて欲しいですね!!
      私の予想は1番大きなテーマが学校!と今年のゴールデンウィーク中に、そんな予感がしました!!
      それでも私の予感は当たるも八卦当たらぬも八卦でも、当たる時は当たりますから!!♪
      とはいうものの来年の秋のプリキュア映画に関しても、オールスターズで間違いないのは、大人のプリキュアファンなら全員が口をそろえてもおかしくはないでしょう
      だからこそプリキュアの映画も、プリキュアの歴代の映画もすべて巧く合わせ味噌して、これも20年の集大成ということでやって欲しいということです!!
      これをプリキュアの原作担当者が1番判って欲しいし、プリキュアの原作担当側も、キャラクター設定には女子寮の寮長(キュアバドミントンギャンブラー)に1番すごく強く神経を使っているのも無理もないと思いますよ!!♩
      というワケで、私も高卒社会人であるプリキュアファンとして、プリキュアの成長に合わせて、まだ私自身も成長したいし、プリキュアファンも“フェアな意味”で続けたいです!!☆☆♬

      追伸
      プリマジことテレビ東京系の幼稚園児向けのアイドルアニメのことなんですが、これもレンジャー系の直後との架け橋で、巧く合わせ味噌になると私個人としては、やっぱり絶好級の気分転換タイムになりますね!!☆☆♬
      それでもプリキュアに対する愛着はアニメ本編が終わってから何十何年経っても尽きない気もします

      • 亀ちゃん より:

        今日になって、昨日の私自身の書き込みを見返してみても、本物のプリキュアファンである場合、子供もも大人もみんな楽しみなことは楽しみ!!☆☆♬
        逆に気づいていることには気づいている!!(厳→咲)
        そう思い直せるようになりました!!
        それでも昨日のデリシャスパーティプリキュアに関しては、私個人としてもインターネット上に“きょうのプリキュア”を全般的に熱く語りたくなった!!という意識は昨日から変わりないですね!!
        私個人としてのプリキュアファン人生のことを、ここで書き込む場合、今日のプリキュアのことは、普段はセリフのことばかり語りたくても、たまには全般的に熱く語りたくなる!!(厳→咲+汗+輝)
        女児向けプリキュアにはたまにはこのようなアニメ本編の話があってもイイかもしれませんね
        とはいえ今年の女児向けプリキュアは第1話から大人が視ても難しいとも言えちゃいますが(苦笑)

      • 疲ぃ より:

         やってることは“ご飯を食べる側”の立場から何ができるかっていうシンプルな問いかけなので、「食べるだけじゃ誰の役にも立てない」みたいな変な固定観念が身についていない子どもたちなら割と簡単に理解できそうなものですが、実際どうなんでしょうね? 極論、「おいしかった」「ありがとう」を言うことって大事だよね、くらいの受け取りかたでも充分でしょうし。
         まあでも、子どものなかにも案外自分で体験していないことに頭でっかちな子も実際いるので、結局は人によるんでしょうか。

         ここねとらんのケンカを見て慌ててゆいに助けを求めたパムパムたちはかわいかったですね。あの危機感、たぶん口頭だとほとんど伝わらないと思う・・・。
         口論になった原因がまずしょうもないし、お互い主張していることも別に対立してないし。ゆいも話を聞けば聞くほど「それでどうしてケンカになった?」って不思議に思うんじゃないですかね。

    2. ピンク より:

      コメコメが終始可愛かったです。癒しです。

      言い争いの中身がことごとく心底どうでもいい……と言ってしまうのは少々失礼ですが。
      普通のたこ焼きと甘味入りを、一緒に食べる人に何の断りもなくごちゃ混ぜにするのはちょっとどうかと思いますw
      全部ソースと鰹節かけてましたけど、味は大丈夫なんですかね?

      予告に出てきた変顔、お互い自分の言動に対してだったとは予想外でした。
      ターゲット層である小さい子だと、たしかに意見のぶつかり合いによる喧嘩はもう少し違うニュアンスになりそうですね。
      とはいえ新学期最序盤に放送予定だったこの話、きっと子供たちのいい教材になったことでしょう。

      そして次回、いくらなんでもあらすじが不明瞭すぎて何がどうなるのやら(というかミキサーのこと完全に忘れてた……)

      • 疲ぃ より:

         相手の気持ちを実際に確認せず、想像だけで一生懸命気を使おうとするから変にこじれちゃうんですよね。今の世のなかメチャクチャよくある話。ぱっと見コミュニケーション上のトラブルに見えて、実際は個人の思い込みの問題でしかないっていう。
         ネットの炎上案件も大半これが原因だと思ってます。有名人や企業相手だと直接事情を聞くことができないからなおさら想像による配慮が先鋭化しすぎて、SNS住人同士で衝突しちゃうんですよね。私の好きなバーチャルYouTuberなんか「ライブ開催の告知を1週間保留された」ってだけの発言から取り返しのつかない大炎上に発展しました。
         気を使いすぎたせいでかえってギクシャクしてしまうとか、いったい何のための気づかいなんでしょうね。

         コメコメはいつだってかわいいんだ。

    3. 与方藤士朗 より:

      今回のここねとらんの争いなんて、わしらからしてみれば、かわいいもんです。
      20代に学習塾で勤めていた頃、上司の大先生いわく、

      年がいってからのの同世代(のつきあい)は難しいぞ。

      それをお手伝い先その他で実感もって体験させられている私の、本音ですわ。
      その点、ここねトランの争いなんぞ、繰り返すが、可愛いものです。

      私が小学生でスカウトされた鉄道研究会に、4浪したという2歳下の人が来られました。
      その方には学ぶところも大いにあって、今も感謝にたえない。
      だが、傍が見ているに、こいつらどこでぶつかるか、ってのも、あったみたいですな。
      彼も私も阪神ファンなのでその例えで行くと、藤村冨美男のいるところに入ってきた別当薫のような感じ。風貌は、その逆ととらえていただくとよろし。
      別の例えをすれば、紅茶好きで珈琲きらいのドイツ人と、コーヒー好きでビール好きのイギリス人のようなところかな、と(後者ね、私は)。

      そういう修羅場から見れば、まあ、可愛いものですな。
      ~実は、そういう修羅場においては、ああいう言い争いは表面的には一切起きないものです。

      • 疲ぃ より:

         大抵誰もが一度は体験している類いのディスコミュニケーションだからこそ、気軽に上から目線で語れちゃうんでしょうね、私たち。実際のところ大人になってからもちょくちょくやっちゃうわけですが。
         特に歳を重ねるとお互いの常識(だと思い込んでいる前提情報や人生観)に相当ズレができているものなので、思い込みでヘタに非言語コミュニケーションを図ると大火傷しちゃいます。
         「言わなきゃわかんないよ」(『ハートキャッチプリキュア』来海えりかの口癖)はオッサンオバサンにこそ金言。

        >コーヒー好きでビール好きのイギリス人

         東インド会社以前のごく平均的なイギリス人じゃないですかー。(※ そういう話じゃない)

    スポンサーリンク
    タイトルとURLをコピーしました