ひそねとまそたん 第8話感想 空に流れ星を探して。

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私はまそたんとずっと、夢のなかを飛んでるんです!

(主観的)あらすじ

 飯干事務次官改め飯干式部官の口からDパイの真の任務が告げられました。74年に一度目覚める巨大変態飛翔生体・ミタツ様を次の臥所に誘導することです。
 ミタツ様の飛行速度は台風並みに緩やかなので、祭祀当日はDパイも3日3晩飛び続けなければなりません。そのための訓練教官として、前回の祭祀を経験している唯一の現役Dパイ・樋本が招かれました。ひそねたちにとってはジョアおばさんとしてお馴染みの老女です。
 本番を模して行われた訓練は過酷なものでした。というのも、まそたんたちとともに飛ぶことを自分の拠りどころとしてきたひそねたちにとって、一時でもまそたんたちに飛行を委ねて自分だけ眠るというのが心苦しかったからです。ですが、まそたんたちはそれでも眠れと言ってくれるのでした。
 訓練明け、祭祀に向けてさらなる人員が補充されます。小此木空士長の知人である棗を含めた6人の少女たち。飯干式部官によると、彼女たちは巫女だそうですが・・・?

 オープニングテーマを不穏マシマシにしての新展開。なんだよ『少女はあの空に惑う』って。「たためぬ翼与えて二度と戻らないよ」って。「流れ星はまぼろし」って。しかもこんな歌詞に差し替えたタイミングで、何故にわざわざひそねに「私はまそたんと夢のなかを飛んでるんです!」などと語らせるのか。イヤねえ。

祭祀

 「来たるべき時が来た。今こそ君たち“白い恋人”と変態飛翔生体の真の任務を知るときだ」
 「真の任務。それは74年に一度、国の総力を挙げて行われる一大神事、祀り事の遂行」
 「74年周期でお目覚めになるミタツ様は次の眠りに就かれる場所、臥所まで移動される。ミタツ様が道に迷われないよう導き誘うのが、君たち“白い恋人”の、そして変態飛翔生体の真のお役目」
 「どう? わかった?」

 ウッソだぁ。
 いやさ、とりあえず一面の事実としてはそうなんでしょうけれどもね。絶対これ全部ひっくり返るようなバクダン隠してるでしょこの人。

 そうじゃなかったら予算案であんな紛糾しませんて。いくら予算額がトンデモだからって、周期も規模もあらかじめわかっているなら調整のしようなんていくらでもありますよ。それ自体は災害(ミタツ様)回避のために必要な予算だって内々に知れ渡っているわけですから。
 さすがに国民への説明(≒国会提出)だけは少し頭をひねらなければなりませんが、そんなのガッツンガッツン縦割りにして事業を細分化して、単事業あたりの額面を目立たなくしておけば割とどうとでもなります。内々で話を通してさえあればそういうのは簡単です。どうせ国民含めた組織外の人間は、組織内での細かい予算の使われ方まで想像することはできないんですから。(汚い事務屋の常套手段)
 それが内々での打ち合わせの時点ですでに揉めているということは、まず間違いなく余計な何かをブッ込んでいるってことですよ。予算が想定以上にふくらんでいるってことですよ。予算案が通っている以上、おそらく国益に資するには資する何かなのでしょうけれど。

 そもそもが奇妙なんです。
 曽々田団司令は言いました。
 「変態飛翔生体を所有する国家は富み栄える」(第1話)
 なのに、国土を災いから守るためにミタツ様を導くのでは話が違います。OTFは富をもたらすのではなく、天災から守護するための手段ということになってしまいます。
 結果としてはどちらも国益につながるのですが、後者を共存の主目的とするならば「変態飛翔生体を所有する国家は災いから守られる」など受動的な言い伝えられ方をするはずです。
 「真の任務」は、もうひとつ別のところにあると考えるべきでしょう。

 そのもうひとつの「真の任務」の在処としていかにもな立ち位置で登場した“巫女”。
 “巫女”という言葉はすでに別のところでも出てきていましたね。
 「そうですか。甘粕ひそねはOTFを『間租譚』と」
 「OTFの真名を呼ぶとは、やはり彼女こそが選ばれし巫女――」
(第2話)
 曽々田団司令がどこまで深く知っているのかはわかりません。もしかしたら彼は何か勘違いしていたのかもしれません。
 けれど、少なくとも今話で“巫女”≠Dパイであることは確実となりました。

 では、なぜ曽々田団司令はひそねのことを“巫女”と呼んだのでしょう。
 そこははっきりしています。ひそねがまそたんの真名を言い当てたからです。
 そういえばひそね以外のDパイはOTFのあだ名を自分で名付けたんでしたね。星野はノーマ。日登美はフトモモ。フォレストはオスカー。樋本はモンパルナス。・・・絹番のあけみだけは由来も真名もはっきりしていないので、もしかしたらこれは真名かもしれませんが。
 ともかく、真名で呼ばずともDパイにはなれるわけです。真名で呼ぶ=“巫女”であることと、Dパイであることはまた別の問題であるということですね。
 だとしたら、飯干式部官に“巫女”と呼ばれた6人の少女たちはまそたんたちの真名を知っているのでしょうか?
 でもまそたんの真名を記したレリーフは彼の体内にあり、そしてそれを読むことができるのは彼に飲み込んでもらえるDパイだけです。“巫女”ではないはずです。はて?

 もっとも、曽々田団司令の言う“巫女”と飯干式部官の言う“巫女”が別概念である可能性は十二分に考えられますけどね。
 なんにせよ、彼女たちの存在はひそねやまそたんたちにとってろくでもないものなんだろうなあ。
 だって、もし“巫女”が働きかける対象がミタツ様であったなら、飯干式部官はここまでDパイの訓練に口出しする理由を持たないはずですし。
 “巫女”がDパイやOTFと直接関係ないなら、それこそ縦割りで指揮系統をはっきり分断した方が効率がいいはずです。DパイはDパイだけでミタツ様を誘導すればいいですし、“巫女”も“巫女”の方で神楽なりを奉ずればいい。それぞれの独立した業務が結果としてひとつの大きな事業に収束していく。それが組織というものです。
 そうせずに飯干式部官が横断的に采配を揮っているということは、“巫女”の働きかける対象がDパイないしOTFだということになりますよね。縦割りってなにかと批判されがちですが、横断的にものを考える必要がない場面に限っては、指揮系統を明確にして部署毎の軋轢を最小にできる、基本にして効率的なシステムなんですから。それを使わないということは。
 ちょうど、祭祀中にDパイが一時的に意識を手放すという、おあつらえ向きのシチュエーションも出てきましたしね。うん。実に不穏ですね。

ひそねというメンドクサイ少女

 「眠ることができない。それは変態飛翔生体を信頼していないも同じこと! 彼らと心身一体となって飛ぶ! こんな素晴らしいことがなぜお前たちにはできない!」
 「まそたんにすべてを委ねて、まそたんだけを飛ばせて、自分だけグースカ寝るなんて、そんな卑怯なことできません!」

 この胡散臭さしか感じない状況下において、ひそねのこういう妙なところにこだわるメンドクサさは銀の弾丸になりえます。

 「つまり“白い恋人”とは、心に白を、空白を持つ少女のこと」
 「OTFはパイロットに求めるのです。身体の自由を手放す代わりに、精神の自由を差し出せと」
 「白い恋人である彼女たちの感情は、いかなるものであってもOTFによって温められ、孵化しなければならない」
(第5話)
 飯干式部官はDパイの心が空っぽであることを期待します。
 「彼らと心身一体となって飛ぶ! こんな素晴らしいことがなぜお前たちにはできない! この愚か者めが! パートナーにすべてを委ねられないのならば、今すぐ、跳び降りるがいい!」
 樋本臨時教官はOTFにすべてを委ねることこそがDパイとしての信頼だと語ります。

 「まそたんと出会えて、Dパイとしてがんばるという夢を持つことができたんです。私はまそたんとずっと、夢のなかを飛んでるんです!」
 「まそたんを信用していないわけじゃないんです! 自分だけズルしたくないから。だから、だから――」

 けれど、ひそねはまそたんを信頼しながら、それでも自分のために自分で努力したいと宣言するんですよね。
 彼女は「自分にしかできない何か」を探してここまで来ました。だから、彼女は自分でやるんです。自分でやらなければならないんです。それをやるためにこそ、彼女はまそたんの求めに応じたんですから。

 ひそねはまそたんのためだけに空を飛んでいるのではありません。
 まそたんの放熱のためだけにこれまで飛んでいたわけではありません。
 飯干式部官が何を企んでいようが。樋本臨時教官が何を真理として語ろうが。そんなの知ったこっちゃありません。
 ひそねはその飛行に自己効力感を得ていました。ぶっちゃけかなり危うくて、実の欠けた空虚な自信ではあるのですが、それでも彼女はそのおかげで少し強くなれたんです。前話なんて、なんと、初めてのお友達すらつくることができました。
 無人島のときはそれすらも手放しかけているように見えたのですが、どうやらギリギリのところで堅持できていたようですね。

 その思いはとても大切なものです。大切だと、私は思います。
 もしそれを忘れてしまったら、彼女はきっとまそたんの臓物の一部、あるいはまそたんに人類の意志を伝えるためだけのリモコンに成り果ててしまうでしょうから。
 ひそねをひそねたらしめているものは何でしょうか。私たちは何をもってひそねを見てひそねらしいと感じているのでしょうか。ひそねは何を根拠に自分はひそねであると認知していられるのでしょうか。
 その答えはきっとふわっとしているでしょうけれど、絶対に何かしらはあるはずです。無ければひそねとそれ以外を区別することができません。
 そういうものは、きっと、生涯捨ててはいけないものです。

 まそたんを信頼することは良いことです。自分以外に信頼できる誰かがいることは幸せなことです。
 けれど、それは「精神の自由を差し出すこと」「すべてを委ねること」ではないはずです。
 それは信頼ではなく、依存です。
 相手と混じって溶けて、その人がいなくなったら自分まで保てなくなってしまう、心の病です。
 誰かを信頼することと自分を保つことは矛盾しません。
 むしろ、自分を保っているからこそ、自分を信頼してくれる誰かを自分と区別して認識することができるんです。
 誰かに愛されていることを実感するって本当に幸せなことですよ。

 「流れ星はまぼろし」
 そういう結末はイヤだなぁ。
 ひそねは「自分にしかできない何か」を求めているからこそ魅力的なんです。まそたんと空を飛ぶことに自分の夢を見出しているから応援したくなるんです。
 彼女をかたちづくるその願いが、どうか幻として否定されませんように。

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