ひそねとまそたん 第9話感想 食べちゃいたいほどの愛なんてあるものか。

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ギャーーーーー!! ギャーーーーー!!

(主観的)あらすじ

 祭祀に向けた訓練は続きます。まあ、具体的な段取りをこなすことに関しては順調とは言いがたいのですが、それでもひそねは最近調子がいいことを実感します。日々まそたんとの仲が深まっているように感じられるのです。
 一方で、新たに巫女たちを迎えた基地内では人間関係に大きなうねりが生じつつありました。巫女たちはDパイと違って人間として真っ当で、華やかで、なにより恋愛に対してオープンでした。特に小此木空士長(大輔)のことが好きだと公言してはばからない棗はひそねと小此木の親密な関係に食ってかかり、その関係を友情のつもりでいたひそねに対し、それはむしろ恋心だろうと認識を転換させます。期せず自分が恋していることを自覚するひそね。ひどく混乱します。
 翌日。いつものようにひそねがまそたんに搭乗しようとしたところ、突如トラブルが発生します。ひそねと、それから星野が、それぞれのパートナーに飲み込まれ消化されかかったのです。幸いまそたんたちが吐き出してくれたので大事には至りませんでしたが・・・。
 飯干式部官ら事情を知るスタッフはこの事態を“吻合(ふんごう)”と呼びました。これは、Dパイが恋したから起きたことなのだと。

 おっと。前提として考えていたことが大きく崩れた。あー、いや、よく考えると土台が挿げ替わっても案外そのうえに立てていた予想は変わらないのかな? どっちにしろ危なっかしいのでもう一度考察しなおす必要はあるにしても。
 でもまあ、嫉妬で飲み込むことを拒否されるよりか、今話のような展開のほうがまそたんの愛情深さがずっと強く伝わってきて、愛おしく見えますね。何この子ら。聖人か。ひょっとして生臭みはないのか。
 そしてひそねよ。君はどうしてこういうことに限って素直に他人の言うことを真に受けるのか。棗がそんなに恋愛マスターにでも見えるのか。冷静に考えるとヤツは幼馴染みにひたすら一途な恋を貫いているだけのおぼこだぞ。私も直観的に「コイツにゃ勝てねえ」と思いましたけれども。

吻合

 「吻合」。ふんごう。
 語義としては「上下の唇がぴったり合う」という意味合い。
 そこから国語的には、物事がぴったり合うこと。一致すること。
 転じて医学用語的に、血管や神経などが連絡していること。ないし、別々の血管や神経などを外科的に連絡させること。この場合の“連絡”というのは、物理的につながっていて、血液なり神経情報なりを滞りなく流せる状態のことですね。

 「同調がうまくいってるんですね。となるとこの先は吻合に気をつけないと」
 要するにひそねと星野はまそたん(ノーマ)と同化しかけたわけですね。肉体的にも、たぶん、精神的にも。
 そしてそうなってしまうファクターこそが“恋愛”だったと。

 ということは・・・おいおい、まそたんってばどんだけ情熱的なのよ。「吻合」してしまうかどうかの最後の一線が“恋愛”だなんて。ひそねとまそたん、お互いの独立性を保つ両者の決定的な違いが“恋愛”だなんて。つまり、そういう話ですよね。
 まそたんさ、ひそねに向けている感情のいかほどを“恋愛”成分で占めちゃっているのよ。
 オイオイオイ。ヘイヘイヘイ。(?)

 「然り。恋は少女たちを盲目に、OTFへの依存を失わせる。それを防ぐためにはむしろ荒療治が必要なのです。恋を排除し、OTFへの愛だけを純化させる。そう。白い恋人を、黒く染める」(第7話)
 とはいえ、恋ではなく依存ならオーケーなんですよね。そこのところがまだビミョーによくわからないのですが。
 まそたん→ひそねの感情が“依存”ではないということなのでしょうか。
 たしかに依存しているふうではありませんしねえ。平時の訓練飛行の目的が放熱というOTF側の都合とはいえ、まそたん自身はそんなのどこ吹く風って感じで長年Dパイを選ばずにいましたし。ひそねがムッとしているのを尻目にフォレストとイチャイチャしてましたし。
 あのへんの態度が“依存”か“恋愛”かといったら、まあやっぱり恋愛よね。本当にそういう解釈で合っているのかどうかは知らないけど。

 「まそたんが、まそたんが『苦しい』って・・・」
 ところで、「吻合」しかけたまそたんやノーマは、ひそねたちを吐き出しているんですよね。自分から。
 第1話で使っていた吐剤は結構大げさな機材で注入していたように見えましたが、今話ではまそたんたちの近くにそれらしい機材はありません。吐瀉物を受け止めるためのコンテナがやっと届いたばかりです。どうやら映像から受ける印象そのまま、彼らが自らひそねたちを吐き出したと考えてよさそうです。
 つまり、まそたんとしても、ひそねと「吻合」するのは望むところではないんでしょうね。

 自分以外の誰かを好きになるのが恋愛です。
 自分自身を好きになるのはナルシシズム。自分とひとつになるものを好きになるのは、まあ、グルメですね。“恋愛”じゃあない。少なくとも私にはチンジャオロースーと情熱的に愛しあった経験なんてありません。
 だから。――だと思っていいんでしょうか。
 まそたんがひそねを吐き出してくれた理由に関しては。
 ひそねのことが好きだからこそ、ひそねと身も心もひとつになることは望まない。ひそねのことが好きだからこそ、ひそねにはひそねでいつづけてほしい。だってまそたんが好きになったのは、“ひそね”であって“まそたん”ではないのだから。

 だとすれば・・・ひそねがまたまそたんと一緒に空を飛べる可能性は残っているかな。
 お互いがお互いを信頼しあい、それでいてそれぞれの独立性を尊重しようとしているひそねとまそたんなら。

 ところで。
 「まそたんが、まそたんが『苦しい』って・・・」
 君、いつの間にまそたんの考えていることが聞こえるようになった?

恋愛

 棗がどうして(小此木空士長とイチャイチャする時間を削ってまで)ひそねの恋愛感情を焚きつけようとしてくるのか、考えるのは次の機会でもいいでしょう。
 たぶん「クサビメ(楔女? 楔目?)」のお役目に関係しているでしょうから。
 なんとなく、自分の死後も大好きな榛くんをひとりにしないために、みたいなろくでもないことを考えていそうです。

 「私、榛くんが好きです。すごく好きなんです。ずっと昔から。この気持ち見つけたときから。本当に。ずっと。ちゃんと」
 「だから許せないんです。あなた、私と同じマジレッサーだって言って、全然似てないじゃないですか。ウソばっかじゃないですか」
 「あなたもちゃんと『榛くんのことが好きだ』って言ってください!」
 「おんなじですよ。そういうのを“好き”っていうんです」

 たぶんこのへん本当に全部マジレス。本当に全部この子が望んでいること。
 この子なりに本気で「自分にしかできない何か」を為そうとしているように思えます。

 そっちはもう、ホント、自分のやりたいことを自分のために本気でやってるんだなあってのがわかるのでいいのですが。

 「そんな! そんな、今まで自分の心が落ち着かなかったのは、私が小此木さんのことを好きだったから!? ですが、考えれば考えるほど腑に落ちる感じ。ということは。やはり。私は。小此木さんを。私が。私なんかが。小此木さんのことをー!? ギャーーーーー!! ギャーーーーー!!」
 落ち着け。いや、落ち着かなくていいから冷静になってからふり返れ。まあそんな時間が与えられないまま翌日まそたんに恋愛認定食らっちゃったのでどうしようもないんですが。
 君、いつ心が落ち着かなかったよ? 落ち着きがないのは四六時中だけれども小此木空士長の前ではむしろ普段以上に気を置かないマイペースでいたでしょうが。
 君、この状態で自分がまともにものを考えられているとでも? 真っ赤に茹であがった頭で。他人の言うことをろくに咀嚼もせずまるっきり鵜呑みにしちゃってるその頭で。

 ひそねのなかに恋心らしきものがあったのはもちろんウソじゃないでしょうとも。そのあたりは棗の指摘したとおりだと思います。
 ですが、それは本当に全身茹であがって、叫んで、走るしかなくなるほどの、どうしようもない情熱的な気持ちのほとばしりだったでしょうか。
 小此木空士長の方ならまだしも、ひそねが彼にそこまで強く焦がれていたようには見えないんですよね。
 「私と小此木さんが・・・。なぜでしょうか。なんだかすごく、嬉しい。きっと求めていたんですね! 他人様から認められる、友の存在を!」
 実際、ひそねの感性は棗からすると幼稚なのでしょう。でも、ひそね自身が友情だと認識していて、友情のつもりでふるまっていたのなら、それは結局ひそねの主観としては友情で間違いないと思うのですが。

 (余談)
 そもそも友情と恋愛の違いなんて説明できます? 友情と恋愛の境目に線を引くことなんてできます?
 たとえば両親のことを好きな気持ちと、恋人のことを好きな気持ち、どちらも“愛”で“love”なんですよ。日本語でも英語でも。
 もちろん細かい感情はそれぞれ色々と異なるものですが、それは“両親”という属性だから、“恋人”という属性だから別々の気持ちになるのかっていうと、そうじゃないと思うんですよね。あくまで相手が“その人”だからこそ、その人に対して特別な感情が芽生えるものだと思うのですよ。
 (余談ココマデ)

 うだうだしょうもないことを書き連ねましたが、要するに、ひそねさんちょっと棗の言うことに引きずられすぎじゃない? と思うわけですよ。

 「どっちにしろ、あんなガキの言うこと気にしてんじゃねえよ」
 これよ。
 ひそねはもうちょっと自分を確立して、もっと自分の感覚を信じてみたらいいのにと、そう思うんですよ。
 「自分にしかできない何か」を探したいのなら、まずは自分というものを見つけないと。

 まそたんも、ひそねにそれを望んでくれているように見えますしね。

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