デリシャスパーティプリキュア 第15話感想 おいしいからこそ、分けあいたい。

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ひとりでもみんなとでも、まずは自分が楽しまないとね。

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「ドキドキ! ここね、初めてのピクニック!」

Lead Character:がんばったひと

ここね

Major Happening:大きなできごと

 クラスのみんなからお昼ごはんに誘われて大はりきりのここね。ばっちりお弁当を準備して臨むも、みんなを楽しませようと意識するあまり自分が楽しめないまま終わるションボリな結果に。そんなここねに運転手の轟さんから助言があり、久しぶりにひとりでごはんを味わうことで、食べることの楽しさを思い出した。

Sub Questions:小さなできごと

轟、孤独のグルメ

 忙しさのあまり食べることを疎かにしていた時期、盛りつけにもこだわるホットドッグ屋台と出会って食べることの楽しさに気付いたのだという。ひとりメシに行き着いた経緯は色々ここねと異なるが、ここで肝心なのは彼の言うように「自分自身が食べることを楽しめているかどうか」なのだろう。彼の言葉は、たとえ経緯が違っていてもここねの心によく響いた。

Battle Depiction:どんなバトルだったか

 ビームに吸い込み攻撃にとプリキュアを凌駕するパワーを誇るウバウゾーだったが、パワーというなら思いの強さで誰にも負けないのがプリキュア。決意を新たにしたここねを中心にもう一度敵に挑みかかり、正面から競り勝った。

I’m curious !:気になるポイント

ブラペ

 そもそも拓海が戦いに身を投じた経緯からして、ゆいに頼まれたからでも、彼がいなければゆいが危険だったというわけでもなかった。だから現状、ゆいがブラックペッパーを頼ることも感謝することもないし、ストーリーのなかで彼を活躍させる必要性自体もない。
 例えるなら「定例の地域ボランティアにときどき現れてはひとりで作業してひとりで帰るコミュ障お兄さん」くらいの立ち位置。ゆいのために戦っているんだということを当人に気付いてもらうまで、拓海の物語はゆいと交わらない。

友達の友達の前でマシンガントークとか恥ずかしいし

 露骨に次話の伏線。
 らんは「おいしいの独り占め、許さない」プリキュアだが、実のところ(ブンドル団以外)彼女の周囲にその共有を妨げているような存在はない。いつもひとりで食べ歩きしていることからもわかるように、“独り占め”が起きている原因はらん自身の性格にある。らん自身そういう自分の矛盾したところがわかっているからこそ、少しでも解消するべくキュアスタへの投稿を続けているのだろう。

 ものすごくどうでもいい話かもしれませんが、そういえば本場アメリカのホットドッグって、今話の屋台みたいにソーセージを焼くタイプが主流らしいんですよね。創業100年の老舗「Nathan’s Famous Hot Dogs」とか、ホットドッグ文化を広めることに大きく貢献したドジャースタジアムの「Dodger Dog」とかがそうであるように。
 日本だと茹でるタイプばっかり見かける感じですけどね。茹でのほうが作り置きでも品質を保ちやすくて合理的ですし。注文の都度調理するにしても茹でのほうが提供時間早いですし。

 実際、アメリカで最初にホットドッグを発明したドイツ系移民の屋台ではソーセージを茹でていたそうです。やはりソーセージを屋台売りするなら茹でが一番。なにせ、焼きだと皮が破れちゃって時間が経つごとにどんどん肉汁が流失してしまいますから。
 彼のお店は当初ソーセージのみを販売していたそうですが、茹でたてのソーセージをお客さんに手渡しても熱いので落ち着いて食べてもらえず、いかにして食べやすくするかが課題になっていたそうです。ホットドッグのパンはつまり、あくまで主役のソーセージを持ちやすくするために導入されたものだったんですね。

 源流は茹でだったはずが、時代を経てどういうわけか焼きが主流に。しかも販売シチュエーション自体は今でも屋台のまま変わっていないのに。
 ちゃんと研究したわけじゃないので確信を持っていえることではないんですが、おそらくはパンとソーセージを組み合わせた料理としての完成度を高めていった結果なんでしょう。
 屋台でソーセージを一番おいしく提供する方法としては、やはり茹でが合理的です。しかし、焼きで提供するのであれば、ソーセージと一緒にパンも鉄板で調理することができるんです。ホットドッグとしての完成度を高めるなら、もちろんソーセージだけでなくパンも温かいほうがおいしいでしょうとも。内側がカリッとトーストされることで食感もよくなる副次効果まであります。そう考えるとなるほど、ひとつの設備だけでソーセージとパン両方を調理できる焼きのほうがかえって合理的といえるようになるわけですね。
 余談ながら、日本だと屋台ではなく店舗で販売するぶん厨房面積を広く取れるので、ソーセージは茹でて、パンは蒸すか保温器に入れるかしてと、2つの設備で調理していることが多いです。

 パンをソーセージの持ち手と見るか、ソーセージとパン両方そろってひとつの料理と見るか。
 調理法ひとつ取っても、ごはんのおいしさにはつくり手の思想に基づいた工夫がいくつも隠れています。

 私のような独り身のオッサンオバサンは、ともするといわゆる“映え”を軽んじ、場合によっては小バカにしがちなところがありますが、あれだって受け取る側次第でちゃんと食事する幸せに寄与するもの。おいしく食べてもらうための立派な工夫のひとつです。

 「大切なのは、自分自身が食べることを楽しめているかどうかです。もし楽しみかたがわからなくなったときは、じっくりひとりで食べると、きっとお料理が教えてくれますよ」

 茹でだの焼きだのどうでもよさげなことに思いを馳せるかどうかも含め、ごはんを食べるということはつくづくつくる側と食べる側の共同作業です。つくる側の工夫だけでも、食べる側の工夫だけでも、ごはんをおいしくすることにはなかなかつながりません。裏を返せば、あなたがいずれの立場にあったとしても、料理に真剣に向きあえば向きあっただけ、新たな味わいを引き出すきっかけにつながっていくことでしょう。

行列のできるお食事会

 「明日は点検のため食堂の使用ができません。そこで、明日のお昼はランチを持ち寄って、みんなでピクニックしませんか? 一緒にランチ食べてクラス全体が仲よくなれるといいですね」

 まるでここねの内なる願望が具現化されたかのごとくあまりに理想的なシチュエーション。
 ぼっちやってた子が友達をつくるのにどこで苦労するかといったら、自分のキャラです。いきなりキャラを変えたら友達以前にヒかれちゃうかもしれない。気持ち悪がられるかもしれない。過去と現在と未来は常につながっていて、そう簡単に自分の黒歴史を捨て去ることができないもの。
 けれど、きっかけさえあれば。何かの理由で“しかたなく”キャラ変できる機会さえあれば。本当は友達がほしい系の内気っ子はだいたいみんなこういうシチュエーションを妄想しているものです。まあ、実際そういう機会が来ても大抵の子はここねほどハッスルできなくてまた難儀したりするのですが。

 「ここねちゃん大人気だね」
 「うんうん」
 「――私、明日は絶対楽しいランチにしたい!」

 ここできょとんとするゆいとらんはここねみたいなタイプの気持ちを正しく理解できていません。このくらいのチャンス、つくろうと思ったらいくらでもつくれるだろと思っている顔です。“自分以外の誰かが”“たまたま”“自分を巻きこんで”くれることこそが肝要だというのに。まあ、正直私もどっちかというとらんに近いタイプの子どもだったので、本当に理解できているかというとどうかな?って感じですが。
 これは千載一遇のチャンスなのです。高校入学を待つまでもなく高校デビューできちゃうんです。うん。そういう方向の連想している時点でやっぱり正確に理解できてないな。そっちは人間関係リセット願望だ。ここねは別に今のクラス環境に絶望しているわけじゃない。

 ともあれここねは奮い立ちました。必ずや友達100人つくってみせようと。そのためならどんな努力も惜しまないだろうと。これぞ我が人生の正念場、一丁目一番地。いかにても果すべし。尚死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし。

 「そ、それで。ポテトサラダのつくりかたのコツは茹でたジャガイモを熱いうちに潰すのがポイントで、ええと、あとは他の野菜をスライスして、それで、お塩をまぶして、それで・・・!」

 「好きなテレビ? テレビは、ええと。うううう・・・!」

 まあ、現実問題自分のキャラなんてそうそう簡単に変えられるものじゃないんですけどね。

 「はあ・・・。せっかくみんなと食べてるのに、どうして楽しくできないの?」

 ふと脳裏をよぎる妄想は、友達みんなでパンジー畑におでかけして楽しく踊る光景。

 パンジーというのはなかなか面白い花言葉を持っていまして、パンジー全般でいうと「私を思って」なんていうメッセージを託されているくせに、紫色に限るとこれが「あなたのことで頭がいっぱい」という真逆の言葉に変わるんです。パンジーで紫色なんて一番メジャーな色なのに。
 というのも、パンジーには古い時代、失恋の特効薬として使われていた経緯があるからなんですね。失恋、つまり一方通行の愛が前提にあると考えれば、「私を思って」「あなたのことで頭がいっぱい」がひとつの花に併存する意味がわかってきます。“私は”あなたのことで頭がいっぱい。本当は“あなたにも”私を思ってほしかったのに、なんてね。

 ここね、気負いすぎなんですよ。いつものことながら。相手のことばかり意識しているように見えて、実はあんまり見えていません。
 私にはみんな存外楽しそうに見えましたよ。ここねが何を話すかなんてのは問題じゃないんです。そもそも彼らは芙羽様芙羽様と以前からここねを慕っていた子たち。ここねとランチを一緒にできることそのものが彼らにとって最大の関心事であり、至上の満足感なんです。
 無理にキャラ変するまでもありません。むしろ彼らはありのままのここねとお喋りできることを望んでいたはず。そして、彼らの顔を見るかぎり、おそらくその望みは十全に果たされました。ある意味、ここねがキャラ変ヘタクソだったおかげです。

 ここねにしてみたら不本意かもしれませんけどね。これって完全にアイドルに会いにいく感覚ですから。ここねが望んでいる気を置かない友達関係とは実際ちょっと違います。
 まあ、そこらへんのすれ違いは追々ここねがもっとがんばるべき課題になっていくことでしょう。

分けあうおいしさ

 「いかがでしたか? 皆様とのランチ」
 「なんだかすごく疲れてしまって。・・・お腹空いた」

 不思議なこともあるものです。

 「私、ひとりが楽だった。静かなひとりの時間が好き。人と関わるのは面倒だし、すごく疲れるから。でも、あの子と一緒だと心の中で温かいものが、今まで知らなかった思いがどんどん膨らんでいく」(第4話)

 だって、ここねはゆいと出会って変わったはずで、その新しい自分のことを気に入っていたはずで、そう、だからこそ「分けあうおいしさ」のプリキュアに変身できたはずでした。
 プリキュアとは夢の前借りです。なりたい理想の自分を夢見て、超常的な力を借りて一時的に自己実現する行為です。彼女たちの理想がどこにあるのかは初めてプリキュアになったときの言葉を聞けばわかります。それから1年かけて、彼女たちは理想の自分に少しでも近づくため努力を重ねていくことになります。

 それは超常的な力を呼び起こすほどの強い願い。奇跡と呼んで差し支えない鮮烈な心のエネルギー。

 ここねは分けあうおいしさのプリキュアになったはずでした。それを目指していくはずでした。
 なのに、どうして今さら逆行してしまうのか。

 「ねえ。お弁当おいしかった?」
 「・・・楽しもうとばかり考えていたら、あんまり食べた気がしなくて」
 「ひょへー。それはしょんぼり」

 不思議。
 本当に不思議。

 「ステキなお店だね。よく来るの?」
 「うん。静かで穏やかな空気がいつも満ちてる。ここで過ごすひとりの時間が好きなの」
 「あ。じゃあうるさくしちゃったね。ごめんね」
 「・・・別に」
(第4話)

 あのときはひとりでゆっくり味わうよりも、友達になれたゆいと一緒に食べている時間・空間そのものに充実を感じていたはずでした。ごはんは笑顔。ごはんのおいしさとはただ口に含んだ食べものの味のみにあらず。だからこそ目指す、分けあうおいしさのプリキュア。
 だのに、友達と楽しい時間を共有することを意識していた自分が、ごはんをおいしく食べられなかったなんて。

 「『食べる門には福来たる』っていうし、まずはおいしく食べないと」
 「それをいうなら『食べる門』じゃなくて『笑う門』」
 「そうなの? でもおんなじだよ。『ごはんは笑顔』だもん」

 ゆいまで不思議なことを言ってきます。
 「食べる門」と「笑う門」が同じ? それってつまり、友達と一緒に楽しい時間を過ごすことがごはんのおいしさにつながるってことじゃないの? でも、現実にはいくら楽しく過ごそうとがんばっていても、ちっともおいしく感じられなかった。
 それでも同じだというの? 「食べる門」と「笑う門」が? どうして?

 まるで謎かけのようなその不思議を紐解く答えは、別の人物が教えてくれました。

“何を”分けあうの?

 「大切なのは、自分自身が食べることを楽しめているかどうかです。もし楽しみかたがわからなくなったときは、じっくりひとりで食べると、きっとお料理が教えてくれますよ」

 人生の先達が教えてくれた、きわめて明快なその答え。

 「そのときひとりで食べたホットドッグのおいしいことといったら! おかげで私は食べることの楽しさに気付いたんです」
 「私はランチを楽しむことができなかった。せっかくみんなで食べたのに」

 つまり、逆だったんです。
 ここねは「分けあうおいしさ」のプリキュア。おいしいごはんを友達と分けあえるからこそ、そのひとときは何にも勝る楽しさへと変わる。

 ここねはまず、ごはんをおいしく食べるべきでした。そうしたうえで、みんなとその幸福感を共有するべきでした。
 今日のランチ、みんなを楽しませようと一生懸命口を動かすここねの言葉は空虚でした。空っぽでした。毒にも薬にもならない、上滑りするばかりのつまらない言葉ばかり並べて、自分でもこんなの絶対つまらないとわかったうえで喋りつづけました。
 あのとき自分はみんなに何を分けられていただろう? 何を共有できていただろう? 何もない。ひとつだってあるものか。だから楽しくできなかったんだ。

 「轟さんの想い出を必ず取り戻す! 食事を楽しむ気持ちはいつだって大切なもの。その想い出を、消させたりしない!」

 ここねは「分けあうおいしさ」のプリキュアです。
 自分の手元に原資を持たず、いったい何を分けあうつもりだったのか。
 自分が楽しさを感じていないまま、いったい誰を楽しませられると思っていたのか。

 ごはんは笑顔。
 そう、「ごはんは笑顔」!
 みんなに分けあうべき幸福感は、おいしいごはんが運んでくれる。まずおいしいごはんがあって、おいしく食べる自分がいて、それからだ。
 それからであれば、芙羽ここね / キュアスパイシーは、みんなとおいしさを分けあえる!

 「ケチャップが甘酸っぱくて、ソーセージがパリッ。シャキシャキレタスにふわふわのパン。――うん! おいしい!」

 轟さんが連れてきてくれたホットドッグの屋台は公園のなかにあって、そこではみんな、誰かと一緒にホットドッグを頬張っていました。ひとりで食べているのなんてここねくらいのもの。

 「『勉強って、いろんなことを知って、いろんな想像ができるようになるためにするんだよ』って、お婆ちゃん言ってた」(第11話)

 いつか、ゆいがそんなことを言ったことがありました。

 ホットドッグのおいしさを味わった、今のここねにならわかります。
 ここにいる人たちが自分と同じおいしさを味わっているであろうこと。
 そして、自分が感じているのと同じ楽しさを共有しているであろうこと。
 今ならそう。ありありと想像することができます。

 「私を思って」、「あなたのことで頭がいっぱい」。なんだかワクワクしてくるような人恋しさ。
 改めて、ここねは友達と一緒においしいごはんを食べるひとときが大好きでした。

 「――みんな、楽しそう」

 実際ね、今日のランチが楽しくなかったのなんてここねだけだと思いますよ。
 ここねがつまらないと思っていたお喋り、みんなワクワクしながら一生懸命耳を傾けていて、自分たちと違ってここねが楽しめてなさそうと見ると慌てふためいて、それぞれここねと共有できたわずかな時間を名残惜しく思って――。「じゃあそろそろ踊ろうぜ!」とかいきなりムチャ振りされたのも一興。さすが芙羽様、常人にはない発想をしていらっしゃる。

 きっと、今日のランチは本当に、とても楽しいひとときでした。
 今はまだ、ここねにみんなと同じごはんのおいしさが共有できていなかっただけで。

 「大好きなサンドイッチを楽しめないなんて。私、みんなとのランチにちょっと張りきりすぎてたのかも。ひとりでもみんなとでも、まずは自分が楽しまないとね」

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    コメント

    1. ピンク より:

      握手会みたいな絵面のお昼ご飯www
      しかも喋りながらでは食べるタイミング分からなそうな気がするんですけど、みんな大丈夫だったんですかね(少なくともここねは全然大丈夫ではない)

      ソロもぐちゃんは、子供には少々敷居が高そうなお店が中心かなと思ってたら轟さんのアカウントだったという……なるほど。
      そのきっかけは屋台のホットドッグという意外性が面白く感じました。
      そうとは知らず勝手にムキになるここねも可愛かったです。お疲れ様でした。

      で、ブラぺですけど。
      現状のままだとマジで彼がまともに担える役割が『マリちゃんの深掘り要員』くらいなんですよね。
      いやまあ主役はプリキュアとはいえ、せっかくですしもうちょっと華々しい位置に来てもいいのではと思ったり。

      • 疲ぃ より:

         ホスト側が一切口をつけないでいるとゲストも食べられないから、ああいう場ではタイミング読んで1組ごとに最低1口は食べなさいって誰だったか言ってた!(私の人生にあんなシーンあったっけ・・・? 指導された記憶だけあるけど・・・)
         ひとつ確実に言えることは、あの握手会方式が自然と受け入れられている時点で芙羽様信仰はまだまだ根深いってことですね。変なことやらず普通に輪になって座ろうよ!

         ブラペさんはまあ、あそこまでわざわざ参戦した意味ある?感バリバリなキャラにしてあるってことは、そのうち成長イベントが入るってことでしょうね。私はあんまり心配してません。
         どうせいつかは本気でカッコいい見せ場の1つや2つ出てくるでしょうから、今はしばしあの甘酸っぱい空回りっぷりを愛でましょう。

    2. 亀ちゃん より:

      今日は芙羽 ここねが初めてのピクニックでした
      和実 ゆい達が翌日の弁当を作る際、その和実 ゆいが「何、何」と聞き求めたのはシックリ着ました!!☆☆♬
      プリキュア的にも小学生までの女の子向けのアニメ的にも感慨深く、さらに女児向けプリキュア的にも感慨深さが続きました!!☆☆♬
      それからデリシャスパーティプリキュアの第1話から登場するレディの敵幹部が「今さら」と言い放ったこともシックリ着ました!!☆☆♬
      チャンピオンの漫画では「今さら」と言った方が的確な場面でも「今頃」というので、チャンピオンの漫画にも是非交えて欲しいセリフの一角が「今さら」ですね!!
      そしてナルシストルーの「虫唾が走る」というセリフはデリシャスパーティプリキュア史上2回目につかわれたセリフで、イースもフレッシュプリキュアの第2話ではせつなの時に「私は笑顔が嫌い。ムシズが走る」と言い放つので、女児向けプリキュア的に感慨深さがまた続きました!!☆☆♬
      で、今回は久しぶりにいとこのお姉さんの次女に対して
      きょうのプリキュアのほんぺんはおたがいさいごまでみてよかったね
      と言える内容で、私個人としても素直にうれしいです!!☆☆♬
      二重の喜びでもあります!!☆☆♬
      しかし次回のプリキュアはらんらん自身は変だよね
      とせっかくプリキュア本編が良い感じに終わったのに、次回のプリキュアは視聴意欲が失せた女の子も多いでしょうね!!(汗)
      それでもどうカバーしていくかに注目度が集まるプリキュアとも言えるでしょう

      >で、今回プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
      イオンモール岡山限定の銀だこのチーズベーコンたこ焼きは6個入りも出来ますし、チーズが普通にシックリ来る味わいだったのが収穫でした!!☆☆♬
      だからこれからもイオンモール岡山限定のチーズを盛った銀だこのたこ焼きは未来永劫チーズがシックリ着てなおかつ旨味も2回目から感じるようになるとなおさらうれしいです!!☆☆♬

      • 亀ちゃん より:

        昨日のデリシャスパーティプリキュアの感想を書き終わった後に気づいたことなんですが、やっぱり昨日のプリキュアの感想で書き込み忘れていたことがあるので改めて書き込みます
        それは芙羽 ここねがパムパムに「どうしてここに?」と聞き求めたことなのです!!☆☆♬
        フレッシュプリキュアの第9話では戦闘時キュアベリーがアローンプリキュアキックで、桜木型のナケメーケからピーチ&パインを呪縛から解き放つと、「どうしてここに?」と聞き求めます
        だから女児向けプリキュア的に感慨深かったです!!☆☆♬
        もちろんシックリ着たセリフとも言えます!!
        で、昨日はいとこのお姉さんの次女に
        2,3こシックリきたセリフがあったよ
        と感想をLINEしましたが、実際には4つシックリ着たセリフがあったと言えますね!!☆☆♬

        >で、またしてもプリキュアとは完全に無関係な雑談をするけど
        2週間前の土曜はほぼ5か月ぶりにMOVIX(倉敷)でからかい上手の高木さんを観ることに成功しました!!☆☆♬
        映画館では映画を観て大勢の中でたった1人=自分だけが泣いても、それは青春なんだと私個人としては初めて感じ取ることが出来ました!!☆☆♬
        映画館で映画を観ながら泣くことはその涙がプラチナになることもついでにわかりました!!☆☆♬

      • 疲ぃ より:

         いいじゃんねえ、「ブンドル、ブンドルー!」。ああいうのはダサくてナンボでしょうに。
         私は好きですよ。なんというか牛乳とか搾れそうで。マジでやったら牛に蹴られるでしょうが。

         そういえば虫唾が走るの「虫唾」って何だろうと思って調べてみたんですが、普通に胃液のことみたいですね。喉を上ってきて口のなかを酸っぱくするやつ。どうやら昔は寄生虫の分泌液だと思われていたらしいです。だから“虫酢”。なにそれ、イヤすぎる。

         ちなみに、小さいお子さん向けにひらがな文を書くときは(幼児の語彙の範囲で)できるだけ熟語を使わず、訓読み漢字+送り仮名の表現を選ぶようにすると読みやすくなります。声に出して読みたい日本語にするのが理想。

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