多田くんは恋をしない 第11話感想 多田くんは後悔しない。

だから――心のなかから、全部締め出したんだ。

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(主観的)あらすじ

 テレサがいなくなりました。学校に来なくなって、部屋も片付けられて、手紙ひとつくれなくて。だから、テレサはいなくなりました。
 多田はテレサとの想い出の品を押し入れにしまい込みました。応募するつもりでいた写真をどこかになくしてしまいました。移ってしまっていた口癖を噛みつぶしました。けれど、ふとしたときに心に蘇るのです。気がつくと彼女の面影を探してばかりいるのです。――だから、多田は今度こそ想い出の品を全部処分してしまうことにしました。
 それでも、想い出は消えませんでした。部室にテレサの忘れ物。なくしたはずの『いつも心は虹色に』。胸にあふれてくるどうしようもない気持ち。忘れてしまおうとするたびに、捨ててしまおうとするたびに、後悔ばかりが次々に蘇ってくるのです。
 多田はラルセンブルクへ旅立ちます。もう一度だけテレサに会うために。後悔に背中を押されて。

 作品名『いつも心は虹色に』。よくもこんな写真が優秀賞を取れたものです。
 多田が応募するつもりでいたこのコンクールのテーマは“星”でした。対して、多田の写真に写っているものは金髪碧眼の少女です。背景は朝焼け。おまけに表題は『虹』ときた。ロックすぎやしませんか。
 審査員たちもよくもまあこんな写真を優秀賞に選定したものですよ。彼らにコンクールの名を背負っている自覚はないのでしょうか。“星”というテーマに真摯に取り組んだ他の応募者たちに申し訳ないとは思わないのでしょうか。こんなそれらしくない写真を選んでしまって。
 多田も多田です。いったい何のつもりでこんな作品を応募しようと思ったんでしょう。写真に対してあんなにも真摯だった多田が。こんなのいつもの多田らしくありません。
 ねえ。そう思いませんか?

愛別離苦

 「とても大切な人を泣かせてしまいました。本当に悲しくて、申し訳なくて。あのときに戻れるなら戻りたい」
 「戻れたらいいけど、戻れないからな――」
(第8話)
 過去に戻ることはできません。私たちの時間は過去から現在、現在から未来に向かって、常に一方通行に流れています。過ぎ去ってしまった過去に私たちの手は届きません。なのにそのくせ、苦い記憶というヤツはいつまでたっても私たちの胸をチクチクと刺してきやがる。

 どうすればこの胸の痛みから解放されるのでしょうか。
 「なんで年末だからって掃除するんスかねえ」
 「新しい年をさっぱりした清い心で迎えるためだろ」

 簡単なことです。捨ててしまえばいい。
 自分を苦しめるばかりのものなんて残しておくだけムダ。

 テレサがいたころの毎日は楽しいものでした。賑やかで、明るくて、素晴らしい日々でした。
 けれど彼女はもういません。戻ってくる見込みもありません。
 そして、彼女がやって来る前の毎日だって、別に楽しくないわけではありませんでした。
 爺っちゃんがいて、ゆいがいて、ニャンコビッグがいて、伊集院がいて、ピン先輩や委員長や山下犬もいて。
 多田の毎日は元々賑やかすぎるくらいに賑やかなものでした。
 テレサはほんの数ヶ月だけ、元々賑やかだった日々をもう少しだけかき回していっただけにすぎません。
 彼女がいなくなったって、ただ元に戻るだけ。たったそれだけのことです。

 「まあ、いわゆる断捨離っスか? 要らないものは捨てて次へ進む、みたいな」
 「そうそう。古くなったものは捨てて忘れて、さっぱりすっきり次へ進めってこと」

 だったら、捨ててしまえばいい。
 もう自分を幸せな気持ちにしてくれない想い出に、逆に自分を傷つけようとする記憶に、後生大事に取っておく価値などあるものか。
 どうせ過去に戻ることなんてできないんです。
 だったら、テレサは、もう二度と、多田を幸せな気持ちにはしてくれません。
 「もう会わない人間の話をしても仕方ないだろ」

 「お前、最近あまり写真撮ってないよな。・・・なんで?」
 思えばたいがいムダなことに情熱を注いでいたのかもしれません。
 どんなに楽しい想い出を切り取ったって、あの日に戻ることはできません。
 どんなに美しい風景を切り取ったって、同じ景色を再び眺めることはできません。
 なのに、過去を切り取って、ファインダーに収めて、パソコンの小さなストレージに大切に詰めこんで。
 写真なんてものにいったい何の意味があるのでしょう。
 いくら懐かしんでも、どうせ過去に戻ることなんてできないのに。

 「新しい人が引っ越してきたみたい」
 「もう!?」
 「どんどん変わってくね・・・」
 「仕方ない」

 そうだけど。

一切皆苦

 「やっぱり7巻が無いんだよなあ。お兄ちゃん知らない?」
 「たしかアレクが読んでた気がするなー・・・なんて」

 「何やってるんだ、ニャンコビッグ」
 「それってれいん坊将軍の? なんだよ、使わないの?」

 「どうしたんスか、多田先輩」
 「コンクールの写真? ないの?」

 「お。相変わらずこのマネキン、テレサちゃんそっくりだよな。懐かしいな。アレクも元気かな。なあ、光良」

 「そういえば、光良くん。テレサちゃんは元気? れいん坊将軍のチケットを渡したんだけど、行ったのかしら・・・」

 「これも消すか。もう要らないだろ」

 「なんだろ、これ――」

 過去には戻れません。
 そうだけど。
 彼女のことを忘れようとするたび、かえって彼女との想い出が胸をかすめるのです。
 想い出の品を捨てようとするたび、次々と彼女の残した面影が新しく見つかってしまうのです。

 「――これ、どうするんですか? 映ってます? すごい!」
 「って、逃げないと! オニ来てるっス!」
 「逃げるぞ!」
 「姉さん、待ってー!」
 「カメラは死守したー!」
 「違うの! これは突発的に起こったことで、いや別にそういうのじゃないから!」
 「あれ? 撮れません・・・」
 「どれ。ムービーになってるんだ。スイッチを押して、モードを切り替えて」

 それも当然です。
 テレサという存在は多田の日常に当たり前に溶け込んでいました。
 彼女の残していったムービーに映っていたものは、彼女の二言三言と、あとは全部多田たちの狂騒。せっかくのムービーなのに彼女はほとんど映っていませんでした。けれど、それでみんな彼女のことを懐かしみます。彼女の姿ではなく、彼女と一緒に過ごした自分たちの姿を見つめて。
 テレサと過ごした数ヶ月のあいだ、多田のいつもの日常は、その全部がテレサと過ごした輝かしい日々でもありました。

 どれほど忘れようとしても忘れられないわけです。
 どれほど捨てようとしても捨てきれないわけです。
 テレサという存在は多田のここ数ヵ月間の、全部でした。

 美しすぎた人よ。

 多田は後悔します。
 想い出を捨てようとしたこと。彼女を忘れようとしたこと。それから、彼女を見失ってしまったことを。

苦諦

 どうしてでしょう。意味もなく足を運んでしまったんです。
 あんなに苦手だったスタータワーの展望台に。
 今はそこに彼女はいないのに。今はそこに彼女と見た虹は架かっていないのに。

 「とても大切な人を泣かせてしまいました。本当に悲しくて、申し訳なくて。あのときに戻れるなら戻りたい」
 「戻れたらいいけど、戻れないからな――」
(第8話)

 それでも、あの日と同じ色をした空だけは見ることができたんです。

 「ポックリ逝っちゃうかと思ったけどね。ここのコーヒーが飲みたくて戻ってきたよ。――それと、君に言っておきたかったことがあってね」
 「まあ。なんですか」
 「今までずっと一緒にいられて良かった。そう伝えたことがなかったから、生きてる内にきちんと伝えたくてねえ。これからも、よろしく」

 それでも、あの日と同じ色の空を見られて、無性に心乱された自分がいたんです。

 「――一度後悔したことは、二度と繰り返さないようにすればいいんじゃないかな。それが、後悔した意味なんだと思う」(第8話)

 その後悔には意味があったのだから。
 だから捨てようとしても捨てられなかったんです。
 だから忘れようとしても忘れられなかったんです。
 彼女と出会い、過ごした数ヶ月は、決してムダじゃなかったんです。

 「きっと、その日から多田くんは強くなろうと思って生きてきたんでしょうね」(第5話)
 その後悔は、多田をまた強くしてくれるはずなのだから。

 『いつも心は虹色に』
 “星”がテーマであるはずのコンクールに出品されたこの写真は、これまでの多田の作品とははっきりと違っていました。

 まず、人物を写したものでした。多田が普段撮る写真はいつも色彩のコントラストを生かした遠景ばかりでした。(ニャンコビッグは除く)
 それから、見せたいものがひどく曖昧でした。いつもの多田の写真は構図に凝っていて、その写真一番の見どころに自然に視線を誘導させられるようにできていました。
 そしてなにより、テーマの取り方です。多田の写真は美しさを切り取るばかりで、そこに多田個人の感情は特に込められていませんでした。なのに、今回の作品は見ていてはっとさせられます。作品の中核である被写体の瞳に撮影者が何を感じ取ったのか、はっきりと共感することができます。

 『いつも心は虹色に』という表題が示すものは西洋人の少女の瞳。透き通った碧眼に鮮やかな朝焼けの色が映ってグラデーションがかっています。表題と相まって、嬉しそうに笑っているこの子は、きっとこの瞳の色のように豊かな心を持っているんだろうな、と想像させます。
 それから、きっと誰もが彼女の見つめているものについて思いをはせるでしょう。具体的に何を見ているのかはもちろんわかります。日の出でしょう。けれどその日の出に、この魅力的な瞳をした少女はいったいどんな思いを託して見つめているのか。
 輝く瞳と晴れやかな表情が、なんだか見ている私たちまでウキウキさせてくれます。なるほど、この子は希望を見ているんだなと思わせます。というのも、私たちがこの子の瞳に希望の光を見るからです。
 きっと撮影者も今私たちが感じているものと同じものを見たのでしょう。彼女に明るい未来に臨んでほしいと願ったんでしょう。この少女を写すにあたって特にこの表情を選び取った、撮影者の彼女への思いの深さが窺えます。

 だから、撮影者はこの作品のテーマを“星”だと言い張るのでしょう。日の出を見つめる少女、彼女の瞳に映っているものこそが希望の星なのだと。進むべき未来を指し示す標なのだと。
 そして、一方で撮影者にとっては彼女こそが輝ける星でもあるのだと。

 『いつも心は虹色に』
 美しすぎた人よ。星の光はあなたの心にこそある。

 ・・・ちょっと大仰ぎみに評するなら、こんな感じでしょうか。
 よくもまあこんなひねくれた写真を優秀賞に選定してくれたものです。よっぽど芸術家肌な審査員にでも当たったのでしょうか。多田とテレサの思いを見てきた私たちならまだしも、何も知らない他の応募者や観客たちには読解しがたいこともままあるでしょうに。あえてこれを選んだ審査員はなかなかの勇者ですね。

 「どんなときも、どこにいても、道に迷ったときは星の光が導いてくれる」(第6話)
 多田は、テレサの輝く瞳に北極星の光を見出したんですね。
 「多田くんのご両親が事故に遭われたのは多田くんのせいじゃないと思います。絶対、違います」
 「だけど、素直に気持ちを伝えられなかったと多田くんが後悔しているのなら――」
 「これからはきちんと伝えるようにする。それでいいんじゃないですか」
(第10話)
 彼女は多田のために強く生きる道を示してくれたのだから。

 多田はもう一度テレサに会わなければなりません。
 後悔した意味を果たすために。
 北極星の導きを授かるために。
 これからの道行きを強く生きるために。

 そして、テレサのためにも。
 彼女だって多田のせいで後悔してるし、多田に希望を見出しもしたんですよ。
 合わせ鏡の似たもの同士として、ちゃんと責任を取ってきなさい。

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