アルドンソーセージか。うまそうだな。でもトンガラシソースってのがなあ・・・。ん? ふわクリームスキートシロップ和え? いいじゃないか! おお、チョコットソースも選べるのか! こいつは悩ましい!
迷える乙女 タイオン
第6話 選択
Lead Character:がんばったひと
人
Major Happening:大きなできごと
よりみちだーいすき
書きたいことが多すぎてブログの更新が全然終わらなかった第6話冒頭までのイベントをようやく越えたのも束の間、次から次に発生するヒーローイベントの数々が再びプレイヤーを足踏みさせる。仕事がちょっと忙しかったのも合わさって、まさかあそこから1週間近く女王への謁見を我慢することになるとは・・・。いや、本当に。
Sub Questions:小さなできごと
コロニーオメガの解放(ミオ覚醒)
エムの記憶によると、ミオにとって因縁の地であるコロニーオメガが再興しているらしい。しかもそこには死んだはずのミヤビの姿まで。
コロニーオメガの正体はメビウス・ワイの実験施設。人の命の新たな輝かせかたを模索していた。今になって再興したのは、研究成果のひとつとして、残り寿命1年の姿で兵士を再生させる輝煌の火時計の試験運用をしていたためだった。
(※ なお、カムナビとムンバが10期なのに対してミヤビとハクトが9期と、再生年齢には若干のバラツキがある)
想い出よ、届け
ミヤビは一度死んで再生されたため記憶がリセットされていたが、彼女から思いを受け継いだミオが奏でるおくりびとの旋律と、世界の理を斬り裂くことができる終の剣とが共鳴したことにより、本来戻るはずのない記憶が再び吹きこまれた。
それにしてもノアは間接キスを意識するとどうしてああも空気が読めなくなるのだろう。
×好敵手→○親子
いくつかの偶然が重なった結果、エセルとカムナビは再び出会うことになった。死ぬ瞬間まで喜んで殺しあっていた過去生とはずいぶん違った関係性を築いているが、あれは殺しあうことを大前提として人格形成されていった結果だろうか。昔も今も変わらないのは、お互い共に己が身の全てを尽くしたいという思い。
ランツ覚醒
シティーには多様な価値観、多様な人生が存在している。それに比べてケヴェスはやることがはっきりしていたぶん楽だったと、ランツは述懐する。
あるとき、ランツたちは争闘の火時計という特殊な火時計を擁するケヴェスのエリート部隊に遭遇した。この火時計は部隊のなかでたったひとりにだけ恩恵をもたらすため、彼らは上昇志向という単一の価値観に盲目的になっていた。仲間を蹴落とすことにすら疑問を覚えなくなっていた。
彼らの薄く脆い生きかたを見て、ランツは改めて多様な選択肢を持てることの幸せを実感するのだった。
マシロ覚醒
仲間の死が前に進む力になるとも、重荷になるともいわれていたマシロ。どちらもそのとおりで、イチカを失って以降リーダーシップを発揮しようともがいていたが、今にも折れてしまいそうだった。
マシロはイチカの死の真実をコロニーミューの仲間たちに打ち明けることにした。マシロ自身彼女がどうしてあんなことをしたのか未だ理解しきれていない。彼女なりに仲間を思っていたのであろうことくらいしか知れていない。そんな曖昧な真実ではあったが、仲間たちは自分なりに受け止めようとしてくれ、結果、ひとりひとりに自律性が芽生えた。
マナナ覚醒
“伝説の料理人”に弟子入りしようとするマナナだったが、実際のところそう呼ばれていたノポンは鍛冶屋であり、料理は製作した調理器具の試験にやる程度のド素人だった。ただし、そのぶん道具についての見識は一流で、彼にしか指摘できないマナナの欠点があったことも確か。予想もしていなかったかたちでマナナはまたひとつ料理の腕を上げたのだった。
ユズリハ覚醒
自然主義を撤回し、主体的に生きる道を模索してきたユズリハとコロニータウは活気を取り戻しつつあった。
そこに久方ぶりに現れる執政官ユー。彼女はこれまでコロニータウが常にギリギリの状況で命をつないでいくよう環境調整していたという。自然主義に目覚めて死を恐れなくなったことに落胆していたが、最近生きたいという意志が復活したため収穫しに来たのだと。
彼女を撃破し、ユズリハたちは自ら選んだ道を進みつづける。
ゼオン覚醒
農業こそがこれからのコロニー9を生かす道だと信じるゼオンだったが、その道程には課題が山積みだった。ゼオンの方針に懐疑的だった副長を説き伏せ、コロニータウに技術支援を要請し、ひとつひとつ障害を乗り越えていくにつれて、次第にコロニー内にも彼を支持する声が増えていく。初めての収穫に成功したときには食糧問題以外の諸課題までまとめて解消していたのだった。
シドウ覚醒
かつて蛮勇の軍務長として人の命を軽んじた戦いに明け暮れていたシドウだったが、現在はコロニーガンマの教導官として後進に平和を勝ち取るための哲学を教えている。
とはいえシドウに仲間を殺された者は当然今も憎んでいて、そのうちの1人が復讐を果たそうと部下のキリエを人質に取った。だがキリエに諭され、さらにシドウ自身にも誠意をもって相対されたことにより、彼は清々しい顔で死んでいった。
「兵士の究極の使命は敬意をもって禍根を断つこと」 シドウが生きかたを変えたことは、世界全体にとっても良い影響を及ぼしつつある。
イスルギ覚醒
目の下のでっけえ隈がチャームポイントのイスルギは、たまの休暇を利用して、癒やし効果があるというオンセンなるものを探してみることにした。秘境に見つけたそれは噂に違わぬ極上癒やし空間。だが、湯に疲労を溶かしこんだ次の瞬間思い浮かぶのは、コロニーラムダの部下たちの顔だった。
彼らのために自ら激務に邁進するのは、イスルギの性分を越えてもはや生きがいと呼んで差し支えないだろう。隈は取れそうにない。
タイオン覚醒
タイオンの恩人・ナミの故郷である隠れ里がメビウスに狙われていると聞いて急行すると、そこでは死んだはずのナミが再生されていた。彼女は今生でも外の世界に憧れを抱く。タイオンのような人を育んだ世界ならきっとステキなところに違いないから、と。
タイオンは自分の戦いをナミに見届けさせたあと、彼女に隠れ里を守ってほしいと願い出る。こここそがいつか自分が帰りたい場所だから、と。同じくナミを愛していたイスルギにもここを訪れてほしいと願いつつ。
ルディ覚醒
明らかに不向きなのに執政官の趣味で軍務長に任命されたという異色の経歴をもつルディは、あるときコロニー外のいくつかの場所で、見慣れない原生生物と植物を見つけた。彼らはインヴィディア山脈がアナイアレイターで削られた際に山から下りてきたり、その下りてきた原生生物に追い立てられてさらに別の地方へ移動したりと、従来の生態系を越えて生活圏を変えた者たちだった。
彼らのどんな逆境でも生きぬこうとする姿にシンパシーを感じたルディは、これからもマイペースに好きなことをして暮らしたり、ときどき過労でぶっ倒れる副長を手伝ってあげたりすることにした。
ニイナ覚醒
徹底した合理主義者であるニイナは、かつてコロニーイオタを守るために当時の軍務長を暗殺して成り変わった過去を持つ。余裕たっぷりの表情の裏にはいつも冷徹な自分への嫌悪があった。自分は信頼に値しない軍務長だと思っていた。
だが、ひとたび自己嫌悪を剥がして周りを見渡してみると、そこには自分を心から慕ってくれる仲間たちの顔があるのだった。
コロニー0の解放
個人兵装単位で特殊な火時計が配備されていた非正規部隊・コロニー0は兵士たちの命を使い潰すことで少数精鋭を実現していた。その性質上、兵士たちはみな幼く執政官に従順。特に弱冠3期のナギリ軍務長などは感情表現すら未発達のままだった。
けれどそれは何の感情も抱かないという意味ではなく。非情な執政官のせいで大切な友人を目の前で亡くしたナギリは、言語化不能な衝動に突き動かされて彼を背撃する。自分自身の思いのかたちすら未だよくわかっていない彼女たちだが、自ら第一歩を踏み出した以上、これからは自らの意志で自己決定できるようになっていかなければならない。
究極の悪趣味
「よい輝きでしょう。我々メビウスは長きにわたってこの世界とともに存在してきました。しかし、長すぎるがゆえ多くはその存在の意味を失い、世界とともにゆっくりと疲弊している。――命の輝きが必要なのです。今以上の輝きが。この世界を救うために」
まあどうせそんなことだろうとは思っていましたが、メビウスの言っている“命”が何なのかはっきりしましたね。
要するに、彼らは退屈しているわけです。
生きることに。
娯楽を必要としているんです。
生きるために。
生きることに楽しみを見出せない人は生きているといえるでしょうか?
生きているにも関わらず何も楽しいことがないというのなら、むしろその人は何のために生きているのでしょうか? あるいは、誰のために?
どちらでも構いません。
何か生きる目的がある人は、それだけで毎日が充実していることでしょう。
誰かのために生涯を捧げられる人もまた、ただそういう人がいるだけでこのうえなく幸せでしょう。
それが人生を楽しむということです。
別に高尚なお話をしているわけじゃありませんよ。
毎日仕事から帰ってからゲームで遊ぶのが「楽しみ」。毎週末じっくり半日かけてアニメを観るのが「楽しみ」。月末にあるバーチャルYouTuberの音楽ライブが「楽しみ」。それだって生きる楽しみです。生き甲斐と言い換えてもいい。
一般にくだらないといわれがちなものに情熱を注ぐオタクだからこそ、なおのこと得心します。
「興奮しませんでしたか? あの命のやりとり!」
メビウスのいう“命”とは“娯楽”。
人の生き死にを見て楽しむこと、それ自体が目的だった。
つまり、私たちと同じですね。
これまでノアたちの命がけの戦いを追いかけてきた、見守ってきた、ゲームしてきた、私たちとまったく同じ。
他人の人生を娯楽として消費していただけだったんですね。
そりゃあ・・・、罪悪感も何も感じないわな。
私も感じていませんもん。ノアたちの人生を私の気分で操作すること。
「そして気付いたのです。灯火も人も、その最後に最も強く輝き、きらめきを放つ。これこそが我らの最高の糧なのだと。そう。私の最高傑作ともいえるのがこの火時計。命が最も輝く最後の1年、刹那を生み出す究極の火時計、輝煌の火時計なのですよ」
半ば余談ですが、一昔前のネットのネタで人生こそが究極の神ゲーだというものがありました。
究極のグラフィック。究極の没入感。究極の自由度。究極のやりこみ要素。これが流行らないのはいったいどういうわけだ?と。
ある意味ではその答えが輝煌の火時計です。
要するに、凡庸な人生には密度が足りないんです。ストーリー進行がちんたらしすぎてて感動できない。何をやるにも時間がかかりすぎ。あくびが出る。退屈だ。2時間で起承転結をまとめてくれる映画のありがたみが身に染みる。
それが神ゲー『人生』の致命的欠陥。
だから私たちは娯楽を求めるんですよ。自分の人生とは別に。ワイが言わんとしていることもわかろうというものです。
「幻想です。そもそも記憶や感情とは、本能に後付けされた情報にすぎない。あなたがたはその単なる情報に意味を見出したくてごまかしているだけです」
ただ。
こちらの発言はまったく共感できませんね。
物語とは人間模様です。
特殊な事件が起こるから物語が生まれるのではありません。それに巻きこまれた人間たちがいろいろなことを思うから、面白い物語が生まれるんです。
アイオニオンは緩やかに滅びを迎えつつある世界です。毎日戦争が起きています。人々の寿命は10年です。
だからどうした。
そんなもの私にはまったく関係ないことです。私はこれがフィクションだと知っています。想像上の世界がいくつ滅びようが、何人が死のうが、私の人生には1mmたりとも影響を及ぼしません。
私が感動するのはそっちじゃないです。
私はこれまでずっと、ノアたちと一緒に泣いて、笑って、怒って、喜んで、いくつもの感動をともにしてきました。彼らの濃密な体験に少しでも近しく触れてみたくて、一生懸命想像力をはたらかせてきました。彼らの立場になって、たくさん思いを巡らせてきました。
それが楽しいんでしょうが!
私に感動をもたらしてきたのはいつだってノアたちです。アイオニオンで必死に生きる人々の営みです。世界の理では、まして火時計ごときではありません。絶対に。
そこらへん基本中の基本をわかっていないクリエイター気取りが素人仕事でナメたテコ入れしようっていうんじゃ、そりゃあ駄作しか生まれないわな。
ケヴェスとアグヌスの兵士たちの寿命は10年です。この時点で充分短い。事実、私はノアたちの生き様を追体験するだけで思いっきり感動できています。
だというのにワイはこの寿命をさらに1/10まで圧縮しようとしています。
もう、この事実だけでいかにメビウスが追い詰められているか察せられますね。長く生きすぎた彼らはもはやケヴェスとアグヌスの戦争にすら飽きつつあるわけです。だから従前より物語の密度を高めようとしているんです。物語の楽しみかたすらろくに心得ていないくせに。
そのやりかただと行きつく先はファスト映画ですかね? 大丈夫? あれ、楽しめる? あれを本当に面白いと思って観ている人の話あんまり聞かないけど。
「ワイ。おくりびとの調べは単なる音符の羅列じゃない。それは奏でる者と奏でられる者との思いがかたちになったもの。私はミヤビから受け継いだ思いをかたちにして、ただ、語りかけただけ」
第6話では多くの人々にとっての転換点と、それゆえ苦悩する姿、そして進むべき道を自ら選び取る勇姿が描かれました。
八方塞がりな状況に身を置いてなお諦めることができなかったシャナイア。
愛する人の未来を蘇らせるため自らの命をなげうつことも厭わなかったエム。
この世の何よりも大切に思っていた人とともにあろうと進むべき道を誤ったエヌ。
ミヤビから受け継いだ思いを返したミオ。
ミオが受け継ぎ高めた思いを受け取ったミヤビ。
変わらない思いが新たな関係を築いたエセルとカムナビ。
多様な選択肢を得た幸福を噛みしめるランツ。
曖昧な真実を拠りどころに立ち上がったマシロ。
意外な方向から意外なアドバイスを得たマナナ。
これまでの生きかたを完全に脱ぎ捨てたユズリハ。
一本気な努力の果てに成功を勝ち取ったゼオン。
生きかたを変えた成果が芽吹きはじめたシドウ。
身近な生きがいを改めて噛みしめたイスルギ。
憧れていた思いの行き着く場所を見つけたタイオン。
所在ない自分のあるべき姿を見つめなおしたルディ。
自分以外の価値観を受容できるようになったニイナ。
感情というものの愛おしさを学びはじめたばかりのナギリ。
それら濃密な情動のうねりがあったことに気づきもせず、何が「命」だ。何が「今以上の輝き」だ。
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