戦いが全てじゃない。選びかたひとつでいろんな俺になれるって学べた。俺、お前に感謝してるんだぜ。
ヘヴィガード ランツ
第6話 選択
Lead Character:がんばったひと
ヨラン
Major Happening:大きなできごと
A worm becomes a hawk
天空の砦に到達し、ついに女王との対面のとき――。そう思った次の瞬間、目覚めようとしていた女王の胸を凶刃が刺し貫く。ノアたちはメビウスに追跡されていたのだった。
メビウス・ジェイ――、ヨランは、かつて自分はミミズだったという。だけど本当は鳥になりたかったのだと。生まれつき鳥であるノアたちにはあのみじめな気持ちは理解できないと。
対してノアも言う。ミミズも鳥も、この世界では望んでそうなったわけではないのだと。望めば何者にもなれる世界をつくりたいと。そして、望んだ者になるという話であれば、あのときランツの身代わりになった瞬間、ヨランこそが誰より早くそれを実現してみせたじゃないかと。
ヨランは何度生まれ変わっても弱く、意気地なく、そして誰かのために命を捧げられる人物だった。メビウスになった今もそれは変わらなかった。
Sub Questions:小さなできごと
ヨランの自己犠牲について
ヨラン本人は自ら望んでメビウス・ディーもろとも自爆したわけだが、ノアたちはヨランにその選択肢しか与えられなかった自分たちの弱さを嘆く。
ここには価値観の隔たりがある。エセルとカムナビのときと同様、ノアたちは依然目の前にある全ての価値観をありのまま受容できるわけではない。ただし、エセルとカムナビのときとは違って、今は自分と別の価値観があることを認めたそのうえで、自分の価値観に基づく批評ができるようになった。
メビウス・ディー
もともと凶悪な戦争犯罪者だったという。メビウスになった後もその性根が変わらなかったところまではヨランと同じだが、彼の場合は自己認識を再評価することがなかったため死ぬまで悪人のままだった。(※ もっとも、あれだけの戦争犯罪を好意的に解釈すること自体困難だが)
アグヌスの女王・ニア
荘厳なアレンジで『Drifting Soul』を流していかにもやんごとない貴人なんですよー、みたいな演出をされてもさ。結局のところ画面に映っているのは寝起きで不意撃ち食らって気絶したニアなのよね・・・。
ミミズの視点
「君たちは強くていいなあ。僕はね、地べたを這いずりまわるミミズさ。空を飛ぶことに憧れて、来る日も来る日も大空を自由に飛ぶ鳥を見上げている、ミミズなんだ。・・・君たちの言ってることは、その鳥が『ミミズさんだって大地を耕しているじゃないか! それは世界にとってとっても大事なことなんだよ!』って言ってるのと同じなんだよ」
「それじゃあダメなのかよ」
「僕は翼が欲しいんだ! 賞賛という名の風を受けて、大空を自由に飛ぶ翼が! 鳥にはミミズの気持ちなんてわかりっこないんだよ!」
近年だとプリキュアもこういう価値観でやっていますね。一昔前まではそれこそミミズなりの誇りを持たせるような物語展開になっていたんですが、今は鳥になりたいミミズには鳥になることを勧め、ミミズになりたい鳥にはミミズになることを応援するような作風になっています。
ミミズにはミミズだけの大切な役割があることまでは事実です。彼らがいなければほとんどの植物は今のような繁栄ができません。
けれど、それがミミズ個人にとっての幸せかといえば話は別。そもそも一匹のミミズが鳥になりたいと言ったからって、それで全てのミミズが同じ気持ちであるわけでもありません。仮に世界の都合を第一に考えたとしても、どうしても彼にミミズのままでいてもらわなければ困るような話ではないでしょう。一方で鳥になりたかったミミズがその後ミミズとしての幸せを掴んだとしても、鳥に憧れていた気持ちは別問題。それはそれ。
集団としてのミミズに重要な役割があることと、個人としてのミミズにそれを全うする義務を負わせることは、必ずしもイコールではありません。
あなただって「力持ちだからお前は土木作業員になれ」「頭がいいからお前は医者になれ」「子ども好きなんだからお前は保育士になれ」とか押しつけられても嫌でしょう?
もちろん、なかにはそれでいいという人もいるでしょうけども。たまたま自分の志望と周囲の要請が一致していたとか、自分らしさを追求するより特定の誰かに尽くす人生を送りたいとか、自分では特になりたい職がないから誰かに決めてもらったほうが楽だとか。
そういう人たちがいることまで含めて、個人の価値観というのはつくづく多様です。
そこまではいいでしょう。
「ヨラン。本当にそれが君の気持ちなのか? 賞賛を受けたくて、君は?」
「当然じゃないか。だから僕はメビウスになったんだ。憧れの存在になるために」
では、ここでもう一段深くヨランという人を掘り下げていきます。
「ヨラン。お前また訓練サボってんなことやってたのか」
「別にサボってないよ。朝、頭痛かったし。届けだって出したし」
「は? 出したのノアだろ。なあ」
「まあ・・・、いつものことだしね」(第5話)
「なんで止める! こいつが出しゃばりさえしなけりゃ――」
「耐えられたの? 相手の攻撃」
「ヨランの判断は正しいよ。あそこでヨランが力を使わなきゃ、お前が真っ先にやられてた」
「・・・だからって、わざわざやられにいく必要ねえだろ」(第1話)
有り体にいって、彼は劣等生でした。
彼は自分をミミズと言い、ノアたちを鳥だと言って嫉妬しましたが、実際のところノアたちはそれにふさわしい努力をしていましたし、一方のヨランはそこまでではありませんでした。それもミミズと鳥とに分かれた理由のひとつです。
彼は実力が不足していたうえ、気持ちまでも惰弱でした。仲間のはずのランツにまで軽んじられることがしばしばありました。判断自体はヨランが正しかった場面ですらなかなか納得してもらえない、なんてことも。日頃の行いというのはどうしてもあるわけで。
プレイヤーから見て彼に同情できる部分はあまり多くないでしょう。
メビウスになって以後の彼は「あのとき君たちを越えた」と繰り返し嘯きますが、あんなもの薄っぺらい劣等感の表れでしかありません。侮られた経験がある人なら誰でも胸に抱くありふれた思い。普通なら生涯胸のうちに隠したまま墓の下まで持って行ける程度の“裏の一面”。
そんなものさらけ出されたところでクソどうでもいいです。かわいそうだと思うわけがない。
だからこそ。
「ウソだ。自分を偽って、憧れの存在になって、それで満足か? 君の心は本当にそれで満たされるのか?」
人間がそんな薄っぺらい価値観だけで生きているはずがないってことすらも、見透かされます。
鳥の視点
「ヨラン、だったな」
「ああ。ヨランだ。あいつ全然変わってなかった」
「でも、これはダメだよ。こんな悲しい選択は絶対にダメだ」
ミミズであるヨランが鳥になりたいと願い、鳥であるための行動に踏み切ったはずなのに、ノアたちの評価はこうです。
ヨランは昔から変わっていなかった。それは喜ばしいこと。
そのうえで、今回の選択はやはり間違っている。
ヨランが指摘したとおり、たしかに鳥にはミミズの気持ちがわかりません。
「たしかに俺たちは鳥かもしれない。でもそれは強さなんかじゃない。選べないだけなんだ。俺たちのいる世界がこんなだから、世界は俺たちにひとつの姿しか許しちゃくれない。変えなくちゃならないんだ。弱い俺たちのために」
ノアたちはヨランとは違う価値観を持っていました。
彼らはロランと違って賞賛される機会が貴重ということはなく、従って憧れることがありません。
そして彼らは旅のなかで多様な価値観と出会い、特にシティーの人々の生きかたに接して、様々な選択肢を得ることへの憧れを持つようになりました。
価値観の違う彼らは、ロランと同じものを見ても違った感想を抱きます。
ヨランはミミズであることから脱するためにディーを封じ、もろともに自爆してみせました。
あのとき彼は確かに鳥でした。憧れの、本当の意味で強い自分になることができていました。本人は満足だったでしょう。
けれど、ノアたちにとっては違います。
ノアたちは彼に生きてほしかった。鳥であるために死ぬ必要はないと信じていました。彼が死ななくていい、もっと別の選択肢を与えられる人になりたいと願っていました。
鳥と呼ばれた彼らにとって、自らをミミズと蔑むヨランこそが、憧れの存在だったんですから。
「俺、いろんな死を見てきた。価値観と出会ってきた。だから言える。――ヨラン。君は、ひとつじゃない」
世界は自分たちにひとつの姿しか許してくれない。変えなくちゃならない。自分たちは弱いから。
なのに、ヨランは。ヨランだけは、こんな世界でもひとつの生きかたに縛られない、ノアたちにとっての憧れでした。
鏡を見つめる自分の視点
「あのとき笑っただろ」
「ああ、笑ったともさ。君たちを超えた瞬間だからね。あれは勝利の笑い――」
「違うだろ。あのときの君は、あれは本当の君だ。俺たちのヨランだ。・・・なれたんだよ、ヨラン。君は“本当の鳥”に」
自分はミミズだと思っていました。
鳥が持つ翼に、誰からも賞賛される強さに、憧れていました。
弱くて意気地のない自分には絶対に手に入れられないものだったけれど。
一応言っておくと、ノアの言う「本当の君」「本当の鳥」というのはあくまでノアの価値観に基づいたものです。実際のところヨランが思い描いていた理想像と一致するとは限りません。
というか、まあ、別物でしょう。ヨランにとっての鳥はノアたちだったわけですから。
それでも、ハッとします。
自分とは異なる価値観があることに。こんな自分でも見かたを変えれば鳥に見えることに。
「これお前か?」
「全然似てないじゃん」
「う、うん。でも。でもね、いつかそんなふうになりたいなって・・・。ダメかな?」
「ダメなもんか。ヨランならなれるさ。こんなにすごいことができるんだから」
「本当になれんのかよ? テキトー言いやがって」
「テキトーなもんか。なれるよ、絶対。な。ヨラン」
「う、うん。僕、がんばるよ。――すっごくがんばる」(第5話)
劣等生じゃなかった。惰弱なんかじゃなかった。
少なくともあのときだけは。
あのとき、確かに自分はなりたかった自分になるための努力ができていた。
今、ここに2つの選択肢がありました。
1つは、ヨランの価値観によって今の自分の姿を見ること。
もう1つは、ノアたちの示してくれた別の価値観で今の自分の姿を見ること。
鳥を羨むミミズでいたいだろうか。
鳥にも憧れられる鳥でありたいだろうか。
「僕は選ぶ。もうひとつの僕を。――これが僕だ。だよね、ノア」
ここは依然選択の自由を許してくれないアイオニオンの世界でしたが、それでもヨランには選ぶ力がありました。メビウスになる前から依然変わることなく。
ノアたちにとって喜ばしい選択だったかどうか、それはまた別の価値観の話だけれど。
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