ゼノブレイド3 プレイ日記 第7話の3(エンディング) “今”を信じて。

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さあ。前を見て、目指した地平に向かって――、進め。

進む時間のおくりびと ノア

このブログはあなたがプレイ済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

第7話 動き始める刻

Lead Character:がんばったひと

ウロボロス

Major Happening:大きなできごと

エヌの“後悔”

 エムはノアとミオの存在そのものが自分たちの“後悔”の証だと言っていた。自分たちのなかに人生をやり直したいという思いがあったから、ノアたちが生まれたのだと。
 彼女の遺志を継ぎ、ノアは“希望”を自称する。エヌの八方塞がりの“後悔”こそが未来につながる“希望”を生んだのだと、彼に伝えるために。彼が自分を許せるようになるために。

最後の戦い

 メビウス・ゼットの正体は恐怖だった。融合前の2つの世界に生きていた人々の、世界が消滅してしまうことへの恐怖。消滅のあとにはオリジンによる再生という希望があったにも関わらず、彼らは目の前の消滅を怖れて時間を止めた。
 今、ノアたちは再び時間を動かそうとする。なぜなら彼らは後悔から生まれ出でた者たちだから。目の前の恐怖に冒されながら、それでもより良い未来を願い、求め、いつか叶うことを祈って死んでいった者たちがいたからこそ、ノアたちは未来を信じる。彼らのやり残した可能性を一身に背負い、恐怖を乗り越えた先で実現できることを示すため、ノアたちは進む。

後悔から生まれ出でて

 「あんたは後悔だ。『あのときこうしていれば』『あんなことさえなければ』。過去にこだわって、縋りついて、誤った道を行くしかなかった。“今”のあんたは後悔そのものだ」
 「ならばお前はどうだというのだ」
 「俺――。俺たちは、希望だ」
 「希望だと? は。傲岸不遜も甚だしいな。己を希望と言いきるか」
 「あなたが一番大切にしていた人の言葉よ。あの人の心も後悔だらけだった」
 「だけど、未来への希望も持っていたんだ。だからミオに全てを託したんだ」

 「あなたは――。いいえ、あなたたちは後悔。『こうありたかった』『こうであるべきだった』という、私と彼の思いの結晶。本来は存在しえないはずのあなたたちが今こうしてあることがその証」
 「それで私に? でも、そんなことをしたらあなたの命は――」
 「私が消えることでほんのわずかでも彼にこの思いが届くのなら、それで充分。あとはあなたたちが歩いてくれる。私と彼が行くべきだった道を」
(第6話)

 実際のところエムが直接的に“希望”と言ったわけではありません。言っていることを普通に読み解けば彼女がノアとミオに希望を見出していることは明らかですが、一応、この場でノアが“希望”を自称したのはノア自身の解釈です。
 ですが、だからこそこの場において自身を“希望”と、そしてエヌを“後悔”としたことには大きな意味があります。

 「何故。何故お前たちはそうして立っていられる。至るところ虚無に満ちたこの世界で」
 「・・・運がよかったんだろうな」
 「運だと?」
 「巡り会いって言い換えてもいい。――ほんの少しの差なんだよ、俺とあんたとは。もし俺があんただったらきっと同じ道を選んでいたさ。でも今は違う。ミオや仲間たち、それだけじゃない、もうひとりのミオやもうひとりの俺、出会った全ての人が今の俺をかたちづくっているんだ。未来へと、進ませてくれるんだ」

 エムはノアとミオが自分にとっての希望だということを説明するために、彼らが自分とエヌの“後悔”の結晶なんだと表現しました。
 自分たちにはやり残したことがある。成人を超えてもなお生まれ出でる、メビウスとなって以後もまだ次が生まれてくる。ゼットが決めた世界の因果律をねじ曲げるほど強烈な心残りが。
 だけど、それはきっとノアとミオが代わりにやってくれる。自分たちにはどうしてもできなかったことだけど、遠い未来に生まれるもうひとりの自分たちがきっと成し遂げてくれる。そういう意味での“希望”でした。

 「お前が死んだあとはどうする。誰がそれを止める」
 「そのためにあんたたちがいるんじゃないか。そしてそれを一緒にやり遂げるのはオレじゃない、誰かだ!」
(『ゼノブレイド2』第9話)

 今、ノアたちが生きているこの場所は、幾万幾億幾兆の屍を積み上げた山の先端にあります。この屍のなかにはエヌとエムや、代々のノアとミオがやり残した無念も全て含まれています。
 きっと全ての先人たちの生と死には意味があったことでしょう。いいえ、意味があったと信じたい。彼らの人生が虚無だったとは、たとえ本人にも言わせない。
 ノアたちは彼らの全てを引き継いでここに立っています。そうありたいと願いながら。

 エヌとエムが“後悔”したからこそ、ノアとミオは“希望”たりうるんです。
 引き継ぐべき思いがあったから。
 今度こそ成し遂げたい夢があったから。
 運がよかった。恵まれている。先人たちとは違う道を行ける。
 ――それもこれも全部、ノアの前にエヌがいてくれたからこそです。

 だからこそ、ノアにとってエヌは“後悔”なんです。
 自分を“希望”として生んでくれた、大いなる父という意味で。

 「たとえ世界を本来の姿に戻せたとしても、お前たちが生き長らえる保証はどこにもない。それでもか? それでもお前たちは進むというのか?」
 「ああ、そうさ。限られたこの10年を生きぬく。それだけだ」

 「あなたも元々は未来を求めたウロボロスだった。だけどある日、未来を諦め、“今”を守る選択をしてしまった。でもね。それでもいいの。守ることも、留まることも、思いのかたちだから。“私は”ちゃんとわかっていたから」

 今のノアとミオの後ろにはおびただしい数の過去があり、だからこそ、彼らのためにも、ふたりは未来へ進みたいと願います。
 命を背負って。
 もしかしたらノアたちも限られた時間のなかでは全てを成し遂げきれないかもしれない。それでもいい。それならそれで、次の誰かに託すまで。

 だから、自分に持てるかぎりの全部を使って、自分らしく進んでいこう。

“今”を巡る決戦

キズナ

 「君は未来視によって何度か因果律を書き換えてきた。本来死ぬはずであった人たちの命を救ってきた。・・・完璧なものなんて存在しやしない。それは悲しいことではあるけれど、そこから学び、新たな一歩を踏み出すこともできる。ザンザのではなく、君たち自身の足でね」(『ゼノブレイド Definitive Edition』第17章)

 『ゼノブレイド』は“未来”へ進む意志をテーマに扱った物語であり、

 「なぜそこまでする! 誰のために。何のために!」
 「誰のためでもない! そうすることでみんなが笑えるなら、命がつながっていくなら、それがオレの役目だからだ!」
(『ゼノブレイド2』最終話)

 『ゼノブレイド2』は“過去”から継承されていく意志の物語でした。

 「私たちはこの星で生きていきます。これから先も色々な困難があるだろうけれど、それでも諦めずに。いつか地球を探しに行ける、その日が来ることを信じて――」(『ゼノブレイドクロス』第12章)

 また、ゼノブレイドシリーズ全体として絆によって支えられる人々の姿も描かれてきました。

 “意志”と“絆”がゼノブレイドシリーズの2大テーマです。

 「人々の望みは流れる川のようなもの。誰もが望んでいるのだ。永遠の今を。現に私はここに在る。私の存在こそがその証左なのだ」

 それに照らし合わせるなら、『ゼノブレイド3』とは“今”を信じる意志の物語でした。

 メビウスとアイオニオンは恐怖によって生まれました。
 世界の消滅という前例のない大災害。それを乗り越えうる唯一の手段はオリジンという何の実績もない新造機械。
 人々は恐怖しました。世界が終わってしまうことに。人々は恐怖しました。先の見通せない未来のありように。怖い。信じられるものが何もない。怖い。信じさせてくれる裏付けがどこにもない。怖い。怖い。怖い。
 その恐怖が世界を静止させ、永遠に続く今を、過去からも未来からも切り離しました。

 以来、アイオニオンの大地はひたすらに恐怖によってのみ彩られつづけてきました。

 けれど――、はたして今はどうでしょうか?

仁者エセルとコロニー4

 「命の火時計が破壊されたことから始まり、僕たちを取りまく世界は大きく変わりました。みなさんのおかげ、と言っては変ですが、この変革の時に立ち会えたことはむしろ光栄なことなのかもしれませんね」(ソロン)

 軍務長のエセルはカムナビとの決着を最優先に考えるバトルジャンキーでありながら、自分以外のことに関してはたいへん思いやり深く、先のことまでよく考えて配慮していた、道徳心の高い人物でした。その忠実な部下たるコロニー4の兵士たちも軍務長に似て、士気旺盛でありながら戦闘以外の活動に寛容で、火時計から解放されてからはどこのコロニーよりも多種多様な事件が起きました。一部の兵士が自由を求めて出奔するだとか、極端なものではウロボロスの暗殺を企てる者まで。
 その善し悪しは別の論点としても、彼らの“自分は自分、他人は他人”という気風は各々の自主性を尊重するムードへと発展し、どこよりも多様性の広がるコロニーをつくっていったのでした。

趣味人ルディとコロニー30

 「軍務長、少し前までレウニスのことしか話さない人だったのに。コロニー30のことを色々気にかけるようになって、なんだか本当に軍務長みたい」(ゼズ)

 執政官の趣味によりコロニー運営よりもレオニス開発が優先されていたコロニー30は、火時計から解放されてからも組織運営の歪みが正されることがありませんでした。軍務長ルディもまた相当な趣味人だったためです。
 けれどルディはルディなりにものを考え、仕事にあぶれたノポンたちの不満をドルーク建造という大規模公共事業で発散させたり、戦闘によらない紛争回避手段を考案したりと、自分にできることでコロニー運営に貢献していきました。彼は趣味人ではありますが、けっして独善家ではありませんでした。間違いなく善人ではあるということを今ではコロニー30の全員が理解していて、彼のもとで団結しています。
 通常のコロニーとは運営スタイルがだいぶ違っているかもしれませんが、彼らは彼らなりに自分たちの秩序を守っています。

地主気質ゼオンとコロニー9

 「考えてみたらさ、畑ってすごいよな・・・。命を自分でつくってるってことだもんな。命を奪うんじゃなくて、育てる側になれたんだな、俺たち」(副官 カイツ)

 荒れ地に展開していたコロニー9は元々キャッスルからの支援物資ありきで作戦行動していたため、火時計から解放されたときの混乱が最も大きかったコロニーです。
 軍務長ゼオンは堅実な人柄ながら問題の要点を的確に押さえ、第一に解決すべきは食糧問題であるとの信念のもと組織改革を断行。結果として世界に類を見ないイモ祭りが起きました。手探りで始めた農業は最初の収穫まで非常に苦労が多く、それでなくともコロニー内の不満はあらゆるかたちで噴出していましたが、みんなで食べたイモの味が全てを解決しました。ゼオンの慧眼は正しかったのです。
 不毛の荒野は豊饒の大地へと変わり、ギスギスしていた人間関係も笑顔の絶えない共同体へ。ゼオンの農業改革は想像されていたよりはるかに大きな成果を上げたのでした。

教育者シドウとコロニーガンマ

 「シドウ軍務長が安心して戦えるように、コロニーガンマは我々が全力で守ると約束します。シドウ軍務長の教えを、あのかたの意思を未来の後進たちへとつなげるために」(副官 アシハラ)

 シドウは少々後ろ暗い過去を持つ人物。過去の自分が犯した罪をあがなうため、新任地のコロニーガンマでは軍務長と教導官を兼任して後進の育成に心血を注いでいました。
 かつてコロニーに所属していたミオたちがウロボロスとなり、元ケヴェス兵と行動を共にしていることを知って、彼はこれ幸いと彼女たちに教導を依頼しました。年若い部下たちに自衛のための知識・経験を与えるとともに、戦争の狂気に染まりきらないうちから平和教育を施すために。
 過去はそう簡単に清算できないもので、今でもシドウを憎む人物は少なからず存在しています。そのうちのひとりが復讐に現れたとき、彼の薫陶を受けたコロニーガンマのある兵士は誠実な態度で彼に接しました。結果、彼の憎しみは次の憎悪に連鎖することなく、むしろ復讐者を安らかな顔で眠らせてやることができたのでした。

民主主義者イスルギとコロニーラムダ

 「軍務長は俺たちが自らで考え、変わっていくことを待っていた。それなのに俺たちは自らの責務を果たさずのうのうと・・・。さすが軍務長だ。ただ指示を求めるばかりの俺たちとは違う」(ハクビ)

 コロニーラムダのイスルギ軍務長は部下の提案を積極的に取り入れるボトムアップ型のリーダーだったため、効率的に部下たちの意見を汲み上げられる階層型の決裁システムを敷いていました。平時であれば広く多様な意見を、しかもある程度コロニー全体の意思として採用していくことができていたでしょう。
 しかし、火時計が破壊されてからのコロニーラムダは激変の時代に晒され、火急の現場判断が望まれるようになっていきました。前時代の優れた決裁システムは次第に鈍重なだけの手続きと見なされゆくばかり。
 ところで、改めて確認するならこの階層型決裁システムを導入したのは部下の提案を積極採用するイスルギ軍務長その人でした。現場の一人ひとりがより積極的に組織運営に参加してくれるのは、実はむしろ望むところだったのです。
 軍務長の知恵に依存せず、それぞれが主体的によりよいコロニーづくりを目指すコロニーラムダはこれからますます強くなっていくことでしょう。

合理主義者ニイナとコロニーイオタ

 「コレペディア革命って僕は呼んでるんですが――。ただコロニー間で協力するだけじゃなく、皆が自分の正しいと思うことを選び取るようになってきたなって」(カスガ)

 現在のコロニーイオタは、愚物だった前軍務長を暗殺して弱冠6期の才媛ニイナに挿げ替えるクーデターを経て成立したものです。ニイナを戴いて以降のコロニーイオタはめきめきと頭角を現し、自ら企画したコレペディアカードによってアグヌス軍全体のロジスティクスを掌握するほどに成長しました。火時計破壊後に至ってはケヴェス・アグヌスの垣根すらも越える規模に。
 ただし、それだけのことを成し遂げるにあたって軍務長ニイナの精神も相応に擦りきれつつありました。責任ある立場の自分は誰も信用できない。むしろ信用すべきではない。そんなふうに頑なになりかけていた彼女の心を柔らかく解きほぐしたのは、彼女自身がこれまで助成し、ようやく戦争から抜け出しつつある世界のその暖かさだったのでした。

進歩主義者ユズリハとコロニータウ

 「コロニータウのみんなはきっと“家族”のようなつながりがあるも。すごくすごく良いことも。他のコロニーとは違うトクベツなキズナも」(サダダン三兄弟)

 積極的に戦争参加することも装備や人員を増強することも望まず、最低限自給自足できる範囲で、緩やかに目減りしていく命の火時計を見上げながら暮らしていたコロニータウ。
 そんな自然主義者たちは、軍務長ユズリハが命の火時計を破壊する決断をしたことをきっかけに、自主的に世界各地のコロニーへ留学するようになりました。一時閑散とするコロニー。けれどそれはあくまで故郷を住みよくするためでした。
 各地で学び、様々な経験を積んだ仲間たちはやがて再びコロニータウへ集結し、まずは先人たちから受け継いだ因習のひとつひとつを科学的見地で検証し直しました。経験則に基づく重要な意義があった風習、不便なだけで特に意味が無かった風習、なかには明らかに悪意を込めて伝えられていた悪習までありました。
 身に余る富は望みません。彼らにとって守るべきものは第一に仲間たちの幸福であり、第二に先人たちの遺志。そんなささやかな営みすらもぼんやり流れに身を任せるだけでは得られないことを、彼らは学んだのでした。

我が道を行くアシェラとコロニー11

 「・・・不思議ね。以前とは匂いの質が異なってる。決意の怒り。正しき闘志。聖なる覚悟――。言葉で表すのは難しいけど、確かなことは、とてもいい匂いがするってこと。フフフ」(ウィドー)

 コロニー11はウォーモンガーどもの集まりでした。戦えるのなら何でもいい。強くなることは全てに優先される。危険も、不義も、彼らの渇望を怯ませることはありませんでした。他のコロニーで持て余された問題児の寄せ集めこそがコロニー11。集団として思いを共有するような集まりではありませんでした。
 ただし、それぞれが絶対的にこだわる信念だけはありました。たとえば軍務長アシェラがこだわるのは自ら身を投じた戦場で死ぬこと。アシェラには1000年前の記憶がありました。10年を必死に生き延びた果て、執政官による処刑で命を散らすことになったという最悪の屈辱。その記憶から逃れたいがために狂犬を演じてきました。
 今は、ともに命を預けあう仲間がいます。
 己が死に様を己で決めたいという気持ちは変わりません。けれど、仲間を生かすためにはそう易々とくたばるわけにもいきません。

青春マシロとコロニーミュー

 「イチカってね、キレイ好きだったんです。使った装備とか出したままだとよく叱られて・・・。だから執政官の隠れ家がキレイに整頓されてるの見たとき、イチカらしいなあって・・・」(ミハル)

 かつてコロニーミューは夢の世界でした。戦争なので仲間が死ぬことは少なからずありましたが、それでも比較的損耗は少なく、どこか平和な国の部活動のようなのほほんとした空気感とスポ根ムードのなか、みんな仲よく暮らせていました。
 けれどそれは仮初めの夢。所管する執政官が密かに戦闘の頻度と規模を調整してくれていたから実現したことでした。それはつまり、(やむをえない事情があったにしても)犠牲になった仲間すら本当はその執政官が意図的に死なせていたという意味でもあって。彼女が死んだとき、コロニーミューのメンバーの心に去来する思いは、許せない気持ち半分、それでも大好きだったという気持ち半分。
 執政官を亡くしてしばらくは戸惑っていたコロニーミューでしたが、やがて立ち直ると、彼女が守ってくれていたものを今度は自分たちの手で守ろうと話しあいました。
 もう誰も守ってくれないコロニーミューが戦争に負けないよう、防備だけは自分たちの手でしっかり固めたうえで、けれど生きかたそのものは執政官がいたときのまま大きく変えないことにしました。軍隊らしくないコロニーミューの青春はこれからも続いていきます。

荒くれトライデンとコロニー15

 「ここで働いているとキャプテンみたいな人が大勢来ますも。共通点はしわくちゃなことと、自分の話したいことだけ話して他人の話を一切聞かないことですも」(副官 アピピ)

 執政官兼軍務長が率先してバカをやるイカれたコロニーがありました。長い人生、深い皺に見合う含蓄を一切その身に刻んでいないと思わないわけではありませんでしたが、現実にやっていることが正真正銘のバカそのものでした。そんな彼のもとで育った兵士たちももちろん海賊まがいの粗忽者ばかりでした。
 ウロボロスたちに命の火時計を破壊してもらって以後、コロニー15自体は解散し、彼らはシティーに移り住むことになりました。最初はそりゃあもう何度もトラブルになっていました。けれど彼らは根がバカなだけあってウラオモテもなく、シティーの人々がその実直さを理解したころにはすっかり街に溶けこむことができていました。
 当初はバカな執政官に振りまわされる犠牲者にすら思えていた彼ら。けれど、実際の彼らはバカに育てられたことを心底誇りに思う、まっすぐ育った子どもたちだったのでした。

人に生まれたナギリとコロニー0

 「せっかく名前をもらったんだし、もっと外の人たちと話してみたいよねー。『初めまして。ジュンの名前はジュンです』みたいな! どう?」(ジュン)

 機械の部品として使い捨てられていた少年少女がいました。彼らは人間らしい扱われかたを受けたことがなく、しかもケヴェスにもアグヌスにも所属していなかったため、他のコロニーと比較して自分たちがいかに異常な環境にいたのかを自覚することすらありませんでした。
 そんな環境でも不思議と、それぞれに人間らしい感情は芽生えるものでした。特別感情の薄かったナギリ軍務長ですら、ウロボロスたちに出会い、好物と呼べる食べものと巡り会ってからはこれをコロニーの仲間たちにも食べさせたいと願うようになったほどです。
 やがてコロニー0は安住の地を手に入れ、生活物資の流通網も確保し、それぞれが自主的な取り組みを考えはじめ、少しずつ、少しずつ、人間らしさを増していくようになります。コロニー0の兵士たちは、やはり最初から人として生まれていたのでしょう。

 世界は変わりつつあります。命の火時計から解放されたたくさんの人々、そのひとりひとりの意志によって。
 彼らの行動原理はもはや恐怖に由来しません。彼らは希望のために、明日の糧のために、仲間たちの笑顔のために、自ら進んで活動しています。
 望まない戦争に身を浸す時代は終わりました。もちろん未だメビウス支配下のコロニーはいくつも残っており、アイオニオンの大地から一切の戦闘行為がなくなったわけではありません。戦うべきときは自らの身を守るために戦わなければなりません。
 けれど、今は誰もがそれを悲しく思います。戦争がなくなってほしいと誰もが切に願います。

 自ら勝ち取ったこのささやかな幸せがどれほど貴重なものか、彼らはもう知っているから。

永遠だと思っていた。ずっとこのまま今が続くって、誰もが自然と思うように。
だって、君がいつも傍にいたから。
何の疑いもせず当たり前のことのように過ごしていたんだ、毎日を。
だけど気付いたんだ。それは千に一つの奇跡だって。

 「命を奪うことを何故ためらう? 世界が定めたルールに何故抗う? 命を奪うことで世界は続いてきた。その否定は逃避であり、行きつく先は自死だ。見ぬふりなどできぬ。刮目こそが生物としての本懐」

 詭弁です。
 食物連鎖や権益闘争なら元の世界にもあったでしょう。ですが、ケヴェスとアグヌスの戦争は当事者である兵士たちが必要として行っていた戦いではありませんでした。その戦いを必要としていたのは上位に君臨するメビウスたち。自らは戦わない者たちによる、ただの搾取でしかありませんでした。

 「自由など、それこそ虚構。まやかしだ。選べる者はそれでいいだろう。だが、選べぬ者はどうする? 弱き者はどうする? 誰もがお前たちほど多くの選択肢は持ってはおらぬ」

 歪曲です。
 ノアたちが目指しているのは力ある者にとっての理想郷ではありません。むしろその逆。自らを地べたを這いずるミミズと自嘲するような人々が鳥になれる世界。選択肢を奪っているのはメビウスたちです。画一的な価値観を押しつけているのはメビウスたちです。だから“選べぬ者”が挫折する。自らが持つ別の可能性に気付くことがないまま。

 「差し出すか? お前の一部を。慈悲という名のもとに。与えるか? 憐れみを。与えられた者が満足すると夢想して。みじめさなど微塵もないと信じて。我が与える世界に敗者は在らぬ。繰り返すうちにいずれは誰もが勝者となりうる」

 欺瞞です。この世界に勝者など生み出すつもりはないくせに。
 何度生まれ変わってもヨランは常に敗者でした。やり直しを望んだシャナイアは劣等感を記憶に残したままメビウスになりました。黄金のコロニーは殲滅され、成人まで生き残った者は処刑され、ケヴェスとアグヌスの戦争に終わりなどなく。
 クリスとの問答で再確認されたように、敗者を敗者の立場のまま固定しているのはメビウスたちです。ノアたちが施しを与えるまでもなく、彼らの尊厳は、まず彼ら自身に運命を覆す機会を与えることで回復されなければなりません。

 「命を削りあい、昨日より今日、今日より明日と、より高みを目指そうとする若者たち。我々にはないその爆発的な原動力。それが命だ。我々は命の体現者としてここに在る」

 ごまかしです。
 メビウスたちの本質は恐怖。自分自身語るに落ちているように、未来や高みを目指す意志などメビウスにはありません。彼らはその価値を矮小化し、あざ笑う立場です。何も体現などしてはいません。

 「面白いものなあ――。お前たちが見せる命の活劇。その観客が我々なのだ。さあ、魅せてくれ。次の幕は何だ? 死別か? 復讐か? 革命でもいいぞ。飽くことなきこの世界、彩るのはお前たちの命なのだから」

 ゼットの長広舌に含まれる真実は唯一これだけです。
 メビウスたちは要するに、恐怖を増幅させるためだけにこの世界のルールを恣意的に運用してきました。希望を胸に生きようとする人々の物語をことごとく悲劇で終わらせるために。希望の縮小再生産。恐怖によって止まった世界を維持するために、絶望を演出し、新たな恐怖を生み出そうとする。恐怖に染まりきった同類を増やそうとする。
 当初ノアたちには理解できなかったメビウスたちの行動原理は、すなわちそういうくだらないものでした。

 「わかったわ。『生きるために戦う』。ミヤビが教えてくれたあの言葉、今、このときのためのものだったって」

 「そうさ。時には寄り添い、時には託し、ともに歩いていつか本当の自分を選ぶこと。それが強さだ」

 だから、今さらメビウス都合の屁理屈なんかで不安を抱くものか。

 ノアたちがゼットの定めた因果律から脱却できたのは、多くの人々から思いを託されたからでした。この旅で出会ったたくさんの人々の生き様。エヌとエムが成し遂げられなかった大きな後悔。
 けっして、たまたまノアたち自身が強く生まれたからではありませんでした。運に助けられた部分があるとすれば、それは彼らの思いを引き継げたこと。志半ばに倒れた無数の屍を積み重ねてきた山の先端が、たまたまノアたちの代で希望へと達しただけのこと。

 恐怖に塗れたこのアイオニオンの大地で、それでも諦めることなく希望を追い求めた人々の渇望、幾度も挫かれながら後代に託してきた後悔こそが、今、ノアたちを鳥として高みへ押し上げています。

 「選び取ろうとする一瞬一瞬の意志。きざしたそれを摘み取ろうとするのなら、俺たちは戦う! あんたとは別の未来へと生きるために!」

足跡

第1話 ウロボロス

 「目ぇ曇らせてんじゃねえよ。お前らの目的はアレだろう!? 俺だろう!? なのに『敵だから』だあ? その敵ってなぁいったい誰が決めた!? ・・・なあ、それでいいのか。本当にそれで」(ゲルニカ・ヴァンダム)

 第1話ではゲルニカと出会い、ひとまずの目的地を示してもらいました。

 今にして思えばゲルニカはそう多くの真実を知っていたわけではありません。シティーに行ったところで求めていた答えそのものがそこにあったわけではありません。
 むしろ、彼はこの旅路を通じて知ってほしかったのでしょう。価値観というものはけっしてひとつではないことを。確かにあるそれが、なのにこの世界では追い求めることがけっして許されていない現実を。
 望まない戦いで傷つきつづける若者たちには、どうか、その理不尽そのものが打倒するべき敵であると気付いてほしくて。

第2話 ネメシス

 「ほほほ! む、無駄なことを! 命の火時計は人の命。いわば生きようとする意志の塊。そうそう簡単に砕けるわけないでしょう」(メビウス・ケイ)

 第2話では執政官の正体がメビウスであることを知り、彼らに弄ばれた命の火時計と戦いました。

 命の火時計に集められていたのは生きたいという人間の切なる願い。メビウスの理不尽な力によって本意ではない方向にねじ曲げられてはいましたが、それがあくまで大勢の人の意志である以上、そうそう簡単に断ち切れるものではありませんでした。
 唯一、メビウスに対抗するために鍛えられたもうひとつの理不尽、魔剣ラッキーセブンを除いては。
 その刀は未だ“終の剣”として完成しておらず運命を切り拓く力こそ持ってはいませんでしたが、理不尽によって理不尽をはねのける程度のことはできました。解放された人の意志がこれからどう進むのかは、その人次第。

第3話 サフロージュ

 「わからない? 全然わからない? あの瞬間、僕は君たちを超えたんだよ。君たちのそのちっぽけな命を救うことで。最高だったよ、ランツ」(ヨラン)

 第3話ではノアたちの恩人であるヨランの、その裏に秘めていた悪意に出会いました。

 イスルギ軍務長が隠していた憎悪と合わせ、ここでノアたちは人間の持つ顔が1枚だけではないことを知ることになります。これにより、もともと何を目的に動いているのか謎だったメビウスたちが、いっそう理解不能な存在として見えてきます。
 身を挺してランツを救ったあのときのヨランは善意だけで動いていたと信じたかった。けれど、実際には善意の裏に独善的な狂気も併せ持っていた。
 その現実を飲みこみきれないまま、ヨランにどう向きあうべきか掴み損ねたまま、ノアたちは旅を続けました。

第4話 命

 「今は理解できないだろうな。だがいつか伝わる。これが私の、私たちの願いだと! この願いと憧れを君たちの記憶に、思いに乗せていってほしい。そして遂げろ、その本懐を。命をつなげるんだ!」(エセル)

 第4話ではエセルとカムナビの狂気を目の当たりにしました。

 ヨランの悪意と同様、このときのノアたちにとってそれは到底理解できるものではありませんでした。彼女たちはメビウスですらない、同じ人間のはずなのに。
 しかも、彼女たちはこの思いをノアたちの記憶に残してほしいと言うのです。今は理解不能だったとしても、いつかきっと、ノアたちにとっても意味あるものに変わると確信して。
 今の自分にはとても理解できない異質な考えかた。そういったものがこの世界に存在する素晴らしさをノアたちが知ることになるのは、もう少し後になってからの話でした。

第5話 蝕

 「やっとの思いでシティーにたどり着いて、まるで異なる世界があることを知った。うらやましい。素直にそう思った。私たちの10年をその何倍かにするだけでこうも変わるのかって。――新しい命の誕生も見た。この指を握ったあの小さな手。それを守りたいあなたたちの気持ちはわかる」(ミオ)

 第5話ではシティーの価値観に出会い、それからシャナイア、エヌ、エムと激突しました。

 シティーの価値観はノアたちの人生観を180度転換しうる画期的なものでしたが、ヨランやエセル、カムナビのそれとは異なり、ノアたちにとっては意外にも飲みこみやすいものでした。夫婦愛に親子愛、そして隣人愛。この営みこそが自分たちにとっての理想であるようにすら思えました。
 ただし、シティーに生まれても生きづらさを感じるシャナイアのような人物がいたこともまた現実。メビウスに対する積極抗戦派と非戦派の対立など、シティーの価値観自体けっして一枚岩ではない側面もありました。これもまた、ノアたちにとってのヨランやエセル、カムナビの価値観と同じ。
 世界には本当に多様な価値観があることを知り、ノアたちにもそろそろ自分なりの答えを見つけることが求められるようになります。

第6話 選択

 「今のこの世界が笑顔を選ばせない世界なら、限られた未来しか選べない世界なら、そんな世界を――、俺はぶち壊したい」(ノア)

 エヌに敗北して牢獄に囚われ、エムに命を救われたノアたちは、ここでついに自分たちなりの価値観を持つようになりました。
 すなわち、争いに勝つことだけに価値を置く今のアイオニオンを破壊したい。人々が多様な価値観を持ち、それぞれの理想を追い求めることが許される世界に変えていきたい。そういう願い。
 初め、ノアたちにとって異質な価値観とはただの理解不能な考えかたでした。ここからは違います。理解できる思いも、今はまだ理解できない思いも、その全てが人が自由に生きるための大切な道標。

 ヨランとももう一度向きあいました。
 かつてその悪意に触れて、その理解を拒んだのはノアたち。けれど今度こそはヨランという人物をありのままに受け止められます。
 悪意があろうと、狂気が隠れていようと、あのときノアたちがヨランに感じたのは間違いなく善意。ヨランの価値観においてはそれは重要ではないことだったかもしれませんが、ノアたちの価値観でそれはきわめて強く尊敬すべき心性でした。
 この世界の価値観は多様です。多様だからこそ、ノアたちはもう一度ヨランと心通わせられるようになりました。

第7話 動き始める刻

 「君たちは知らない。知らなくてはならない。――足るを知る、ということを」(クリス)

 そして今、ノアたちはメビウスの根源、メビウス・ゼットに立ち向かおうとしています。

 あくまで対立は避けられません。彼がしていることとノアたちがこれからやろうとしていることは二律背反、二者択一の選択肢です。どちらか一方しか選ぶ道はありません。
 ですが、今のノアたちは彼らの思いを理解できるようになりました。あれほど理解不能だった、理不尽でしかないと感じていたメビウスたちの思い。彼らはつまり、“恐怖”でした。先の見通せない未来へ進んでいくことに、人々が当たり前に抱く根源的な恐怖。

 理解不能だから拒絶するのではありません。
 理解したうえで、自分とは異なる価値観があることを受け入れたうえで、そうしてなおノアたちは自らの選んだ未来へ進んでいきます。異質な思いに敬意を払いながら。

 今さらゼットの言葉に揺らぐノアたちではありません。
 何も知らないまま戦争に明け暮れていた昔ならともかく、今は自分の目と足で世界中たくさんの価値観に触れ、様々な出来事に悩み、自分なりの答えを定めてここにたどり着いたんですから。
 答えはすでに自分のなかにあります。他人の世界観にいちいち動揺する時期はとうに過ぎ去りました。

時の流れとともに、人は、世界は、変わっていく。感じる暇なんてなかった。
だって、君はいつも笑っていたから。
明日の君はどんな君なんだろう。想像することなんてできなかった。
だけど気付いたんだ。その思いが奇跡を生むんだって。

 「選び取れないときはどうする? その絶望は誰が癒やしてくれる? 世界には己しかおらぬ。絶望を癒やしてくれるのは消滅だけだ。それが世界なのだ! ああ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! そんな世界、嫌なんだあ!!」

 あれだけ強大に感じられていたゼットがひどくちっぽけに見えます。

 だって、彼にとっての“今”はずっと止まったまま。
 過去から託され、未来に希望を見出して歩みはじめたノアたちの“今”とは、時間のスケールが決定的に異なります。

 だって、静止した世界に佇む彼は常にひとりぼっち。
 過去・現在・未来、これまで出会ってきた人々、これから出会うだろう人々、無数に張り巡らされた絆を預かるノアたちとはやはり異なります。

 「オリジンを動かせば静止したときが流れはじめる。相反する世界が重なり、その先に待つのは消滅。お前たちはそれを知ったはずだ。――それを知ってなお未来へ進もうとする。何故だ!?」
 「何故、か。なら逆に聞いてやる。何故そう決めつける? そうならない未来だってあるはずだ」

 ここにあるのは信じるかどうかの対立です。
 ゼットにはどうしても信じることができず、そしてノアには当然に信じられるものがここにあります。

 事実そのものはゼットが主張するとおり。
 オリジンが2人の女王の狙いどおり正しく稼働する保証はどこにもありません。もしかしたら世界は消滅してしまうかもしれない。静止した世界のままにしておいたほうがマシだったということもあるかもしれない。
 そういう可能性を否定しきれないまま、それでも信じるかどうかが問われています。

 何を?

 「未来を紡ごうとする若者の思い。それは、世界を前に進めるために必要な力」

 「最初の一歩を踏みだすことが怖いってのはわかるよ。でもね。かつて世界を前へと進めてきた若者たちは皆、その怖さを乗り越えてきたんだ。未来に“あんたたちいる”って信じて」

 “今”をです。

 過去からつながる今。未来へつながる今。
 過去と未来、ふたつの相反する事象がつながるこの瞬間を私たちが信じられるかどうか、それを問われているんです。
 過去と現在と未来とがここに連続しています。過去の積み重ねとだからこそ、今ここにあるものが確かだと確認され、未来へ進みたいという思いがあるからこそ、今自分の在るべき姿が定まります。

 メビウスとは確証のない未来へ進むことへの恐怖が具現化した存在。
 だったらその確証を示してやりましょう。それが信じられるものであるという根拠は、私たちの過去が、そして未来が、保障してくれる。

 メビウス・エー <Aionion> なんてもう必要ない。

 「信じるんだ! これまでの俺たち自身を、その先にある未来の姿を!」

確信できる根拠

君の寝顔がそこにある。安らかな、いつもの君がそこにいる。
感じるこの温かさを永遠とするために、もう一度あの日に帰ろう。

君の笑顔がそこにある。朗らかに、語りかけてくる君がいる。
この瞬間を、永遠の今を守るために、もう一度あの日に帰ろう。

シティー

 「次の年も多くの若者が成人の儀を行えるよう、君たちの勝利を願ってるよ」(ギャレット)

 シティーとはもともと最初のウロボロスの子孫たちがつくった街だったんだそうです。
 そこには若者が住んでいました。間もなく人生を終える老人も住んでいました。生まれたばかりの赤子も住んでいました。誰もが血のつながりという生まれつきの絆を与えられていました。
 アイオニオンという時間の止まった世界にあって、唯一そこだけが進む時の流れの上に生きていました。そこだけが過去と現在と未来とのつながりを保持しつづけられていました。

 それは必ずしも幸せなこととは限らなかったかもしれません。
 時間とともに意志は変質し、意見は分岐し、ときに停滞や対立、新たな恐怖を生み出すこともありました。
 それでも時間は進みます。
 意志も意見も時間とともに移り変わっていきます。

 少なくとも今、彼らの多くはノアたちの勝利を祈ってくれています。

 “永遠の今”。
 ゼットはそれを守るために世界の因果律を堅持していました。
 どんなに静止させようとしても少しずつ進みゆく、世界消滅への猶予は狭まるばかりの不完全なアイオニオンにおいて、己が力の源泉である恐怖を増やして必死に抵抗していました。

 永遠って何でしょうか?

 「進みたい者。留まりたい者。この世界にはいろんな人の思いがあった。俺たちにそれを選ぶ権利なんてあるのかな」
 「私たちのことは気にすんな。お前らがつくった未来に生まれてこれるなんて最高じゃねーか。だからよ。望むままにやりゃあいい」

 ノアたちの旅を通して、私たちはたくさんの価値観に触れました。
 共感できるものがありました。相容れないものがありました。
 なかにはとても理解できないと感じた価値観もありました。けれどそれもいつか、理解可能なものへと変わっていきました。
 あれほど理不尽な存在だったメビウスの価値観ですら、今は理解できます。
 ある意味では時間が解決してくれたようなものですね。ちなみに私のエンディング到達までのプレイ時間は174時間。イベントシアターの視聴時間も含めると225時間以上に達したようです。

 オリジンに記録されたデータベースから生成されたケヴェスやアグヌスの兵士とは異なり、シティーの人々はアイオニオンで新しく生まれた存在です。これからオリジンによって再生される2つの世界に彼らが存在できるかというと、まあ、きわめて不確か。
 それでもゴンドウやモニカは確信します。きっと自分たちにとって良い未来が待っていると。

 だって、ほら。これまでの人生は幸せだったから。
 だったらこれからの人生も幸せに違いない。

 「これが俺たちの世界の全てだ。想い出は朝日に溶けていき、そして新しい一日が始まる。俺たちの前には道がある。たくさんの道が。どれを選ぶかは自分次第。ときには迷うことだってあるだろう。立ち止まって泣くことだってあるだろう。だけど、それでいいんだ。道は彼方まで続いてるんだから」

 過去と現在と未来は連続しています。
 過去と未来をつなぐ“今”はいつの瞬間にも確実に存在するわけです。
 これから先に連なる永遠の時間の流れのなかで、これからも奇跡は何度だって起こるでしょう。
 私たちは過去に奇跡が起きたことを知っているから。
 私たちは未来に奇跡が起きることを望んでいるから。
 過去と未来が永遠に続くかぎり、いつかの“今”で、奇跡は再び起こるでしょう。

 なお、ノアたちが“今”を信じるに至った根拠はたくさんの出会いのなかにありました。
 エセルやカムナビのようにはっきりと言葉で預けてくれた人たちもいました。
 ヨランやクリスのように生き様で示してみせた人たちもいました。
 シャナイアのように見ているだけでこちらの心に深く刻みつけられた人たちもいました。
 エヌやエムのように過去から語りかけてくる人たちまでいました。
 あらゆる場所と時間から託されたたくさんの思いを背負ってきたからこそ、ノアたちは全ての“今”を信じられます。ノアたちが“今”を信じる根拠の大半は自分の経験以外のところに拠っています。
 だったら、彼らと同じ出来事を追体験してきた私たちだって――。

 「進め」

 あなたのその意志を伴う行動はいつかどこかで良い結果を生むでしょう。

 これは楽観ではありません。確信です。
 私たちの“今”は奇跡とともにある。

別れだなんて思っていない。
今は一時離れたとしても、思いはいつもここにあるから。
だから会いに行くよ。
千に一つの奇跡を抱きしめて。

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