プリキュアはなぜ変身するのか? 『ドキドキ!プリキュア』の場合。

みなぎる愛! キュアハート!
英知の光! キュアダイヤモンド!
ひだまりぽかぽか! キュアロゼッタ!
勇気の刃! キュアソード!
愛の切り札! キュアエース!

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※ このブログは基本的にネタバレに配慮しません。

 愛を問いなおす戦い、『ドキドキ!プリキュア』。
 プリキュアシリーズのなかでも私が特に好きな作品です。若干信仰対象にしているケすらあります。なるべく冷静に・・・なる必要は感じないけれど、今回の企画の趣旨から逸脱しすぎないように気をつけなければ。

 本作からまたプロデューサーが交代します。柴田プロデューサー時代のプリキュアは・・・なんというか、全体的にヘソ曲がりな作風だったように思います。
 一見すごくヒーローっぽいんです。特に主人公はどの作品でも威風堂々としているというか男の子向けヒーローっぽいというか、とにかくカッコいいんです。なのにそのくせ、その主人公をカッコよくしている根源の思想をやたらと批判したがるんですよね。一旦価値観を完膚なきまで破壊して、そこから再構成を促していくスタイル。
 これがシリーズ自体の流れをも“敵をも含めた万人の救済”から“個人の幸せを深く追求していく自己探求”へと変容させていきます。
 当時は賛否両論飛び交っていたように記憶していますが、『スイートプリキュア』あたりで救済路線の完成を見た感じはあったので、私としてはどのみちそろそろ転換点が必要だったんじゃないかなと。
 そのあたりの話はこのくらいでやめとくとして。

 本作『ドキドキ!プリキュア』は、人を愛する気持ちと“ジコチュー”な気持ちの相克の物語・・・からはじまって、最終的には自己愛を欠いた献身的な愛とも戦うことになります。こういうところ、さっそくヘソ曲がり。
 相田マナを筆頭に、本作のプリキュアはみんな揃ってきわめて能力が高く、しかもそれぞれしっかりした自分の考えを持っています。ヒーローとしての安定感はシリーズ随一。・・・と、放送当時は思っていたんですが。
 改めて彼女たちの言動を追いかけてみると、要所要所でびっくりするくらい情けない弱音を吐いていたりもするんですよね。ブレなさでいったら『スマイルプリキュア!』や『魔法つかいプリキュア!』の方が絶対に上。
 最初からしっかりしているように見せかけて、実は彼女たちの思想には脆さがあります。どこか矛盾していたり、無理があったりします。そういう自分の弱さにひとつひとつ向き合って、やがて大きな愛を担える強さを獲得していくところにこそ、本作のプリキュアたちの魅力があると思うんです。

相田マナ / キュアハート

「お願い。私に勇気を、力をください。お願いします・・・!」(第1話)
「プリキュア5つの誓い、ひとつ! プリキュアたる者、いつも前を向いて歩き続けること!」(第23話)

 いつも自信満々、朗らかに笑って人助けをしてまわる生徒会長。マナといえばまずそういうイメージが頭に浮かびます。
 けれど、初変身直前のセリフは意外にもお婆ちゃんから教わったおまじない頼みでした。
 彼女も最初はいつもの調子で自信満々に変身しようとしました。けれど、変身アイテムが反応してくれなかったんです。彼女がようやく変身できるようになったのは、自分を庇ったせいでキュアソードがピンチに陥ったのを見たとき。今の自分の力ではどうやったって彼女を助けられないと痛感したときのことでした。

 後に「プリキュア5つの誓い」として、彼女は「いつも前を向いて歩き続けること」という訓示を授けられます。逆にいえばそれ以前の彼女にはそういう気持ちが欠けていたということです。
 この子、自分にできる限界を思い知るとそこで考えることを止めてしまうクセがあったんですよね。閾値がやたら高いのでよっぽどのことがないと目立たないのだけれど。人事を尽くして天命を待つ、といえば聞こえはいいのですが、こうなるとせいぜい虚勢を張るくらいで周りに助けを求めることすらやめてしまうのが困ったところです。そういうのはプリキュア流の“諦めない”とはちょっと違います。

 マナは自分の限界を痛感し、力を望みました。その願いは叶えられて目の前の人を助けることができました。ですが、それだけです。『ハートキャッチプリキュア!』における変身がそういうものであったのと同じに、マナ自身はこの変身によって何も変わることがありません。
 彼女が本当の意味で強くなるのは物語中盤。きわめて大きな喪失を経験して、自分には何があっても失いたくないものがあるんだということを自覚してからです。

菱川六花 / キュアダイヤモンド

「私、ずっとマナと一緒だった。マナがいてくれたから毎日が楽しかった。輝いてた。――私の、力!」(第3話)
「プリキュア5つの誓い、ひとつ! プリキュアたる者、自分を信じ、けして後悔しない!」(第26話)

 マナの相棒を自負し、そして実際マナからも一番に頼りにされている六花。相当な世話好きで、たいがいな心配性でしたが、暴走人助けマシーンのマナの隣に立つにはそもそもこのくらいでなければ釣り合えませんでした。
 彼女の自己肯定感はマナに依存していました。マナに付いていけているだけあって、本当は彼女自身の実力も相当なものです。ですが、彼女は幼いころからずっとマナの助けになることに徹し、問題を乗り越えるときもいつだってマナと力を合わせていました。ふたりの指針を決めるのはいつだってマナでした。
 だから、彼女が初めてプリキュアに変身したきっかけもマナのため。自分にプリキュアになれる力があると信じられたのも、マナが信じてくれたから。
 マナマナマナ。

 六花に授けられた「プリキュア5つの誓い」は「自分を信じ、けして後悔しない」というものでした。つまりは自分で決めろと。自分に責任を持てと。
 この子の弱点は『ドキドキ!プリキュア』のなかでは比較的わかりやすいものです。それがあまりにも悪目立ちしすぎるせいで見落とされやすいのですが、六花という少女は、本当はかなり自立した人間なんですよね。両親が多忙な彼女は家ではちゃんとひとりで自活していますし、本当はマナがいなくたって自分の好きなものを見つけたり、正しいと思うことを実行したりもできるんです。ただ、本人にその自覚がないだけで。

 六花はマナを助けるためにプリキュアの力を使いました。でもそれはたまたま手のなかに変身アイテムがあったからです。無ければ無いで別の方法を探して怪物に立ち向かったことでしょう。彼女は元々そういうことができる子です。
 だから、彼女は初変身を経ても特に何も変わりません。他シリーズの多くのプリキュアたちと違って、六花にとって変身は何の転機にもなりえませんでした。彼女の転機は物語中盤になってようやく訪れます。

四葉ありす / キュアロゼッタ

「力とは、大切なものを守るためのもの・・・。ありがとう、ランスちゃん。私はもう怖れません!」(第4話)
「プリキュア5つの誓い、ひとつ! 愛することは守りあうこと!」(第25話)

 マナのもうひとりの幼馴染みであり、大財閥の嫡子であり、必要なマネーパワーを遠慮呵責なく揮うことができる傑物、四葉ありす。
 彼女は当初、自分はプリキュアになろうとしませんでした。裏方としてマナたちのサポートに徹しようとしていました。幼いころのトラウマがあったからです。ひどいことを言ってマナを泣かせたいじめっ子たちにブチ切れて、中学生含む男子4人をボロ雑巾のように叩きのめしてしまった苦い記憶。彼女はそんな自分を恐れていました。・・・なんなのこの子。
 マナと六花は元々優秀な人物だったので、たしかにありすが変身しなくともプリキュアとしてうまくやっていけそうでした。彼女が変身することになったのは、実は必要に迫られてのことではありません。

 ありすの「プリキュア5つの誓い」は「愛することは守りあうこと」というものでした。マナたちのために喜んで裏方を引き受ける彼女は、愛の深さという意味では初めからほぼ完成していました。問題はその愛が自分にも向けられているかということだったわけです。
 献身的すぎるんですよね。底知れない能力と財力を持っているおかげで、それから忠義を尽くしてくれる執事が仕えてくれているおかげで、たまたま自分を犠牲にするほどのムチャはせずに済んでいるものの。マナたちのことを好きだという気持ちがあまりに強すぎて、逆に自分もみんなから愛されているんだという当たり前のことに無頓着だったんです。

 ありすは妖精・ランスの「大切な人を守るための力を怖がっちゃダメ」という幼い価値観に説得されて変身します。彼女にとってはその価値観に準じることこそがいつもの愛の延長であり、トラウマに縛られてただの裏方でいるよりもずっと正しい愛のかたちに思えました。
 けれど、彼女を見守る者の目には別の意味として映りました。その変身はむしろ、いつも自分を押し殺してばかりいる彼女がやっと自分のやりたかったことに素直になれた、年齢相応のワガママに見えました。

剣崎真琴 / キュアソード

「ダビィ。私、もう絶対に諦めない! トランプ王国に平和が戻るその日までジコチューと戦う!」(第7話)
「プリキュア5つの誓い、ひとつ! 愛は与えるもの!」(第24話)

 真琴はトランプ王国からの亡命者です。他のプリキュアシリーズでは妖精が担っていた、異世界からプリキュアに助けを求める役どころに相当します。
 彼女は当初、自分のすべきことを見失っていました。はぐれた王女様を見つけるためにはじめたアイドル活動も思うような結果に結びつかず、いつしか彼女はピリピリと苛立ちばかり募らせるようになっていました。
 彼女がプリキュアに変身する理由を取り戻したのはマナたちと出会ってから。

 真琴に授けられた「プリキュア5つの誓い」は「愛は与えるもの」。マナたちの訓示に比べると、愛を司るプリキュアとして当たり前すぎるくらい当たり前な言葉ですね。
 前述のとおり、初期の真琴はプリキュアに助けを求める役どころでした。マナたちと出会う前の彼女は祖国を守ることができず、王女様を見つけることもできず、プリキュアである以前にただの無力な迷い子でした。他人を愛する余裕なんて全然なくて、だから彼女にはまず、自分を保護してくれる誰かが必要でした。彼女は愛を受ける側の人間でした。
 王女様からたくさんの愛を教わっていた彼女は、本当はそんな一方的に愛されたいだけの子ではなかったはずなのにね。

 真琴は最初、マナの愛を素直に受け取ることができませんでした。自分と同じで何も守れない、無力な愛だと考えてしまっていました。けれど、冷たくあしらっても何度も手を差し伸べてくれて、絶望的な状況でもトンチみたいな希望を探してくれて。そんな彼女たちをまっすぐ信じたいと思うようになり、以後真琴はマナたちとともに戦うようになります。
 それでやっとスタート地点。彼女が自分のなかにある愛に自覚的になるのはもう少し後のお話です。

円亜久里 / キュアエース

「父から受け取った“愛”。世界中の人々の笑顔を守る“愛”。ジコチューと愛は表裏一体。そのどちらを選べばいいのか、私には答えを出せません。私はその結論を、世界の行く末を、このふたつのプシュケーから生まれし者たちの戦いに託します。こんなかたちであなたたちに過酷な運命を背負わせてしまった、不甲斐ない私を許してください」(第46話)
「プリキュア5つの誓い、ひとつ! プリキュアたる者、一流のレディたるべし!」(第27話)
「エルちゃんは私を信じて待ってくれています。そのために、私は戦います! エルちゃんだけではありません。私の大切なお友達に手を出したらただではおきません!」(第28話)

 ジコチューに心を冒された王女様は、自分のなかで葛藤するふたつの心をそれぞれ別の人格として分けました。ひとつはレジーナ。守るべき国民たちを犠牲にして、愛する父王を選ぼうとする心。そしてもうひとつが亜久里。唯一の肉親である父王を手にかけてでも、愛する大勢の国民たちを選ぼうとする心。女王様はそのどちらかがあるべき愛の姿だと考え、亜久里とレジーナの決闘によってその答えを探ろうとしました。
 亜久里がプリキュアに変身する理由は生まれる前から運命づけられていました。すべてはレジーナと、父王と、彼らが属するジコチューを打ち倒すため。

 そんなわけでマナたちの前に現れた時点での亜久里は自分の正しさを確信しており、彼女が自分に当てはめた「プリキュア5つの誓い」もまた、訓示した時点ですでに達成されていました。言ってしまえば彼女は自分の課題を正しく認識できていませんでした。(茶道の家元である祖母の影響もあったのかもしれませんね。家族愛)
 亜久里はマナたちがつくったきっかけにより、エルちゃんという大切な友人を得ました。そして彼女に向ける愛が自分をさらに強くしてくれることを知って、自分が本当は未完成であったことを自覚します。そして一方のレジーナもマナたちと出会って、父王以外に大好きな友達をつくっていました。
 彼女たちは後に激突しますが・・・本当はこの時点でとっくに戦う意義を失っていたんですよね。広い博愛を象徴する亜久里は特定個人への愛に目覚め、たったひとりのための家族愛を象徴していたレジーナは大勢の友達をつくることに目覚めていたんですから。
 まさに「ジコチューと愛は表裏一体」。分かたれたふたつの心は、結局ふたりとも両方の愛を獲得することになります。

 当然、亜久里にとっても変身は超常的な力を得る以外の意味を持ちません。なにせ生まれつき持っていた力ですから。

 ・・・改めてふり返ってみると、『ドキドキ!プリキュア』って本当に変なプリキュアですね。
 彼女たちは“怪物と戦うこと”以外にプリキュアに変身する理由を持ちません。しかもプリキュアに変身したことをきっかけとした日常の変化が起こりません。あえていうならありすは多少考えかたが変化しましたが、それだって本当の意義を自覚するのはキュアセバスチャン回までお預けですし。
 マナたちの転機はレジーナとの離別です。もう一度彼女に自分の愛を届かせるためにこそ、マナたちは自分を見つめなおすことを必要としていました。プリキュアに変身するだけでは全然足りていませんでした。

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