プリキュアはなぜ変身するのか? 『Go!プリンセスプリキュア』の場合。

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咲き誇る花のプリンセス! キュアフローラ!
澄みわたる海のプリンセス! キュアマーメイド!
きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!
深紅の炎のプリンセス! キュアスカーレット!

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このブログはあなたが視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

 個人主義の極北、『Go!プリンセスプリキュア』。・・・って、そんな言い方をしているのは私だけですが。
 本作のテーマは“夢”。そしてモチーフは“プリンセス”。となれば、ゆるふわで絵本みたいな優しい作風になりそうって思うじゃないですか。ところがどっこい、ガチでした。バトル描写も。敵の恐ろしさも。脚本の切れ味も。思想のシビアさも。
 本作のプリキュアたちはとことんストイックでした。“プリンセス”だからって白馬の王子様を待つようなことは良しとしませんでした。自分の夢は自分で努力して叶えるべきだと考えますし、夢を諦めようとする人にははっきり「カッコ悪い」と言い放ちます。基本的に強者の物語です。そうじゃない人にも何よりまず強くなる努力を奨励します。

 「夢を守るプリンセスから、すべての夢を希望へと導くプリンセスへ」
 “ヒーローでは救ってあげられない人たちに何をしてあげられるか?”という『ハピネスチャージプリキュア!』の問いかけに対するひとつの答えがこれだというわけですね。
 ひとりひとりが夢のために強くなればいい、と。プリキュアはトラディショナルなヒーローに倣って範を示すのみ。ヒーローらしく一方的に他者を救うようなまねは好みません。孤独な鍛錬に挫けそうになる人がいたら、あくまで対等な同志として叱咤し励ましあうだけです。
 そう。本作のプリキュアと街の人々は最終的に対等の存在として描かれます。

春野はるか / キュアフローラ

「夢。私の夢。私の、夢は・・・“プリンセスになりたい”。私は、プリンセスになりたいの!」(第1話)

 はるかの物語は永遠に叶うことない夢への旅路です。
 彼女の夢は絵本の主人公である「花のプリンセス」になること。プリンセスといってもどこかの王族の養子になるとか嫁入りするとか、実はそういう意味ですらありません。現実にはそもそも叶えようがない夢です。
 子どもっぽい夢だとは理解しています。幼いころにも散々バカにされてきたので恥ずかしいと思うこともあります。
 それでも彼女はその夢を捨てませんでした。本気で夢を叶えようと努力していました。両親やカナタに夢を祝福してもらえたことで、彼女は絶対に叶わない夢を叶えるための努力を諦めない強さを得ていました。

 その愚直なほどまっすぐな夢への憧憬が、プリキュアに変身するための資格となります。
 はるかの夢は叶いません。叶わないからこそ、彼女はその夢のために永遠に努力し、無限に自分を高めつづけることができるんです。
 『Go!プリンセスプリキュア』の物語において、“夢”とは“自分を高める努力をつづける動機づけ”としてこそ偉大な価値を持ちます。

海藤みなみ / キュアマーメイド

「学園のみんなを守るのが生徒会長の、私の使命! 私は決してあなたに屈したりしない!」(第2話)

 みなみの物語は惑い、変遷する夢への旅路です。
 彼女は元々家業を継ぐことを自分の夢としていました。それで納得していました。けれど彼女はやがて新たな夢に出会い、両立できないふたつの夢の狭間で苦しんでいくことになります。
 そういう物語に至る導入として、初変身時点での彼女はまず、自分以外の人々の多様な夢をも慈しむ博愛の人物として描かれます。夢というものが多様であることを知っている彼女だからこそ、やがて自分のなかに生まれることになる複数の夢のいずれをも安易に切り捨てず、どの夢を選ぶか真剣に考えていくことになるんです。

 夢の多様性を肯定する器量こそが、彼女がプリキュアに変身しうる資格となります。
 みなみの初変身は彼女自身の夢とは一切関係ないところで行われます。学園のみんなの夢を守るため、そして、その夢を守ろうと戦うはるかを守るために、彼女は変身することになります。しかし、やがては彼女のその姿勢こそが彼女自身の夢にとって重要な意味を持つわけです。

天ノ川きらら / キュアトゥインクル

「大した夢だよ! 天ノ川きららの夢はこの星空みたいにキラキラ輝いているんだから!」(第4話)
「私はトップモデルになる。その夢は変わらない。――変わらないけど、同じくらい大切なものができたの! だから、私はプリキュアになる!」
(第5話)

 きららの物語は自分の夢と他人の夢との関係性を問うていく旅路です。
 彼女はプリキュアの歴史のなかでも珍しい、プリキュアに変身できるにも関わらずプリキュアとしての活動を拒否した人物です。というのも、彼女にとってプリキュア活動とは夢を叶えるために関係ないものだったからです。

 きららはモデルになるという強い夢を持っていて、しかもそれを叶えるための明確なビジョンまで持ちあわせていました。プリキュアに変身するにはそれだけで充分すぎるほどの資質でした。
 しかし、夢を叶える明確なビジョンをすでに持っているということは、逆にいえば夢を叶えるためにはそれ以外の活動をする必要がないということでもあります。彼女にとって、プリキュアに変身する資格とプリキュアとして活動する理由とは、はっきりと別の問題でした。
 しかし、彼女ははるかが自分にはない豊かな発想を持っていることを知り、考えを改めます。プリキュアになればそんなはるかと一緒に夢を追いかけることができて、はるかから学んだ発想力を自分の夢にも生かせるかもしれない、と。
 本来ひとりで夢を追いかけられる彼女は、そうしてようやくプリキュアとして活動していく理由を得ることになります。

紅城トワ / キュアスカーレット

「私はもう二度と絶望しない! 一度犯した罪は二度と消えない。でも、心から望めば――。なら私はこの罪とともに、この罪を抱いたまま、もう一度グランプリンセスを目指す!」(第22話)

 トワの物語は一度潰えた夢を取り戻していく再生の旅路です。
 彼女は敵の洗脳を受けたことにより、自らの手でたくさんの夢を絶望に追いやってしまいました。幸いなことにその被害者たちが彼女を咎めることはなかったのですが、肝心の彼女自身が自分を許せずにいました。罪悪感のせいで、自分には夢を叶える資格がないと考えるようになってしまいました。
 その夢を、トワに代わってはるかが受容します。どんなことがあっても、誰の、どんな夢であっても、夢は絶対になくならないと信じます。なにせはるか自身が永遠に叶うことない夢を追いかけているんです。そして何より、トワの夢を応援してくれている人(カナタ)が他にもいることを、はるかは知っていたんです。

 トワが夢に向けていた情熱は元々大変強いものでした。だから、もう一度夢を望んでいいと信じることさえできたなら、彼女はそれだけでプリキュアに変身する資格を得ることができます。
 以降、彼女の夢はたくさんの人たちに祝福されることで大きく育っていくことになります。
 『Go!プリンセスプリキュア』は個人主義の極北と呼んでいいくらい自助努力に特化した作風なのですが、それでいて周りの人々との絆をないがしろにするということも決してありません。あくまで“みんなで励ましあいながら”自分のために努力する物語なんです。

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