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プリキュアはなぜ変身するのか? 結論1:私たちは変身に憧れる。

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私、変わります! チェンジするんです!!

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※ このブログは基本的にネタバレに配慮しません。

変身って楽しい

 「私は、こうして授かったのも運命なのかなって」
 「えー。じゃあ、一緒になって地球の平和を守る――みたいなこと、本気で思ってんの?」
 「そんな大それたことでもないけど。でも、なんか面白そうだし」
 「あのね。死にそうになったのよ、私たち」
 「そういうところも、何か面白そうだなあって」
 「だーっ! よくわかんない!」
(『ふたりはプリキュア』第2話)

 はじまりのプリキュアは望まずして変身する力を得ました。というか異世界の問題に巻き込まれたようなものでした。
 いちおう自分たちの世界を守ることにもつながる戦いではありました。でも、だからどうした。少女たちはこれまで平和に暮らしてきましたし、見たところこの日常はこれからもしばらく続くようでした。差し迫った危機感はありませんでした。
 美墨なぎさはプリキュアを続けていくことを嫌がりました。だって、当然じゃないですか。どこにでもいる普通の女子中学生に世界を守る義務なんてあるはずがないじゃないですか。

 けれど、雪城ほのかの方は意外にもけっこう乗り気でした。その心情を語ったのが冒頭のやりとり。
 まるでクレイジーですね。本当に何言っているんだかよくわかりません。「面白そう」って・・・、そんなものが死の危険と釣りあうのでしょうか?
 『ふたりはプリキュア』は近年のプリキュアシリーズの作風と異なり、基本的になぎさの視点から描かれます。なのでこのときほのかが何を考えていたのかははっきりとは描かれません。
 ただ、少なくとも普段のほのかはクレイジーではありませんでした。彼女は享楽のために命を賭けるような性格では決してありませんでした。少々浮世離れしたところはありましたが、真面目で、優しくて、心に芯が通っている善性の人物でした。
 なのに、彼女はリスクを承知のうえでプリキュアに変身できたことを喜んでいました。

 「プリキュアですぅ!! プリっキュア! プリっキュア! 強いぞ強いぞプリっキュア! プリティプリティプリっキュア!」
 「んー・・・。よーし! プリキュアー!!」
 「ぱちぱちぱちぱちー」
(『ハートキャッチプリキュア!』第2話)

 シリーズではじめて、楽しそうに笑いながら変身するようになった『ハートキャッチプリキュア!』。
 その初変身は妖精たちにめいっぱい祝福されました。
 花咲つぼみはあくまで敵に襲われた被害者を助けるためにプリキュアになったのであって、この変身は自分のためじゃなかったはずなんですけどね。変身したことに彼女自身にとってのメリットはなかったはずなんですけどね。
 なのに、それでも祝福された彼女はなんだかウキウキしていました。(そのあとズタボロに敗北するんですけどね)

 「えりか。ボクのパートナーのプリキュアになってですぅ!」
 「私がプリキュア・・・? あのコスチューム、かわいかったなあー」
 「でしょでしょ! 第二のプリキュアになってですぅ!」
 「――プリキュアっていいなあ」
(『ハートキャッチプリキュア!』第3話)

 ちなみに相棒である来海えりかはファッションに興味があることもあって、つぼみ以上に乗り気でした。他にやることがあったので最初は断るんですけどね。いざ変身する段になると超ノリノリでした。
 とはいえ彼女の初変身も自分のためではなかったことは以前も書いたとおり。
 それでも、楽しそうに変身していました。

 「正体を隠し、みんなのために戦う。それが――」
 「ヒーローなのです!! みんなを守り! 強くて! カッコよくて! さらにかわいくて! キレイで! たおやかで! プリキュアはヒーローなのです!」
(『HUGっと!プリキュア』第18話)

 そして最新のプリキュアである愛崎えみる。
 彼女はヒーローというものに並々ならぬ憧れを抱いていて、何かの目的のためにプリキュアになるというよりは、プリキュアになることそのものが彼女の夢となっていました。
 まあ、実はプリキュアになるだけでは彼女の本当の夢は叶わなかったんですけどね。それは別のお話。

変身って嬉しい

 「地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないこと、あるんじゃないの?」(『ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!』)

 少女たちに世界を守る義務はありませんでした。プリキュアシリーズが変身ヒーローの物語である以上は、世界を守るために戦うのが普通なのに。

 では、ヒーローになる少女たちに世界を守らなければならない義務を背負わせればこの矛盾は解決するでしょうか。たとえば伝説の英雄の血を継いでいるとか、たとえば前世から特別な宿命を定められているとか、そんな設定を付加して。
 いいえ。物語を成立させる手段としてはそれでもいいかもしれませんが、その設定は視聴者たる子どもたちからヒーローを遠ざけてしまいます。ヒーローとは、子どもたちに尊敬され、手本となるための偶像です。できることなら子どもたちみんなにとって手の届きそうな存在であってほしい。

 そこでプリキュアシリーズは『Yes!プリキュア5』あたりから、プリキュアに変身することと個人的な夢や目標がリンクするように設定していきました。
 プリキュアとは夢を守る存在である。プリキュアとは理想を体現した姿である。プリキュアとは守りたいものを守れる力である。――こんな感じで。
 いわば理想の前借り。大きくなったら叶えたい夢を子どものまま叶える奇跡。まさに“変身”です。

 「大きくなったら何になりたい? 両手にいっぱい全部やりたい!」(『プリキュア5、スマイルGo Go!』)
 「夢見たい。恋したい。超めいっぱい。微笑んでおまじない」(『キラキラしちゃってMy True Love!』)

 プリキュアに変身するという行為には、平凡な女の子でも理想の自分の姿を垣間見ることができる、そういうスペシャルな特典が付加されるようになりました。
 これによって少女たちは世界を守る義務を負うことなくプリキュアに変身する動機を得られるようになりました。
 世界を守るためじゃない変身。自分のための変身。夢を叶える変身。大人みたいに何でもできるようになるための変身。
 視聴する子どもたちにとっても、プリキュアという存在がより魅力的なものに見えるようになったのではないでしょうか。プリキュアごっこ、したくなるんじゃないでしょうか。

 ・・・なんて。

変身ってカッコいい

 「あのね。死にそうになったのよ、私たち」
 「そういうところも、何か面白そうだなあって」

 ここまでノープランでタラタラ書いてきたので素で忘れていました。
 上記のような説明では雪代ほのかがプリキュアを喜んでいた理由がつきません。
 変身する理由に夢とか目標とかの個人的な動機が付加されるようになったのは『Yes!プリキュア5』以降です。ぶっちゃけシリーズ全体から見ると後付けです。彼女のころはそういう特典なんて特にありませんでした。

 そもそもが夢だの目標だのごく個人的な願望のために変身するのなら、プリキュアはやっぱり悪と戦う必要がありません。
 別に悪と戦わなくたってヒーローにはなれます。子どもたちに憧れてもらうことはできます。ほら、スポーツ選手とか、アイドル歌手とか、職業ものドラマの主人公とか、まさにそうじゃないですか。戦うだけがヒーローじゃないんです。
 『魔法つかいプリキュア!』なんてかなりギリギリでしたね。あの作品はやろうと思えば『魔法使いサリー』とか『おジャ魔女どれみ』みたいに純粋なエブリデイマジックとしても成立させられる物語でした。
 つづく『キラキラプリキュアアラモード』も肉弾戦の封印を試みておきながら、結局話数を重ねるほどにトンチみたいな工夫で肉弾戦風の演出を取り入れていきましたっけ。
 それでも、プリキュアは戦っていました。どんな作風であっても。

 「女の子だって暴れたい!」ということなんですかね。やっぱり。
 夢を叶えるとか、かわいい衣装を着たいとか、そういう動機だってあってもいいですが、14年前の子どもたちが最初にプリキュアに憧れたのはそういうところではありませんでした。14年間プリキュアが敵と戦いつづけてきたのには相応の理由がありました。

 別にね、そういう暴力への渇望が人間の本能なのだ~、みたいな結論に落ち着くつもりはありません。
 だって、映画館に行くとバトルシーンで泣きだす子が必ずいますしね。私自身、生々しい暴力シーンは嫌いですしね。私が感じたことのない“本能”を私は信じる気がありません。
 ただ・・・。
 私、子どものころはなんだかんだいっても戦隊ヒーローとかアンパンマンとか観ていたんですよね。ドラマパートは興味が湧かずに絵本を読んで流し見、バトルシーンは殴る蹴るの描写が怖くて逃げ出し、・・・まあ、大半の時間はまともにテレビの方を観ようとしないアレな子だったんですが、それでもトドメの必殺技のときだけは楽しんで観ていましたっけ。
 要するにヒーローが戦うところは好きじゃないくせに、ヒーローが勝つ瞬間だけ好きだったんですよ。
 あれって何でだったんだろうなあって、ずっと思っていたんです。

 結局のところ、“強い”ってところに憧れるんでしょうね。
 こういう記事を書いておいて具体的な表現で言語化できないのは申し訳ないんですけれど、プリキュア全シリーズを観返していて、なんとなくそう思いました。これバトル要らなくない? って話数もひとつやふたつじゃなかったですし。ほぼバンクシーンだけの短いバトルであってもムリヤリ盛り込んでくるということは、そういうことかなあって。
 ヒーローが敵に勝つところを観るのって、やっぱり嬉しいんでしょうね。
 暴力が好きとか嫌いとか関係なく。男の子とか女の子とかも関係なく。
 特に、子どもであるならばなおさら。
 だって――。

 「わ。わ。もうダメー!」
 「助けてー!」
 「ふたりとも、変身するメポ!」
(『ふたりはプリキュア』第1話)

 弱いと、自分じゃどうにもならないことがたくさんあるんですよ。

 「私・・・ふたりを助けてあげたいのに、何もできないなんて・・・」
 「ぷりきゅらを助けるポポ! ひかりー! ひかり、みんなの未来を信じるポポ!」
(『ふたりはプリキュアMax Heart』第4話)

 弱いままだと、やりたいことも満足にできないことがあるんですよ。

 ただそれだけなんじゃないかな、と思います。
 世界を守る義務なんてないのに、必ずしも悪と戦わなくても描けるものはあるのに、それでもプリキュアが怪物と戦いつづける理由は。

 今の自分が弱いから。
 親とか学校とか、いろいろ理不尽なことに振りまわされてしまうくらい弱いから。
 夢とか目標とか、やりたいことを自由にやることもできないくらい弱いから。
 だから、強くなってみたい。
 どんな怪物でもやっつけられるヒーローみたいに、自分も何でもできるように“変身”してみたい!
 何でもできるようになれば、きっと、楽しいはずだから!

 雪城ほのかはプリキュアになれたことを喜んでいました。
 花咲つぼみはプリキュアに変身できたこと自体にウキウキしていました。
 愛崎えみるはプリキュアになることそのものに強い憧れを抱いていました。

 プリキュアは戦います。
 変身することで得られる強さをわかりやすく示すために。
 そして同時にプリキュアは夢も体現します。
 変身前はできなかったことを、変身したことでできるようになったと証明するために。
 (設定的には変身前でも充分戦えそうなルールー・アムールが頑として戦おうとしない理由もきっとこういうこと。変身する前から強かったらそもそも変身したくならないでしょうから)

 「諦めない、負けない!」(『キラキラkawaii! プリキュア大集合』)
 だからこそプリキュアは諦めません。負けません。
 変身したということは、何でもできるということだからです。できないことがあるのならせっかく変身して強くなった意味がありません。

 “変身”って、できないことができるようになるってことなんです。

 ・・・いやー、我ながらびっくりするくらい当たり前の話に着地しました。
 ここで一旦記事を切ります。残るは私にとって大本の疑問である、プリキュアが正体を隠したがる理由について。
 だいたい見えてきた気がするのですが、どうもこちらも当たり前の話に落ち着きそうです。

コメント

  1. 東堂伊豆守 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    えーと、なにぶんプリキュア作品をきちんと視始めたのが「魔法つかいプリキュア」からで、シリーズ全体を俯瞰した上で語ることが出来ない立場ではあるんですが…。
    私の印象では、プリキュアは「戦わないで済ませる方法を見いだす為に戦っている」感じがありますね。戦うことは本意ではないのに戦わなければならない状況に追い込まれて変身という"武装"を行い、それでもなお「戦わずに状況を打破する途はないのか」を懸命に探し求める事が重要なテーマになっているように思えます。
    現行作品「HUGっと!プリキュア」はこのコンセプトを明確に打ち出していて、「違うよ。必要なのは剣じゃない」という台詞に象徴的に表されていますし、他にも「変身するよ。このままじゃ話も出来ないでしょ」とあくまで対話に拘る姿勢を見せてきたりする。
    また前作「キラキラプリキュアアラモード」でも、主人公いちかに最後まで"理解と和解"に拘る姿勢を貫かせ、策略を使ってまで相手を追い詰める琴爪ゆかりのようなタイプは「あくまでサブ」という扱いで主人公の引き立て役に回している。
    この辺は私の推測なんですが、オーソドックスな女児向け変身ヒロイン作品とは違う、バトルヒーロー作品同様の"変身=武装"という要素を持たせた「プリキュア」シリーズの制作において、「年端もいかない女の子を戦場に駆り出していいのか?」という疑念が"チーム東堂いづみ"の中に根強くあって、戦うことの理由をどう位置付けるのかはこの疑念を晴らすための切実な課題だったと思うんですね。それで試行錯誤を重ねてたどり着いた答えが「戦わなければならない状況に(好戦的ではない)少女達を投げ込んで、戦わずに済ませる方法を真剣に模索させる(どうしたら戦わずに済むか、を戦わなくていいときに真面目に考えることって実はあまりない)」というコンセプトだったのではないかな、と。
    まあ、プリキュアシリーズが今後20年30年と続いていったときに、戦うことに如何なる意味を持たせていくことになるのかは分かりませんが、少なくともプリキュアを"戦争の犬"にすることはないでしょう、ね。

  2. 疲ぃ より:

    SECRET: 0
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     「プリキュアはなぜ変身するのか?」というテーマで語るなら、確かにバトルに込められた意義にも視野を広げるでしたね。視点の欠けていた部分について補足していただき感謝します。
     プリキュアシリーズにおいては第3作『ふたりはプリキュア Splash Star』にて初回から妖精(精霊)たちがプリキュアを守ろうとしたり、つづく『Yes!プリキュア5』では“変身”に敵を倒す以外の意義を持たせたりと、子どもたちを戦わせることの不健全さを早くから認識したうえで、なおも子どもたちの戦いを描いてきたシリーズなんだろうと考えています。そこには東堂伊豆守様の指摘する“少女たちが戦う意義”が必ずあると、私も思います。

     今回は私の出発点が「プリキュアはなぜ正体を隠そうとするのか?」だったこともあり、恥ずかしながら現在私はそちらの方面まで自分の考えをまとめきれていません。いずれまた違う機会に改めて考えてみたいと思いますが、今回のところは東堂伊豆守様の意見を概ね支持させていただくことで対応したいと思います。
     ありがとうございました。

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