誰かを許せず恨む気持ち。それは誰もが自然に持っているものよ。おかしなことなんかじゃない。――でもね、忘れないで。大事なのはその感情に流されないことよ。
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「清く正しく! あまねとハロウィンパーティ」
Lead Character:がんばったひと
あまね
Major Happening:大きなできごと
ふとしたことからジェントルーへの憎しみを思いだしてしまったあまね。その感情を振りきろうと丸一日気分転換に努めるもわだかまりは晴れることなく、ついにはプリキュアに変身することもできなくなってしまった。
しかしマリちゃんは言う。誰かを恨む気持ちは誰しもが自然に抱くもの。肝心なのはその感情に流されないことだと。その言葉を受けて自分が今何をするべきかを理解したあまねは立ち直り、再びプリキュアに変身できるようになった。
Sub Questions:小さなできごと
あまねとパフェのレシピッピのケンカ
元々あまねはパフェのレシピッピをハロウィンパーティに招待したいと考えるほど大切に思っていたが、八つ当たりしてしまったことで嫌われてしまったと思っていた。ハートフルーツペンダントが動かなくなりプリキュアに変身できなくなったのもそれが原因だと。
実際のところパフェのレシピッピは八つ当たりされてからも変わらずあまねを思いやっており、変身できなかったのはあまね自身が塞ぎこんでいたからに過ぎなかった。
ナルシストルーの転落人生
クッキングダムではナルシストルーの犯行動機が次第に明らかになりつつあるらしい。動機は様々に挙げられたが、一言でまとめるならワガママ。「ごはんは笑顔」が通用しないケースを知ってゆいは無力感を覚える。しかしそれ以上に、マリちゃんからすると彼がネガティブな感情に振りまわされて自らの身を滅ぼしたことのほうにやるせなさを感じていた。
Battle Depiction:どんなバトルだったか
あまねが変身できなくなったことが最大のピンチ。再び変身できるようになると形勢逆転した。
I’m curious !:気になるポイント
キュアスタに勤しむセクレトルー
SNSで情報収集するなら自分からも積極的にコミュニケーションを取りにいくべき、ということを理解しているデキるオンナ。フォロワー多そう。
私はネットでもコミュ障なので未だにググるほうメインです。
あまねが抱えている罪の意識は子ども向け番組にあるまじき重さではありますが、むしろ、彼女が感じている思いは小さな子どもたちにこそ知っておいてほしいところです。
あまねの物語を通して描かれているのは贖罪というよりも、むしろ失敗からの再起。子どものころって、大人からすると些細な失敗であっても取り返しがつかないと感じてしまうことが多いんですよね。
悪いことをしたというケースに限った話ではありません。授業で変な回答をして恥をかいてしまった。部活の大会でチームの足を引っぱってしまった。ちょっとしたすれ違いで友達を傷つけてしまった。そういう“取り返しのつかないこと”ひとつでまるで自分の人生全てが終わってしまったように感じてしまう子どもたち。あるいは“取り返しのつかないこと”を怖れるあまり積極的な活動に及び腰になってしまう子どもたち。
そういう子、本当に多いですよね。
あまねは本当に大きな過ちを犯してしまいました。しかもそれは本人の意志と関係ない、もうひとりの自分が冒した、きわめて理不尽な罪。潔癖なあまねはかつて一度、それで自暴自棄になったことがありました。
けれど、彼女は今、元気に立ち上がっています。
犯した罪は消えません。
それでも、彼女は自分がしたことを理解したうえで、それでも正しい生きかたをしようと努め、しかも贖罪だけに心奪われることなく、自分の人生を自分のために生きようとしています。
立派なことだと思います。
たった一度の失敗で人生全てが終わってしまうだなんて、そんな世のなか誰も望んでいないはずです。
取り返しのつかない失敗を犯した人が“無敵の人”なんて呼ばれて自暴自棄な犯罪に手を染める例が増えていますが、そんな人たち生まれないほうがいいに決まっています。何があっても再起できるチャンスが残されていたほうが、本人にとっても周りにとっても幸福に決まってます。
だから、子どもたちには何があっても諦めないでほしい。
大人たちには彼らの失敗にできるかぎり寛容になってほしい。
これからの世界に希望を失わない人たちが増えていってほしい。
私は切にそう願います。
失敗1:八つ当たり
「パフェのレシピッピに愛想を尽かされてしまったんだ。私に悪い心があるから――」
このあまねなりの分析まで含めて八つ当たり。
「――あのときの思いが、これを? “みんなを笑顔に”。こんな私だが力を貸してくれないか」
「私はもう目をそらさない。自分の過去からも。自分の願いからも。そして、お前たちの悪事からも!」(第18話)
あまねのプリキュアとしての力、ハートフルーツペンダントはあまね自身の想い出から生まれました。ぶっちゃけパフェのレシピッピはほぼ関係ありません。そもそもがエナジー妖精じゃないですからね、レシピッピ。
従って、今回あまねが変身できなくなったのは、あまね自身の思い出があまねに力を貸してくれなくなったからだと考えるべきです。
“みんなを笑顔に”。パフェになりたいと夢見ていたあのころの願いを、ちょっとの間だけ見失っちゃってたんですね。
あまねがプリキュアになれたのは、いつか自分自身の力で“みんなを笑顔に”を実現しようという強い思いが生まれたからです。
プリキュアや生徒会長の立場を辞退しようとしていたときのあまねはただ無力なだけでした。たとえ自分のために傷つこうとする友達がいたとしても、そのときのあまねにはどうすることもできませんでした。自ら行動しようとしないかぎり、“みんなを笑顔に”どころかかえって苦しめてしまうだけ。そんな自分が嫌だったからこそ、あまねはプリキュアになったんです。
だから、今話のように自分に何かを為す権利があるのか疑ったとき、あまねはプリキュアに変身する資格を失ってしまうわけです。
「少し静かにしてくれ! ――なっ。今のは君が変なことをするから・・・!」
“みんなを笑顔に”しようとしていましたか?
なんて、あえて問うのもイヤミったらしい話というか、本人が一番自覚しているだろうことはわかりきっていますね。
変身できない言い訳にパフェのレシピッピとの関係性を持ち出すこと自体、いつも毅然としている(※ そして周りに頼ることがヘタクソな!)あまねらしくありませんでした。
今話はそういう物語です。徹頭徹尾あまね自身の内面の問題。
自分の心って、案外自分の思いどおりにならないものですね。
失敗2:ぶり返し
「さあ、恨みを晴らしたらどうだ。ジェントルー。ここに燻っているものがあるんだろう?」
悪夢を見ました。
ナルシストルーを撃破したあの日、現実にはできなかった復讐を実行しようとする自分と、それを止めようとするもうひとりの自分の姿。振り上げた右腕を自分自身に捕まれた感触は夢から醒めたあともはっきりと残っています。
そう。夢のなかであまねは間違いなく復讐しようとするがわに立っていました。
「過去は変えられない。でも、未来はこの瞬間からつくっていけるんだよ! あまねさん! 明日はどんな自分になりたい?」(第18話)
教えてもらえたはずなのに。こんな自分でも変わることができるんだと。
・・・ああ、いや。どんなに自分を変えても過去は変えられないという意味でもあったか。
変われたはずの自分が、変われないままでいる自分を必死に押し留めようとしている。それが今の菓彩あまねでした。
「私は、なんてことを・・・」
完璧で、どんな人でも笑顔にできるパフェに憧れていました。
なのにジェントルーとして悪事に手を染めてしまって、だからこそ、今は誰よりいい子であろうと自分を律しつづけてきました。
わかっているんです。
実際の自分はそうじゃないから。
完璧なんかじゃなく過去に大きな消せない汚点があって、
今はいい子っぽく装っているけれど昔はとても悪い子だったってこと。
「清く正しく美しい心にならねば!」
もうなれないんだって本当はわかっているけれど。
自分みたいな子でも本当に天使みたいになれるんだとしたら、励まそうとしてくれた友達を泣かせるようなことするはずがない。
こうしてあまねは、自分が変身できるということを信じられなくなりました。
今日はハロウィンパーティです。
それが、菓彩あまねである
「どうも食事に対して恨みがあるみたいなのよね。自分に合う食べものがあまりなかったうえに、好き嫌いも激しいらしいの。そのうえ極端な猫舌で、みんなと一緒に食事をするのが苦手だったみたい。プライドをこじらせ、居場所もなくて、それでブンドル団に入ってしまったのかも」
事実を並べただけでここまでボロクソな人物像が浮かびあがってしまうナルシストルーよ。
ただし、これを語っているマリちゃんの口調は意外に同情的。収監される彼を見送ったときもそうでしたね。
「もし食べられないものがあるならちゃんと言いなさい」(第29話)
本当は、たったそれだけのことさえできていたらあそこまでこじらせずに済んだかもしれないのに。
ただ極端な偏食だとか、ただ人と仲よくするのが苦手だとか、それだけなら個性として受け入れてもらえる余地もあったかもしれません。ナルシストルーの場合はそこから逆恨みして周りに悪意をぶつけるようになってしまったから収監される結果になりました。
「ムリに許す必要はないわ。誰かを許せず恨む気持ち。それは誰もが自然に持っているものよ。おかしなことなんかじゃない。――でもね、忘れないで。大事なのはその感情に流されないことよ。流されてしまえば、今度はあなたの大切なものを傷つけてしまうかもしれない」
ナルシストルーの場合、それは自分自身だったといえるでしょう。道理に沿わない暴力を振るった結果、彼は自らの自由と尊厳を失ってしまいました。
あまねはどうでしょうか。
「自分でも情けないと思っている。こんな私じゃ君に嫌われてしまってもしょうがない。ナルシストルーの言うとおり、私のなかには拭いきれない暗い思いがあるんだ。許すことも、忘れることもできなくて、パフェのレシピッピに酷いことまでしてしまった」
過去に消せない汚点があることはわかりました。未だ暗い思いを抱いていることも、パフェのレシピッピを傷つけてしまったことも事実でしょう。
ですが、それがどうした。
それで、これからあなたは何がしたい。
初めてプリキュアに変身したとき、ゆいからも聞かれたことです。「あまねさん! 明日はどんな自分になりたい?」(第18話)って。
過去への恐怖に身をすくませないでください。
未来を望む思考を止めないでください。
だって、あなた自身が言ったことですよ。
「怖がっていては何も変わらない。怖いと思ったときは自分が守りたいもののことを思うんだ。そして一歩を踏み出す。本当に怖いのは一歩目だけだ」(第29話)
それはそれ、これはこれなんて卑怯な責任逃れは言いません。過去というものはたしかに消せないものでしょう。ですが同時に、それは未来を諦める理由にもならないはずです。
真っ白なミルクにほんの一滴コーヒーを垂らすと、それはもう二度と分離できない。元のミルクには戻せないと人は言います。
ですが、コップいっぱいにミルクを足していけば限りなくミルクに近いカフェオレをつくることはできますし、反対にコーヒーを足したら限りなくブラックに近いカフェオレをつくることだってできます。
取り返しのつかないことはそりゃあもちろんたくさんあるでしょうが、だからといって、その“取り返しのつかないこと”が未来を狭めてしまうことって案外少ないものですよ。
もし今からでもあなたが天使になりたいと望むなら、なればいい。なれるでしょうとも。
菓彩あまねは人一倍気高い心を持っています。
そしてそれはきっと、あなたがジェントルーだった過去と一切無縁だということはないはず。あなたが過去に追い立てられながらずっとがんばってきた姿を、私たち視聴者はたしかに見届けています。マリちゃんやゆいたち、彼女の周りにいる友達だってみんなそのことを知っています。
過去と現在と未来はあらゆる意味で連続しています。
「パンプキンパイのレシピッピを助けないと。・・・今日はみんなでハロウィンパーティなんだ。ぜひ君にも来てほしい」
菓彩あまねはかつてジェントルーでした。
今、そしてこれからの彼女はプリキュアです。
そういう生きかたをしようと、今を生きる菓彩あまね自身が決めたことです。忘れないでください。
コメント
クッキングダムからの報告なんですけど、逆に言えばこの1ヶ月間ブンドル団に関する情報を一切吐いてないんですね。
正義は世間から推奨される分、ブレーキが効かないから扱い方に気をつけなければならないとどっかで聞いたことあります。
そもそも正義自体が時代や地域によって変わるものですし。
もしかしたら今回は少し難しい話だったかもですが、ともかくプリキュアにはこれからも子供たちに、色んなことを伝え続けてほしいですね。
ところでナルシストルーはいっそ、例えば人間が食べれるものなら何でも美味しく感じられるようになる発明か何かすりゃよかったのでは……と以前から考えてたり。
あんまプリキュアっぽくない解決策な気はしますが。というか自分でも違法な薬か何かにしか思えないw
私はもっと単純に、正義とは攻撃性だと教わりましたね。
正義感とは何かを変えたいと思う気持ち。なおかつ自分自身を変えようとすることを正義と表現する人はまずいない。つまり、自分以外の何者かを攻撃して自分に都合いいありかたに変えさせることをいう。
あまねはキュアフィナーレを正義だと言いますが、彼女のありかたって周りを変えるよりも自分を変える方向に向いているので、私の感覚だと彼女はあんまり正義の人じゃないんですよね。justiceの人だというんだったらまあまあわかる。
ナルシストルーは今のところ反省していないようなので、思想犯みたいな精神状態になっているのかもしれませんね。元々世界に対して恨みがあり、なおかつ尋問が自分に対する攻撃だと受け取るなら、口をつぐむことこそが自分らしい思想表現に他ならないわけで。
彼自身ブンドル団に切り捨てられているので秘密を守る義理は無さそうなものですが、それはそれとして安易に敵に塩を送るというのも彼のプライドが許さないのでしょう。
正義の話をするならナルシストルーこそ正義の人。料理をおいしく食べられる発明をする、という方向に進まなかったのもそういうことだと思います。彼、根本的に自分の側を変えようという発想が無いんです。
この回は、マジもマジ、自分自身の50年以上の人生を「総括」されたような、そんな回でした。
現在NHK在籍で、故三浦春馬氏を主役の一人として抜擢して完成した映画「太陽の子」の監督・黒崎博氏は、私が幼少期を送った養護施設が移転する前に通っていた小学校で、同級生で、しかも同じクラスになったことが3年少々、ありました。
なぜか、彼とは、仲良くなったのね。特に喧嘩した覚えもない。
彼に最後に会ったのは、中2のとき。
岡山大学の大学祭で、私は鉄道研究会の展示絡みで来ていて、彼は、普通に学祭に遊びに来ていて、挨拶程度の会話をして、それ以降、40年近くあっていません。
そうそう、小6でその養護施設が移転したのが、1981年の5月。
その頃、鉄研こと鉄道研究会の例会に出るべく岡大の学生会館に行く前に、彼の家、と言っても、公務員の官舎だったか、そこに寄って行ったことも何度か会ったっけ。
数日前、久しぶりに、黒崎君、もとい、黒崎監督の母校の京都大学の学生さんからのインタビューの画像を見ました。
彼のたどった40年と、私のたどった40年の答え合わせが、近く、行われそうな予感がしております。
私は言うまでもありませんが、彼もまた、ナルシスとルーやあまねのような心境になったことが、一度となく、 何度かあったのではないかな。
今回のテーマは、女子中学生よりも、むしろその親世代に向けられたメッセージではなかったのかなと、そんな気がしてなりません。
みのりんよりも、あれは、みのりんパパ(娘=隠し子ということにしておる。つまり即ち、わしやねん~苦笑)向けかよとさえ、思った。いやマジで。
実は、私が小説を書くに至った思いというのがまさに、今回のあまね君と全く同じところにありましてね。
マリちゃんにあと30年早くあっていれば、もう少し、マシな人生を送れたであろう酔っ払いさんが言うのも、何ですけど。
へびのあし
当時通っていた岡山市内の某小学校のあるクラスの男子20人中の2人が、何と、小説家と映画監督になっているというのは、ある意味、すごい確率かもしれませんな(苦笑)。
~だからと言って、その小学校に我が子を通わせたら、小説家や映画監督のどちらかに10分の1の確率でなれるという話は・・・、
ありえないどころか、あるわけもないか(苦笑)。
私は基本的に生まれついての才能なんて無いって信じている人間なので、逆言うと人間の才覚を決めるのは環境だって考えてるんですよね。だからもしかしたらその小学校に通わせたら・・・なんてヨタ話も案外否定しきれないんですが、冷静に考えたら生育環境なんてのは風土やハコ(校舎)だけじゃなくて、というかむしろそこで出会えた人間関係こそ影響大きいでしょうからねえ。今通っても与方藤士朗様の世代と同じ環境とはいえないかもしれません。
私は正直言うと、中学か高校くらいの時期まではナルシストルーみたいな気持ちを抱えていました。
自分にコンプレックスがあると、周りから聞こえてくる笑い声って本当に心に刺さるんですよね。なんか自分が笑われているみたいで。だって私だけ笑っていないんですもん。
被害妄想だって頭ではわかっていても、周りにいる人たち全員敵だって。で、ちょっと冷静になったところで今度は自分が爪弾き者である事実は変わらないだろって思っちゃう。そんでもってさらにもう少し冷静になると、今度はこんなひねくれた発想しちゃう自分ってすっげー嫌な人間なんだなって。
どう足掻いても自己否定のスパイラルですよ。あれはろくなもんじゃない。