菓彩あまねのキャラクター考察レポート

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ジェントルにゴージャスに、咲き誇るスウィートネス! キュアフィナーレ! 食卓の最後を、このわたしが飾ろう。

↓これ何?っていう解説はこちらの記事で↓

菓彩あまね(キュアフィナーレ)

過去――何が自分をつくったのかという認識

1=A+C【誰の役に立ちたいか】

「何かあるなら力になるよ。あまねにはいつも助けてもらってばかりだし、フルーツポンチの恩返しもしたい」(第17話)

 あまねは困っている人なら誰にでも支援してあげたいと考えていた。

2=B+D【誰に支えられているか】

「今度は私があまねを救う番。もし何か悩みがあるなら言って。生徒会に問題があるならみんなで解決しよう」(第17話)

 あまねが自分自身にだけ優しくしないぶん、周りにいる人たちが彼女を支えてあげたいと考えていた。

3=B+C【嬉しかった想い出】

「私、大きくなったらパフェになる! パフェみたいにみんなを笑顔にするんだ!」(第18話)

 パフェを食べればみんなが笑顔になる。あまねはそういう、パフェのような人になりたかった。

4=A+D【傷ついた出来事】

「わかってる! わかってるんだ。でも、でも、頭ではわかっていても、ジェントルーの犯したことが自分の肌に染みついているようで忘れられない。私は、私を許せない・・・!」(第18話)

 あまねはジェントルーとして大勢の笑顔を奪った自分の行いを許すことができなかった。

 パフェを食べれば誰もが笑顔になれる、というところに原体験があったためか、あまねは根っからの平等主義者です。しかも恵まれない人に合わせるのではなく、誰もが平等に幸せであることを是とするタイプの人です。彼女のいう「正義」とはこの平等を守るための行いを指します。困難に直面している人を見れば直ちに助けようと動きますし、誰かを不当に傷つけようとする悪を見つけたら率先して立ち向かいます。
 その“平等”のなかに自分を含めることを忘れがちなのがあまね唯一の欠点。そのくせ自分を悪人認定したときだけ苛烈に罰しようとするのですから、彼女の平等主義は自分に関する部分だけひどく不平等な構図になっていました。

現在――自分は何者なのかという認識

A=1+4【がんばっていること】

「怖がっていては何も変わらない。怖いと思ったときは自分が守りたいもののことを思うんだ。そして一歩を踏み出す。本当に怖いのは一歩目だけだ」(第29話)

 あまねには自分の正義を曲げてでも自分自身を許してあげる必要がある。

B=2+3【任せてほしいこと】

「あまねは人一倍周囲の者を大事にするからな。そして頑固だ」「『一途』って言ってあげてよ。でも、いつもみんなのことを思っているのは本当さ」(第18話)

 あまねは何を置いてもみんなの役に立つ努力を欠かさない。

C=1+3【よく気がつくこと】

「ご両親はお忙しそうだね。だが、離れていてもここねはご両親から大切なものをちゃんと受け取っている」(第20話)

 あまねは人の行いに秘められた善意や思いやりによく気がつくことができる。

D=2+4【恥ずかしいこと】

「ナルシストルーの言うとおり、私のなかには拭いきれない暗い思いがあるんだ。許すことも、忘れることもできなくて、パフェのレシピッピに酷いことまでしてしまった」(第33話)

 あまねは特定の人物を憎む思いをどうしても捨てきることができず、そんな自分に自己嫌悪している。

 あまねの自罰意識はたいへんに根が深く、修復困難なものでした。なにしろただでさえ自分をないがしろにしがちだったところに、彼女の正義感からすると絶対に許すべきではない行いを犯してしまったのですから。
 あまね自身はそもそも自分を許してやるべき必要性を感じていません。しかし、彼女が自分のことよりも優先したいと思っている周りの人たちが、あまねを許してほしいと訴えるのです。
 あまねは自分を許すべき論理を自分のなかに持たないまま、それでもみんなのために許してやろうともがき苦しみます。自分だけに厳しくあろうとすること、それ自体が彼女の奉ずる平等主義に反していることには目を背けつつ。

未来――これまでの総括とこれからの夢

α=1+2+3+4【守りたいもの】=【プリキュアになりたかった理由】

「実は、一度だけやめようと悩んだことがありました。けれど『みんなを笑顔にしたい』、その大事な気持ちを失わずに続けてこれたのは、みんなの支えがあったから。私がここに立っていられるのはみんなのおかげです」(第37話)

 あまねにはみんなを笑顔にしたいという願望があり、それを叶えるためには自分の犯した罪を許す必要があったからプリキュアになった。

β=A+B+C+D【足りないもの】=【物語のなかで起きる成長・変化】

「誰かを許せず恨む気持ち――、それは誰もが自然に持っているものよ。おかしなことなんかじゃない」(第33話)

 あまねは自分にだけ厳しすぎる正義感が歪つであることを自覚し、自分の扱いがその他のみんなと対等になるよう改善しなければならない。

γ=α+β+1+A【なりたい自分】

「お婆ちゃん言ってた! 『昨日食べたものが今日の自分をつくる。今日食べたものが明日の自分をつくる』! 過去は変えられない。でも、未来はこの瞬間からつくっていけるんだよ! あまねさん! 明日はどんな自分になりたい?」(第18話)

 あまねはパフェのようにみんなを笑顔にできる人になりたい。そのために、自分のなかにある論理矛盾を解消したい。

 あまねの物語は結果ではなく過程を追求するものでした。最終目的は自分を許すことであると最初から示されており、しかもそれは彼女が正義の味方であるプリキュアに変身した時点で達成されていたはずでした。
 しかし、あまねがプリキュアに変身した(=自分を許すことにした)のはあくまでゆいや他のみんなから強く熱望されたから。あまね自身が心から望んで自分を許したわけではありませんでした。あまねはプリキュアになるという結果を得た後になって、自分で自分を許すための方法論を模索していくことになります。

 自分を許すうえでの障害になっているものは明らかで、それは彼女のひどく不平等な正義観にありました。みんなを笑顔にするため全力を尽くすにあたってはむしろ都合がよかったのでそれまで問題にしていなかったのですが、こうして自分を許さなければならない段になって、あまねはようやく自分も平等に扱うことの大切さを知ることになりました。
 なにせ、ちゃんと自分にも優しくしてあげないとみんなが困った顔をするので。

 あまねの物語は『デリシャスパーティプリキュア』全体において、特にブンドル団を許すためのモデルケースとして機能しました。
 ブンドル団の構成員は全員が全員、ひどく身勝手な理由で間違いを犯した人たちです。しかし、彼らには彼らなりの、そうしなければ自分らしさを保つことができない切実な理由があったのもまた事実。もし仮に他の人が彼らと同じ状況に置かれることがあったとして、その場合、おそらく彼らの多くがブンドル団と同じ過ちを犯してしまうことでしょう。必然性あっての過ちだったのですから。

 みんなが笑顔でおいしいごはんを囲めるようになるためには、彼らのように必然性があって悪事に手を染めてしまう人を救済する論理が必要です。一歩道を踏み誤れば二度と戻ることができないと知ったとき、きっとほとんどの人は安心してごはんを楽しむことができなくなってしまうでしょう。
 これに対する予防策としてここねの示す楽観があったり、らんの示す自他の両立があったりもするのですが、ここにさらに事後救済策として、あまねのみんなの幸せを願うがゆえの必然性ある許しが加わります。
 悪を野放しにすることは多くの不幸を呼びます。けれどその一方で、一度道理を侵したからと罪人を許さずにいることもまた、多くの人を不幸にするんです。人はみんな心で繋がっているのですから。あまねはそのことを身をもって学びました。

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    コメント

    1. ピンク より:

      名字が【菓西】になってます!!
      思えばデパプリのみんな、地味に難しい漢字表記ですね……品田の圧倒的安心感。

      贖罪の在り方についてはたしかに実際他所の界隈でも、かなり手厳しい意見が多いような。
      プリキュアシリーズ内だと、ブルーキャットやアイワーンに対しても似たような感じだったでしょうか。
      『許す』とは小さい子が叩き込まれる基本的な作法のひとつというイメージがありますが、成長してから刑罰を覚えるとかえって難しいのかもしれませんね。

      何はともあれ「最終回のみんな、良い顔してたなー」というのが、なんというか本編全体に対する答えなのかなと思います。

      • 疲ぃ より:

         最後の最後に油断しました!
         漢字変換をATOKに依存しきっているとたまに裏切られるってわかってはいるんですけどね・・・。

         罰のありかたについていろんな人の主張を見ていると、結局のところ自己責任論から派生してきている印象です。全ての人・全ての行いに自己責任を求める考えかた自体には私も強く賛同するところではあるんですが、最近ちょっと先鋭化しすぎているというか、周りへの無関心と複合しつつあるというか、自業自得であるならいくら厳罰を与えてもいいという空気を感じることがあります。悪人をいくら苦しめても自分はスッキリするだけで表向き何の反動も来ませんからね。
         次は「何のために罰を与えたいのか」について考える人が増えるといいなあ、とぼんやり思っています。

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