プラネット・ウィズ 第6話感想 愛が死んだ日。

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優しいのが一番、だって。

(主観的)あらすじ

 竜造寺隆の力はネビュラ封印派を圧倒していました。彼は“力”とはいかなるものであれ邪悪だと断じ、他者の力を封印するために自ら力を振るう封印派を傲慢であると弾劾しました。“力”という邪悪なものは抑止力として管理者だけが預かるべきで、その他の生命からは没収されるべきだと。そしてその管理者の役目は自らが引き受けると。竜造寺は封印派を上回る傲慢な論理で、封印派とよく似た主張を展開しました。
 まるで竜の思想でした。かつてネビュラに属していた竜は、その論理に従って独断でシリウス星系の戦闘民族を滅ぼし、その咎で処断されました。
 封印派の手に余った竜造寺との戦いは、宗矢を含む穏健派に委ねられました。宗矢は闘争心を剥き出しにして間断なく攻めたて、あれほど強大だった龍造寺を圧倒してみせました。町を守るため竜造寺の破壊の力を空へと逸らし、そして生身の拳(鉄下駄)を彼の顔面に叩きつけました。
 宗矢が預かってきた竜造寺の祖父の伝言、優しさは正義より尊いという言葉を聞いて竜造寺は自嘲気味に低く笑い、そして、力とともに消滅しました。
 宗矢の復讐は成りました。

 岳蔵爺さんアバンで終わりかい! 彼の“悔い”は過去ではなく直近の未来にあったんですね。またしてもやられた。宗矢を送り出す彼の胸中を想像するとなんとも切ない・・・。
 竜造寺の世界征服の思想が封印派に似ているとは思っていましたが、まさかそのルーツと思しき竜もネビュラの所属だったとは。フツーにシリウス人の行きすぎた力の進化の成れ果てかと思っていましたよ。アップで映された竜、たしかに優しそうな瞳をしているじゃないですか。愛の進化種族! 愛の進化種族!
 ――というわけで、当初は力の進化を守る側にいるとみられたグランドパラディンの首魁は、実際のところ誰よりも“力”を憎む“愛”の側の人として死にました。宗矢の力は傲慢な愛から地球を守りました。これによって宗矢の戦いは正体を隠さねばならない後ろ暗い復讐などではなく、町を守るための正義の戦いとして・・・認められますかね? 町、まただいぶ壊しちゃいましたけど。

その親心 / その悔い

 竜造寺岳蔵の戦いは拍子抜けするほどあっさり終わりました。
 しかも負けたことに対して彼は悔しさを見せませんでした。
 自分が負けたなら、次にネビュラソルジャーが向かう先は息子だということくらいわかっていたでしょうに。
 「あいつに人望がないのはわかっておった。だからワシが最後まで味方してやらんとな」(第5話)
 あの言葉はウソだったのでしょうか。

 いいえ。彼には息子に伝えなければならない言葉がありました。
 「隆は、昔は優しい子だったんじゃ。弱い子を庇ってガキ大将とケンカしたり――。あの子から力を取りあげてやってくれ。他人様に自分の正義を強制する力なんてものがなければ、昔の優しい子に戻るかもしれん」
 「隆に、世の理不尽に耐え、なお優しい。――それが正義より尊いものだと伝えてくれんか」

 それを伝えるには岳蔵では力不足でした。竜造寺隆はグランドパラディンの誰よりも強く、そして誰よりも強くなる必要がありました。そんな彼に力で上回ることができる可能性があるのは、岳蔵の知るかぎりネビュラソルジャーだけでした。
 だから彼は宗矢の力の強さを推し測ったうえで、一太刀だけで素直に敗北を認めたのでした。

 竜造寺隆の最後は、宗矢が岳蔵の伝言を運んでいったおかげでそれなりに満足できるものとなりました。
 「世の理不尽に耐え、なお優しい。――それが正義より尊いものだ」
 自分は最も憎んでいた邪悪な暴力に屈したのではなく、そもそも自分の正義が間違っていたから負けたのだと。力を憎むことは間違っていない。平和を望むことは間違っていない。ただ、自分自身が邪悪な力に飲まれて道を誤ってしまっただけなのだと。自分の邪悪な力は、優しさを尊ぶ愛の力に敗北したのだと。
 「――ふふ。そうかもな」
 そう考えることができるなら、その死にはいくばくかの救いがあります。
 邪悪な力の化身が敗北し、優しさを尊ぶ意志が後に残るのなら、きっと。

 岳蔵爺さんは最後まで息子の味方でした。
 彼から力を取りあげることがどういうことか、どこまで理解していて宗矢を行かせたのかはわかりませんが(“何も悔いることはない”というからにはある程度は覚悟していたのでしょうが)・・・、しかし彼はたしかに竜造寺隆の味方でした。
 だって。
 「あの子から力を取りあげてやってくれ。他人様に自分の正義を強制する力なんてものがなければ、昔の優しい子に戻るかもしれん」
 「この世のありとあらゆる全ての武力を廃絶し、私のみが唯一の超武力を保有する! そして私は正義の番人として、全文明の戦意に対する抑止力となり、君臨し、統治する! 全宇宙に約束しよう! この世を争いなき平和の理想郷にすると!」

 だって、岳蔵爺さんのこの言葉って、要するに竜造寺隆の思想に沿ったものなんですから。

 彼は最後まで息子の信じたものの味方でした。思想を信認して、信認したうえで、理想郷で自分だけが泥をかぶろうとしていた哀れな息子を止めてやりました。父親として。
 きっと、子を想わない親などいません。

この世の邪悪

 「それは閣下の配慮であり、美学です。地球側はネビュラの奇襲によって敗れるのではなく、互いによく知り、備えたうえで、正面から堂々と敗北を認めさせる、と。それこそが武力を暴力に貶めないための――」
 「それこそが傲慢の証! 我々を見下した発想! 第一、武力に美学など笑止! きれいごとではその忌まわしき破壊の本質は変わらん! 我々のこの邪悪なる力は、管理されなければならない!」

 竜造寺隆の思想とネビュラ封印派の思想はよく似ていました。要はどちらも信用ならない他人を力で押さえつけ、間違った方向に進ませないように仕向けるものです。管理される私たちの側からしたら大した思い上がりだと腹が立ちますが、「幼子から銃を取りあげること」と例えられれば理解はできなくもありません。
 大きく違うところはひとつ。ネビュラは愛の進化を果たした自分たちが正しく力を扱うのならば“力”を肯定しますが、竜造寺は自分が保有し必要としている力すらも邪悪な“力”だと蔑視します。
 地球で最も強力なサイキッカーは、宇宙で最も“力”を憎んでいました。

 「隆は、昔は優しい子だったんじゃ。弱い子を庇ってガキ大将とケンカしたり――」
 そうですね。私たちのほとんどは子どものころに「暴力はよくない」と教えられて育ったはずです。叩かれたら痛いし、叩いて憎まれたら悲しいからです。
 けれど現実として、どういうわけかこの世に暴力を振るう者は後を絶ちません。しかも暴力は暴力でしか抑止できません。結果、私たちは本心では暴力を好まないくせにある程度の暴力を許容しなければならなくなります。たとえば警察とか、軍隊とか、核兵器とか。つくづく理不尽なことです。ある程度ってどこまでさ。
 どうやら竜造寺はこの理不尽な暴力の連鎖を本気で断ち切りたいと考えたようですね。暴力は暴力で抑止できるというのなら、最強の力でもってあらゆる暴力を抑止したら、その最強のひとり以外は暴力と関わらずに平和に生きられるじゃないか。

 シリウス星系を滅ぼした竜は、元々ネビュラの所属だったようです。
 つまりは竜もまた愛の進化種族であり、その独善的な力は愛のために振るわれたということでしょう。
 「・・・滅びるよりは、悲しくないさ」(第3話)
 閣下の言っていたことのさらに極論みたいなもので、シリウス人を滅ぼすことで永遠に続く暴力の根源をひとつ潰せるなら、まだマシだと。そういうことなのでしょうか。
 まあそのあたりは次回あたりでもっと詳しく語られるのでしょうけれど。

 竜にせよ竜造寺にせよ、彼らがつくろうとした理想の世界は、おそらく完成してしまえば本当に平和なのでしょう。
 しかし竜は道半ばにして同じネビュラの同志たちに処断されてしまいました。
 竜造寺もまた最大の理解者である自分の父親にその正義を否定されてしまいました。
 いったいどうしてか。
 おそらく彼ら自身が一番よくわかっているでしょう。
 誰よりも暴力を忌み嫌う彼らが誰よりも強い力を持つならば、それはつまり、彼らにとって彼ら自身が宇宙で最も邪悪な存在になるということですから。いくら覚悟のうえでといっても。
 正義とうそぶきながら邪悪に染まる彼らの愛の、いったいどこが正しいというのか。

 「正義なんか、下駄ほど役には立たねえよ!!」

復讐を終えて、

 竜造寺との決戦で宗矢の顔を隠すマスクは砕かれました。
 もはや宗矢に顔を隠さねばならない理由はありません。
 「竜から町を守るんだ! 兄ちゃんが、兄ちゃんが守ろうとしたみたいに、俺だって!」
 元々優しい子であった宗矢の戦いの意味は、前話ののぞみとの交流を経て決定的に定義しなおされました。
 宗矢は復讐のためでありながら、竜から町を守るためにも戦います。いつからか宗矢は後ろ暗い復讐者などではなく、自分のしていることに胸を張れる立派なヒーローになってみたいと思うようになりました。
 高天原のぞみが黒井宗矢とはそういう人物だと決めました。宗矢もそうあれたらいいと夢見ました。
 「――俺は俺が味方したい人の味方で、俺が倒したいやつの敵だ!」(第5話)
 だから、今回から宗矢の戦いには「倒したいやつ」だけではなく「味方したい人」が増えていました。

 ・・・その戦いの結果、竜造寺隆は死にました。
 「竜から町を守るんだ! 兄ちゃんが、兄ちゃんが守ろうとしたみたいに、俺だって!」
 兄の幻が竜造寺の亡骸を見下ろします。
 竜から町を守れました。故郷を破壊した竜を今度こそ止めることができました。
 けれど、代わりに人がひとり死にました。

 ・・・そもそも町を守れたでしょうか?
 封印派は町を破壊することを徹底して避け、竜造寺はブラフに利用するだけに留め、しかし宗矢のがむしゃらな戦いぶりは町を巻き込むことを全くためらいませんでした。
 “山にゃんこ様砲撃事件”と、いったいどちらの方が破壊の規模が大きかったのでしょう。避難していた人々は町に戻って何を思うでしょうね。

 さっきから意地の悪い書きかたをしています。
 宗矢が竜造寺を殺すつもりじゃなかったのはわかっています。町を破壊してしまったこともやむを得なかったことだと。
 それでも。
 私たちはひとりで生きているわけではないんですよ。とても厄介なことに。

 「――砲撃事件。町の人、避難しててよかったですね」
 「そうだね。でも、あの一発で世間は完全に凍りついたね」
 「この町が戦場になるんでしょうか」
 「うん、かもね。そしたら学校も閉鎖。みんなバラバラ。せっかく廃部を免れたオカ研もおしまいだ」
(第5話)
 宗矢が気に入りはじめていた、守りたいと思ったあの平穏は、宗矢ひとりが「守れた」と思うだけじゃ守れないんですよ。
 町の人は今回の事件のことをどう思ったでしょう。家屋や公共物の破損多数。死者(もしくは行方不明者)1名。直接犯は犬のロボットでも竜のロボットでもなく、遅れて現れた猫の武者。
 彼らは戦いの事情を知りません。宗矢の復讐が終わったことも、竜がいなくなったことも、誰がどんな正義を謳っていたのかも知りません。ついでにいうとネビュラ封印派は未だ健在です。
 ・・・宗矢は本当に守りたかったものを守れたでしょうか?
 のぞみが信じてくれたような、町を守るヒーローになれたでしょうか?

 「隆は、昔は優しい子だったんじゃ。弱い子を庇ってガキ大将とケンカしたり――」
 「武力に美学など笑止! きれいごとではその忌まわしき破壊の本質は変わらん!」

 何かを守ろうとするその思いがどんなに優しいものだったとしても、暴力は暴力です。少なくとも、事情をよく知らない周りの大多数にとっては。
 そしてその大多数と協調しなければ私たちの平穏な日常は、平和は、維持することができません。とても厄介なことに。私たちはひとりで生きているわけではないんです。
 「サイキックを“心を伝えるために”使う。それが愛の進化への道さ」(第4話)
 なるほど、その意味では確かに愛の進化は有用かもしれない。それなら竜はどうしてああだったの?という疑問が残りますが・・・。

 いずれにせよ愛は死にました。
 宗矢の振るった大きな力によって殺されました。
 兄の姿をした幻が愛の亡骸を見下ろしています。
 宗矢の目から涙がしみ出してきます。
 さて、宗矢は本当に守りたかったものを守れたのでしょうか?
 憧れていた兄のように、なれたのでしょうか?

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