あー! 自分の未来が楽しみすぎるー!
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(主観的)あらすじ
今日はたんぽぽ堂という和菓子屋さんのお手伝いに来ました。はなのお婆ちゃんがやってるとってもおいしいお店です。おいしい、と思うのだけれど・・・常連のヨネさんは味が落ちたと顔をしかめています。そのせいでお婆ちゃんはヨネさんとケンカして、ムキになって無理をして、腰を痛めてしまいました。
実はお婆ちゃんも味が落ちているのは自覚していました。歳を取って体が思うように動かなくなってきていました。そんな自分が情けなくて、お婆ちゃんはひとりで塞ぎ込んでしまいます。
はなはお婆ちゃんに元気になってほしくて、昔お店で出していたという希望饅頭をつくってあげることにしました。食べると元気になる味だそうです。レシピは亡くなったお爺ちゃんの仏壇の上にありました。いざつくってみるとヘラが重くて、重労働で、これを毎日がんばっているお婆ちゃんのすごさがしみじみわかりました。できたお饅頭もかたちがいびつでヘナチョコ。だけど、お婆ちゃんは元気になってくれました。
希望饅頭はお爺ちゃんが生きていたころ一緒につくっていた想い出の和菓子だそうです。これだけは味を落としたくなくてつくれずにいました。けれど、お婆ちゃんはヘナチョコにつくったはなを怒りませんでした。むしろ楽しかった日々のことを思い出して、胸に明日への希望を湧きあがらせるのでした。
そうと決まればお婆ちゃんは無敵です。はなと一緒にちゃんとした希望饅頭をつくって、オシマイダーの襲撃も跳ね飛ばして、ヨネさんの手を借りながらこれからもおいしい和菓子をつくりつづけることにしました。歳を取るのも良いものだ、とお婆ちゃんは笑います。はなもそんなお婆ちゃんを見て、自分もいつかめっちゃイケてるお婆ちゃんになりたいと思うのでした。
あんまり和菓子屋さんに行かない私としては冒頭で仏前に供えられた青い羊羹にびっくりしたのですが、どうやら実際にああいう羊羹もあるようですね。
たんぽぽ堂での品名は「清流」だそうです。こちらも1本900円。夏らしい色合いが美しいですね。和菓子は見た目と名前にひとつひとつ物語性があってワクワクします。まあ、いかんせんこういう華やかなお菓子はみんなでおしゃべりしながら食べたいものなので、独り身だと食べる機会がとんとなくなってしまうのですが。
老い
むかしむかし、あるところに金色の髪をした美しい少女がいました。ある男の人がその少女に見惚れました。男の人は来る日も来る日も彼女の姿を見つめて幸せに暮らしていました。けれどしばらくそうして過ごしているうちに、金色の髪の少女はしわがれた白髪の老婆の姿になってしまいました。男の人は悲しみ、大きなため息をつきました。すると、かつて少女だった老婆はそのため息に乗って、どこかへ行ってしまいました。
金色の髪をした少女はタンポポで、男の人は南風。タンポポという花にはこういう伝説があるそうです。
ヨーロッパでは古くからタンポポの綿毛を使った恋占いが行われてきました。だから花言葉は「愛の神託」、それから「別離」。もっとも今回花言葉は全然関係ないんですが。
今話の物語は“老い”をめぐるお話です。未来には明日への希望があふれているといっても、大抵そこで思い描くのは、大人になったばかりの青年期~せいぜいお父さんお母さんくらいの壮年期まで。その先のことはあんまり語られません。
「オールドメンは頭が固くてイヤになっちゃう。歳だけは取りたくないわ」
やっぱり、どうしてもネガティブなイメージが付きまといますからね。
なんでもできる、なんでもなれる! と謳うのならなおさら。しわがれたお爺ちゃんやお婆ちゃん・・・あんなの、カッコ悪いとは思わないでしょうか。――本当に? あなたの本心では、本当はどんなふうに思っていますか?
「――明日なんて、来なければいいのよ」
庵野たんぽぽはプリキュアのお婆ちゃんとしては珍しく、少々情けないところも見せる人物です。
「それにしてもすごい髪型・・・」
せっかくがんばって髪型を整えてもどこか奇妙で、オシャレというよりユーモラス。センスからして若い人からはちょっとズレている気もします。
「たんぽぽ堂のあんこはこんなものじゃなかっただろう。ほら、昔はさ――」
どんなにがんばっても体がいうことをきかず、つくれたはずのものもつくれなくなって。
「文句があるなら帰っとくれ!」
「巨大どら焼きだよ! 目玉商品をつくって、たんぽぽ堂をもっともっと盛り上げるんだ」
本当は自分でもわかっていることを素直に認められず、あげくズレた解決策に安易に手を出して逃げきれると考えてしまう。
「・・・出ていっとくれ。こんな情けない姿、はなには見せたくないんだよ」
見た目が衰え、体力も衰え、思考まで硬直して・・・そんなの、本当に「私がなりたい野乃はな」と言い張れるでしょうか。
明るい未来の先にこんなカッコ悪い末路が待っているのなら、やっぱり未来に希望を抱くのは間違っているのではないでしょうか。老いが避けられないことだというのなら、明るい未来なんて結局どこにもないのではないでしょうか。
「もう限界なのかねえ。歳を取るっていうのはイヤなことだよ・・・」
知らないこといーっぱい
「体がいうことをきかなくなって、昔のように和菓子がつくれないんだ」
「味が落ちたっていうのもわかってる」
「たんぽぽ堂は、もう・・・」
自分の老いを嘆く老人たち。
輝く未来は若者の特権か。老人に待ち受ける未来はどうせますます衰え、やがて死を待つばかりの暗い未来。
「――お婆ちゃん!」
そこに、バンッ!と勢いよく扉を開けて、キラキラした笑顔の若者たちが入ってきます。
なにやらいたずらっ子みたいに全身粉まみれにして、元気に息を切らして。
「これ、食べて!」
若者たちがワクワクした瞳で誇らしげに老人たちに見せてきたものは、へちゃむくれの潰れ饅頭でした。
「みんなー! こっちこっちー!」
はなはお婆ちゃんのことが大好きです。お婆ちゃんのたんぽぽ堂が大好きです。お婆ちゃんのつくるどら焼きの味が大好きです。
だって、はなはヨネさんみたいに昔の味を知りません。お爺ちゃんがいたころのたんぽぽ堂を知りません。若いころのお婆ちゃんがどんなだったか知りません。
だから昔と今のことを比べることはできないけれど、だったら今のお婆ちゃんだけ知ってるはなは、今のお婆ちゃんのことが大好きです。
「どら焼き、おいしいのに・・・」
こんなにおいしいどら焼きのことでお婆ちゃんたちが悲しむのは、なんだか違うように思います。
「これを、こうして、ほい! どんどんいっくよー! ほい。ほい。ほい! ほい。ほい。ほい!」
はなのお婆ちゃんはみごとな手つきで次々においしいどら焼きをつくることができます。
「昔はなんでもおいしかった。どら焼きも。お団子も。希望饅頭も」
ヨネさんははなの知らなかったもっとおいしい和菓子のことを語ることができます。
「お爺ちゃん。かわいい孫のお願いです。希望饅頭のつくりかたを教えてください!」
お爺ちゃんは食べると元気が出るという希望饅頭のレシピを残してくれていました。
すごいなあって思います。はなは老人たちが実感している老いを知りません。代わりに、老人たちが若い自分たちにできないことをできることなら知っています。たくさん、たくさん知っています。
お婆ちゃんってすごいなあって、しみじみ思います。
「ぐぬぬー! 結構・・・重い!」
「和菓子づくりって大変なんだね」
「お婆ちゃん、これを毎日ひとりで・・・」
見るたび、聞くたび、マネしてみるたび、お婆ちゃんたちが本当になんでもできることを実感します。
すごいなあって思います。カッコいいなあって思います。早く自分もあんなふうになりたいと憧れます。
「よーし! まだまだがんばるぞ! 重くても、辛くても、お婆ちゃんは毎日がんばってたんだよ。だから私も、がんばる!」
お婆ちゃんたちが何を悲しんでいるのかをはなは知らないけれど、代わりにはなはお婆ちゃんたちがカッコいいことなら知っています。
「お婆ちゃん! これ、食べて! 希望饅頭! お婆ちゃんに元気になってもらいたくてつくったんだ!」
こんなステキなものを知ってるお婆ちゃんたちって、やっぱりすごいんだ!
いつまでも、いつまでも
南風が恋をした美しいタンポポは、やがて白い綿毛になって、南風のため息に乗って飛んでいきました。
タンポポの綿毛を使って恋占いをすることができます。
思いっきり息を吹きかけて、一息で全部飛ばすことができれば「あなたは情熱的に愛されている」。少し残ったなら「心が離れていく気配がある」。たくさん残ってしまえば「あなたは興味を持たれていない」。
こと恋占いにおいては、きれいに全部飛んでいく、よく熟したタンポポの方がステキだったりします。
「でも、どうして今まで希望饅頭をつくってなかったのですか?」
「・・・想い出が詰まってるから。希望饅頭をつくるとお爺ちゃんとの思い出があふれてきて、このお饅頭だけは味を落としたくなくて、つくれなかった」
「――ごめん。私、余計なことしちゃった・・・」
いいえ。お婆ちゃんは首を横に振ります。
お婆ちゃんたちははなたちの知らないことをたくさん知っています。はなたちよりたくさん長いこと生きてきたからです。
お婆ちゃんたちははなたちにできないことをたくさんできます。はなたちよりたくさんの経験を積み重ねてきたからです。
なんでもできる、なんでもなれる。
いつかそんなイケてる大人になるために、はなたちは今を一生懸命にがんばっています。現在と未来は連続しています。だから明るい未来を夢見るためには今をがんばる必要があります。
すでに大人になったお婆ちゃんはたくさんのことができます。現在と過去が連続しているからです。今までずっと、たくさんがんばってきたから、想い出をたくさん積み重ねてきたから、お婆ちゃんはイケてる大人になれたんです。
「――でも、やっぱりおいしい。甘くてほかほかのこのお饅頭を食べると、心が希望でいっぱいになる」
過去と現在と未来はいつだって連続しています。はながつくったヘナチョコ希望饅頭は、それでも、お婆ちゃんにとっては思い出の味がしました。
アスパワワ。
心が幸せな過去の想い出で満たされて、もう一度明るい未来を夢見たいと思えるようになりました。
子どもにも過去があるように、大人にだって未来はあります。いつまでも、いつまでも。
「はな。ありがとう」
大切なことを思いださせてくれて。元気になるよう応援してくれて。
これより先はいつものプリキュアのお婆ちゃん。
プリキュアにおいて大人はいつだって最強で、老人ともなればなおさら無敵です。
彼らはプリキュアたる子どもたちが知らないことをなんでも知っていて、できないこともなんでもできます。世界で一番身近な憧れのヒーローたちです。
「よし! いっしょに希望饅頭をつくろう」
「こうやって、ほい!」
お婆ちゃんにかかれば、ぶきっちょなはなの手ですら形の整った希望饅頭をつくることができます。
「てい、やーっ!」
「たんぽぽ堂は私の大切な宝物なんだ。誰にも壊させはしないよ!」
お婆ちゃんにかかれば、プリキュアですら苦戦するオシマイダーだってタジタジです。
「歳を取るのもなかなかいいもんだ」
“老い”はどうしたってやって来ます。見た目も、体力も、考えかたも、だんだん衰えていくものです。
でも、だからといって老人になることがカッコ悪いという話ではありません。老いとは関係なしにカッコいいところは絶対あるんです。
だからフレフレ。
「辛いことも悲しいこともあったけど、こんなに楽しい日が待ってるんだからね」
老いにばかり気を取られず、もっとたくさんの想い出や周りの人に目を向けられたなら、歳を重ねるごとにきっと毎日が楽しい。だって老人は若い人よりずうっとたくさんのものを持っているんですから。ずうっとたくさんの努力を積み重ねてきたんですから。
どうかお婆ちゃんの未来がこれからも明るいものでありますように。
「私もいつかめっちゃイケてるお婆ちゃんになりたい!」
「はなならなれる。だって、私のめっちゃイケてる孫だからね!」
憧れの人がいつまでも輝いているほどに、はなの目指す明るい未来の輝きもまたずうっと保障されるのですから。いつまでも、いつまでも。
「あー! 自分の未来が楽しみすぎるー!」
コメント
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タンポポと"人間の老い"にまつわる伝承は知らなかったんですが、この伝承に込められたメッセージはネガティブなものであったのかポジティブなものであったのか、少々考えさせられてしまいました。この伝承が生まれた頃は今よりも平均寿命が遥かに短く、医療も社会保障制度も未発達で、それ故に"老い"に対する意識も現在とはかなり違っていたんだろうと思いますし。
今回の舞台「たんぽぽ堂」の名を聞いて、私が真っ先に連想したのは、伊丹十三監督作品「タンポポ」でした。「亡くなった夫の残したラーメン店を引き継いだ未亡人が、たまたま店に立ち寄ったトラック運転手の協力を得て、すっかり味の落ちたラーメン店の再建に取り組む」あの映画です。この作品は若き日の渡辺謙さんの出演作で、更に名優・大友柳太朗さんの遺作でもあるんですよね。冒頭には渡辺謙さんと大友柳太朗さんが直接絡むシーンもあったりしまして。
もしかすると東堂いづみセンセイは、野乃はなが「当時の渡辺謙さんのように輝く未来へ向かって懸命に走る若者」、庵野たんぽぽが「大友柳太朗さんのように……ならずにどうにか持ち直した老人」という重ね合わせをしたのかな……などと憶測してしまったんですが、ちと考えすぎだったかな?
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タンポポのお話はアメリカの古い民話のようです。南風視点でタンポポの老いを嘆いているところまではわかるとして、じゃあタンポポが飛ばされていったラストシーンのことはどういう気持ちで受け取ったらいいんでしょうね。
・・・と、そこまで考えて、そういえば私は小さかったころ綿毛を吹くのが大好きだったなと思いだしたんですよね。自分で吹くのもいいですし、自然の風に飛ばされていく綿毛を眺めるのも、それはそれでウキウキしました。ああいう光景をモチーフにしているなら、案外このお話もネガティブなイメージだけで語られているわけではないのかもしれないなと思った次第。
大友氏の晩年のことは恥ずかしながら初めて知りました。まっこと老いの悲しみというのは世にありふれているものですね。幸いにしてというべきか、私はまだ想像することしかできませんが、それまでできていたことが段々できなくなっていくというのは、やっぱり途方もなく辛いことなんでしょうね。
wikipeia情報だと大友氏も一度は奥さんに気づいてもらえたようですね。そのあと目を離した隙に・・・とのことですが。
今話のひまわりお婆ちゃんの場合はそこに相当するのがはなの憧れの視線だとか、ヨネさんとの友情だとかになるのでしょうか。普段他人のことは自分でままならない分、こういう自分自身がままならないときは他人の勝手な善意こそが頼もしくなるのかもしれません。
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件の民話において、「タンポポの黄色い花」が"少女の金髪"とリンクしていて「タンポポの綿毛」が"老婆の白髪"とリンクしている、んだとして。
それでは「"溜め息"に乗って飛んでいくタンポポの綿毛」は何とリンクしているのかというと……多分"老婆の子孫"なんだろうと思います。
「一輪のタンポポがしおれて枯れていくことを嘆くより、空を舞う"子孫"達が来年の春に野原一杯の黄色い花を咲かせる日を楽しみに待っていた方が、人生は幸せなんじゃない?」というメッセージがこの民話の真意、なのかもしれません。
だいたい「一つのタンポポの花」が枯れてしまうことを嘆いている"南風"の価値観って「笑顔を永遠のものとするために、時間を止めよう」などとほざくジョージ・クライ社長の発想と同じなんですよね。だから、「自らの老いに苦悩する」おばあちゃんの嘆きを「自分の想いを受け継がんと奮闘する孫の姿を見せることで」克服した今回のはなの活躍は、「タンポポを"氷中花"にすれば良い」などと企むクライ社長と決着をつける為の予行演習でもあったんだと思うんですが、はてさて。
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このお話を考えた人の意図なんて実際のところ知りようがないのですが、結局私が悲しい結末として語りたくないんですよね。
たとえ南風がタンポポの老いを嘆いてため息をついたんだとしても、そのため息はタンポポが綿毛を飛ばす助けにつながりました、とか。そう考えるなら、あとは綿毛を飛ばす行為に何かしらポジティブな意味がこもりさえすれば救いになります。たとえば子孫を残すことがタンポポの望みだったのなら、南風が彼女に恋をしたことも彼女のためになったといえます。
ジョージ・クライと戦うこともそうですし、その前にはなが自分の過去をちゃんと飲み下すためにも、このタンポポ談義のように一見悲しく思える出来事をポジティブに受け止めなおすのってすごく大切なんですよね。
ここ最近のHUGっと!プリキュアは、現在や過去のありかたをポジティブに捉えなおすことが未来をますます輝かせることにつながる、という実践をいくつも積み重ねてきたように思います。たぶん、そろそろでしょうね。時期的にも。(メタ)