プラネット・ウィズ 第10話感想 地球争奪! チキチキ! ネビュラ大運動会!!

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私がやるべきことをやるのだ。大人になれ、ラシャベラク!

ネビュラの者はみな大人だ! ワガママな私も、苦しみを飲むお前も。

(主観的)あらすじ

 最終決戦は青空の下で催されました。朗らかに、健やかに、爽やかに。先生率いる穏健派と閣下率いる封印派は、幾人かの地球人の立ち会いのもと、双方この星の命運を賭けて全力でぶつかりあいました。勝負は一進一退の互角。絶対に負けられない戦いが、そこにはある。けれど正々堂々と。スペースマンシップに則って。
 勝敗を決したのは竜造寺岳蔵による乱入騒ぎでした。とんだ横槍ですが特に誰も責めません。なにせそもそもこれは彼らのための戦い。達人による魂魄一閃の冴えに仕合はいっそう盛り上がります。
 決着がついたのは夕暮れどき。勝ったのは穏健派でした。もはやネビュラ双方にシリウス人、リゲル人、地球人まで加えた全員に一切のわだかまりは残りません。彼らは全身をふりしぼり、全霊を剥き出しにして、正々堂々と戦いきったのですから。健闘を讃えあって大満足です。
 地球の命運は決定しました。あらゆる立場からの合意のもとで。すべての人のすべての自由意志は愛のもとに見守られることとなり、だから宗矢もまた自らの意志で地球に根を下ろすことを決めました。数年後、次なる試練はこの場にいる全員で協力しあって乗り越えられることでしょう。

 ぶっちゃけ封印が解除可能になった時点でこの決戦は茶番よな、と思っていたら、そのまんまド直球に運動会テイストで描かれました。バトルの絵面は激しいのに雰囲気すっごいのほほん。さすが散々私たちの期待どおりに予想の裏をかきつづけた『プラネット・ウィズ』。まさかマジでやるとは。

本日は晴天なり

 「それは閣下の配慮であり、美学です。地球側はネビュラの奇襲によって敗れるのではなく、互いによく知り、備えたうえで、正面から堂々と敗北を認めさせる、と。それこそが武力を暴力に貶めないための――」(第6話)
 決戦の場は閣下の美学に基づいて整えられました。
 しかしまあ、言っていることはまるっきり騎士道精神でご立派なのに、これを完璧に実現しようとするとまさかこうも間の抜けた感じになるとは。

 「『こうして向かいあうのは久しぶりだな、ラシャベラク。今日は模擬戦ではない。覚悟はいいか』と、閣下は仰っております」
 「『お前こそ覚悟はできているのか、カレルレン。実戦から離れて腕が鈍っているんじゃニャいか』と、先生は仰ってます」

 プロレスの前口上か。いえまあ、よく聞けば言っていることはちゃんとシリアスなので、たぶんだいたい銀子が悪い。『けものフレンズ』みたいなほのぼの顔で通訳しよってからに。

 「『私が持ち込んだ大型封印装置はすべて破壊されたが、まだこれが残っている。超小型封印器だワン。これを破壊するのが貴様の勝利条件だワン。そして私の勝利条件は貴様の意志を折ることだ。肉体よりも意志を折ることだ。肉体よりも意志が強ければ強ければ、そのときはこの島が貴様の墓標だワン』と、閣下は仰っております」
 ううん。違うよ? 閣下側の勝利条件は何よりもまず宗矢と楽園の民の協力関係を切ることよ? 最低限ここだけでもどうにかしないと何度封印したってまた復活させられちゃうだけなんですが、閣下の意志はそれでも折れずに済みますかね。

 「いや、最近飲みすぎだから気が進まないのはわかるけど・・・」
 「閣下! 正念場なんですよ!」

 いちおう惑星ひとつの命運を賭けた頂上決戦のハズですよね?

 「ゴメンねえ、熊代さん、因幡さん。スマホに地図送るから、よかったらみんなも観に来てね!」
 「ええ・・・。何その友達を学園祭に誘うくらいの軽いノリ」

 むしろ地球人は立会人じゃなくて当事者なんですけどね。
 「すごい。また投げた」
 「あの図体でよくやるな」

 スポーツ観戦気分か。
 「どっちが優勢なんだろ」
 「さあな」

 他人事か。(実際紅華はすでに他人事の気分)
 「黒井くん。こっちは気にするな。行け!」
 「よくやった、根津屋くん!」

 そんなフィールドに迷い込んだワンコを捕まえたみたいに。

 「立派になったなあ、シリウスの少年よ」
 「よ。そっちもお疲れさん。羊谷くん。鷹取」
 「お、お疲れ様です」「ああ、お疲れ」

 そして仕合が終わったあとはみんなスッキリ笑顔で夕日を浴びるわけですよ。
 握手は? ねえ、握手はしないの? ユニフォーム交換は?

 「それは閣下の配慮であり、美学です。地球側はネビュラの奇襲によって敗れるのではなく、互いによく知り、備えたうえで、正面から堂々と敗北を認めさせる、と。それこそが武力を暴力に貶めないための――」(第6話)
 まっことたしかに。たとえばオリンピックなんかは平和の祭典とかいうお題目を掲げて、武力戦争する代わりにスポーツで国家間の対立感情を発散させているわけですよ。そんな感じでお互い全力でぶつかりあえば、いろんなイザコザやらわだかまりやら、選手も観客もみんなうまいこと飲み下せるようになるものですよね。
 ベストゲームにベストライバル、ベストマッチ。青春の汗って素晴らしい。
 やったね。これで解決ですね。みんなで打ち上げ行こうぜ。会場は牛角あたりで。

 今話は全力でこういう調子のシリアスな笑いを仕掛けてくるものだから感想に困る。
 真面目に考えようとしても絵面で笑っちゃう。

分かたれた道、いつかの答え合わせ

 で、なんでこんなほのぼの茶番劇をやらなくちゃいけなかったのかといえば。

 「シリウスが滅びたのは私が彼らを救えなかったからだ」
 「違う! 彼らは闘争心の赴くままに、力の進化を遂げたからだ。ああなる前に封印すべきだった」
 「封印された種族は進化の道を閉ざされる。それは愛の進化種族の選択として正しいのか?」
 「・・・滅びるよりは、悲しくないさ」
(第3話)

 ネビュラワンニャンの思想戦を一笑に付してやるためですね。

 竜の暴挙を止められず、シリウスを救えず、痛烈な無力感からふたりのネビュラ戦士は歩む道を分かちました。それぞれの正義を主張し、お互いの思想を批判し、それぞれ異なるかたちで己の正しさを実証しようとしました。
 ・・・けれど、ハタから見ている私たちには最初からひしひしと感じられていたわけですよ。どっちもいいヤツだなあって。
 ぶっちゃけどっちにも手放しでは賛同できないのですが、それでいてどちらにも共感できるところはありました。
 ロボットアニメってそういうものよね。観ていて途中から「なんでこいつらが戦わなきゃいけないんだろう?」って思っちゃうパターン。原因も大抵はただのすれ違いですしね。難聴系ラブコメ主人公ですね。(今回の感想文、ノリがおかしいな)

 だから、こんなの運動会で決着つけるくらいでちょうどいい。
 マジでやったらいつものパターンで悲劇にしかならん。
 愛の進化種族が聞いてあきれるわ。

 「誰であれ助けると言い、誰であれ信じ、いつでも命を賭けて信念を行う。私もそんな貴様のように在れたらいいと思うよ。だが! 宇宙は貴様の思い通りにならん。だから私がやるべきことをやるのだ。大人になれ、ラシャベラク!」
 「ネビュラの者はみな大人だ! ワガママな私も、苦しみを飲むお前も。ただ私とお前は別の人格というだけだ、カレルレン!」

 そう。ここまでは問題なかったんです。彼らが道を分かつことになった原因は実のところ彼ら自身に無く、彼らの外側にこそありました。
 「ネビュラが大人でも、地球人は子どもだ。道を誤った子どもの責任は大人が取らねばならない!」
 シリウスの破滅。心優しい愛の進化種族たちは分不相応なおせっかいに手を出して、それに失敗しました。そのせいで無力感に苛まれることになったわけです。
 一方は過ちから保護するため進化の機会自体を取り上げるだとか、もう一方は過ちを繰り返す可能性に目をつぶって放任するだとか、まあ両方ともたいがいろくでもない結論に行きついていましたね。ムリして自分の領分から逸脱しようとした人たちが陥りがちな極論of極論ですな。

 「黙って聞いてりゃグダグダと! このバカ犬!」
 余計なおせっかいだっての。
 子どもの教育方針を巡ってケンカするパパママか。

 「この子は私が引き取り、育てる。そしてこの子の人格をもって証明する。この子のなかにも愛があることを。シリウス人にも愛の進化種族になる可能性があったことを。お前の正義感が殺したのは未来の愛の進化種族だったと証明する!」(第7話)
 だから、かつてパパンが期待したとおりに、バカな大人たちに代わって成長した子どもたちが答えを示してやりました。

横槍(むしろ当事者)

 「イィィィィィヤァァ!! 我が全霊込めた生涯最後の一太刀受けやがれ! 息子の、カタキじゃあ!!」
 これまでカタキ討ちなんてろくなものじゃありませんでした。
 かつてシリウスによるリゲル襲撃の報に怒り狂った竜は、報復攻撃を行った咎によって同胞から処断されました。
 かつて竜へのカタキ討ちを誓っていた宗矢は、竜の力を継いだ竜造寺隆を殺したところで何の充足感も得られず空虚に苛まれました。
 今、息子を殺された龍造寺岳蔵の剣は――カタキ討ちなんざ関係なく、己が倒したい敵に一太刀浴びせました。

 「しがらみで放たれた剣筋ではなかった。生身のお主に問う。誰の味方で、誰の敵じゃ!」
 「俺は――。俺は俺が味方したい人の味方で、俺が倒したいやつの敵だ!」
 「獣じゃのう」
 「獣だよ」
(第5話)

 地球人のうち、何かを成したいという思いを強く抱く者たちはサイキックに目覚めました。みんな何か大切なものを失っていたり自分がちっぽけに見えていたりして、何かを成すための強い力を欲していました。
 その思いが力の進化を呼びました。
 復讐者・ネビュラソルジャーとして戦っていた宗矢は、そんな彼らに輪をかけてさらに強くなりました。
 カタキ討ちなんてろくなものじゃありませんでしたが、そのために強くなるという意味では誰より強い動機として機能していました。

 「爺さん違うよ! カタキは俺だ! あんたの息子を殺したのは俺だよ!」
 まったくカタキ討ちなんてろくなもんじゃない。
 「ふん。・・・わかっとるわーい!!」
 だから、カタキ討ちのために手にしたこの力は自分の信念のために使おう。
 息子を狂わせた、暴力の管理者気取りなあの思想とよく似た敵を倒してやろう。
 だいたいこいつらなんで地球人蚊帳の外にして勝手に地球の命運を争っているんだ。一口乗らせろ。この“カタキ討ち”が刻む価値をよこせ。

 地球人といい、シリウス人といい、リゲル人といい、愛の進化途上にある未熟な子どもたちはみんな、どちらかといえば先生の穏健派を支持しました。
 「リゲルの誰も、誰かを恨んだりこの星の封印を望んだりもしていません。そのお優しい気持ちだけで充分ですわ。ありがとうございます、カレルレン閣下。もう少しこの星を見守ってくださいませんか」
 彼らは志向する愛の進化のかたちとして、共生することを選んだためです。
 「ここは俺の星じゃねえし、あいつも俺のカタキじゃねえ。でも、ここには俺を守ろうとしてくれた人や、俺を助けてくれた人たちがいる。俺は俺が味方したい人たちの味方だ! そんだけだ!!」(第9話)
 穏健派の思想は少々理想主義が過ぎますが、少なくともこの瞬間に彼らが味方したい人全員を味方するためには閣下の思想ではダメだったからです。
 「先生はな・・・、先生はお前だって救いたいんだよ!」
 龍造寺の謳った理想がそうだったように、この手の上位者が下位層を管理する思想は、上位者側に一方的な負担を強いてしまいます。
 お互いにお互いの味方をしあいたい地球人(あるいはシリウス人、あるいはミゲル人)の思想では、そんな悲しいことはとても看過できません。

 割と蛇足な補足考察になりますが、この共生思想は強力な力を求めやすい地球人(宗矢含む)らしい結論だと私は考えます。
 以前、晴美は自分が力を望んでいた理由を見失ったままひたすら大きな力を渇望しつづけ、やがて竜になりました。紅華は無軌道な力の暴発を恐れて一時期封印派に味方していました。
 それでもなんだかんだで自分の大切なものを守りたいときには力が必要です。第5話でのぞみが逃げる宗矢を捕まえるためにタックルを敢行したように。あるいは自らサイキックの力を放棄した美羽と晴美が、羊介に対抗するため再度サイキックを発現させたように。

 だったら、安全に力を所有するためには常に目的を持っていればいいんですよ。晴美が竜になってしまったのは強くなる本来の目的を見失ったせいなんですから。紅華の先輩を殺した少年の力は目的のない安易な興味によって生み出されたものだったんですから。
 「黒井くんのどんな気持ちも私は味方するから。地球人も宇宙人も関係ない。私は、私が味方したい人の味方だから」
 「ここは俺の星じゃねえし、あいつも俺のカタキじゃねえ。でも、ここには俺を守ろうとしてくれた人や、俺を助けてくれた人たちがいる。俺は俺が味方したい人たちの味方だ! そんだけだ!!」
(第9話)
 その具体的手段として、たとえばのぞみや宗矢のように他人との関係のなかに戦う理由を見出すのはひとつの方法でしょう。
 「今、いい夢を・・・」「何だったんだ」「お婆ちゃんに会えた!」「母さんが行けって!」「ベスに送り出してもらった!」(第9話)
 それからもうひとつの手段として、ときどき過去をふり返って初心を思いだしてみるのも良いはずです。私たちがつながっているのはなにも今目の前にいる人たちだけではないんですから。私たちは過去にもたくさんの人たちと絆をつないでいて、そのときの思いは今でも私たちの胸の中で共に生きているはずなんですから。

 「大丈夫だよ。きっとこの星の人たちは間違わない。みんな、あんたたちに優しい夢を見せてもらったからさ」
 宗矢が閣下に伝えた言葉はそういう意味です。初心に溺れてしまえばそれは進化の封印ですが、ときどき初心を思いだして再び歩みを進めるならそれは力の進化で、同時に自分の守りたかったものを確認する愛の進化でもあると、私は考えます。
 ・・・蛇足長いなオイ。以上、蛇足終わり。

 まあそんな感じで、穏健派と封印派の争いは地球人らの横槍(というか本来主役になるべき勢力)によって決着し、彼らはひとつにまとまることになりました。
 都合のいいことに数年後には強大な外敵である竜との戦いが控えています。昨日の敵が今日の友に、みんなで団結するには絶好の条件。・・・まあ、これまでの経緯からして絶対単純な勧善懲悪譚にはならないでしょうけれど。

 宗矢も本格的に地球に根を下ろし、在りし日のお兄さんによく似た面立ちの青年として成長しました。
 「学校なんてどうでもいい。どうせここは俺の世界じゃないんだし」(第2話)
 「全部・・・。全部、復讐が終わってからだ」(第3話)
 銀子といっしょにあの頃のイジケっぷりを心配していた私としては、これが何よりも嬉しい。

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