みんな忘れちゃうにしても、その仮面だけでも持っててくれたらいいのにな・・・。
(主観的)あらすじ
ラウラが騎士の叙勲を受けることになりました。イーラ王国にとってはメツの恐怖を払拭するために庶民の生まれであり器量良い女性でもあるラウラを抵抗軍の象徴にしたく、またラウラにとってもシンのドライバーであることを後ろめたく思う必要がなくなる、ありがたい打診でした。
これまでシンの顔を隠してきた仮面を見て、ラウラは思います。いつか自分が死んで、シンがまた別のドライバーのもとで新たな生を受けたとしても、この仮面はずっと持っていてくれたらいいのに。仮面はラウラが手づくりした想い出の品でした。
王都アウルリウムの地下にはイーラの胎――ブレイドがアルスに生まれ変わるための聖地がありました。ブレイドはここでそれまでの記憶を脱ぎ捨て、悠久に生きつづける大地としてドライバーの子孫たちを育むことになります。その地で、シンはアルスとして長く生きているセイリュウに問います。ブレイドはアルスになることを望むものなのだろうか。自分はラウラとともに生きられる時間さえあればそれでいいのに。
セイリュウは笑って答えます。以前のお主も同じことを言っていた。――ただ、長きにわたってたくさんの人々との出会いが続くアルスとしてのありかたも、これはこれで悪くない。
そういえば抵抗軍の人たちってもしかしてシンたちに随行していたりするんでしょうかね。メツと戦ったのが抵抗軍の功績ということになっていますが。どちらとも解釈できるので判断に困る。
さすがに国王の公認を得ないまま全軍を動かすことはないでしょうが、アデルもいちおう王族なので近衛兵程度の人員くらいは侍らせていても不思議じゃないわけで。ユーゴも自分はブレイド2人で近衛は足りるにしても、随行している特別執権官の護衛が別途必要なはずですし。
一方で「武装したまま王都入りした抵抗軍」=シンたちのこと、としても話は通るんですよね。描かれている絵面としてはそのとおりですし。個人ではなく抵抗軍の功績とした方がアデルにとっても都合がいいですし。一般兵が戦力にならないのはイーラ軍だけでなく抵抗軍も同条件ですし。なによりアデルは抵抗軍の人たちに損害を出すことを好みませんし。
どっちでしょうね?(投げっぱなし)
叙勲 / ラウラの永遠
ラウラを騎士に取り立てるというイーラ国王の施策は功を奏したようで、このイベント以後、王都の人々との会話のなかでも抵抗軍の象徴がアデルからラウラに変わります。
まあね。王族が難民を組織して軍隊化するという話よりは、ジャンヌダルクが旗を振ってくれた方がドラマチックですもんね。苦しいときにはわかりやすいヒーローがいてくれた方が勇気が湧きますもんね。それでジャンヌダルクにされた人自身が幸せになれるかどうかは別として。
劇中でも語られていますが、あの王様たしかに名君です。今はハト派で元はタカ派だったんですっけ? なにかと視野が広くて思考も柔らかい人ですよね。それでも乱世を治めるには器が足りないと感じちゃうのか・・・。
「いつかさ、いつか私が死んでシンがコアに戻る日が来るわけだよね。みんな忘れちゃうにしても、その仮面だけでも持っててくれたらいいのにな・・・」
ラウラのこの女々しい性格、好きです。
私なんかは、自分が死んだあとのことなんてどうせ自分じゃ観測できないわけだし、そう気にしたって仕方がないと考えちゃうんですけどね。ラウラって自分が死ぬことよりも自分が忘れられちゃうことの方が悲しく感じる人なんですよね。
だからこそシンの前のドライバーのことを思って、彼女は幸せだったんだろうと想像を巡らせられるし、90年経っても写真が残っていることを羨んだりもできるわけで。
つくづく物質的な世界観に囚われた生臭い感性だと思います。モノとして自分の痕跡が刻まれていないと納得できないというか。メンドクサイ性格だとも思いますが、そういう当たり前のことに一生懸命になれるこの人が、私は好きです。
ラウラとシンの世界観は似ているようで対照的です。
ラウラは自分が長くても何十年後かには死ぬことを知っています。一方でシンは今の自分が消えてもいつかまた同じ姿の新しい自分が生まれることを知っています。
だからラウラは想い出というモノとして、長く誰かの記憶に留まりたいと願います。一方でシンは他人の記憶に残ろうと、自分の記憶が連続していないかぎり意味がないと考えます。
遠くない将来、この対照的であるがゆえに利害が完全に一致するパートナーは、ひとつの決断をすることになります。
自分の生きた証をモノとして長く残したいのなら、悠久に存在しつづけられる存在に刻みつければいい。
自分の生きた記憶を自分が忘れたくないのなら、自分自身が悠久の存在になればいい。
「願わくばこの日記が“君”の手に渡ることを願う。それを信じ、最後に私が私であるための方法を、我が伴侶との絆をこの身に刻む方法を残そうと思う」
叙勲の流れといっしょですね。そこにはお互いの利害の一致がありました。
マンイーター化したシンはその後長く深い悲しみと、想像していなかった意外な幸福を得ることになりますが・・・。はたして、騎士の叙勲を受けたラウラにはこの後どんな運命が待ち受けているのでしょうか。
「想い出、いっぱいつくろうね」
輪廻 / シンの永遠
「永遠など要らない。この命、彼女とともにあれば――、それでいい」
同じことを500年後のブレイドたちも言っていましたね。
「ブレイドのみんなに聞きたい。正直に言って。もっと生きたいって思ったことある?」
「難しい質問ね。昔の自分を知りたいとは思うけど、今の自分がメレフ様が亡くなったあとまで存在したいとは思わないし」
「ウチもやな。王子との想い出は王子とだけ持っときたい派やわ」
「私は最後までお嬢様の傍にいられればそれで満足です」
「ハナはホンモノじゃないから先のことを考えると悲しいですも。ご主人が死んだらミボージンになってしまいますも」
そしてホムラも。
「いつか大切な人と眠りにつけたなら、それは幸せなんだろうな・・・って思います」
それはブレイドにとって特殊な価値観ではないのでしょう。なにしろ彼らは生まれた瞬間に生涯で一番大切なパートナーと出会うのですから。
この絆を失いたくないとは思います。
けれど同時に、ひとり残されることを想像すると悲しいとも思ってしまいます。
「彼らは望んでいるのでしょうか。アルスとなり人とともに生きることを」
忘れたくないことを忘れて、けれどもし忘れなければ辛いばかりの長い時間を生きて、ブレイドとはいったいどう生きれば幸せになれるのでしょうか。
実際に悠久の時間を経験したセイリュウは述懐します。
「これはこれで悪くない。何年か、何百年かあと、人との新たな出会いが待っている。――そう思うとな」
500年後のホムラも、ドライバーとともに眠る甘い夢を抱きながら、一方でこうも話しています。
「なぜ永久に存在しつづけるんだろうって思っていました。しつづけなければいけないんだろうって。でも今は違います。存在しつづけてよかったって。別れは悲しいけれど、それも私の一部なんだって」
シンはこれから先長く孤独な時間を生きることになりますが、それでもその生は無駄ではありませんでした。500年前には想像もしていなかった出会いによって幸福な結末を迎えることになりました。
ひとりと添い遂げる生涯も、多くの出会いに彩られた悠久も、そのどちらもきっとそれぞれに幸せなことなのでしょう。
だとすれば、メツの口によると「死にたがっている」らしい人々は、どうしてそのような思いを抱いてしまうのでしょうか。あらゆる生はすべて無駄じゃないというのに。
シンにもラウラにも、それからアデルたちにも、その答えはまだ見出せずにいます。
「新たな、出会い・・・」
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