そう。――じゃあ、もうこれは要らないわね。
(主観的)あらすじ
竜のもとを目指す旅路は過酷を極めました。
結局“地を知る者”の協力は得られず、黒の森を迂回している最中にパリストスが黒き霧に冒されてしまいました。さらにはクモ型モンスターの襲撃に遭って、サローディアがじいやに預けられていたお守りを失ってしまうのでした。
みんな満身創痍。私が竜を復活させてしまったせいで。ことここに及んでついにサローディアは己が罪を告白せずにいられなくなりました。
自分がしてしまったことを棚に上げて、旅の癒術士に後始末を押しつけようと考えていました。それか、いっそうまいこと立ち回って自分の手柄にしてしまおうか。
けれどもうそんなことは言っていられません。みんな彼女を守るために傷ついていきました。自分の体はみんなのおかげでひとつも傷ついていないけれど、代わりに心がボロボロでした。
サローディアは自分の罪を告白し、改めて竜を止めることを誓います。これ以上誰も傷つけないために、自分にできることを為すために。
数少ない戦力となったメネライアもパリストスの護衛のために残し、サローディアは先へ進みます。
さて。英雄王の短剣に込められている魔法とは石化の魔法だそうです。この魔法により、春を食べる竜は長いあいだ森のなかにひとり取り残されていました。・・・みんなの春を守るためとはいえ、この竜をまたひとりぼっちにしてしまってもいいものでしょうか。
ユウは暴食する竜の心を癒やすために癒術を使います。うまくできるか自信はないけれど、それが自分にできることだとわかったから。
サローディアは短剣を花冠に変えて、冬の寒さに震えていた竜を救うために春の力を発現させます。それが自分のしたいことだってわかったから。
妖精の国に春が蘇りました。
暖かな春の陽気は凍えていた竜の心に、あるいはスガロル族とガランドル族の確執に、あるいは丘の妖精と地を知る者のすれ違いに、久しく訪れることのなかった雪解けをもたらすのでした。
「おそらく右手だけでなく全身が猛吹雪にさらされている状態だろう」
霧に触れたことによる影響の説明をこのよくわからない一言で済ませるあたり、なんとも児童文学っぽい。こういうストーリーのスジに関係ない設定解説はバッサリ切り捨てていくスタイル、実はけっこう好きだったりします。
『小説版ドラゴンクエスト5』に、氷の女王に騙されて目のなかに氷のトゲを入れられた少年のエピソードが出てくるんですが、それを思いだしました。(原作ゲームにそんなキャラはいなかったって? え、いたじゃん) トゲが痛いせいで何もかもが憎たらしく見えるという設定で、主人公の優しさに心を温められたことで元に戻る展開でした。
冷静に考えたら「人間の粘膜に触れて溶けない氷ってどんなのだよ」とか、「しかも温まったらちゃんと溶けるのかよ」とか、けっこうなツッコミどころなんですが、物語としてスジが通っているとなんとなく納得させられちゃうんですよね。
メルクストーリアのこのシーンにおいても、言ってしまえばパリストスが今どういう症状なのかなんて注目すべき問題じゃないわけですよ。後の展開において重要なのは彼が行動不能になったということと、霧の本質が“冬”=その中心にいる竜も“邪悪”とか“闇”とかの化身じゃなく“冬”を負った存在だということなわけで。
そう考えてみるとなるほど、「寒い」とか「苦しい」とかじゃなくて「猛吹雪に晒されている」という説明は状況を端的に説明できていて合理的ですね。(視聴者側にこういう児童文学的な表現を受け入れる心の準備が整っているかはともかく / 一発で理解できなかったら自分で納得できるまで考えてみたらいいんだよ!)
知らなくて、わからなくて、考えたこともなくて
「ふーん。そういえばじいやがそんな話してた気がするけど・・・。そんなの気にしないで仲よくすればいいのに。だって今は一緒に旅してる仲間なわけだし、強いふたりが協力しあえばもっと頼もしくなるはずでしょ」
前話でメネライアとパリストスの小競り合いを収めたときも、一見するとサローディアが事情に明るくないからこそふたりの間をとりもてたと解釈できそうな描写になっていました。無知であることがときにかえって場を好転させる材料にもなりうる、というのは昔から物語にしばしば語られてきたものです。
ですが、少なくともサローディアと今話の物語において、無知はやはり罪悪です。彼女は不勉強だったからこそ竜を蘇らせてしまい、あるいはふとした一言で“地を知る者”を怒らせてしまいました。
彼女は無知だから他の人にできないことができるのではなく、あくまでその心が善性だからこそそれを可能にしたんです。
今話において、知識を持つということは重要です。
「その石には魔法がかけられていたようだな。私たちには使えぬ魔法だ。『そのもののためなら何を犠牲にしてもいい』――そう思えるほど深い愛の篭もった魔法だ」
教えられなければ、彼女はじいやがどれほどの献身でもって加護をくれていたのか想像できなかったでしょう。
「おそらく右手だけでなく全身が猛吹雪にさらされている状態だろう」
教えられなければ、彼女はパリストスがどれほどの無理を押して駆けつけてくれたのか想像できなかったでしょう。
「壊れちゃった・・・。じいやのくれたお守り。私、ずっとこんなのかわいくないって。みんなボロボロ。私のせいで。――ごめんなさい」
知識は想像力を育みます。
自分がいかに周囲に慈しまれているか、それを想像できなかった以前の彼女は平気でウソをついたり他人を利用することを考えたりしていました。
けれど、もはやできなくなりました。愛を向けてくれる人たちを逆に傷つけるなんて外道、彼女のような善性の人物には本来できるはずがないんです。
「ずいぶんと甘やかしたものだな、フロイレイダ」
優しい子であることは見ていればわかります。なのにときどき無自覚に他人を傷つけてしまう。“地を知る者”・ゼフュロダイは彼女のそういうチグハグなところを「サナギ」と評していたんですね。
イヤがる彼女を勉強机に強く縛りつけなかったのも周囲の優しさだったんでしょうが、今回に限っては少々不幸な巡りとなってしまいました。
「あの妖精を祝福の力で治したいとでも思っているのか?」
「わ、私にも母さまと同じ力があるの! だから・・・練習すれば・・・」
「サナギには無理だ」
王族に伝わる“春の力”というのは、劇中の描写から見て取れるかぎり、誰かを祝福するための力のようです。
「前にも言ったでしょう。こればかりは自ら学ぶ以外道はないと」(第3話)
使えなかったわけです。彼女は何を願えば周りの人たちを幸せにしてやれるか、心優しい子のくせに、そういったことはこれまで考えてみたことがありませんでした。
周りの人たちが優しくしてくれることに甘えて、自分がみんなのために何をしてやれるのか知ろうともしてきませんでした。
「その短剣。・・・手に入れた場所は聞かない。が、それにかけられた魔法は知っているのか?」
「竜を封じる魔法じゃないの?」
「違う。竜を石に変える魔法だ」
たとえばそう。あなたには想像できるでしょうか。封印されることと、石化させられることの違いって――。
私にできること
「みんな。今までウソついてて本当にごめんなさい。私はこのまま先へ――竜のもとまで進みます。これは絶対に私が始末をつけなきゃ。それが唯一私にできることだから」
国のみんなのためを思うと、今のサローディアにできることなんてそう多くはありませんでした。
これまでそんなこと考えたこともありませんでしたから。誰かのためになにかをする用意なんてひとつもありませんでしたから。
幸いというべきか皮肉というべきか、手元には魔法の短剣がありました。今の彼女が誰かのために役立てる手段。だったらやらなければなりません。
ところで、サローディアというか、この文章を読んでいるあなた。あなたは考えたことがあるでしょうか。
たとえ自分に過失があったとしても、自分にしかできないことだったとしても、どうして彼女が置かれたような状況で「絶対に私が始末をつけなきゃ」などという義務感が発生するのでしょうか。
たぶん、そうヘソ曲がりな疑問ではないと思うんですよ。実際そんな責任なんてうっちゃって知らんぷりする人は現実にごまんといるわけですし。サローディアも最初はそうしようとしていました。自分に得がないことなんてする意味がわかりません。他人の幸せのために自分を犠牲にするだなんて偽善者か狂信者のすることです。まったくもってバカげています。
でも、社会道徳として私たちは子どものころからそういう行いを推奨されて育ってきたわけですよね。それってどうしてなんでしょうか。
――まさかお父さんお母さんや学校の先生、みんなあなたに不幸になってほしいと考えていたとか? それこそまさかです。そんなはずありませんよね。あんなに愛してくれていたのに。
だから。この疑問は今一度考えてみる価値があると思うんですよ。
「その短剣。・・・手に入れた場所は聞かない。が、それにかけられた魔法は知っているのか?」
「竜を封じる魔法じゃないの?」
「違う。竜を石に変える魔法だ」
ゼフュロダイの問いかけの意味は、まさにそこにかかってきます。
「私がやらなきゃいけないの」
「・・・ふうん、そっか。ならみんなのために竜を石に変えないとね」
「石?」
「そう。この魔法の剣で」
もしサローディアが事件解決に努める理由が償いのためであったならば、構うことはありません。犯した過失を清算するため、竜を石に変えることにいったいどんな異論が生じましょうか。
それを成すことで彼女を愛してくれたみんなが喜びます。きっと罪も許してくれるでしょう。全部元どおりです。だったらそれでいいじゃないですか。
「――ダメ!」
違うんですよね。
たとえ自分に過失があったとしても、自分にしかできないことだったとしても、どうして義務感なんてものが自分の心のなかに湧きあがってくるのでしょうか。
それはきっと、あなたがみんなを愛したいと思っているからでしょう。与えられた愛に報いたいと。困っている人を助けたいと。誰かに喜んでもらいたいと。みんなに笑っていてほしいと。
それが、あなたにとっても幸せなことだと思えるから。
「やらなければいけない」ではないんです。きっと。本当は「やりたい」んです。自分が幸せに暮らせる世界をつくるために。
「竜に聞くわ。『春を食べないで』ってお願いする」
だからこそ、見ず知らず、縁もゆかりもない竜の幸せまでも願わずにはいられない。
「森のモンスターを癒やしてもらったお礼です」(第1話)
「弟を助けてくれたこと、感謝する」(第2話)
「その勇気とご決意、心より感謝いたします」(第3話)
(唐突に我らが主人公の話に立ち返ります) 癒術士としてちっとも自信を持てないユウ。けれど彼はなんだかんだで各地において癒術を使い、たくさんの感謝を受けてきました。
どうしてそんなことができるのか。そんなことをして彼にどんな得があるのか。
それはつまるところ彼が善人だから自然とみんなを助けたいと思えるのであって、みんなに感謝されるのが嬉しいから続けられるわけですよ。
だからこそ、自信がないくせになんだかんだで毎回癒術を使えるわけですよ。(今回彼の話題はこれで終わり)
「・・・あなた、悲しい目をしてる。寒い冬の真夜中みたいな。すごく悲しい色」
どうして竜を石に変えてはいけないのでしょうか。
「今までひとりで寒かったよね。ごめんね。でももう大丈夫。あなたにも、春が来るから」
それは、石になってひとり森のなかに取り残される彼の悲しみが想像できてしまうから。自分が暮らす世界に、そんなかわいそうな人はいてほしくないから。封印だったいいのかというわけではありませんが、だけど、もし自分が石になってしまったら――そんなのは容易に想像できてしまいます。
だから、イヤでした。
「そう。――じゃあ、もうこれは要らないわね」
絶対に彼にも春を贈らなければなりません。自分で自分に義務を課します。
サローディアは無知な少女でしたが、それでもそれとは別に最初からステキなところがありました。
「・・・でもこれって霧を鎮めるのに必要なものよね。癒術士に渡した方がいいんじゃ・・・」
「もう! ・・・じゃあふたりセットで! ど、どちらもついてきなさい!」(第3話)
彼女は誰が不幸になることも望んでいませんでした。ときどきその善性にふさわしくないことをしてしまうけれど、彼女は誰にでも分け隔てなく優しい女の子でした。
ただ、自分に何ができるか、何をしたいのかを考えてこなかっただけであって。
春の力とは祝福の力。
どうかみんなの心に春が訪れますように。
冷たい冬を乗り越えて、みんなが幸せに暮らせますように。
サローディアが祝福したことで彼女の暮らす妖精の国はまた少し優しくなりました。
それが、サローディアがみんなのためにしたいことでした。
コメント
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拍手コメントにてミスのご指摘をいただき、反映しました。
やー・・・お恥ずかしい。人間として恥ずかしい。教えていただいてありがとうございました。
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ゼノシリーズ好きでゼノブレイド2のプレイ日記を素敵だなと思いながらちょくちょく覗かせてもらっていた者なのですが、メルストも大好きで今さっき感想を書いてくれているのを見て思わずコメントしてしまいました!
こちらもとても丁寧で素敵な感想で嬉しくなりました!ありがとうございます!もしよかったらアプリ版も是非…癒術士によって悲しい時代が終わりを迎え、これから変わろうとしていく人たちのストーリアはきっとゼノブレイド2をクリアされた方なら大好きになれると思います!
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(エゴサーチしていて)しみじみ思ったんですけど、メルクストーリアってすごい熱心なファンが多いですよね。
第2話の感想記事がバズったので何事かと思ったら、どうもキャラクター描写が原作と比べて物足りないとかで、アニメから入った人に良さが伝わらないかもと心配している方が本当に多かったみたいで。――大丈夫です! このアニメは私と同じ趣味の人には絶対刺さる出来だと思います!
あの熱意を見ていると絶対面白いんだろうなあと思って、とりあえずインストールしたんですが・・・いかんせん時間が。レアブレイドも未だに揃ってないんですよね・・・。(忙しいわけではないはずだけど色々趣味を広げすぎ)
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文句というわけではないんですが、こちらの「感想」ってむしろ児童文学の解説文みたいなテイストで書かれてますよね
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わかる。
わかる。
いや実際、いわゆる普通の感想文って書けないんですよ私。子どものころも作文の宿題出されたら原稿用紙1枚あたり3時間コースでしたし。本を読んで自分がどういう気持ちになったかとか表現するのが極端に苦手というか。自分の気持ちを書くってちょっと照れくさくないですか? まあ、たまに書いていますが。
それならいっそ自分にとってこの作品がどう見えたかを直接垂れ流した方が気持ちが伝わるかなと、そういうわけでこういう書きかたをしています。
感想っぽくないのはわかっているんですが、あくまで自分の主観としてどう見えたかを書いているだけなので、自分では“解説”とか“考察”とかって言いかたもふさわしくないと思っているんですよね。他に言いようがないので“感想”って言い張っています。
文章が子ども向けっぽく平易になっているのは意識的にやっていることですね。
誰でもそうかと思うんですが、パソコンを使って何も考えずに文章を書くと、漢字多すぎ&堅苦しい、読みにくい文章になりがちなんですよ。なので文章全体の70%がひらがなになるくらいを目指して柔らかく書いています。
単に熟語をひらがなに崩すだけだとかえって読みにくくなることも多く、なるべくひらがな映えする語彙を選ぼうとしていると自然にこうなっちゃう感じですね。あとはちょいちょい頭のなかで音読したときのリズムも気にしたり・・・。
なお、ところどころ読んでいる人に直接語りかけるような書きかたをしているのは、その方が刺さる人が増えるかなというあざとい考えによるものです。
あんまりこういう話をする機会がないのでこの場を借りて長文で書いてしまいました。もし威圧感を与えてしまったようであればごめんなさい。