子どもの心を守る。それが私の思う“最強の保育士”。
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「あげは、最強の保育士失格!?」
大きな出来事
メインキャラクター:あげは
目標
タケルくんを元気づける。
課題
あげはによく懐いていたタケルくんが引っ越すことになった。保育園でも目に見えて落ち込んでいて、あげはが声をかけても一緒に遊ぼうとしてくれない。何もしてあげられない。
あげははどんなときでも子どもたちの心に寄りそえる、最強の保育士さんを目指している。だから目の前で悲しそうにしているタケルくんのこともなんとか元気づけてあげたい。
解決
ツバサが言うには、いつも心から子どもたちのことを思っているあげはだから子どもたちも慕っている。子どもたちが今のあげはだから好きなのならば、ありのまま寄りそってあげるだけでいいんじゃないかとのこと。
ふとしたきっかけであげはとタケルくんはふたりで過ごす時間を得た。思いだされるのはふたりとも、お互いに対する感謝の思いばかり。お別れは悲しいことだけれど、タケルくんにとってあげはと出会えたことは、その悲しみを差し引いて余りあるほどに幸せなことだった。
そう、思うことができた。
バトル
苦戦
誘導型マルチミサイルを乱射してくるキョウボーグが相手。あげはが得意としているバリアは回りこまれてしまって効果がない。
勝利
機転を利かせることもあげはがプリキュアになる前から持っていた特技のひとつ。バリアを足場として誘導ミサイルをかいくぐり、そのままプリキュア・バタフライプレスで制圧した。
なんかここ最近、一部シーンだけスポットで明らかに力の入れかたが違う作画のある回が続いていますね。東映アニメーション社内で何か実験でもしているんでしょうか?
個人的にはこういうメリハリ効いた演出すごく好き。スタッフロールを見ても明らかに原画陣が増えていてマネジメントがえらく大変そうな制作手法ですが、今後も継続できそうならうれしいですね。
あげはの憧れは最強の保育士さん。てっきり小さなころのましろへの敬意がその原形になっているんだと思っていましたが、両親の離婚から家出事件までの間にもう1クッション、実は直接のロールモデルとなる先生との出会いがあったようです。あげはの半生、波乱だな・・・。
今話はそんな彼女のひたむきな努力が、ひとつ実を結んだ物語。
先生(※ なぜか日本国憲法のお話)
「――傍で見守ってくれた先生がいたんだ。雨の日も、晴れの日も、ずっと気にかけてくれて。先生の手がすっごく温かくて。心まで温かくなった気がして。『保育園の先生ってすごい! 最強だ!』って思ったの」
実際のところ、ひとりの児童ばかりたくさん気にかけてあげられる先生というものはなかなかいるものではありません。
「生徒の夢を応援?」
「はい。高桐さんの夢はダンスの大会で優勝することです。我が校のダンス部を盛り上げるためにも、その夢を学校を挙げて応援するのはいかがでしょうか。ダンス部の指導員のかたも片桐さんの実力と熱意を褒めています。優勝も決して夢ではないと」
「特定の生徒を特別扱いしろというのですか?」(『キボウノチカラ~オトナプリキュア’23』第1話)
『オトナプリキュア』のほうでも指摘されていたように、先生というものには子どもに対して平等でなければならないという考えかたがあるからです。
まあ、保育園は厚生労働省が所管する福祉施設であり、そこに勤める先生は「先生」といえど教育者という扱いではないので、私が多少勉強したことのある学校教育の理念と若干違うところはあるでしょうが――。
学校の先生が児童に平等でなければならないという理念は日本国憲法の2つの条文に依拠しています。
ひとつはいわゆる“教育を受ける権利”。第26条にある「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」という条文です。
これにより、日本の全ての子どもたちは誰もが平等に教育を受ける権利を保障されています。
もうひとつはいわゆる“教育を受けさせる義務”。同条2項にある「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」という条文です。
これにより、子どもたちに教育の機会を与える義務はその保護者に課せられることとなっています。
ただし、ほとんどの保護者は自力で子どもを教育するために必要となる専門知識や技能を修得していません。そのため憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」及び同条2項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」に規定された社会権の保障を根拠として、日本では保護者が負っている“教育を受けさせる義務”を国が代行しています。これが学校教育です。
この2つの視点により、学校の先生は“全ての保護者の教育を受けさせる義務を代行する者として”“全ての子どもたちの教育を受ける権利を保障”しなければなりません。だから先生は全ての子どもたちに対して平等でなければならないんです。それはもうガチガチに。
えこひいきは絶対に許されません。それは子どもたちに平等に与えられた権利を侵害することになるから。そして、同時にそれは一部の保護者の義務だけを果たし、別の保護者の義務を放棄してしまうという背任にも繋がってしまうから。
あげはやその先生の姿勢は、見る人によっては眉をしかめるような、「先生」としてあるまじき態度だと考えるかもしれませんね。
ただし、一方でこういう視点もあります。
もう一度日本国憲法第26条、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」。
「その能力に応じて」です。保育園児にいきなり大学教育を受けさせてみても何も得るものはありません。適切な年齢であっても、たとえば知的障害がある子の場合は、他の児童と同じ普通教育を受けさせたところで学習効率は思わしくないでしょう。全盲の子に黒板を使った授業は受けさせるべきではないでしょう。あとはそう、勉強がニガテな子たちに放課後補習を受けさせるなんてことも、“能力に応じた平等”を実現するためにはむしろ必要な措置といえるはず。
だったら、最近とても悲しいことがあって勉強どころじゃない子だとか、家庭環境が思わしくなくて思うように教育の機会を与えられない子だとかに特別なケアを施すことだって、必ずしも不平等、えこひいきだとは言いきれないということになります。
“平等”ってすごく難しい概念なんですよね。
人によって全然考えかたが違う。法律で定めていてもなお解釈がいろいろとバラバラ。時と場合次第でもしょっちゅう変わる。
先生のあるべき姿に絶対の正解はありません。先生は先生である限り、どうすれば児童みんなに“平等”に接することができるのか、ずっと考えつづけなければいけません。
だからここはひとまず、なぜ先生が平等であらねばならないか、ひいてはなぜ“教育を受ける権利”と“教育を受けさせる義務”が守られなければならないのか、そのそもそもの理由に当たってみるもとにしましょう。
日本国憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」、及び第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。いわゆる“基本的人権”についての条文。
誰もに与えられるべき当たり前の権利を守るため、です。
そのために、先生というものはいつも、不断の努力を尽くすのです。しんどい話ですね。
全ての子どもたちの幸福な人生を願い、全ての子どもたちを平等に愛そうと努め、そのために持ちうる力全てを注ぎこんで全身丸ごと向きあおうとするあげはの姿勢を、少なくとも私は強く尊敬します。
もやもや
「子どもの心を守る。それが私の思う“最強の保育士”。・・・でも、私はタケルくんに何もしてあげられない。このままお別れなんて――」
「あげはちゃんもさびしいよね。元気出して」
「ありがとう、ましろん。でも私のことはいいの。今はただ、タケルくんに笑ってほしい」
ツバサの心になんだかよくわからないしこりが残りました。
あげはが本当は落ち込んでいるんだってことはわかります。無理に笑おうとしているのもわかります。
でも、それってそんなに悪いことなんでしょうか?
あげははタケルくんのために努めて笑おうとしているんです。
いつも子どもたちのことを考えて、いつも一生懸命なあげは。そのあげはが考えて出した答えなんですからそれはきっと正しいはず。
なのにどうして、どこか納得できずにいる自分がいるんでしょうか?
「・・・寝言? ていうかまたこんなとこで寝ちゃって。まったく世話が焼けるんだから。――子どもたちのこと、大好きなんですね」
笑う、といえば。
ツバサの知るあげはという人は、一言で言えばおかしな人でした。
いっつも無理をしていて、加減というものを知らなくて、それでいったい何をしようとしているかといえば保育園の準備。
努力するだけならツバサだって人並み以上の努力家です。だけどその努力は基本的に自分のためです。空を飛ぶため。あるいは、いろんな知識を身につけるため。強いていうならエルちゃんのナイトとしてがんばっているところもありますが、まあそのくらい。
あげはは違います。あげははいつもみんなのために努力しています。保育園のみんなのため。そうじゃないときもエルちゃんや、ソラ、ましろ、ツバサのため。いつもみんなのことを一番に考えてくれています。
そのくせ、よく笑うんです。
自分のためじゃない、みんなのために黙々と作業しつづけることを、心底楽しそうにやってみせるんです。夢のなかでまでがんばって、笑っていて。
変です。
明らかにツバサとは別種の人間です。
常々変な人だとは思っているんですが――、その微笑ましいがんばりを横で見ていると、なんだかこっちまで笑顔になってくるのがまた不思議。
――ああ、それだ。
「あげはさんは寝ているときも子どもたちのことを考えて笑っているような、おかしな人なんです。でも、そんなあげはさんだからこそ、タケルくんや子どもたちはあげは先生が好きなんだと思います」
だって、自分もそうだから。
「無理に笑おうとしないでください。そのまんまのあげはさんでいればいい。充分、ステキな保育士さんなんですから」
だって、自分はそういうところが好きなんだから。
みんなだって同じはず。
子どもへの接しかたなら自分なんかよりあげはの方がはるかに詳しいはずでしょう。
でも、あげはとの接しかたなら。そっちなら、あげは本人よりも自分や子どもたちのほうがずっと詳しい。
あげはとどういうふうに接することができたら自分たちは笑顔になれるか、みんな知っている。
タケルくんを元気づけてあげる方法。
それに限ってなら、もしかしたらあげはよりも自分のほうが詳しいかもしれませんでした。
36.4℃
「開いた、トンネル!」
現実的に考えて、こういうふうにつないだ手が温かいはずはありません。
天気は雨。季節は中学校が衣替えしたくらいのころ。トンネルを掘るために砂場の砂にはたっぷり水を含ませてある。その砂を素手で掘った先生。手のひらはもちろん砂まみれ。そもそも保育園児と19歳じゃ基礎体温からして違う。
むしろひんやりしたはずです。子どもの小さな手を丸ごと包みこんでしまえる、大人の大きな手のひら。
それが、涙が出るくらい温かくて。
「タケルくん。これで先生も最強になるよ」(第18話)
最強の保育士を目指すあげは先生は、あの日最強のヒーローになるときこう言いました。
居合わせたタケルくんの目の前には情けなくも地面に転がった怪物の巨体。あげは先生がやったことでした。最強のヒーローになるまでもなく、ただの保育士の姿のままでやってのけた偉業。
先生が言うには、大切な人を守るためだからできたことなんだそうです。
そして、先生はこれから大切な人を守るためにヒーローに変身するんだそうです。
その大切な人というのが、あの日は自分のことでした。
「あげは先生はもう最強だよ!」(第18話)
優しい手でした。ヒーローの強さに憧れ、乱暴にふるまう自分をたしなめてくれた手でした。
頼もしい手でもありました。あの日怪物から逃げそびれた自分を守ってくれたのがこの手でした。
大好きな手でした。憧れのヒーローで、たくさん遊んでくれた先生で、いつも笑って傍にいてくれました。
そんな大きな手のひらが自分の小さな手をそっと包んでくれています。
たしなめるように。守るように。笑うように。
何度も何度もつないできた想い出が、熱が、じんわりと伝わってきます。
「――いっぱい遊んでくれて、ありがとう!」
それはタケルくんがこの保育園で過ごしてきた日々の全部でした。
お別れすることになってしまった日、あげは先生はいつもどおり、全身全霊やたらでたらめにがんばり屋さんのまま、タケルくんと接してくれました。
先生からもらった熱を胸に、タケルくんは次へと進んでいきます。
きっといろいろな出来事が待っているでしょう。
だけど大丈夫。今のタケルくんは最強です。
コメント
今日はあげはが最強の保育士失格と思い込むことがあっても、覆すことが出来話でした
私のお母様は今日のひろがるスカイプリキュアを視て、私が解説すると面白いと言いました
これはいとこのお姉さんの次女にもいとこのお姉さんのスマホに向けて、解説しました
私個人としてはこれといってシックリ着たセリフも見当たりませんでしたが、あげはは私の予想通り保育士になる目標をまた新たに向け直して、良い感じなヒマ潰しになりました!!☆☆♬
で、次回はソラ・ハレワタールもひろがるスカイプリキュアのツバサもあげはとましろの思い出の場所に向かう話ですね
今度はシックリ来るセリフがあることに期待値を抱きながら、ハッピーエンドに終わる可能性もあるでしょう
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
今昼は倉敷市児島の8番らーめんに行きました
8番らーめんは北陸の石川県の国道8号線に1号店がオープンしたことで、北陸には石川県を圧倒的な中心源に、そこら辺には圧倒的に店舗が多いラーメン屋なのです
でも8番らーめんは2016年の12月に私の現職の会社を解雇された先輩にはまずく感じるので、8番らーめんのラーメンはまずく感じる人にはどこで食べてもまずく感じてしまうのが8番らーめんなんですよね!!(大汗)
それと私のお父様も8番らーめんは倉敷市南部の2店舗で食べてどっちも美味くないと感じてしまったように、美味くなく感じる人にもどこで食べても美味くなく感じてしまうのも8番らーめんなんですよ!!(大汗)
でも私個人としては倉敷市児島の8番らーめんはトロピカル~ジュプリキュアの時の7月18日以来2年とほぼ3ヵ月ぶり2回目に行って、チャーシューの出来が1番良かったですね!!☆☆♬
麺もクセになるような味わいで、スープも左に同じなのです!!☆☆♬
だから8番らーめんとは美味く感じたり、シックリ来るように感じる人には、店舗によって旨味を感じたり、シックリ来る感じもするものなのです!!☆☆♬
というワケで、私が倉敷市児島の8番らーめんに3回目に行った時は、倉敷市の旧国道2号線沿いの下庄店や扶桑薬品岡山工場がある地域で今でも国道2号線沿いにある8番らーめんでは後にも先にもこれより美味かったと右に出るほど美味かった店舗が未だに皆無というほど圧倒的に美味かった8番らーめん里庄店と同じように、唯一足りなかったのは特に麺とスープの旨味なので、旨味も併さっていることをすごく強く願いです!!☆☆♬(厳→咲→輝)
ちなみに倉敷市児島の8番らーめんでは3度目の正直で旨味を感じるのは太麺である8番らーめんの麺であることをなおさら強く願いたいものです!!☆☆♬(厳→咲→輝)
で、倉敷市児島の8番らーめんでは今回もWAON払いして、現金払いは3回目以降に持ち越しですね!!
保育園の先生は最強だと思ったあげはが最強の保育士を目指し、そのあげはのことを最強だと思ったタケルくんがまた最強を目指す・・・。“最強”の再生産ですね。いつか大人になったタケルくんを見てまた憧れる別の子どもも現れるのでしょう。
あおぞら市はそう遠くない将来、全ての市民が最強と化します。首を洗って待っていてください。
本当また会えたら良いですね。ところで前も質問しましたが…プリキュアを負かし、ソラを一度挫折させて変身不可能まで追い込んだのが、ミノトンかスキアヘッドだったらあんまり悔しくなかったし、ネットもあんなに炎上しなかっただろうに…と思いますがどう思いますか?