困らせても、いいですか?
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(主観的)あらすじ
この戦いが終わって未来が救われたらルールーは未来の世界へ帰ってしまいます。その事実をえみるは受け止めることができず、おかしくなってしまいました。心ここにあらずという感じで明らかに自分を見失っています。
みんなえみるを心配して、彼女が我慢している本心を引き出そうとあれこれ気を使いました。けれどそれがかえって負担を感じさせてしまい、ついにえみるは失語症になってしまうのでした。
えみるの自分を責める気持ちはミライクリスタルまで消滅させてしまいました。
折り悪く、そこにビシンにそそのかされたえみるのお爺さんが現れます。
お爺さんは少し前までのえみるのお兄さんみたいな人で、えみるに愛崎家の娘らしさを押しつけようとします。声を出せないえみるは彼に何も言い返すことができません。
けれど代わりにお兄さんが反論してくれました。えみるは自由になっていいし、家族以外の誰かの影響を受けてもいいと、えみるの代わりに言ってくれるのでした。
お爺さんと、それからオシマイダーの手からも逃れ、えみるとルールーはふたりで話しあう時間をつくります。えみるはなかなかうまく話すことができませんでしたが、ルールーはゆっくりでいいと待ってくれました。
そのおかげでえみるはやっと自分の本心を言葉にすることができました。ルールーに未来に帰ってほしくない。その言葉がルールーを困らせてしまうとわかっていながら。
その言葉を受けて、ルールーも自分の本心を打ち明けます。えみるに教わった歌を、愛を、未来の世界に伝えたい。それがえみるを悲しませてしまうとわかっていながら。
ギュイーンとソウルをシャウトできて、えみるたちのミライクリスタルが復活しました。
間もなく訪れるであろうお別れは悲しいものですが、それでもえみるはルールーとふたり、ずっとずっとツインラブとしてみんなに愛の歌を届けていきます。
えみる最終章は辛さのあまり失語症になる流れ。
こういうのって使い古されたお決まりのパターンで、大抵はそうなるまで追い詰めてしまった人たちが咎められるものなんですけどね。今作ではそのあたりの定番にフォーカスしません。それはまた別のテーマを掲げる別の物語が描くべき、別のお話。
第5話でほまれをひとりにしなかったように、今作はそれでもえみるが自分の気持ちを話してくれるまで傍にいて、じっと待ちつづけます。
初期のえみるは家のなかではずっと我慢を強いられていました。
それでいて学校の方ではみんなのためにがんばっても失敗ばかりしていました。
この1年間で彼女が向きあいつづけたものは自分の無力感。けれど、彼女はルールーと出会えた奇跡によって、ルールーと一緒に変わることができました。
お別れの予感
「私たちは離れていても、離れはしない」(『ドキドキ!プリキュア』第44話)
『ドキドキ!プリキュア』に限らず、プリキュアたちはいつもこういうお題目のもとで悲しいお別れを乗り越えてきました。
物理的な距離を超えられるのは思いの力だけ。無限大の距離をつなぎうるのは絆の強さだけ。だからこういう解決方法に至るのは自然なことです。
でも、結局のところ会えなくなるのってやっぱり悲しいですよね。どんなに自分に言い聞かせたって。
「みんな覚えてる? ずっと前にみんなで見た夕日、とってもきれいだった」
「夕日が沈んだらみんなおうちに帰る時間。でも新しい朝が、明日が来れば」
「“また会える” 夕日がきれいなのは、そう信じているから」(『魔法つかいプリキュア!』第48話)
だから、悲しいお別れに正面から立ち向かった『魔法つかいプリキュア!』ではこれに加えて、どんなにか細い可能性であっても再会できることを信じつづける、その祈りによって絆を補強しました。
「で、でも! ときどきこちらに遊びに来ればいいのです!」
「それは難しいやろな」
「じゃあ、未来に帰らないというのはどうですか!?」
「えみる。私は未来に帰ります」
ところが今回、えみるとルールーは一度別れたら二度と再会できないことがわかっています。しかも当のルールーが未来の世界に帰ることを望んでいます。『魔法つかいプリキュア!』と同じメソッドは通用しません。
いったいどうすればいいんでしょう。こんなに悲しいのに。
こういうときどうすればいいのか、えみるは知っていました。
「しかたありませんね! プリキュアとして未来の人々を救い、時間を動かす。それはやらねばならないことなのです。私たちはヒーローなのですから!」
強くなればいいのです。ひとりでも、どんなことにも負けないくらい強くなればいいのです。そうすれば悲しいお別れにだって負けないはずです。
強い人といえばプリキュア、ヒーロー。みんなのために戦うヒーローはすごく強くて、自分のちっぽけな悩みどころか、世界を征服しようとする巨悪にだって負けません。
「ルールーが未来に帰る。いなくなってしまう。・・・私はヒーロー。自分の、気持ちは――」
そうとも、ヒーローになってしまえばいいのです。今度こそ。
「えみるの様子がおかしい?」
・・・いいえ。えみるは強いヒーローになろうとがんばりつづけて、それでずっと失敗してばかりいました。
自分の好きなことをやろうとしては家族から咎められ、みんなの役に立とうとしては返って迷惑をかけてしまい。ルールーと出会うまで結局自分の思うようなヒーローになることができませんでした。それどころかルールーと出会ってからですら、ヒーローらしくふるまうために散々苦労してきました。
えみるにはひとりでヒーローになる力はありません。
・・・じゃあ、いったいどうすればいいんでしょう。
我慢
「地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの?」(『ふたりはプリキュア』エンディングテーマ『ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!』)
そもそもが土台ムチャなお話です。ヒーローになることで悲しみを乗り越えるだなんて。だって自分の問題とみんなの問題は別の問題。世界の問題を解決したところで、自分の心の問題が解決されるわけではありません。
もし悲しみを背負ったヒーローが強く見えるのだとしたら、それは単にその人が悲しみを我慢して隠しているだけです。
「えみるちゃん。笑顔になってカッパ!」
「さあ、このアツアツのおでんを食べますよー」
「熱っ! 本当は熱くないおでんを――熱っ!」
「えと。えっと。・・・布団が吹っ飛んだ!」
ひとりじゃヒーローにもなれないえみるが強がったって、我慢しているのは周りからしたら簡単にバレてしまいます。
そして周りのみんな、えみるが我慢していることに気づくと悲しくなってしまいます。元気づけたくなります。だってみんなえみるのことが大好きだからです。
えみるは愛のプリキュアです。えみるがみんなに愛を振りまくことができているのは、そもそもみんながえみるを愛してくれたからなのですから。
「ダメです。みんな我慢しているのだから、私も、私も――我慢。・・・我慢しなきゃ」
声を上げるわけにはいきません。
弱音を吐くなんてできません。
だってえみるは愛のプリキュアです。すでにたくさんの愛を受け取っているのに、このうえさらにみんなに迷惑をかけたくなんてありません。
我慢。
我慢しなきゃ。
「えみる!」
そして耐え忍ぶばかりのヒーローモドキのところに外敵までもが現れます。
「ああ。声が出なくなるなんて、なんてかわいそうなえみる。ずっと心配していたのだ。お前らのせいだぞ。何だこれは。――ギターはやめろと言っただろう! お前たちがえみるをそそのかしたのか!?」
勝手な解釈で無理解なままえみるの不幸を代弁してくるお爺さん。けれど声を失ったえみるには反抗することができません。そもそもがこれもまた彼なりの愛。えみるを守ろうとする愛のひとつです。
「えみる。もうわかったね。お前はずっと愛崎家のなかで暮らしていればいいんだ。そうすればこんな目にあわずに済むんだよ」
そう。全部えみるが我慢すれば丸く収まる話でした。聞き分けよくルールーが未来に帰ることを受け入れていれば苦しまずに済みました。聞き分けよくルールーが未来に帰ることを受け入れていれば誰にも心配をかけずに済みました。
今えみるが辛い思いをしているのも、今みんなが悲しそうな顔をしているのも、元をたどれば全部えみるのせいです。
「ふふっ――。おかしいのではなく、うれしいのです。ありがとう、ルールー。怒ってくれて」(第15話)
誰の愛も受けず、誰も愛さなければ、そもそもこんな悲しい未来は訪れなかったのに。
あの自分のことを好きになれなかった悲しい日々を、ひとりで我慢していれば。
「えみる! 声を出していいんだ! 自分の思ったことを叫んでいいんだ!」
――そんなバカげた話があってなるものか。
ギュイーンとソウルがシャウトするのです!
「行け、えみる! 扉を開け!」
声の出ないえみるに代わって、えみるのお兄さんがえみるの我慢していた思いを叫びます。
「ギュイーンとソウルがシャウトするのです!」
パワーアップアイテムを手に入れる重要回にモフデレラを書き下ろした時点でわかってはいましたが、やっぱり坪田さんバカでしょ。ここで彼がこのセリフを言う滑稽さときたらもうね。
ですがたしかにえみるのお兄さんってこういうキャラです。
そしてえみるもこういう演出がとてもよく似合うキャラです。
困ったことに、この滑稽さこそがえみるという人物を描くにはこのうえなく適切です。
「やっぱり来なければよかった。みんなに迷惑かけてしまったのです。私はダメダメ人間なのです」(第9話)
ずっと自分のことが好きになれずにいました。
「キュアえみ~るのこと、私の家族には秘密にしてくれませんか。ヒーローとは正体を隠すものなのです。それに・・・家族に心配をかけたくないので」(第15話)
だからなにかにつけて我慢ばかりしてきました。
「あなたは先ほど言いました。ギターは自由だと。カッコいいのだと。最も愛するものだと。それをあのように否定するなんて!」(第15話)
そんな自分のために声を上げてくれる人がいました。
「私は、一生懸命なかわいらしい心を持っているあなたが、とてもうらやましい」(第18話)
こんな自分のことをうらやましいとまで言ってくれる人がいました。
「ルールー。私と一緒にプリキュアを目指しましょう!」(第18話)
だから、この人となら自分のなりたかったものになれる気がしたのでした。
「あなたを愛し、私を愛する!」(第20話)
えみるは愛のプリキュアです。
ルールーをはじめとしたたくさんの人に愛され、守られてきた女の子です。
自分にできないことは誰かが助けてくれました。自分がピンチのときは誰かが守ってくれました。
だからこそ、自分にできることで誰かを助け、自分にしかできないかたちでみんなに愛を届けられるようになりました。
「ダメです。みんな我慢しているのだから、私も、私も――我慢。・・・我慢しなきゃ」
いいえ。
みんながえみるに気を使っているのは、みんながえみるを好きでいてくれるからです。
えみるのせいで迷惑を被っているのではなく、えみるのために助けになりたいと思っているんです。
「フレフレ、えみる」
誰もみんな、えみるがいつものえみるらしくなってくれることを期待してくれています。
「私はまだえみるの気持ちを聞いていません」
誰もみんな、えみるがいつものえみるらしくなってくれるときを待ってくれています。
だから、えみるは自由に声を上げていいんです。
「ルールーと一緒にいたい! ずっと一緒にいたいのです! 未来に帰ってほしくないのです! 一緒にいたい! ずっとずっとずっと!」
実際のところえみるの思いはワガママです。すでに未来に帰ることを決めているルールーを困らせることにしかなりません。
それでもルールーはその言葉を聞かせてもらえることをずっと待っていました。
「未来には歌が、音楽がないんです。私は未来の人たちに私たちの歌を、私たちの愛を届けたい。誰かを愛する心、大切にする気持ち、すばらしいことなんだと伝えたい」
だって、ルールーはえみると育んだお互いを愛する気持ちをこそ、未来の世界に持ち帰りたいと思っていたんですから。
「自分ではない誰かの心に触れて、新しい世界の扉を開くこと。それは家族にも誰にも止められない。だって、僕たちの未来は僕たちのものだから!」
えみるひとりではきっと誰も愛することができませんでした。誰にも愛されることがないからです。
ルールーもひとりでは愛する気持ちを知れなかったでしょう。誰にも愛されることなかったならば。
ふたりだからこそ愛する気持ちを得られました。みんながいたからこそ、みんなを愛し、自分をも愛することができるようになりました。
「これが、あなたと出会えた奇跡が私にくれた、夢です」
「私たちは離れていても、離れはしない」(『ドキドキ!プリキュア』第44話)
ルールーはえみると出会ってふたりで育んできたものを未来の世界へ持ち帰ることにしました。
お別れはどうしたって悲しいことだけれど、こうして持ち帰るものにはえみるとともに過ごした大切な想い出が詰まっています。えみると出会って変われた自分がいるかぎり、ルールーの心のなかでえみると出会えた想い出は永遠に失われません。
だからもう、「離れていても、離れはしない」。
「未来で待っています。私たちはずっと親友」
「あなたを愛し、私を愛する!」
出会えて、変われました。
愛されたおかげで、愛せました。
ひとりじゃないからこそ、自分らしくなれました。
愛のプリキュアはふたりでひとつ。みんなの祝福のもとで生まれた奇跡のヒーローです。
だからえみるは叫びます。自分を愛してくれたみんなに聞こえるように。
だからみんなが待ってくれます。みんなの愛したえみるの声を聞くために。
「ギュイーンとソウルがシャウトするのです!」
コメント
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今回のエピソードって、徹底的に愛崎家という家族の物語を描きたかったんじゃないかと思います。愛崎えみる、そして愛崎正人の人格形成に多大なる影響を及ぼし、今なお二人にとっての"軛"であり続けている愛崎家に対して、この兄妹がこの先どう向き合っていくのかを決める大勝負をさせたかったのではないかと。
未来へ帰還するというルールーに向かって「ずっと一緒にいて欲しい」という本音を言い出さず呑み込んでしまうえみるの態度は、頑迷な祖父を家長に戴く愛崎家の中でえみるが"平穏に"生き延びていくために培った流儀の応用でもある。でも今のえみるはそのような忍耐の不毛さを許容できなくなっていて、それは正人にとっても同様なんですよね。
そこで、兄妹は愛崎家を「本音をぶつけ合える家族(もちろん相手が受け入れるか否かは別の問題)」に変えていく闘いに挑まなければならなかった。そしてこの闘いはあくまでも「愛崎家の問題」であるわけで、愛崎翁に食い下がろうとしたはなをアンリが制し愛崎家次期当主である正人に決着をつけさせたのは非常に適切な判断だったと言えます。
……ただねぇ、はな達"愛崎家以外の人々"の扱いを「愛崎兄妹が家族の問題に向き合う為のきっかけを与える"触媒"」にとどめたこと自体は適切としても、ルールーまで"触媒"扱いにするべく「えみるの苦悩にあまり熱心には寄り添わない態度」に終始させてしまったのは、いささかルールーが無神経に見えてしまい、せっかくここまで積み上げてきた「ルールー・アムール愛を学ぶ」軌跡がきちんと活かされていない印象を受けてしまうんですよねえ。
少なくとも、「未来世界に音楽を再興させる」という未来へ帰還する目的は冒頭部分の内にルールーに語らせて「えみるを真摯に説得するルールー」の姿を見せておくべきだったと思いますし、さらに愛崎家の問題に介入しようとするはなを制する役目はアンリではなくルールーにやらせて"アンドロイドならではの事務処理能力"と"ここまで愛を学んできた成果の集大成"を彼女が発揮する一世一代の晴れ舞台にするべきだったのではないか、と思うんですが……。
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お、今回は見方が私とだいぶ違いますね。
私としては今回のお話は完全にえみるという個人の物語として観ていました。
お爺さんは肉親という立場をカサに着て「愛崎家の問題」と言っていましたが、今回そう認識していたのは彼ひとりなんですよ。はなもえみるのお兄さんも全然そんな考え方してなくて、むしろそういうしがらみからえみるを守ろうという立場でした。
はなを制してお兄さんが反論役に立つことになったのはまた別の理由です。
まあ、ぶっちゃけ私が“家族だろうが恋人だろうが自分以外みんな他人”という考えかたなのでそういう構図に見えているだけかもしれませんが。
で、今話に限ってはルールーすらもえみるにとって他人です。えみるはルールーの考えを理解していませんでしたし、ルールーの方もえみるが自分と違う気持ちだとして隔絶した思いを持っていました。
思いを合致できない他人だというところに意味があるんです。それでも話しあって、それぞれの立場のまま認めあうことができるというところに意味があるんです。
なぜならえみるが愛のプリキュアになれたのは他人の愛を受け取ってきたからこそだから。
けっしてルールーとふたりだけの閉じた関係ではありませんでした。プリキュアになれたころにははなたちやお兄さんなど、本来自分と違う考えかたを持ったたくさんの他人の応援を受けられるようになっていました。
だから今話ではえみるはルールーに他人として接し、だから肉親の立場を振りかざす人から助けてくれるのは他人としての立場からえみるを尊重してくれるお兄さんだったんだろうな、と。
うーん、ここで語るにはどうにも入り組んだ話になっちゃいますね。2月に総括記事を出す余裕があればそこで改めて語りたいと思います。
前話ルールー個人回で今話えみる個人回だったので、ふたりの関係性の描写があっさり気味だったのはしゃーないかなーと。
そのあたりはお別れ本番に期待しましょう。