HUGっと!プリキュア 第42話感想 “自分”という名の理不尽に際して。

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たとえ若宮アンリの体でも、若宮アンリの心を縛ることはできないんだ。

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(主観的)あらすじ

 もうすっごくがんばっている人にはどういう応援をしてあげられるだろう? はなは考えていました。
 今度アンリが大きな大会に出ます。彼のために何かしてあげたいと思って衣装デザインを考えてみたのですが、はなよりもよほど見識の優れた本人にボツにされてしまいました。だけど、なんだか嬉しそうに見えます。
 チャラリートによると、どんながんばっているときでも、どんなにささやかな応援であっても、やっぱり応援されるのは嬉しいものだそうです。がんばっている人だっていつでもがんばれているわけではないから。

 一方、アンリには実は秘密がありました。足の故障がすでに限界にさしかかっていて、おそらくは次の大会がスケート選手として最後の舞台になるとみられていました。
 不幸は重なるもの。さらにアンリは大会会場に向かう途中で交通事故に遭い、今回の大会にも出場できなくなってしまいました。動かない足ではもう二度とスケートができないでしょう。
 理不尽な運命によって有終の美を飾ることすら許されなくなったアンリは絶望します。リストルに連れられて自分の登場を待っていたファンたちの様子を見てみると、みんな悲しそうに泣いていました。これが自分のつくった未来。

 絶望に染まりクライアス社の幹部となったアンリに、プリキュアが対峙します。
 すでにはなたちにはアンリのためにしてあげられることがありません。かけてあげるべき言葉も見つかりません。それでもはなたちは応援を続けました。自分がそれをしたいと思ったから。
 自分がしたいこと。アンリのしたかったことは、自分の出来ることを増やすことと、それによってファンのみんなを笑顔にすることでした。だったらファンたちが悲しいでいるこの現状は、アンリの目指す未来ではありません。

 はなたちの応援を受けて、アンリは無限のプリキュア――キュアアンフィニに変身しました。
 それはひとときの夢。戦いが終われば解けてしまう儚い幻でしたが、このラストショーによってアンリはみんなの心に希望を刻むことができたのでした。
 夢から醒めれば再び足の動かない現実が帰ってきます。けれどアンリはもう諦めません。どんなに時間がかかったとしても、また新しくやりたいことを見つけようと胸に誓います。

 「女の子だって暴れたい!」
 プリキュアシリーズは“戦うヒーローを好むのは男の子だけ”という先入観へのアンチテーゼとして誕生しました。コンセプトとしては本当にただそれだけ。男の子向けヒーロー作品のテンプレートを、ストーリーとデザインだけ女の子向けにコンバートしただけの、実験的な作品としてスタートしました。

 “プリキュアとはこういうものだ” ファンのなかにはプリキュアのあるべき姿を明確にイメージしている人もいるでしょう。プリキュアは他のヒーローものとはこういうところが違うからプリキュアなんだ、と。
 私にもそういうものはあります。
 何ヶ月か前に自分のなかのプリキュア観を模索するため、シリーズを縦断して考察したこともありました。

 結論としてはまあ、“プリキュアとは憧れである”という、ヒーローものにおいては割と普遍的なところに着地したんですけどね。あえて付け加えるなら“諦めない、負けない”がプリキュアらしさという印象でしょうか。あれ、結局こっちもヒーローものとして普遍的な価値観だな。

 「女の子は誰でもプリキュアになれる。そしてその力はこの宇宙を生みだしたビッグバンにも匹敵するんだ」(『ドキドキプリキュア!』第49話)
 プリキュアシリーズは女の子向けヒーロー作品としてスタートしました。けれどそれはけっして「プリキュアは女の子のためだけのヒーローである」という意味ではありません。
 逆です。プリキュアは“ヒーローは男の子のためだけのものである”という先入観を塗り替えようとして誕生しました。あくまで「女の子だって暴れたい!」なんです。男の子と同じように。

 今話、ついにプリキュアシリーズの歴史にキュアアンフィニ――男の子プリキュアの名が連なることになりました。
 とてもプリキュア“らしい”ことだと思います。
 だってプリキュアは、ヒーローは、女の子も男の子もみんなが大好きな、憧れの存在なんですから。

自分と他人

 「めちょっく! なぜこのデザインが却下なのでありますか!?」
 「滑りにくそうだから」
 「一言で切り捨てられた!」

 のっけから辛辣なアンリ。

 この子は初登場から一貫してこういう人物でした。
 「じゃあ君、ほまれのために何ができるの?」
 「君って無責任だね。『がんばれ』って言われなくてもほまれはがんばるよ」
 「応援なんて誰にでもできる。その無責任な『がんばれ』が彼女の重荷になっているんだよ」
(第8話)
 思えばよくもまああのアンリとはなが仲よくなれたものです。

 物言いこそ辛辣ですが、実はアンリはこう見えてさっぱりした人物でした。
 「話してもわからない人たちを説得するのは時間のムダ」(第19話)
 言いかたがいちいち辛辣に聞こえるのは、単にアンリが相手に一切遠慮せず自分の意見を主張するから。自分の意見は自分の意見、相手の意見は相手の意見。完全に別の立場と切り分けて捉えるのが若宮アンリです。
 「お手伝いがうまくいったら、私たちもファッションショーに出してもらえるかも! ・・・なんつって」
 「いいんじゃない? 君のそういう素直なところ、嫌いじゃない」
(第19話)
 要は「正面から堂々と殴りあおうぜ」というスタンスなんですね。殴ることに悪びれませんが、代わりに殴られても腹を立てません。むしろ稀少な話し相手になるので喜びます。嫌いなのは、議論する気がなく一方的な主張をまくし立てる人だけ。
 本当にまったく遠慮しないので、いちいち相手の立場を全否定するような物言いになりがちですが、これで彼はちゃんと相手の意見を聞く気があるんです。・・・バッサリっぷりに挫けず正面から主張しにきてくれる人がいれば、なんですが。

 「・・・っていうか悪くないの? ならなんで最初は『No』から入るのでありますか? アンリくんはいつも――」
 「ははは。君も僕に詳しくなってきたね。これが若宮アンリなんだ。よろしく。僕のこと考えてくれたのは嬉しいよ」

 特に第8話ではなの応援が「無責任」でも「ほまれの重荷」でもなかったと理解してからのアンリは、彼女への評価をガラリと変えています。
 はなは無責任なんかじゃない。いつも自分にできることを本気で考えて、全力で誰かの役に立とうとがんばっている。そして事実、その応援でみんなの心を輝かせてもいる。
 それはそれとして、トーシロの考えた実用性皆無の衣装デザインなんて採用する気にはならないけれど。

 「アンリの魅力はね、男 / 女、そんなことは関係ない! 彼の美しさは全てを凌駕するの! “ボーダーレス”! Unbelievable! Fantastic!」
 「みんなアンリくんの普段の様子を知りたがってるんだよ!」
(第33話)
 勝手なことを言う他人が嫌いでした。彼らはこちらの気持ちを理解する気なんてなくて、向こうが勝手にこしらえたイメージをお仕着せようとしてくるからです。
 「アンリさんにも教えてもらったことがあります。それは、自分を愛することです」(第33話)
 「僕の人生は僕のものだ。僕は僕の心を大切にする。だって、これが僕、若宮アンリだから。――だから、君も君の心をもっと、愛して」(第19話)
 けれど結局のところ自分は自分、他人は他人。気に入った意見は受け止めるにしても、どうでもいい物言いまで真に受けてやる必要はない。若宮アンリの哲学を突き詰めてみれば、理不尽なことを言う他人も自分を暖かく応援してくれていることに変わりありませんでした。最初は無責任に思えていたはなの応援と同じように。

 「愛崎くん、なんで私たちの邪魔するの?」
 「アンリは今、試合前の大事なときで・・・」
 「いいよ。みんないつもありがとう。大会がんばるよ」

 だから、今のアンリはファンの声援を素直に喜ぶことができます。

 「僕が伝えたいのは、誰もが思うとおりに自由に生きられる時代が来てほしいということ。そのためには応援が必要です」(第33話)
 自分のためになることは受け入れ、迷惑なことは容赦なくつっぱねる。そういう当たり前の考えかたを徹底するだけで、アンリにとって他人は理不尽な存在ではなくなりました。むしろ自分を高めるうえで助けとなってくれる、心強い味方に変わりました。

 けれど――。
 「僕には時間がない。これが僕の最後の大会になると思う。何度か手術もしてる。けど、選手としてスケートを続けることは難しいと言われてる」
 じゃあ、“自分”はどうでしょうか?
 自分のなかにだって理不尽なことはあります。誰のせいでもない、どうにもならないことなんていっぱいあります。他人のお仕着せは無視できても、自分の問題から目をそらすことはできません。
 自分自身が輝く未来を目指すうえでの障害となってしまうのなら、そのときはいったいどうしたらいいんでしょう。

誰が為の応援

 「ああ、みんな・・・。こんな、こんなの・・・。僕の、未来は、もう――」
 アンリはクライアス社に下りました。
 自分に絶望して。
 もう動かない足。誰に何を言ってもどうしようもない理不尽な不幸。もはや誰に応援されたとしても、誰の意見をつっぱねようとも、けっして事態は好転しない。絶対的な終焉。
 事故に遭ったことなんてこの際些事でしかありません。単に現実が襲い来るまでの猶予期間が短縮されただけ。足に故障を抱えていた以上どちらにせよいずれこの絶望は確定していました。彼が若宮アンリであるかぎり。

 「アンリくん、ごめん! 私、なんて言えばいいのかわかんないよ」
 はなにアンリを救いうる言葉はありません。
 アンリはジュニアアスリートとはいえプロフェッショナル。そんな彼が自分の現状を目の当たりにして、どうしようもないと判断したんです。素人のはなに彼の判断を覆せる知見なんてあるはずがありません。
 いつものことです。
 これまではなが応援してきたみんな、はなには理解しえない個人的な問題を抱えて苦しんでいました。
 そんな彼らのために、アンリのために、はなはいったい何をしてあげられるでしょうか。はなはいったい何をしてあげてきたでしょうか。

 何もしてあげられることなんてありません。
 「私がムリヤリ彼を導いたのではない。これは彼が自ら望んだことなのだ」
 根本的な話、アンリは他人の意見を自己判断で取捨選択できる人物です。その彼が未来を諦めると決めた以上、その決定に反する言葉なんて今さら彼が聞いてくれるはずないじゃないですか。あの辛辣な若宮アンリが。

 ウソです。
 「ははは。君も僕に詳しくなってきたね。これが若宮アンリなんだ。よろしく。僕のこと考えてくれたのは嬉しいよ」
 アンリは他人の意見を自己判断で取捨選択します。基本的に自分のやりたいことと食いちがう意見は全部つっぱねるので、後に残るものといえば――応援。
 「いいよ。みんないつもありがとう。大会がんばるよ」
 彼はその応援を、大切に抱きしめていました。

 「ファンレターも嬉しいし、プレゼントもそりゃ嬉しいし、けどちっちゃいコメントでも『がんばれ』って言われると俺ちゃんは嬉しいの」
 「どんなにがんばってる人も、がんばれないときはあるからさ。そんなときに今までもらった『がんばれ』が効くのよ」

 かつて大人ぶってる半人前のイケメンがとぼけたことを言っていました。
 「そっとしといたれや。充分がんばっとるヤツに『がんばれ』言うのは酷やで」(第5話)
 でも、だったら精一杯がんばって、それでも苦しんでいる人の傍には誰も寄りそってはいけないんでしょうか?
 どうしようもない絶望を前にした人は誰にも声をかけてもらえず、孤独に嘆き悲しむしかないのでしょうか?
 ――そんなわけない。

 「じゃあ相談。僕って何者? 色々な噂。カテゴライズ。そこに真実があればいいのに。“全てを超越した存在”? でも声も低くなったし、背もどんどん伸びてる。・・・生きづらい時代だね。みんな他人のことを気にしてる」(第33話)
 あれだけ他人の意見をバッサリ切って捨てて、あれだけ自分は自分だと主張していたアンリですら、結局他人の言葉を気にしていました。自分が何者なのかを他人に規定してもらいたがっていました。
 ああ見えても彼だって弱いところのある人間です。自分の問題に不安を感じることがある人間です。
 もちろん他人に自分を規定してもらえるだなんて都合のいいことはありえません。あくまで自分は自分、他人は他人です。
 だから彼はその線をすっぱり割り切って、他人には別のことを期待するようになりました。
 「僕が伝えたいのは、誰もが思うとおりに自由に生きられる時代が来てほしいということ。そのためには応援が必要です」(第33話)
 せめて、理不尽な自分の問題と戦うために、応援してほしい。

 はなが他人のためにしてあげられることなんて何もありません。
 ウソです。
 はなはこれまで、はなには理解しえない個人的な問題で苦しんでいたたくさんの人を、救ってあげられました。
 フレフレ。
 ただ、応援することによって。

 「がんばれ」とは「君は努力しなさい」という命令の言葉ではありません。
 「がんばれ」とは「君は努力するべきだ」という助言の言葉でもありません。

 「アンリくん、ごめん! 私、なんて言えばいいのかわかんないよ。――けど、私は悲しい顔のアンリくんを放っとけない!」
 「がんばれ」とは善意です。
 「ワガママかもしれない。けど、応援したいの!」
 「がんばれ」とは好意です。
 どうか幸せになってほしい。どうか今やろうとしていることがうまくいってほしい。目の前の人の努力が結果につながってほしいという、優しい祈りの言葉です。
 フレフレ。
 アンリがアスリートとして成功したとしてもはなに利益はありません。
 アンリがアスリートとして成功したとしても彼のファンたちに利益はありません。
 フレフレ。
 それでも構わず彼女たちは応援します。ただ、彼のことが好きだから。彼に輝く未来をつかんでほしいから。
 あなたにうれしいことが起きたら、きっと私までうれしくなるから。

 フレフレ、アンリ。

理不尽なるもの

 アンリの身に起きた悲報を聞いて誰もが悲しくなりました。
 みんなアンリに成功してほしかったからです。
 アンリがクライアス社に下ってはなたちは悲しくなりました。
 みんなアンリのことが好きだったからです。

 アンリは絶望しました。
 自分のせいで悲しませてしまったみんなの顔を見て。
 それをどうすることもできない自分という理不尽を目の当たりにして。
 誰も彼が絶望することなんて望んでいなかったのに。

 「違う・・・。違う・・・。これは僕のなりたかった若宮アンリじゃない」
 周りのみんなだって、そんな若宮アンリは誰も望んでいない。

 「アンリくんはどんな自分になりたいの!?」

 現実的にはどうしたらいいのか見当もつきません。これまで一心に打ち込んでいたものを突然奪われてしまうだなんて。
 そういう問題に関しては誰の助けも期待できません。これはアンリの個人的な問題。誰もアンリの苦悩を正しく理解してあげることなんてできませんし、誰もアンリの境遇を代わってあげることなんてできません。
 個人的な問題ほど理不尽なものはありません。誰もわかってあげられないからです。プリキュアすらも。かつてプリキュアはこれに介入しようとして行き詰まりました。

 “自分”という理不尽に立ち向かえるのは自分だけです。
 それでも、あなたはひとりじゃありません。いつだって。どんなときだって。
 「フレフレ、アンリくん!」
 私たちはあなたの問題に介入することはできませんが、代わりに戦うあなたを応援することならできます。

 「僕が伝えたいのは、誰もが思うとおりに自由に生きられる時代が来てほしいということ。そのためには応援が必要です」(第33話)
 応援こそが、すなわち孤独な戦いを強いられた人たちに私たちがしてあげられる、唯一のこと。

 「どんどんできることが増えるのがうれしかった。けど、それ以上に、みんなが僕のスケートで笑顔になるのがうれしかったんだ」
 プリキュアはフィクションのヒーローですが、世のなかには現実に存在するヒーローもいます。
 たとえばスポーツ選手だとか、アイドル、アーティスト、政治家、その他様々なタレントでもって注目を集めている人たち。
 個人的にはあんまり彼らをヒーローとして応援したくはないんですけどね。ちょっと別の理由で。でも現実に彼らはヒーローとして扱われているんだから仕方ない。

 アンリのなりたかったものは要するにヒーローという人種です。
 たくさんの人の憧れとなる存在。その生き様によってたくさんの人に希望を振りまく存在。

 今、アンリの目の前に悲しんでいる人たちがたくさんいます。
 その悲しみはアンリが原因で、つまりそれを癒やすことができるのはアンリだけで、すなわちアンリにはまだ彼らのためにできることがあります。
 ならばどんな理不尽に抗ってでも立ち上がらなければなりません。みんなに笑顔を運ぶヒーローとして。
 大丈夫。立ち上がるのに誰の手を借りることもできませんが、代わりにここにはたくさんの応援があります。アンリのやりたいことがうまくいってほしいと願う、たくさんの祈りがあります。
 だったらヒーローは、諦めない、負けない。
 「悲しいときも。迷うときも。みんなを励まし、未来へ輝く。そうだ。それがプリキュアだ!」
 「奇跡とか信じるのはガラじゃないけど、この夢をみんなで楽しもう!」

 キュアアンフィニはあくまで起こりうる未来の前借り。みんなで夢見たひとときの幻です。
 現実のアンリの目の前には依然、動かない足という途方もない理不尽が立ち塞がっています。
 けれどアンリはこれで確認することができました。
 自分がこれからしたいと思っていること。
 それを応援してくれているたくさんの祈り。
 なんでもできる、なんでもなれる。どんな理不尽にだって塞ぎきることができない無限の可能性。

 いつか遠くない未来においてキュアアンフィニは再び現れるでしょう。
 アンリの目の前にある未来は未だ、無限大なんですから。
 「たとえ若宮アンリの体でも、若宮アンリの心を縛ることはできないんだ」
 フレフレ、ヒーロー。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
      PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
      今回爆誕したキュアアンフィニや前年度のキュアワッフル(公式仮称)って、"名誉プリキュア"といったような位置付けと解釈して良いんですかね?「正規プリキュアの資格要件は満たしていないけど、プリキュア(作品)への多大な貢献を認められ名誉称号"プリキュア"を東堂いづみから授与された者」みたいな。
      こうなったらいっそ公式に「カーネル(名誉大佐)プリキュア」っていうカテゴリーをつくっちまうのもアリかもしれませんねぇ(ひょっとして既に存在するのか?)。
      さて、今回のお話の本筋に関しては私にも色々な思いや考え、言いたいことがありまして、正直上手くまとまってくれないんですが、とりあえず一つだけ。
      「若宮アンリの体にも、若宮アンリの心を縛ることは出来ないんだ」とアンリ氏は仰るんですけど、私にはむしろ「若宮アンリの心にも、若宮アンリの体を縛ることは出来ないんだ」と思えるんですよね。結局アンリ君は"自由"の名の下に自分の体を奴隷扱いしていただけじゃないのか?と。
      それが、交通事故に遭ったことにより「スケートをすることしか許されなかった」彼の体が"解放"され「スケート以外の"なんでもできる自由"」を手に入れた、ということなんじゃないのかなぁ、と。キュアアンフィニの背中に拡がる翼は、正にこの"なんでもできる自由"を象徴するものだったのではないか……と。
      ……うん、どうも私がアンリ君の話をすると妙に辛辣になってしまう傾向があるんですが、これは彼のような"自由の為に犠牲を払う"生き方の出来る人間に対する私の嫌悪感の現れなのか、はたまた嫉妬心の現れなのか……どうなんでしょうね?(人に聞いてどうする)

    2. 疲ぃ より:

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       プリキュアの定義は公式ですら割とあやふやですからねえ。
       設定上プリキュアの力を借りているピカリオが正式に認められていない一方で、プリキュアとは別系統のシャイニールミナスやミルキィローズはプリキュアに数えられていますし。キュアモフルンも権利周りの都合があるらしくて扱いをぼやかされていますしね。
       まあファンが各々好みの基準でカウントすればいいんじゃないでしょうか。

       アンリの件はそういう考えかたも全然アリだと思います。ひとつのことに自分の全リソースを突っ込むのも、いろんな道を模索していくのも、どちらも自由だからこそできることですし、その選択自体がひとつの個性になるんだと思います。
       というかアンリのものの考えかた(特に初期)って割と特殊なので、納得できない人はとことん納得できないと思います。あれ完全に才能ありきですからね。誰もが実践できるものではありません。
       仰るとおり才能に縛られている側面もあり、けれど逆にいえば進むべき道を早い段階で見つけられる(=高度に突き詰められる)ということでもあり。

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