キボウノチカラ~オトナプリキュア’23~ 第5話感想 終わらない明日に向かって。

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でも、ココは諦めないよ。自分ができることを考えて、探して、王国やみんなのためにがんばってる! がんばってるってわかる!

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「ノゾミノノゾミ」

大きな出来事

メインキャラクター:のぞみ

目標

 ココとの再会を喜ぶ。

課題

 昔はちょくちょくココのほうから遊びに来てくれたものだが、のぞみが大学を卒業して以降の4年ほど、ずっとココと会えていない。会いに来てくれない。手紙のやりとりは続いていてその状態なのだから、おそらくのぞみからも特に催促はしていなかったのだろう。

 シャドウ事件が起きた今回ですら来てくれないらしい。ココは王様だから忙しい。だから仕方ない。自分を納得させるための理屈はいくらでも思いつく。
 しかし、それでのぞみが不安を感じなくなるかどうかは別の問題だった。

解決

 ベルに襲われ不安を増幅されかかったのぞみのところに、ココは駆けつけてくれた。最初は来ないつもりだったようだが、結局のぞみのことが心配で居ても立ってもいられなかったようだ。
 ココが傍にいてくれるだけでのぞみの感じていた不安はたちまち解消していった。ココがずっと自分を気にかけてくれていた事実を当たり前に信じられた。
 初めて会ったときからこうだった。のぞみはたとえ自分を信じられないときでも、ココの思いの強さなら昔から信じることができていた。

ピックアップ

ドーナツ王国

 ココとナッツの国、パルミエ王国を取り囲む4王国のうちのひとつ。頑固で責任感の強い国王が治めている。
 周辺4王国の国王はパルミエ王朝の譲位に対する承認権を持っており、全員の承認を得ない限りココたちが勝手に即位することはできなかった。つまり、実体は独立国家というよりパルミエ王国の公爵家や有力豪族のようなものだと思われる。

ダークナイトライトの気になること

 満はライト、薫はナイトという芸名でやっているらしい。なにやらずいぶん濃い目のキャラ付けで配信活動をしている様子。小学校で流行っているのも納得だ。
 タレントにとって子どもにウケることは大事なことだ。エンタメが多様化・細分化している昨今だからこそその重要性はいっそう増している。幼い子どもの視聴に耐えるコンテンツは大人向けに比べてどうしても限られるためだ。子どもに向けた配信はその年代層全体に広く見てもらえる。しかも彼らが成長し、多種多様な趣味を持つことになったあとも、幼いころ親しんだものへの愛着はめったなことでは冷めることがない。

 ちなみに満と薫はオールスターズ映画でプリキュアと共闘する機会が一度も無かったため、おそらくのぞみたちに面識はない。

「町のことって偉い人たちが決めるんじゃないの?」

 その偉い人がいないのよ、今は。
 町内会役員はもちろんのこと、最近だと市議会議員ですら定員割れする始末。地域住民の意向をまとめあげる仕事なんて責任が重いばかりで誰もやりたがらない。いっそのことこまちは代議士を目指してみるのもひとつの手かもしれない。(ないない)

 あなたは子どものころ、何になりたいと思っていましたか?

 私は――、中学生のころは学校の先生になりたいと思っていました。それから、高校で演劇に出会ってからは一生芝居の道で生きていたいと。反対にもっと小さなころはゲーム屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言っていたはずです。

 「大きくなったら何になりたい? 両手にいっぱい全部やりたい!」(Yes!プリキュア5 OPテーマ『プリキュア5、スマイル go go!』)

 子どものころは誰しも夢の1つや2つ、もしかしたら3つとか、4つとか、たくさん持っていたことと思います。

 で、叶いましたか?

 ちなみに今の私はしがない事務員です。夢なんてひとつも叶いませんでしたね。
 その点、のぞみは立派だと思いますよ。ちゃんと夢を叶えました。うまくいかないことも多いようですが、それでも夢を叶えられている時点で私よりがんばっています。私よりも幸せになる権利があると思います。
 彼女の周りにいる人たちだって、たぶん私の友人知人よりよっぽど優しいし、理解があるように見えます。これはまあ、単に私がまともに人づきあいする気が無いだけなんですが。

 のぞみみたいに子どものころの夢を叶えられた大人なんてどうせ少数派でしょう。世の中そんなもんです。そういうしみったれた前提を認めたうえで、さて、もうひとつあなたにお聞きします。

 あなたは、自分のことが好きですか?

 私は好きですよ。
 好きになれる要素なんてどこにも見あたりませんが、それでも気に入っています。なんとなくです。
 ついでに言うと、あなたにもあなたのことを好きでいてほしいと思っていますし、なんだったら、好きであるべきだろう、そうに決まっている、甘ったれてんじゃねーよタコとまで思っています。

 理由はまあ、いろいろです。
 そのうちのひとつは――、そう、子どもたちをガッカリさせたくないから、とか。

燕の子安貝

 「てゆーか、ココ様とのぞみって最近どうなってんの?」
 「前はよく会ってたよ。ときどきココが会いに来てふたりで遊びに行ったりしてたみたいだし。でも、最近は全然会ってないみたい。のぞみが大学卒業して、先生になったくらいから」
 「大学出てって、4年も・・・!?」

 あ。そういうことだったのね。
 私、自分ではそこそこジェンダーフリー思想に染まっているほうだと思っていましたが、どうやら全然だったようです。こんなあからさまな話なのに、男性の側から始めたことだと知るまで連想することすらなかったなんて。

 大学卒業ね。いわれてみればいい節目ですもんね。実際、私の周りでも何組かいましたし。
 おめでとう、のぞみ。だいぶ気は早いかもですけど。

 「僕は王子なのにパルミエ王国を守れなかった。国王になった今もドーナツ王国との問題を解決できなくて。自分の無力さがイヤになる」

 一足先に指輪を受け取ったのだという咲は心から幸せそうでした。
 誰だってああいうふうになりたいと夢見るものです。
 あるいは、ああいうふうにしてあげたいと夢見るものです。
 だって、これはおそらく人生における最も大きな岐路。何の不安も憂いもなく、自分が一番その人を幸せにできるんだって確信を持って、堂々と2人分の人生を担いでみせたい。そう思うのが当たり前じゃないですか。私は独身だから知らんけど。

 のぞみだって、なんとなく勘づいていたからこそ何の文句も言わずに待っていたんだと思います。
 ううん。それどころか、自分のほうもココと同じことを始めて。お互いに相手にふさわしい自分になるべく努力して、自分を高めあって。

 「ココはどうして会いに来てくれないのかな? たくさん手紙を書いたのに、もう何年も会いに来てくれない。私のこと嫌いになったのかな・・・」

 「本当に会いたかったらどんなに忙しくても会いに来るよ。そうでしょう? 人の心はすごく弱いから、思いも続かないんだよ」

 それにしたって、4年は待たせすぎだと思いますけどね! 「人の心はすごく弱い」なんて、よっぽど追い詰められてなきゃのぞみが黙って認めるような言葉じゃないわ。

 ね。立派な王様って何?
 立派な先生ってどういう人?

 ココは滅ぼされたパルミエ王国を完全に復興させました。国内の問題はひとしきり片付き、今は外交にも意識を傾けるべきフェイズ。渇水に苦しむドーナツ王国が救援を求めています。
 のぞみは担任を持ち、自分のクラスの児童に慕われる先生になることができました。一見して順風満帆。ただし、家庭に問題を抱える子をその環境ごと救ってあげられる力はさすがにありません。

 今回の問題が片付いたら――、今度こそ迎えに行くことができますか?
 昔の夢はとっくに叶え終えて、今はその一歩先のステージに取り組んでいる身のくせに。
 いつになったら納得できますか? いつになったら自信を持つことができますか?

 きりがないと思いますよ。
 大人は大人になったからって直ちに大人になれるわけではありません。子どものうちは周りにいる大人たちみんなどこからどう見ても完璧に大人であるように見えたもの。だけどいざ自分が大人になってみれば、案外大人って子どものまま変わらない部分が多いんだなって思い知らされます。
 大人なんてそんなものです。大人になりたかったら、大人になってから改めて大人を目指すというか。でも、そういう人ってたぶん死ぬ瞬間まで自己研鑚しつづけるんじゃないですかね。
 ココものぞみも、ちょっと純粋すぎというか、理想が高すぎ。高校生カップルかよ。あー、見ていてヤキモキするー! ・・・このブログ毎週同じことしか言ってないな。

 そんなんだから子どものころの全能感に縋ってしまうんだ。(これも毎週言ってる)

比翼連理

 「それでも。それでも私は。――戦う!」

 大いなる希望の力宿すキュアモは再び消えてしまいました。
 理由は明らか。のぞみ自身が希望を信じきれていなかったから。

 「約束した。もっと立派な先生になるって。るみちゃんと、また会おうって。・・・眠ってなんかいられない!」(第2話)

 たとえ子どもじみた全能感に頼る変身だったとしても、希望は希望。このあいだ変身したときはそれでも未来を夢見ていました。
 今度はそうじゃありません。ココと連れあう幸せな未来を夢見て、だけどいつまで待っても辿りつくことなく、疲れ果てたのぞみ。もはや未来の自分がステキな大人になっているところなんて想像できませんし、まして今の自分の実力なんて信じようがありません。

 もともとのぞみはこういう子でした。

 「私は昔、勉強がすごく苦手で、運動もイマイチで、特技もなくて。自分に自信が持てませんでした。でも、中学のときに出会った先生に教えてもらったんです。『誰にだって可能性はある。一生懸命がんばればきっと夢は叶う』って」

 「人の応援より、のぞみはどうなの? やりたいこと見つかったの? 先週、手芸部に入ったって言ってたよね。――『エヘ』じゃない! まったく、次から次へコロコロと」
 「だって、見つからないんだもん。『これがやりたい!』ってものが」(『Yes! プリキュア5』第1話)

 今になって思えば、ずいぶん難しいことで悩んでいた子だったんだなってしみじみ思うんです。
 普通、得意なことが無い=将来の夢を考えられないって結びつきます? それとこれとは別の話というか、ある程度自分の現状を棚上げできるからこそ、将来に希望を見出すものじゃないですか。

 だけど中学生のころののぞみは、勉強も、運動も、その他これぞと思える特技のひとつも持ちあわせず、だからそれに連なるであろう将来の夢すらも持つことができず、ただ周りのみんなの才能を羨むばかりの日々を送っていました。
 それでも諦めることだけはせず。日々ガムシャラにもがきつづけ、探しつづけ、そうしているうちやっとプリキュアにたどり着いた子。

 「渡さないココ! どうしても叶えたい夢があるココ!! このドリームコレットで故郷を蘇らせるんだココ!!」

 「夢はとっても大事なものなんだよ。自分がボロボロになっても叶えたい大切なものなんだよ。それをバカにするなんて最低! だから絶対渡さない!」(『Yes! プリキュア5』第1話)

 何もかもダメダメな自分は夢を持つことができない。だけど唯一、他の誰かが持つ夢を慈しむことくらいならできる。
 その発見がのぞみの、キュアドリームの始まりでした。

 「僕は王子なのにパルミエ王国を守れなかった。国王になった今もドーナツ王国との問題を解決できなくて。自分の無力さがイヤになる」
 「――でも、ココは諦めないよ。自分ができることを考えて、探して、王国やみんなのためにがんばってる! がんばってるってわかる!」

 大いなる希望の力はいつだってのぞみの外側にありました。
 自分には持つことができないものだったからこそ、人一倍恋い焦がれる。愛おしめる。信じられる。

 のぞみってそういう子だから――。ココさ、やっぱり4年も待たせたのって失敗だったかしもしれませんよ。
 彼女ならたぶん、あなたにすら信じることができなかった、あなたのステキなところを、いくらでも見つけてくれたでしょうから。

 ひとりでいるとき消えてしまったはずのキュアモが、ココと再会した瞬間、あっけなく復活します。

 「ココ・・・。私もね、私も――」

 4年ごしにやっとこぼすことができたそのつぶやきには、百や二百の言葉では言い尽くせないくらい、たくさん、たくさんの雫がこめられていて。

ファンタジー

 「時間が進んでいる・・・。未来へ向かって。絶望の未来へ。このままでは――」

 「うまい。――これは守らないとな。豆大福もだが、人々の笑顔を見ながらおいしいものを食べる、こういう平和なひとときをな」
 「そうだね。守らないとね」

 ベルとプリキュアの思想はその点で似通っていて、そして明確に決裂していました。

 夢原のぞみは大いなる希望を司るプリキュア。自分の将来に夢見るみんなの思いを守るため、未来を閉ざそうとする悪者たちと戦ってきました。

 「シャドウ。これは人間の心。意志が弱く、自分勝手。今がよければそれでいいと思っている。私はそんな自分本位な人間たちを眠らせているだけ」
 「どうしてそんなことをするの?」
 「愚かな人間は要らない。あなただってそう。あなたにも心の揺らぎが――」

 SDGs(持続可能な開発目標)という理念があります。貧困をなくし、飢餓をなくし、国同士の不和をなくし、全ての人が健康かつ平等でいられる社会。クリーンエネルギーと循環型資源を用いて持続可能な産業基盤、継続的な経済成長を維持しつづけるために考えられた17の国際目標。
 それは要するに、私たちの次の世代へ豊かさを継承させるための方法論です。

 ベルが言うことにも一理あります。どんなに個人がステキな夢を抱き努力しつづけようとも、将来の世界が壊れていてはその夢が叶うことはありません。人が夢を尊ぶのならなおさら、世界の持続可能性はなにがなんでも守られなければなりません。
 しかし、認められるのは一理だけです。未来へ進もうとする時間の流れそのものを否定するなら話になりません。未来が守られるべきなのは、そこで花開くことになる個々人の夢が守られるべきだからです。世界が続かなければ夢は叶わないでしょうが、同時に、未来が訪れなければやはり夢は叶いません。

 未来世界を守るためには近視眼的で自分勝手な一部の人間など邪魔なだけ。それはそう。
 だけど、彼らにだって自分の将来に夢見ていた何かはあったはず。もう叶え終わったのか、叶えられなくてふてくされているのかは知りませんが。そこはベルも認めるところです。意志が弱く、心が容易に揺らいでしまう人は夢を叶えるための努力をしない。すぐ諦めてしまう。だから未来の世界のことなんてどうでもいいって考えてしまう。
 だけどね。そうやって他人の夢を否定し潰していった先に、果たして夢見る人たちの思いが成就する幸せな未来がやって来るかというと。

 「大人は好きなことができて、自由で、楽しそうって想像していた」
 「子ども時代は誰にもあるファンタジーを守りつづけたい」
(EDテーマ『雫のプリキュア』)

 実際には夢を叶えられる人なんてほんの一握り。のぞみたちのように一定の夢を叶えられた人たちですら、どこか自分の人生に納得できないものを感じているもの。
 それでも。それでもです。子どもたちが自分の将来に夢を見るのはきっと、大人たちがカッコよく見えているから。周りの大人たちがそれなりに幸せそうに暮らせているからこそ、子どもは自分の未来も楽観して、いつか自分もああいうふうになれるんだって信じられるんです。
 だから、たとえそれがすぐに諦めてしまう心の弱い人であったとしても、世界のことを思いやれない自分勝手な人であったとしても、他人が勝手に彼らの夢を、未来を取り上げてしまうのは、許されない。

 「みんなの夢は何ですか? ・・・そうです。夢なんて持たないほうがいいんです。がんばってもいいことはありませんから。ムダなことはやめましょう」
 「ムダなんかじゃない! 夢を持って、なりたい自分になるためにがんばっていれば、きっといい未来になる!」

 たぶん、私はすごく残酷なことを言っているんだと思います。
 だって、子どもが信じているほど大人の世界はいいものじゃないってわかったうえで、それでも彼らが私たち大人に憧れていられるようにするべきだと言っているわけですから。
 夢なんて叶わないですよ。実際のところ。
 それでも私は、全ての子どもたちが自分の将来に夢見ていられる世界であってほしい。

 これはファンタジーです。
 夢なんてものに現実を変えるほどの力はありません。それでも、現実を変えることができるのは夢見る人たちだけなんだって、私はずっと信じています。

 だからなんですよね、きっと。

 「先生なのにるみちゃんの力になれなかったね。助けられなかった。がんばったけどムダだった。誰も力を貸してくれなかったし、助けてくれなかった。私は無力だ」(第2話)

 「僕は王子なのにパルミエ王国を守れなかった。国王になった今もドーナツ王国との問題を解決できなくて。自分の無力さがイヤになる」

 学校の先生になる夢を叶えたのぞみ。国王として国を復興させる夢を叶えたココ。彼女たちがそのあとも努力を欠かしていなかったことを嬉しく思い、それでいて、なんか妙に自信なさそうに心揺らがせている姿を見ていると悲しくなるのって。
 もっと幸せそうにしてくれたらいいのになって。

 子どもにとって、プリキュアとは夢の前借りだからこそ最強のヒーローたりえました。
 じゃあ、夢を叶えたあとの、大人になったプリキュアは?
 子どものころののぞみと、大人になってからののぞみ。ある意味でこれはその力比べの物語です。

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    コメント

    1. 与方藤士朗 より:

      日本シリーズ6戦を気にしながら、フェイスブックで御意見番をやりました。
      ~人魚のおばさんにしっかり怒られまくっておりました(苦笑)。

      さて、今回ののぞみの回、玉稿を拝読いたしておりまして、ふと、浜田省吾の初期のアルバムにある「ミッドナイト・ブルートレイン」を思い出しました。
      今でこそ定期の夜行列車はサンライズのみになってしまいましたが、この歌が出た1978年にはまだ夜行列車は多数健在でした。本によれば九州の夜行急行「かいもん」がモデルらしいです。

      それはともあれ、その歌中の「描いた夢とかなった夢」の違い、そしてそれはやり直せないという節がありますが、彼女にとって教師になりたいと描いていた夢と、教師になってかなった夢の違いはまさに、そこでしょう。
      あの校長先生、年齢的には私より少し上の先輩方くらいかな。
      中学生のころ大学生だった人たち。実際校長になった人も、県教委の要職に就いた人もいます。

      のぞみにとって、いやそれ以上に、あの校長先生の若い頃描いていた夢とい賄っている夢もまた、違うもの。そして、やり直せなどしないものではないかなと。

      • 疲ぃ より:

         夜行列車・・・。修学旅行で一回乗ったきりですね。青森県に住んでいるとどっちも今後一生乗らないで終わる子もいるだろうってことで、行きが飛行機で帰りが夜行列車でした。

         憧れの職業に就いた人でも子どものころの夢そのままにはできていないって人はたくさんいるでしょうね。そもそも現実にはそんなチョロい仕事なんかじゃなかったってケースも含め。
         好きになれるかどうかですよ、結局のところ。理想を求めていたらきりがないし、リセットだってきかない。ほどよいところで妥協しろと言っているわけじゃなくて、今そこにある幸せを見つけにいくのもプリキュアらしさなんじゃないかって話で。

    2. 与方藤士朗 より:

      この回を観て思うほどに、浜田省吾の「ミッドナイトブルートレイン」の歌詞が思い浮かんで仕方ありません。

      夢原のぞみ君の教師として描いた夢と、今かなっている(私の論を逆手に取られたら、「詭弁」となること間違いないでしょうが)夢。
      違うでしょうし予想もしていなかったろうが、やり直せもしない。

      それは、ココ青年も同じ。

      だが、救いはないわけじゃない。
      走り続けることしか、ない。

      考えてみれば、私も、そんな時期がありました。
      あの校長先生にも(私の先輩方で県教委の偉い人や校長になった人たち皆さんも)。

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