絵本のテーマ、決まったよ。読んで楽しいだけじゃない、苦しい人を元気づけるような、そんな絵本を描くよ。
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「ましろと紋田の秋物語」
大きな出来事
メインキャラクター:ましろ
目標
新作絵本のテーマを見つける。
課題
ましろは次のコンテストに応募するための絵本のテーマを決めかねていた。これまで10冊も絵本を描いてきたからコンテスト未応募作は溜まっているのだが、ましろとしてはあくまで新作を描くことにこだわりたい。だが、アイディア出しのところから早くも詰まっていた。
解決
気分転換に出かけた並木通りでましろは紋田と再会する。前回会ったときの優しげなお兄さんの印象とは打って変わって、今日の彼は何か辛い思いを抱えているようだった。落ち葉をましろの知りえない何かの事情になぞらえて、ネガティブな言葉を呟くばかり。
ましろはそんな紋田を励ましたいと思った。すると、落ち葉にポジティブなイメージを付与する言葉が次から次へと紡がれる。
色々あって紋田は途中でどこかに消えてしまった。だが、これでましろが描きたい新作絵本のテーマは決まった。
絵本を通して、苦しんでいる人を元気づけたい。今は心からそう思う。
バトル
苦戦
回転で攻撃を受け流すパラソルと高機動性の本体とのコンビネーションがやっかいなキョーボーグが相手。プリキュアの攻撃は全て止められ、敵の攻撃は体勢を崩したメンバーを的確に狙ってくる。
勝利
ましろが考えた作戦により、みんなのチームワークで最初にパラソルの、次いで本体の動きを順に封じこめた。
誰にだって弱い部分はあるが、逆をいえばそうじゃない部分だって誰もが持っている。
ピックアップ
カバ焼きいも
バッタモンダーが複数のアルバイトを転々としているように、カバトンも夜勤仕事だけしているのではなく焼きいもの屋台を引いて生活しているようだ。
ところでその屋台、留めるための足がついていませんよ。
落ち葉アート
これ小鳥の姿のツバサか!
「未熟です・・・」
傍目からはそこまでショックを受けるような戦いぶりには見えなかったが、スキアヘッドとの交戦でソラには何か思うところがあったらしい。その後もずっとひとりで考え込んでいた。次話の物語に繋がる話なのだろう。
おそらくは、スキアヘッドにも彼なりの戦う理由があることを想像していなかった自分の不甲斐なさについて。
青の護衛隊で不用意にベリィベリーを傷つけてしまって以来、ソラが自分のことを未熟だと言うのは大抵、相手の気持ちを充分に推察しないまま自分の思いをぶつけてしまったときだ。
「“正しい”とは何なのか、ヒーローはずっと考えつづけなければいけない」(第14話)
重要エピソードになるのであろう次話のための前哨戦。
ましろはこう見えて意外と他人の心にぴったり寄り添うような柔らかい人付きあいは得意ではありません。そういうのは次話で主役を務めるソラの役目。
ましろは優しい子ではありますが、同時にとても我が強い子でもあります。絶対にぶれない芯が通っていて、別のいいかたをするならひたすらガンコ。融通なんてきかない。彼女はいつも自分のやりかたで周りのみんなに優しさを示します。
心が折れたソラを立ち直らせたときも、ましろは自分のヒーロー観をソラに示すことで道標になったかたちでしたしね。
他人の立場からは干渉しようがない個人的な問題というのはどうしてもあります。
『ハピネスチャージプリキュア!』のつむぎちゃん以来、プリキュアたちがずっと苦しんできた命題です。赤の他人、それも向こうから助けを求めてくれない場合において、ただのお人好しには打てる手がありません。
もちろん、かれこれ10年も取り組んできたことですから、ある程度の回答は蓄積してあります。
たとえば今話のように、相手が受け入れてくれるかはさておいてまず自分が一方的に思いやりを示す方法。語りかけた言葉を向こうで勝手に何かの救いにしてもらえればそれでよし、優しくしてもらえたことで助けを求める気になってくれればなおさらよしといったところ。
ただ、これって救う側にとって相手が助けてあげたくなるような、放っておけない哀れさを感じる関係性でなければ通用しない方法なんですよね。初期の卑劣漢だったバッタモンダーや、寡黙で何も語ろうとしないスキアヘッドを、プリキュアが救ってあげられる方法は今のところ存在しません。
そもそもそんなやつをわざわざ救ってやる必要があるのか?って問題もありますけどね。
たぶん、このブログを読んでくださっているあなたがたにも私が何にこだわっているのかイマイチ伝わっていないと思います。私自身まだ自分の考えがまとまっていません。ただ、プリキュアはいつか本気でそういうことをしようとしているんじゃないかと漠然と感じているだけで。
プリキュアはそもそも自分たちの日常を守るヒーローです。公共の正義のために滅私奉公する職業人ではありません。だから、日常の埒外にある事象は基本的に彼女たちと関係のないお話・・・のはず。
でも、少しだけ思うんですよ。だったら日常の埒外から侵食してくる悪意に対し、彼女たちがその悪意の根源を浄化することはできないのかって。そこまでのことを望んでいたプリキュアは果たして今まで本当にいなかったかなって。本当は手の届かないところにまで手を差しのべたいと願っていた、欲深いほどの善意はこれまで無かったのかって。
んー・・・。やっぱり考えがまとまっていません。
バッタモンダーの急所
「紋田さん・・・。辛い思い、してるんですか?」
「・・・へ?」
それはバッタモンダー自身、考えてもいなかったような自分の本質でした。
「でも、がんばってもうまくいかないことってあるよね。『がんばれば夢は叶う』なんていうけど、必死にがんばったって夢が叶う人なんてほんの一握り。勝つのはいつも強い力や才能がある人たちだ。その他大勢はどんなにがんばったところで夢を叶えることなんてできない。だから、夢なんて見ないほうがいい。辛い思いをするだけだから。どうせ最後は落ち葉みたいに落ちて消えてなくなるんだから」
ましろは紋田の正体がバッタモンダーであることを知りません。
仮にそれを知れたところでバッタモンダーがアンダーグ帝国でどんな生活をしてきたのかなんて調べようもありません。
まして、その日々のなか、彼がどんな思いを降り積もらせてきたかなんて。
そもそもこの場でバッタモンダーが口にしたのは悩みの打ち明け話ですらありません。少なくとも本人にそのつもりはありませんでした。
ただ、無邪気に絵本作家を目指しているましろに現実を突きつけて、冷や水でもぶっかけてやろうと思っていただけでした。いつものしょうもない嫌がらせのはずでした。
だから、バッタモンダーにとって自分が語る冷たい現実のありようはあくまでただの客観的事実。そこに自分の主観、ごく個人的な鬱屈した感情が乗っているだなんて彼自身思ってもいませんでした。
虚を突かれた思いでした。
「ずっとひとりでがんばってきたんだね。苦しかったよね。寂しかったよね。もうがんばらなくていいんだよ。君を傷つけるこんな世界、ボクが壊してあげるから」(第14話)
「ああ、弱い人たちの精一杯のがんばりが全部ムダになってしまった! この世界はなんて残酷で、なんて悲しいんだろう!」(第15話)
バッタモンダーという人は、傷ついた人々の思いをよく理解しているような訳知り顔で、まるで見当違いの方向にねじ曲げて語る、上っ面だけの偽善者でした。
本当は何ひとつ解っていません。まず知ろうとすらしていません。だからその言葉は空気よりも軽く、本来なら人生経験に裏打ちされるはずの重みがまるで無い、どこかで聞きかじったことを並べただけみたいな陳腐な言葉ばかりが出てきます。
彼には他人の苦しみや悲しみに対する共感力が徹底して欠如していました。
だけどそれは。
「お前はいつもそうだ。何の力もない落ちこぼれのくせに諦めが悪い。足掻きつづけるお前の姿は見苦しく、目障りだった」
それは本当は、自分の心の奥の奥、最も柔らかく脆い自分の急所を、誰にも見せたくなかっただけ。
だから彼は誰にも共感できなかったのでした。本当なら誰かの弱さに共感できたかもしれない自分の弱さことごとく全部、慎重に封じこめてきたから。無かったことにしてしまったから。
まるでカタツムリの殻のように堅固だった心の防壁。そこにあったわずかな傷口を目ざとく見つけ、ましろの真っ直ぐな優しさが芯まで一直線に撃ち貫きます。
「紋田さん、元気ないから。なんだか苦しそうで。もしかして絵のことで悩んでるんですか?」
ましろが知っている紋田のプロフィールは一から十まで嘘っぱちです。彼が何に対してそんなにも絶望しているのか、ましろには知る由もありません。どんなにがんばって察しようとしたところで見当違いの考えしか浮かびません。
確かなことは、ただ、彼がどうしようもなく傷ついているんだっていうことだけ。
ましろは彼の正体がバッタモンダーだということを知りません。
彼が本当はどんなに悪辣なことばかり考えているのか気付いていません。
でも、だからこそ見つけることができたんです。虚飾にまみれた彼の言葉のその奥にある、わずかな出血を。
嫌いな人の心の奥まで覗こうとする人なんて普通いません。
どんなに心優しい、お人好しの子だって、そんな自分が傷つくだけで誰も得をしないことがわかりきっているお節介を焼くことはありません。
だけど、親身でも険悪でもないニュートラルな関係なら、あるいは。
とびきり優しい心を持つ子だったなら、もしかしたら。
そのくらいの距離になら手が届くこともあるかもしれません。
「やだなあ、全然そんなことないよ! ――ただ、落ち葉を見てるとそんな気持ちになるんだよ。緑だった葉っぱが枯れて、地に落ちて、踏まれて、・・・みじめだなって」
「落ち葉は全然みじめじゃないですよ。木が葉を落とすのは寒い冬を乗り越えるためなんです。冷たい空気に触れる面積を少しでも減らすために」
「それは・・・、木に切り捨てられたってことじゃ?」
「いいえ。落ちた葉っぱは土になって、木の栄養になるんですよ。枯れた色もきれいだし、落ちてもがんばってるって感じで、――落ち葉、私は好きですよ」
バッタモンダーが抱く落ち葉へのネガティブイメージを、ことごとく真っ向から粉砕していきます。別にそんな、いちいち相手の言うことひとつひとつを全否定してかからんでも・・・、とはちょっと思いますが。
そこはどうにもましろの性分。彼女は基本的に、こういうとき相手の立場に立って、相手の思いのかたちに沿わせた言葉を交わすようなことがありません。相手を尊重して距離を保つか、自分のありのままの思いを叩きつけるかの両極端。
だけど、これまで自分の心の奥に誰も踏み入れさせたことがなかったバッタモンダーにとっては、その少し強引なところのある優しさこそがよく沁みたようでした。
ましろのやりたいこと
「どうしよう。絵本のテーマが決まらないよう。――やっぱり楽しいのがいいのかな!? それともインパクト重視??? 全米が泣くような感動ものにするべき――!?」
「今まで描いた絵本がたくさんあるんですから、そのなかから選んで応募したらどうですか?」
「それじゃダメだよ! みんなきっとすごい絵本描いてくるから、私も新作で挑まなきゃ!!」
「そ、そうですか・・・」
前回のコンテストで勝てなかったんですから、既存作じゃ今回も入賞できないだろうって考えるのはわかります。
もっとも、前回応募した作品ってましろが初めて描いた第1作なので、その後に何作も描いた絵本が本当に見込みが無いかというと別にそんなこともないと思うんですが。
どちらかというと、コンテストをきっかけにまた新しいものを描いてみたい、と意欲が湧いているというのが本音なんじゃないでしょうか。
「・・・いつの間にかなりたいものとか決まってないとダメなターン!? でも、改めて考えれば私これといって得意なことないし。そんな人間が何かになれるの? 疑問だよー!」(第4話)
「自分でも意外だったなあ。涙が出るくらい悔しいって思ったの初めてだよ」(第17話)
結局のところ、自分は見通しが立たなくてもとりあえず動いてみなきゃ、まず自分自身への理解すらおぼつかないタイプなんだってこと、ましろもそろそろわかってきたんじゃないでしょうか。
ましろにとって絵本を描くことは、それこそ自分自身を知る良い機会になっていました。
初めて絵本を描いたときは、エルちゃんに思いやりを持ってほしいというメッセージを伝えたい一心でした。
コンテストのために絵本を描こうとしているうちはまったく筆が進みませんでした。それが、「エルちゃんに伝えたい思いがある」と自覚したとたん、一気にアイディアが頭のなかにあふれだしたのでした。
10冊目を描いたとき、読み聞かせした子のうちの一部につまらないと言われてしまって、また迷うようになりました。
1作目から、思えばずっと、ましろの創作意欲は誰かに何かを伝えたい、という思いが原動力になっていたようでした。バッタモンダーとの会話のなかで「必ずしもみんなが面白いって言ってくれるとは限らない」という現実と向き合ったとき、改めてそういう自分の原点を思いだしました。
自分は別に”みんな”を楽しませるために描いているんじゃなかった。ひとりでも多くの”誰か”に自分の思いを伝えたくて、それで絵本を描いていたんだ、と。
だから、まあ要するに、この子コンテスト向けに、というか不特定多数をターゲットにして作品づくりをするのってまったく向いていないんですよね。
そりゃ悩むことにもなります。これで3回目なんだからもっと早く気付いてほしかった。
「――絵本のテーマ、決まったよ。読んで楽しいだけじゃない、苦しい人を元気づけるような、そんな絵本を描くよ」
優しさのプリキュア・虹ヶ丘ましろ。
今回、半ば偶然にバッタモンダーの隠し持つ痛みに触れたことで、彼女は絵本づくりを通して自分が本当にやりたいと思うことを見定めます。
「どうしてこんなことするの?」
「価値の無い者を消そうとしているだけだ」
「紋田さんをそんなふうに言わないで――!!」
世のなかには苦しみや悲しみを心の奥に隠したまま、それでも傷を覆い隠して平静を装っている人たちがいます。
誰にも助けてもらうことができず、助けを求められず、どうにかひとりで生きようともがいている人たちがいます。
彼らの心の痛みは、普通ならましろに知ることのできる機会はありません。助けてあげられる機会なんてなおさらです。第一、ましろの手の届く場所にいてくれるとは限りません。助けてほしいと言ってもらえるかわかりません。・・・ましろ自身、もしその人と正面から向き合ったとき、彼を助けてあげたいと思えるかどうかもわかりません。
だけど、どうか、できることならそんな顔も知らない、たくさんの”誰か”のことも、――元気づけてあげたい。
ましろはそのために絵本を描いてみることにしました。
奇妙な縁。きっとバッタモンダーではない、紋田として彼に出会ったことで――、悪辣な本性を知らないまま、彼の傷だけを知る機会があったおかげで、ましろの目の前にある世界はまた少しひろがりをみせることになりました。
これは知りえないことを知ることができた、限りない偶然の日の出来事。
見えないはずのものが見えるようになった、小さな奇跡の物語です。
コメント
今日はましろが新作の絵本を描き上げるために、1人で完全に抱え込もうとするワケですが、テーマが最終的には新しく見つかる話でした
ましろが紋田に「落ち葉。私は好きですよ」と言い放ったのはシックリ着ました!!☆☆♬
浦和学院(埼玉県)の高校野球を応援する掲示板にて、1985年まで埼玉勢は甲子園でパッとしなかったワケですが、その翌年は浦和学院が甲子園初出場でベスト4まで勝ち残る快進撃を遂げて、それ以来今でも浦学ファンであるインターネット利用者は浦和学院に限らず足で相手をかき回す野球ということに関する概念が
「足でかき回す野球。私は好きですよ」と浦和学院の高校野球の応援掲示板に書き込んで、私が知っている経験談的に感慨深いですね!!☆☆♬
それからスキアヘッドもソラ・ハレワタール=キュアスカイも「何故」から始まるセリフを言い放ったのはシックリ着ました!!☆☆♬
さらにスキアヘッドは「(前略)価値はない」と言い放ちつけて、チャンピオンに3年半本格連載されたキュアアイドルギャンブラーが第4話から最終回まで断続的に登場するGAMBLEFISHにて、5巻では第1話から登場する主人公の背が低い男子の友達同級生がダイススタッキングで見事な逆転勝利を遂げると、相手の次鋒はモーションなどが腑に落ちず悪あがきするので、それを見兼ねた立会人が
「主人公の誘導が巧みだったとはマンマと出し抜かれた愚か者に勝者を名乗る資格はない」と言い放ちつけるので、私が好きになり続けている二次元作品的に感慨深いですね!!☆☆♬
で、ましろは紋田の正体が実は敵であるバッタモンダーとは気づく由がなく、フレッシュプリキュアにてラブはせつなの実態がラビリンスの敵幹部であるイースとは気づいていないのと同じようなパターンですね
結局は紋田はプリキュアに対するワダカマりが未だに消えなくて、アンダーグ帝国への復帰を望んでいるワケですが、これは女児向けプリキュア史上初の試みです
一度敵からプリキュアに寝返った追加戦士キュアが、また敵のところに戻って、改心は一切なしを望んでいる大人のプリキュアファンもいますが、これは女児向けプリキュア的に言語道断です
それでもプリキュアも最短で、あと2,3年ほど続くワケですし、敵からプリキュアに寝返った追加戦士キュアが最終決戦で、敵のところに今度は逆戻りするけど…ってな感じで、大人のプリキュアファンの要望も数割叶えるつもりでいるのは重々目星が付くことです
で、次回はソラ・ハレワタールとキュアスカイが主人公と主役を兼ねる話ですね
最年少のいとこの姪っ子も含めて6歳以下のプリキュアファンには、楽しみとは言えるワケがありませんが、逆境を撥ね退けるソラ・ハレワタール=キュアスカイに期待値を注いで欲しいところです
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談はポイントも貯まるドラッグストアで売られていた市販のアイス(クリーム)で
昨日は見た目が真っ黒である漆黒のチーズケーキ味のアイスを買い食いしました
製造か販売者が埼玉県さながら全国に発送していると言っても良い赤城乳業のアイスを買い食いしました
すると普通に断続的さながら旨味を感じたチーズケーキ味のアイスでした!!☆☆♬
ちなみに私は昨日、今現在は広島県内に圧倒的に展開しているツルハ系のWants(ウォンツ)で買い食いして、毎月7が付く日と8が付く日は20日まで最低限3倍ポイントだったので、広島県府中市出口町の首なし地蔵に、ひいばあちゃんの娘達(お母様の方のおばあ様とそのおばあ様の妹)やおじい様の弟・お父様の方のおばあ様の妹が、今年のドラえもんの誕生日である9月3日の午前中まで我が家で飼っていたメス猫の分まで、長生きするようご長寿祈願した便に買い食いして、しかも旨味も感じたので、なおさら充実感があります!!☆☆♬
アンダーグ帝国の人たちにとって、「自分個人は好きだと思う」という表明って全然大した価値が無いんだと思うんですよ。だってあの国、強さが全てですから。誰もが同じひとつの尺度だけでものの価値を考える、画一的な思想がはびこる世界なわけですよ。
そう考えると、バッタモンダーがましろの言葉に胸を打たれたというのはきっとかなり大きな出来事なんでしょうね。ましろのような考えかたが彼らにとって新鮮なのはもちろんのこと、バッタモンダー自身にも強さ以外の価値を認める視点が育っていなければ彼女の言っていることが理解できなかったでしょうから。
「本当に助けを必要としてるのは、助けてと言えない人」と言われることもあります。
プリキュアは救世主ではありません。自分を犠牲してまで悪辣な相手を助ける必要はありません。その一方で、悲しんでる人、苦しんでる人、傷付いてる人に手を差しのべてきたのも事実です。
プリキュアがどこまで相手を思い遣るのか。それはプリキュアという作品がずっと悩み続けてきたことです。これだけバッタモンダーの話を丁寧にやるのもそれの表れなのでしょうね。
プリキュアが自分たちの日常を守るために戦っているのは間違いのない事実です。子どもたちの自己犠牲を大人が推奨するわけにはいきません。
ただし、同時に彼女たちは自分たちの理想をかたちにするために日々努力している子たちでもあるわけです。
だったら、「助けてあげたい」と願う子たちの思いまで自己犠牲的だ何だと無闇に否定するべきじゃないなと、最近は思うわけです。
この話を見て途中からのバッタモンダーの過去のコンプレックスに囚われている事についてのシーンで泣きました。歴代のプリキュアの敵キャラのためにこんなに泣いたの初めて・・・😢バッタモンダーの回想シーン、落ち葉について語るましろの前から涙をためながら逃げるシーン、戦いを見守ってスキアヘッドの弱いものを馬鹿にするような言葉で過去のトラウマが蘇るシーン、最感の落ち葉を見ながら感傷に浸るシーン・・・それらを今見返しても泣けます。私もそんな彼を見て「守ってあげたい」と思っていました。
スキアヘッドからの冷酷な評価と合わせ、バッタモンダーがどうしてこんな人格になったのかよくわかったエピソードでしたね。
『ゼノブレイド3』というゲーム作品でも語られた話なんですが、評価される価値観の軸が少ない環境ではどうしても彼のように卑屈に育ってしまう人が出てしまうんでしょうね。誰からも認められず、成功体験を積めない環境で自信を持つことはものすごく難しいことです。
ゼノブレイド3でもこんな展開確かにありましたね、思い出しました。「自分の価値は自分で決める」と言えば「仮面ライダーオーズ」のオープニングテーマの歌詞にもありましたね。
ゼノブレイド3でもこんな展開確かにありましたね、思い出しました。「自分の価値は自分で決める」と言えば「仮面ライダーオーズ」のオープニングテーマの歌詞にもありましたね。
バッタモンダーってある意味「HAGっとプリキュア」のジョージ・クライより可哀想ですね…😭彼にはアンダーグ帝国の環境そのものが合わなかったなら例えば、「トロピカル~ジュプリキュア」のあとまわしの魔女の館で働くべきでした🌊🍹🏖そしたら彼の元々の本来の性格からして最初から、比較的ギャグチックで誰からも愛される古典的な小悪魔になっていた…つまり、ゲスでプライドが高くてずる賢いひねくれ者の要素はそのままではあるが忠実のように冷酷・鬼畜な悪事に手を汚す事もなかったでしょう…。つまりバッタモンダーがもし「トロピカル~ジュプリキュア」の世界にいたとして彼が出撃した回は忠実で言うと敵キャラがカバトンの時と同じノリになっていたでしょうね🌊🍹🏖といっても流石に放屁はしませんが…(笑)
つまり、バッタモンダーみたいなタイプの敵キャラは本当に、例えばマイナーランドかあとまわしの魔女の館で働いていた方が相性よかったのではと思うのですよ🦗そしたら同じ外道な卑劣漢でも最初からカバトンに似ててドジで人情味のある一面が強調されていただろうに…。