いつか、この町で生きるみんなの物語が書きたいな。
「ワタシノマチ」
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大きな出来事
メインキャラクター:こまち
目標
自分が今やっていることに意義を見出す。
課題
こまちは小説家を目指しているが、賞を取ったことがあるだけでまだプロとして活躍していない。今は家業の和菓子屋を手伝いつつ、町内会の活動を精力的に行っている。
プロとして働いていない自分に後ろめたさはいつも感じている。その気持ちを紛らわすためか、最近はシャドウ事件の調査にも熱心だ。
解決
調査の過程で知りあったさなえお婆ちゃんによると、町のシンボルである時計塔は戦時中の空襲にも耐え、当時から焼け野原に放り出された人々の心の支えになっていたのだという。
シャドウ事件の首魁であるベルと何か関係があるのではないかと時計台に登ってみたこまちは、そこから見える町の景色に胸を打たれた。
この町を、この町に住むみんなを守りたい。心からそう思う。そしていつかこの町に住むみんなの物語を書きたいとも思う。だって自分もこの町の一部なのだから。
小説家を目指しながら町内会の活動ばかりしているこまちの自己矛盾はこうして解消された。
ピックアップ
ニチニチソウ
ニチニチソウは花壇に植える花としてよく選ばれるもののひとつ。花の盛りのあいだ次々に新しい花が咲く賑やかさが特徴で、そこから花言葉は「楽しい想い出」とされている。
さなえお婆ちゃんの過去エピソードが語られる『ふたりはプリキュア』第28話でも登場している。というか定番の花だけあってプリキュアシリーズ全体で割と頻繁に登場している。
雪城さなえ
『ふたりはプリキュア』で活躍したプリキュアのひとり、雪城ほのかの祖母。終戦の年にほのかと同い年かもう少し小さいくらいだったとのことだから、現在90歳近くということになるか。
ほのかたちがプリキュアとして活動していることを察して見守っていたり、操られた一般市民や敵幹部を生身で鎮圧したりするなど、「プリキュア作品において最強の存在はお婆ちゃんである」というイメージをつくりあげた最初の人物。
空襲により焼け野原となった町を見て絶望しかかったとき、小さいころからずっと傍にあったカードコミューン(妖精ミップルが変化した姿)から聞こえた「希望を忘れちゃダメミポ」の声を支えにして立ち直った。
空襲
第二次世界大戦においてアメリカ軍は日本主要都市の市街地を焼き払った。
民族紛争など憎悪感情で行われる戦争でない限り、通常はこのような民間人を標的とした虐殺作戦は行われない。かかる費用に対して敵の継戦能力を奪う効果が薄いためだ。
しかし当時の日本の伝統家屋は木と紙でできており火災に対してきわめて脆弱だったため、普通ならコスト面で踏みとどまるはずの一線を踏み越えられてしまった。市街焼払用のナパーム弾などという使い道の少ない兵装を当時のアメリカ軍は保有していなかったが、この作戦のためにわざわざ新規開発したのだという。
なお、被災者の前では口が裂けても言えない話だが、主要都市の一等地が更地になったことで再開発が容易になり、戦後日本では世界史上でも類を見ないほど都市部の近代化が急速に進展、高度経済成長に繋がったという側面もある。
「ミントの本気はすごい!」
これ。(『Yes!プリキュア5』第43話)
ペンを執る最初は誰でもワクワクしながら物語を書きはじめるものです。
もともとこまちが得意としていた作風は魅力的な主人公が大活躍する痛快冒険小説。最初はただ純粋に自分が面白いと思うもの、自分が好きなものをかたちにすることに喜びを感じていました。
けれど読書家のナッツの批評を受け、次第に小説を通して自分が何を伝えたいと思っているのか意識していくようになっていきます。創作活動というのはつまるところ表現行為であり、自分の心の内側に秘めていたものを多くの人に向かってさらけ出そうとする行いです。本人が意識しようとしなかろうと、そこには必然的に何かしらのメッセージ性が表れるもの。もしそれが見えにくいということがあれば、それはどこか自分の本質を明らかにすることを躊躇っているということになります。表現者であろうとするのに表現しようとしない、その矛盾は作家にとって非常に不利にはたらくものでしょう。
そこでこまちは自分が何を表現しようとしているのか内省していくわけですが・・・。すると、湧きあがってくるのです。今の自分がナッツやのぞみたちのことをどんなに大切に思っているのか。そして、いつか訪れるであろう別れを恐れていたり、気持ちが伝わらないことに苛立ちを覚えていたりと、きれいなばかりではない様々な感情の奔流が。
そういう意外な自分を発見するたび、こまちは戸惑い、そのたびにペンが止まってしまうのでした。
保守的な子なんですね。自分はこういう人間なんだという漠然とした認識がまずあって、だからそうではない部分を発見するたびいちいち立ち止まってしまう。そして、なまじ想像力が豊かなだけに、望む望まぬとに関わらず複雑な自分の内面にも視線が行き届いてしまう。
迷う。立ち止まる。考える。だけど、そういう子であればこそ多くの人を魅了するユニークな物語を描くこともできるものです。
大切なものが失われることを恐れるこまちは、変わりゆく街並みを見守りつづけたベルの心情におそらく共感しやすいことでしょう。しかし、自分なりによく考える彼女のユニークな視点は、きっと同じものを見ていてもベルとはどこか違ったふうに見えているはずです。
見下ろす景色
『essay にゃんとここに喫茶とばりが!』秋元こまち
「季節の移ろいを甘いお菓子に映して思い思いの飲み物と一緒にひと時を楽しむ。それができるのがとても嬉しい。お茶の苦みとお菓子の甘味が鼻に抜ける香。爽やかなひと時。そんな時間が続くことを香を楽しみながらほっとする感じが長く続くといいな。ふう、っと息を吐きそれとともに流れ出たお茶の香りが空気の中にすうっと消えていく僅かな時にふと思う。消えずにいつまでも残っていて欲しい。けれどそれはあたりに散って跡形もなく消えていく。どんなにおいしいお菓子でもお茶の香と同じく消えてゆく。一期一会がどんなに心に残るものなのか、密度の高い一瞬を作り上げる楽しい時をいつも思い描きながら目の前の季節の菓子をほおばる。儚さと永遠の記憶を刻みながら。そしてお茶を一口。変わりない日常のたった一行にも満たない一瞬。そんなひと時でも一生に一度になるかもしれない。だからこそ大切にする。懐かしい友人を思い出すときのように。時が流れればいつかは消えてしまうかもしれないけれど、この一時を大切にしたい。ああ、私の目の前にある白いまあるい愛らしいぽってりとした・・・もう待ちきれない。私はこの大福を一口で食べてしまうわ!」
いうほどノラ猫の視点じゃないな!? そしてお菓子どんだけ食べるんだよ!
この手のテキストにツッコミどころが多々あるのはプリキュアシリーズではいつものことなのでしょうがないのですが、ともあれ、記事の趣旨としては要するに、変わりゆく日常を惜しみつつも今ここにある一瞬一瞬を大切にしたいという話のようです。こまちらしいですね。オムレツとかカプチーノとか出てくるビストロで大福を食ベているところまで含め。
こまちは今自分が住んでいる町のことが好きなようです。大切にしたいと。シャドウ事件からどうにかして守りぬきたいと、そう考えているようです。
町の歴史を肌で知っているさなえお婆ちゃんは語ります。
「あなたがたの町はとってもステキな町になりましたね。昔は何もなくてね。本当に、何も」
それはこまちが愛している町の、こまちが生まれる前の物語。
「ほら、見えてきた。あのケヤキが坂のてっぺんだ」
「うわあ、きれい! 下にもお星さまだよ。お空と地面が繋がっているみたい!」
「どんなに苦しい坂道でも、その向こうにはきれいな景色が開けているんだ。くよくよするな。どんなときでも希望を持って。な、さなえ」(『ふたりはプリキュア』第28話)
さなえお婆ちゃんがうんと小さかったころ、何やらグズっていた彼女をおぶって、お父さんは町が一望できる丘へ連れていってくれたことがありました。
おそらくはお父さんの出征前だったんでしょうか。
それはそれはきれいな景色で、お父さんの言うとおり、さなえお婆ちゃんにはきっと辛いときでも希望を信じさせてくれると感じさせるものでした。
だから、そのうちにもう一度見たいと思う日がやってきました。
「あれは私があなたたちと同じくらい――、いえ、もう少し小さかったかしら。この家も焼け残ったのは半分くらいと、小さな蔵がひとつだけ」
「焼け残った?」
「もしかして――」
「そう。戦争は終わったものの、とにかくみんな生きるのに精一杯。そんなある日ふと思いだしたんです。いつかお父さんが連れていってくれたあのケヤキの坂を。心のどこかで自分を励まそうと思ってたのかもしれません」(『ふたりはプリキュア』第28話)
六根清浄、六根清浄とお父さんが教えてくれたまじないを唱えながら坂を登っていると、ひとり、またひとりと自分より小さな子たちが集まってきました。
彼らはさなえお婆ちゃんがどこに行こうとしているのか、何をしようとしているのか理解していたわけではありません。ただ、きっと他にやることが何もなかったのでしょう。そんな寄る辺ない子どもたちをぞろぞろ引き連れて、さなえお婆ちゃんはついに想い出の坂を登りきります。
そこには――。
「残った枝に緑の葉っぱを繁らせてあのケヤキの木はしっかりと立ってた。別に何を期待してたってわけじゃないけれど、坂の上から見下ろした町は――。・・・いいえ。そこに町なんてなかった。どこまでも続く、ガレキの原っぱ」(『ふたりはプリキュア』第28話)
お父さんとの想い出が思い起こされます。
「どんなに苦しい坂道でも、その向こうにはきれいな景色が開けているんだ」――。
いいえ。
いいえ。
そんなもの、どこにもありませんでした。
「嘘つき・・・」(『ふたりはプリキュア』第28話)
堪えがたい涙をこぼし、打ちひしがれるさなえお婆ちゃん。背にはそんな彼女をじっと見つめる小さな子どもたち。
自分がお父さんの背中に負ぶさっていたあの日はお父さんが元気づけてくれた。だけど今、お父さんと同じ立場になった自分は、彼らに何もしてあげられない。きれいだったあの景色を見せてあげられない。だって、自分を支える余裕すら残っていないのに。
ミップルが声をかけてくれなかったらあの後いったいどうなっていたことでしょうか。
そんな凄惨な状況下、それでも唯一時計塔だけは焼け残っていたんだそうです。見るからにモダンな造りですから、当時まだ珍しかった近代的な鉄筋コンクリートの建物だったんでしょうね。
「誰もが心を止めてしまっているなか、――時計塔の鐘は鳴り響きました。人々の背中を押すように。心の奥から不思議な力が湧いてきて、私たちはここで生きていくんだって、前を向けたんです」
それがどれほど励みになったことか、さなえお婆ちゃんが見た坂の下の景色を思えば身を引き裂かれるような思いとともに想像できるかと思います。
「すごいんですね、あの時計塔。町の守り神みたい」
そのときベルはどんな思いで鐘を打ち鳴らしていたんでしょう。
どんな景色を見つめてみんなに鐘の音を届けようとしていたんでしょう。
見下ろす景色
「ここから特に嫌な感じはしない」
「変わったところもないし、もしかして関係なかったのかな」
「そう、なのかしら・・・」
時計塔とベルの関係性を調べるために時計塔へ上がったこまちたち。
そこからは夕日に染まる美しい町の光景が一望できました。
「あなたがたの町はとってもステキな町になりましたね。昔は何もなくてね。本当に、何も」
これが、さなえお婆ちゃんが言っていた、自分たちの享受しているものの姿。
この景色を見られる人はいったい何を考えるのでしょうか。
この景色が無かった時代からずっとここにいて、絶望に打ちひしがれていた人々が再び笑顔を取り戻すまでの過程を見守りつづけていた誰かがいるとしたら、その人は――。
この町が焼け野原だった時代をこまちは知りません。
さなえお婆ちゃんから話を聞いて、夕日に染まる街並みを眺めながら思いを馳せるのがせいぜいです。
全てを見つめてきたベルと全く同じ思いをこまちが抱くことは、きっと不可能なのでしょう。
こまちは感受性豊かな子ではありますが、それでもこまちはベルではありません。人の心というのはユニークな(唯一性の)ものです。だからこそ小説家という、表現行為を生業とする職業が成立するのですから。
「ベルのこと、結局何もわからなかったですね」
「ええ・・・。でも、どんな理由や原因があったとしても、この町を、この町に住むみんなを、シャドウのいいようにさせたくない」
そう、こまちは思います。
ベルがいつも見ているのと同じ景色を見たうえで、こまちの視点ではそういうふうに捉えます。
きっとこの町は様変わりしました。
何も無い焼け野原から、やがて復興し、何度も再開発されていく現代的な街並み。
絶望しきった人々が、やがて希望を取り戻し、けれどいつからか独善的になっていく有様。
それを見たベルが何を考えたのかは知りません。
だけど、こまちならこう考えるのです。
「この町を守りたいって、そう思ったら気がついたの。私自身もこの町の一部なんだって。大したことじゃないんだけど、この町が紡いできた、悲しくて、強くて、美しい物語の登場人物なんだってこと」
この町が好きだ。だから守る。
美しい光景も、悲しい過去も、全部ひっくるめて大好きだ。だってここには暮らしてきた人々の強さが篭もっている。
どんな理由があれ、そんな町に危害を加えることなんてありえない。町も人も、絶対に守りたいし、それから――。
「いつか、この町で生きるみんなの物語が書きたいな」
その全てを残したい。ポジティブなことも、ネガティブなことも全部まとめて、全部忘れられないように。誰かの心に残るように。
昔、考えていたことがあります。
「世界中探せばこれよりもっとたくさんの本やたくさんの物語があるのよね。将来もし私が書いたお話が本になったとしても、そんなにたくさんある本のなかから誰か気付いてくれるかしら? 手に取ってもらえるかしら? ――そんなことを考えていると、何をどんなふうに書いたらいいかわからなくなるの」(『Yes!プリキュア5GOGO!』第42話)
誰かの心に残ることの難しさ。それをわかったうえで、だけどやっぱり届けたいと思わずにはいられない衝動。
「私、決めたの。私、みんなのことを書きたい。私には本当に素晴らしい仲間がいて、ともに歩み、ともに泣き、ともに笑ったことを伝えたいの。そしていつか、世界中のどこかで、誰かひとりでもいいから、私の書いた小説を読んで『自分もこんな仲間をつくりたい』って思ってくれたら、私はそれだけで幸せなの」(『Yes!プリキュア5GOGO!』第42話)
こまちは今ここにある、この町の全部が大好きでした。
全部を守りたいと考えています。
永遠に。もしかしていつか、たとえこの町がなくなってしまったとしても、その先もずっとどこかに残っていてくれるように。
小説にはそういう力もあるはずだから。
コメント
気にも留めませんでしたけど、地域新聞の記事ちゃんと読めるんですねw
朝ドラの空襲や原爆のシーンで、ヒロインたちがたった数分間でいよいよ絶望のどん底に落とされるたび「敵国の民間人を人と思わないから、こんなことができちゃうんだろうな……」と思ったり。
まあ兵隊さんがその辺意識し出したら、ひろプリ41〜42話のソラみたくフリーズしちゃいそうですけど。
最早テロと大差ないことしてるベルはどうなのか、プリキュア5が揃ったところでいよいよ真相に迫りそうな予感です。
読めそうな文字サイズの文書が出てきたらとりあえずコマ送りしてみる習慣が身につきました。(だいたい魔法文字とスカイランド文字のせい)
空襲シーンの恐ろしいところはあれ、爆弾を落としているのが人間に見えなくなるところでしょうね。何かの例えではなく。
あれはあくまで飛行機なんです。人間ではなく。あるいはアメリカ軍なんです。兵士ではなく。人間が個人的にやりたくてやっているわけじゃないのがわかりきっていてひたすら無機質。少なくとも台風や火山噴火とは違う。相手は民族浄化を目的にしているわけではなく民間人に悪意もなく、なのに合理的判断により戦術目標として民間人に牙を剥いている。その意味不明さが怖いんだと思います。
この街が空襲で英国風の時計台が破壊されなかったことは、実に幸せだったのではないかと。
1945年6月29日の岡山空襲では、岡山城は最後に爆弾を落とされ、城下の岡山一中(現在の岡山朝日高校)までも全壊と相成りました。
長崎の浦上天主堂の上に原子爆弾を投下した、アル中検察官(キーナン氏)を東京裁判に派遣したあの国らしいとは思うものの、この時計台をよくまあ破壊せずに、という気がする私は、相当なひねくれ者でしょう(しかも、キーナン氏並のアル中~苦笑。でも、ゴーダッツ提督の弁護には清誠一郎閣下の立場で臨みます)。
どうでもいい話ですが、岡山城下の旧岡山一中跡地には、当時の鉄棒が残っています。
終戦直後に特攻して散華した元連合艦隊参謀長・宇垣纒閣下の母校です。
さて、それはともあれ、この度の小町君、自分の足と目と手で稼ぐことの重要さが肌身にしみたようで、何より。
その点に、あっぱれと言いたいところですが、まだ、激励の喝!でしょう。
彼ら、一応正気で民間人虐殺に踏みきったわけですからね。城砦跡は防衛拠点として再利用しやすいからまだしも、時計塔は積極的に破壊するものじゃない、はず。実際のところどこまで正気を残せていたかの程度問題はさておき。
自分の目で見てみるのって本当に大事。あれ要するに国語のテストでいうところの「作者の気持ちを考える」と同じことですからね。犯人の目線に立ってみて初めて見えてくる思いというのはやっぱりあるものです。
ココさん曰く、秋元こまち/キュアミントの「本気はすごい」らしい。
そういう人物に「どんな理由や原因があったとしても、この町を、この町に住むみんなを、シャドウのいいようにはさせたくない」などと“問答無用”宣言されると……少々おっかない気はしますね。
しかも、シャドウの元締・ベルの側も、ここにきて俄然なりふり構わぬ破壊行為に打って出てきた様子で……「話し合いの時間は終わった。これからは、」「殺し合いだ!」。
そうなってくると、ベルのことを「黒い“天使”」と中立的なニュアンスで呼ぶ夢原のぞみの役割が、別の意味で重くなってくるのかもしれません。――――のぞみが「けってーい」と気勢をあげた直後に目まいを起こしたのも、「タイムフラワーの“毒”が回ってきたから」ではなく「タイムフラワーの“毒”に対して、のぞみの“良心”あるいは“防衛本能”が拒絶反応を起こし始めたから」なのかも。
ところで、
今回出番のなかったダークナイトライトの御二人、もしかしてワッフルだのチョココロネだのJ-POPだのといった西洋由来の文化には興味があっても、和菓子のような日本伝統の文化には興味がないんでしょうか。マズイぞ、このままではダークナイトライトがミント砲の餌食になっちまう。「これがホントの“グリーンウォッシュ”よ!!」(全然SDG’s関係ねえ)。
追記:
「ふたりはプリキュア」第28話で、父が教えてくれた希望を信じ、懸命に坂を登った雪城さなえは、灰塵に帰した町を見て「嘘つき……」と呪いの言葉を吐いて涙を流す。そんな彼女を励ます妖精・ミップル。
その19年後(劇中時間ではおそらく78年後)「キボウノチカラ」第1話で、教師として生徒に夢(希望)の力を説くことに命を懸ける夢原のぞみは、一人の生徒の夢(希望)を守れなかったことを悔いて涙を流す。そんな彼女には……黒い天使・ベルと不吉な花・タイムフラワーの悪魔のささやきが。
この違い、「気をつけよう。オトナの絶望には、つけ入る奴が寄ってくる」という教訓なのか、あるいは……。
「キボウノチカラ」は、「ふたりはプリキュア」と違ってミップルとメップルが町にやってこず、ゆえに雪城ほのかも美墨なぎさもプリキュアにならなかった世界線、なのかもしれません。
その代わりに、「黒い天使」ベルが「黒い戦士」キュアブラックの役割を、雪城さなえがキュアホワイトの役割を果たして、直接バディは組まずとも、ふたりは共鳴し合って町を守り続けてきた……世界だったのかも。
そして78年後、キュアホワイト/雪城さなえは悠々自適の楽隠居、一方キュアブラック/ベルは長年の報われない労働に疲れ果て“闇堕ち”……。
なんつうか、「人生いろいろ、プリキュアだっていろいろ」ってことなんでしょうか……。
ベルとしてはプリキュアが自分の敵に回ったという事態は結構な絶望だったでしょうね。強敵だからというだけじゃなく、自分がナイトメアやエターナル同様の悪人認定されたみたいで。あの人、自分なりに正しいと考えてああいうことをやっているわけですから余計に。
のぞみたちもどう思うんでしょうね。ベルって善意か悪意かでいったら善意の人なので、そういう人を自分たちはプリキュアとして攻撃していたんだと知ったら。