わんだふるぷりきゅあ! 第9話感想 友達ができる場所。

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学校ってとってもわんだふる! あんないっぱいの友達と遊んだの初めて!

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「こむぎ、中学生だワン!」

大きな出来事

メインキャラクター:こむぎ

目標

 学校生活に馴染む。

課題

 ニコダイヤのパワーで念願の中学生になれたこむぎ。元気いっぱい、おかしなところいっぱいなこむぎはたちまちクラスの人気者。
 ただし、こむぎは学校が何をするところなのかイマイチよくわかっていない。授業中は遊ぶし、歩きまわろうとするし、お昼ごはんを食べたら眠って変身を解いてしまう。

解決

 いろはと悟の全力フォローで転校初日はどうにか乗りきれた。今後はちゃんと勉強にも向きあうことをいろはに約束もした。
 また、サッカー対決を通じてクラスメイトの猪狩勝と少し仲よくなれた。いろはを間に挟むことない、こむぎがはじめて自分だけの力でつくった友達だ。

バトル

苦戦

 かわいいアヒルのガルガルが相手。ガルガルはガルガルなので、かわいいからって和んでばかりはいられない。

勝利

 こむぎがサッカー対決で身につけたボールキャッチを生かし、吹き飛んできたガルガルを捕まえた。

ピックアップ

ニコダイヤが全部やってくれました

 直近シリーズも「主人公の身内が戸籍やら何やら解決してくれる謎の権力者でした」で押し通してきたわけで、私はこういうの、このくらい潔く(雑に)処理してくれるのが好き。細かい話をざざっと流したらそれだけ他の部分にたっぷり尺を使えるし。

プリキュアの青は静かなる変人の系譜

 平均的な青のリアクション。

ガルガルの卵

 悟は初見で動物の卵だと認識していたのに、勝はボールだと思っていた。このあたりは単純に知識の差だろうか。やはり質感が炭酸カルシウム的なんだろうか。

 ところで芝生の上でタイヤを引くな。怒られろ。

次話のガルガル

 尻尾がしましまなのでこれはタヌキじゃなくてアライグマ。
 ユキのキレイ好きエピソードに触れるのかな?

 そういえばこういうわちゃわちゃっとしたストーリーの趣旨を自分なりに解釈するのも、<メインキャラクター><目標><課題><解決><バトル>・・・と整理することにした目的のひとつだったなあ。(以前は全体のあらすじを流れに沿って書き起こしていました)

 やっていることはとにかく「学校って楽しいよ!!」ってお話なんですが、そのなかでも勝との出会いを特別に深く掘り下げていたことからもわかるように、実は今話で一番大きな出来事はこむぎがいろはの仲介なしに友達をつくったことです。
 これまでこむぎはいろはに興味を持たれなくなってしまう可能性に怯えていました。だからいろはが学校に行ってしまうのがイヤで、いろはが自分の知らない友達と仲よくなるのがイヤなのでした。
 懐かしの『犬の十戒』にも You have your work, your entertainment and your friends. I have only you. 君にはぼく以外にも居場所とか、楽しみなこととか、友達関係とかあるでしょ。でもね、ぼくには君しかいないんだ。 ――という一節がありましたね。こむぎが一種強迫的な、従属的な感情をいろはに向けているのは、そういう飼い犬ならではの不安感があったからです。

 だから、勝との直接交流で新しい友達をつくることができたのは、こむぎにとってものすごく大きな出来事。飼い犬のままではできなかった、とても人間らしい営みです。
 ・・・本人はまだ、それが自分にとってどれだけの重大事だったのか気付いていないみたいですけどね。

 「犬飼こむぎ! サッカー部に来い! 放課後も勝と勝負だ!!」
 「・・・今日はもういいや。いろはとお散歩行くから。猪狩。また遊ぼうね!」

学校に通ってみて

 「学校ってとってもわんだふる! あんないっぱいの友達と遊んだの初めて! ごはんもおいしかったし、楽しかった!」
 「こむぎ。学校は楽しいだけじゃないよ。学校は遊ぶところじゃなくて勉強するところなんだ
から」

 「なんか・・・、かわいいね」
 「うん・・・」

 「わー!? あわわ・・・。アヒルでもやっぱり凶暴なのか!」

 こむぎの登校初日はとにかく楽しいことでいっぱいでした。
 でも、いろはが言うには、本当は楽しいことばかりではないそうです。

 アヒルのガルガルがかわいいだけじゃなくて、やっぱり凶暴だったように。

 ちょっとこじつけ気味な繋がりですが、基本的にプリキュアのバトルはいつもその回の日常エピソードと連動しています。

 今日の学校がひたすら楽しいばかりだったのは、ただいろはと悟がたくさんフォローしてくれたおかげだったのでした。今後はこむぎ自身もがんばらないと学校にいられなくなってしまうかもしれません。少なくとも、勉強に関してはいろはや悟に頼ってもどうにもなりませんしね。

 ところで、です。
 さて、今日の楽しい楽しい学校生活は、果たしてこむぎにとって本当に遊んでばかりの時間だったでしょうか?

 「キャッチ? ――そうか! ワンダフル、キーパーだ! おっきな手でキャッチするんだ!」
 「そっか! ワンダフルはここにいて!」

 いいえ。楽しかっただけだと思っているのはこむぎだけ。ずっと傍で見ていたいろはと悟は、こむぎにもこむぎなりの学びの機会があったことに気付いていました。

 「朝のプレーを見てわかった。君にはキーパーの素質がある! 今日の体育は奇しくもサッカー。犬飼こむぎはキーパーをやってくれ」
 「サッカー? キーパー? ・・・ボール遊びだ!」
 「犬飼こむぎ! 絶対君からゴールを奪ってみせる! 勝と勝負だ!」

 キーパーとはつまるところいつも犬の姿でやってるボール遊び。そのプレーをすること自体はこむぎにとって何の学びでもありません。こむぎはただ、いつもどおり遊んでいただけ。
 だけど、だったらどうして勝はあんなにもこむぎとサッカー勝負をやりたがっていたのでしょうか? 負けたら悔しがって、だけど再戦を望んで、ただボール遊びを繰り返すだけじゃなくて他の方法での練習までして・・・。
 こむぎに難しいことはわかりません。勝の気持ちも、正直なところまだほとんど理解できていません。
 だけど、今日の出来事を通してひとつだけわかったことがあります。

 どうやらこむぎのキーパーは他のクラスメイトたちから見てすごいらしいんです。カッコいいらしいです。
 どんなボールでもキャッチできる。それって、こむぎにしかできない特別な才能だったらしいんです。(犬だから、なんですけどね)
 これ、学校に通わずいろはと遊んでいるだけでは気付くことができない特技でした。

 「キーパー・・・? おっきな手・・・? ――わかった!」

 サッカー勝負を振りかえってみて、こむぎは自分の周りからの評価を自覚します。
 アヒルのガルガルとの戦いにおいて、どうして悟といろはがいきなり自分を頼ってくれたのか、自分に期待されていることは何なのか、ようやく得心がいきます。

 こむぎのキーパーはすごい!

 それが、今日こむぎが学校に通ってみて最初に学んだこと。

 学びと呼ぶにはさすがに大げさすぎる、と思う人もいるでしょう(私も半分そう思いながら書いています)。ですが、ほら、こういうのって自分ひとりだけではなかなか気付けないものでしょう?
 我々オッサンオバサンが当たり前に思っているより、こういうのって子どもにとって本当はとても大事なことなんです。貴重で、新鮮で、革新的な学びなんです。ほら、小さな子どもって特に自分を客観視するのが苦手ですから。
 そういう意味でも子どもにとって友達をつくることは大事なんですよね。遊びと人間関係のなかで学ばなきゃいけないことがものすごくたくさんあります。自信をつけることひとつとっても友達の存在ってやっぱり大きいんですよ。

 前書きでも書いたとおり、こむぎというキャラクターにとって、自分の友達をつくるということには普通の人間の場合よりはるかに重要な意味がこもっています。
 学校という場は、こむぎにその友達をつくらせるための恰好の舞台。今話はそういった狙いを感じさせるエピソードでした。

ひろがる世界!

 「学校は楽しいだけじゃないよ。学校は遊ぶところじゃなくて勉強するところなんだから。授業中はずっと座って勉強しなきゃいけないし、寝ちゃダメだし、もちろん人前で犬の姿に戻っちゃダメ。もしテストの点数悪すぎたら学校にいられなくなるかも」
 「ええー、そうなの・・・?」
 「うん。――それでもがんばれる?」
 「こむぎ――、ううん。私、がんばる! だって、いろはと一緒にいたいもん!」

 ここでこむぎの一人称が変化するのは少し意外でした。

 これまでこむぎが自分のことを「私」と呼んでいたのはプリキュアに変身中のときだけ。まあ、一人称「ワンダフル」はさすがに収まりが悪いですし、自然とそうなる気持ちはわかる。だけど「こむぎ」ですっかり定着している普段の一人称を「私」に変えるというのなら、その意味は少し変わってきます。
 プリキュアとは夢の前借りです。子どものままでは乗り越えられない壁が目の前にあるから、今より少しお姉さんになれた自分を思い描いて、そのパワーを借りることで当座をしのぐ行為です。だから、子どもである普段の自分より、プリキュアに変身した自分のほうが少し大人。できることが多い。
 こむぎが一人称を「私」とするならば、そこには少し大人ぶろうとする意気込みが込もっています。

 こむぎは学校に通うことにずっと憧れていました。

 だって、いろはが毎日そこに行っちゃうから。

 いろはが学校に行くと、その間こむぎはいろはと遊べなくなっちゃうから。

 だからこむぎにとって学校とは、全然勉強する場所じゃありませんでした。いろはと遊びたいからこそ学校に行きたいと思っていたのでした。
 なら、学校が“遊ぶ場所じゃない”となると話は少し違ってきます。こむぎが学校に通いたかった理由が根底から覆されてしまいます。
 こむぎは別に学校で勉強がしたかったわけではありません。将来自分が社会に出ることを理解している人間の子どもたちと違って、犬であるこむぎには退屈な思いをしてまで勉強をしなければならない理由がないのです。
 いろはと一緒に遊べないんだったら意味がない。

 それでも――。こむぎはまた学校に通いたいと、改めてそう思うのでした。

 「学校ってとってもわんだふる! あんないっぱいの友達と遊んだの初めて!」

 遊べる場所というだけじゃなくて、いろはと一緒にいられる場所というだけでもなくて、“いっぱいの友達がいる”場所だったから。
 いろは含む友達みんなと一緒にいるためなら、勉強だってがんばれる。それでいろはも喜んでくれるなら、うん、やっぱり、なおのこと嬉しい!

 今はまだ、こむぎは自分のなかでどれほどの革命が起きつつあるのか正しく理解しきれていません。せっかくできた友達のお誘いをばっさりスルーしちゃうくらい、まだまだいろはファーストです。
 だけど――。

 「おはよ、こむぎ」
 「・・・あれ? ここどこ?」
 「学校だよ」
 「・・・夢?」
 「え?」「夢じゃないよ」
 「わふ。よかったあ。――あれ? クンクン。猪狩の匂い! こっち!」

 今日の学校で、いろはの次くらいには、お気に入りの“もの”ができました。(今のところ好きなのは“友達”という大きな括りであって、たぶんまだ勝個人ではない、の意)

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    コメント

    1. ピンク より:

      こむぎの好きな食べ物、クッキーじゃないんですか?!

      元々なんか人の言葉を話せるオプションがくっついてきた(逆にいろはは動物語を話せるようにはなってない)ことといい、ニコガーデン側もこむぎをピンポイントで現状維持から脱却させたがってるんですかね。
      本人にとっては好都合ですしまあそれはいいんですが、なんでまたそこまで良くしてくれるのやら……

      という大人の訝しみはさておき、まずは楽しそうで何よりでした。
      あの調子なら近い将来いろはの進学先にもついていきたがる+犬のままじゃ触れられないことにも興味関心が向くと思うので、そういう意味でも勉学の必要性が出てくるのかなと。
      そうなると、『中身が普通の犬である』というバカでかい特徴をどこまで維持できるか、お手並み拝見です。

      • 疲ぃ より:

         こむぎが好きだって言ってたウェットフード、ちゅ~るですからね。あれクッキーよりもだいぶおやつカテゴリ・・・。

         ふしぎパワーをくれる側がプリキュアにとって都合のいいことをしてくれるのはどうしてかって説明があるかどうかは毎年まちまちですからねえ。
         とりあえずこむぎが言葉を話せるようになったのは鏡石にお願いしたからでしょうけど、同じく頼んでいたいろはのお願い事が限定的にしか叶わなかったのは何か理由があるのか、それとも譲れないリアリティラインがあるだけなのか。

    2. 亀ちゃん より:

      今日はこむぎの中学校編入初日で、サッカー部のクラスメイトとこむぎがサシで対決する話でもありました
      猪狩 勝(シょウ)は熱血サッカー少年で、負けた時も潔いエキサイティングなサッカー部員だと私は最初感じ取れましたが…
      ちなみに日本で1番売れている野球ゲームのパワプロでは、プロ野球の一軍の選手になれるよう育成するコーナーでは、主人公のライバル野球選手が猪狩 守で、双子の弟はキャッチャーの進です
      イカリの名字が同じなのは、ゲームとアニメの違いはありますが、ある意味私が好きな作品的に感慨深く不思議な縁を感じます
      で、こむぎは呼び捨てすることが本当に多く、キュアベースボールギャンブラーらや女児向けに登場する歴代プリキュアが在学する私のプリキュア小説に登場する初等部から高等部まである学園にて、女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)と出会って、彼女のことを名字で呼び捨てする前に、女児向けプリキュア本編にて、名字で呼び捨てするキャラクターが登場するとは意外でした!!
      ちなみにこむぎがキュアベースボールギャンブラー達もいる学園にいろは達と一緒に転校するのは最初っから決まっていることで、それよりも前にこむぎもいろは達の通う中学校に通うことになり、先手必勝の精神ですかね!!
      サッカーは普通お遊びでやるものではなく、世界大会もすごく多くの外国も代表で出場するほど世界的に人気もあるスポーツなんですが、こむぎのゴールキーパーでの守備力は完全無欠ともいえるほどホントハンパじゃないですね!!☆☆♬
      いとこのお姉さんの次女の保育園から小学校にかけての先輩・後輩でサッカー教室にも通っている熱血サッカー少女でもあるプリキュアファンにはたまらない話だっただろうと私は勝手に思える話でした
      いろはとこむぎが廊下で最初は2人きりになった時、いろはが「それはよかった」はコロナ前の6月に私の現職の会社を定年退職したような先輩に、チューリップの唄の替え歌が笑点の大喜利で発表された時、それを歌ってから彼女も笑点を見始めて、私もその先輩が私の現職の会社にいた頃はそっから感想を正直に述べたくてよく視ていましたが…
      笑点の大喜利はマンネリ化が激し過ぎるけど、面白い時は面白いのも特長です
      しかし見る人によっては面白くない時は、面白くないとも言えるのが笑点なんですが、ヒマ潰しにもなるってな感じでいい時間帯に放映されるともインターネット上に書き込んだプリキュアファンもいたほどですね
      で、いろはは悟と2人きりで犬の姿に戻ってしまったこむぎを見守る際、目が覚めると最初は夢と勘違いしますがいろはは
      「夢じゃないよ」
      と返したのは、8時30分から始まって10時前までのギリギリニチ朝テレビ的に感慨深いこともありました!!☆☆♬
      私はレンジャー系が終わってからプリチャンやプリマジのチャンネルであるテレビ東京系に切り替えて、アバンの直前にはコスモ石油のCMで、宣伝音声が流れる直前に「夢じゃないよ」と言い切りますから!!♩
      そして終わり頃「犬の姿に戻っちゃダメ」とクギを刺したのも改めて見てシックリ着ました!!☆☆♬
      キュアベースボールギャンブラーと女子寮の寮長が二人三脚で次々とやられ役を何とかするプリキュア小説の第1,2話では、キュアアイドルギャンブラーの葬式の後も悲しくて泣き続けるキュアベースボールギャンブラーに女子寮の寮長は
      「キュアベースボールギャンブラーの下の名前。いくらキュアアイドルギャンブラーの下の名前が還らぬ人になったからと言っていつまでも泣いちゃダメ」ってな感じで、忠告することもありました
      これはある意味プリキュア的に感慨深いですね
      あと今日の話はいとこのお姉さんの次女に私がプリキュアを視た時の感想をいとこのお姉さんのスマホにLINEするのはあくまで最終回になりそうな話でした
      それでも今度は最年少のいとこの姪っ子が当面の間、年々プリキュアへの愛着がマシマシになるはずなので、その娘のためにもフェアな意味でプリキュアファンは続けたいです

      >で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
      昨日は愛媛県に行って、今治市営球場で第2試合をメインに観る予定でしたが、小遣いを前週の水曜の北四国旅行で使い込んだので、広島県福山市の盈進グラウンドで、広島県東部の地区予選を観ました
      第2試合は私の現職の会社の後輩のお姉様がクジ引きでOGになった広島県立大門高校がメインでしたが、8回の攻撃のワンアウト二塁で、バッターがセカンドライナー併殺打に倒れてしまったのが最大のジャンクションの試合でした
      それでも9回の攻防ではツーアウトランナーなしになると「自分が最後のバッターになるな」と応援しましたが…
      広島県の高校野球では2018年の記念大会の中の記念大会以来で、三原市民球場から尾道のしまなみ球場に変更にもなった近大福山の初戦以来でした
      ランナーは出ませんでしたが、このような応援が出来たのは良かったです!!☆☆♬
      第3試合は尾道東に2017年の春の広島の県大会の時以来となる恩返しの応援で、相手のピッチャーは背番号・10でポッチャリ型の身体の大きい選手だったのに、思いのほか良かったですね!!
      さすがに1位校トーナメントの第2戦では相手が強く歯が立ちませんでしたが、そのピッチャーには大学に行っても野球を続けて欲しくなりました
      ピッチャーゴロでも打球を捕り上げた瞬間身体をクルっとファーストキャンバスに向けて、どの世代の野球でも手本になるフィールディングでした!!☆☆♬
      これは横浜高校の野球部の場合、後にプロでしょっちゅう登板することになるピッチャーも全員小倉コーチの指導の元頑張って来たことですから!!♪

      • 疲ぃ より:

         田舎者の私のところは中学校くらいまでクラスの全員、下の名前を呼び捨てが当たり前でした。街の高校に進学したらみんな名字+さん付けだったので内心すごい違和感がありました。
         まあ、その時期にはすでに引きこもり気質極まっていたのでクラスメイトの名前を呼ぶこと自体が稀だったんですけどね。はっはっは。

         さておき、そんなわけで私としては特に周りに合わせようと思う気持ちがはたらかない限り、下の名前を呼び捨てにするほうが自然に感じちゃうんですよねというお話でした。

    3. 亀ちゃん より:

      ★与方さん
      今日は仕事帰りにおかやま山陽高校がある地域の西小学校・西幼稚園が近くにあるセブンイレブンに立ち寄りました!!
      すると6月1日に開催予定の京セラドーム大阪のドラゴンズ戦のチケットも発売されていることを知りました!!☆☆♬
      だからあとは京セラドームのドラゴンズ戦のチケットを買うために、私の小遣いが入るまで待ってくれるかどうかですね!!
      それと今、私がドラゴンズファンらしい服装をするとすれば、涌井さんの背番号が入ったユニホーム風のトップスを着たいところです!!☆☆♬
      涌井さんはダルビッシュや平安OBで大卒社会人も経験した現滝川二の硬式野球部の指揮官である服部監督と同い年で、いとこのお姉さん達とも同い年でもあります!!☆☆♬
      いとこのお姉さんは父方と母方に分かれますが、年齢は同い年なのも特徴です
      で、京セラドームの外野席上段でも2500円もしますが、私は当日プリキュアの店(大阪市内)にも喉から手が出るほどお買い得なこともあって行きたいので、とにかく今は今月の15日までに小遣いが入って、外野席の上段でもチケットの販売枚数が待ってくれるかどうかなのです!!
      最後に父方のいとこのお姉さんは岡山大OBで、私の親戚つながりの知り合いでは最年長で、その後最年少のいとこのお姉様も最年少のいとこも岡山大の経済学部出身で、岡山龍谷がある地域のももの里(病院)の私の掛かりつけの診察の先生も香川県から岡山大の医学部OBなのです!!☆☆♬
      つまり私の親族で岡山大OB・OGは全員与方さんの岡山大の後輩にあたります!!

      • 与方藤士朗 より:

        それは素晴らしいです。
        私は昭和63年入学で、今のように生協もなく共済会という団体がその代わりにあって、あとはなんと申しても、学友会が全額の自主管理・自主運営で仕切っていた時代でした。
        何でもありの大学でしたね。

        何と言っても、中学時代の私が新歓のビラ(鉄道研究会)を入学式で先輩と一緒に巻いていたことさえありますから。

    4. 与方藤士朗 より:

      今回のこむぎが学校に行く回、ある意味、世界犬類にとっての革命かもしれませんね。
      もっとも、プリキュア自体、毎年ガラガラポンで2月革命が起きている(?)わけですが、それはまあ置いておきまして。

      人間の親子以上に、いろはとこむぎの関係というのは保護者と被保護者の関係がただでさえ色濃く出る宿命にあるものですが、それを、こむぎの「意志」とプリキュアの力(ニコガルテンの力)で人間と同等のスペックを与えられたとき、どうなるか。
      アイヒマン羊のメエメエの人を見て法を説けぬところは相変わらずとしても、こむぎは人間社会というものを、ある意味異種として体験していることにもなりましょう。
      言うなら、幕末に来日したアーネスト・サトウが外交官として日本に滞在した折の経験と似たような構図になっているとも言えましょう。

      これはある意味、ニコガルテンにとってもこむぎにとっても、「四月革命」と言ってよい事象ではないかと思料されました。
      動物が人間という異種となって人間社会に入っていく経験は、恐らく将来のこむぎにとっても大きな糧となることでしょう。
      アーネスト・サトウ氏のように著作を残すかどうかは別ですが(苦笑)。

      いずれにせよこむぎの学校行き、さらには今後ユキもまた行くであろうことは予見できますが、犬や猫である彼女たちが人間の姿になって学校に行くということは、まったくもってアニメ上とは言え、生身を伴うものであるだけに、将来的に、いや現在進行形で、ニコガルテンにとっては実効性のある革命であると言えましょう。
      これはまさに、東京帝国大学法学部憲法講座担当で貴族院議員でもあった宮沢俊義教授の「八月革命説」のような実態的に会う合わないを超えた、妙に合目的を極めた解釈(日本国憲法を遊行とするために、ポツダム宣言受託を「革命」と捉えられた)とは、そこが大きな違いと言えましょう。

      へびのあし
      それにしてもアイヒマン羊のメエメエさんのお話、聞くほどに、(出来のお世辞にもいいとは言えない)西洋の叙事詩を生かじって口述している感、半端ないです。

      • 疲ぃ より:

         こむぎ側が異種体験であっても、わんにゃん中のほうは別に異種として迎え入れている感覚ではないというのがまた面白い構図ですね。プリキュア的にはいつものことであったとしても。
         八月革命説は国内情勢関係なく外圧によって国の主権者を挿げ替えられたことを正当化するための自己暗示でしかないので、まあ確かにこむぎとは正反対の構図といえなくもない・・・か? 自ら立ち上がって行動し、権利を手に入れることこそが「革命」ですしね。我が国の主権者たる日本国民は革命なんかしてないしてない。
         あー、でもその意味だとなんか突然ニコダイヤの力で学校に行けるようになった今話の展開はむしろ日本国憲法的でもあるのかー。

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