終末トレインどこへいく? 第6話感想 私は、何者だ。

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むしろ逆かも。「こんなにだらしないのに好き!」「こんなにワガママだけど許す!」とか!

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「そんなにひどいこと言ったかな」

大きな出来事

メインキャラクター:撫子

目標

 みんな仲よし。

課題

 ずっと秘密にされていたが、あの日葉香が吾野を出ていったのは静留とケンカしたせいらしい。しかも静留にはこれだけのことが起きてなお自分が悪かったのだという自覚がないらしい。
 どうしても反省してほしくて少し強めに詰めたら、静留はふてくされて電車を出てしまった。

 とはいえ、池袋に行きたいなら線路伝いに歩くほかない。一晩経ってからでもすぐ追いつけるだろう。今は少し頭を冷やす時間を取ったほうがいい。

失敗

 線路沿いを探せばすぐ見つかるとタカをくくっていたが、いくら探しても静留の姿は見あたらなかった。
 静留の性格なら線路を外れてわざわざ危険な道を行く可能性だって充分にありうる。それを予測できなかった。そして7G事件後のこの世界では一度はぐれた人と再会するのは極めて難しい。

地域の特徴:空堀川(秋津~清瀬)

 前話の舞台の稲荷山公園から6~7駅進んだ地点。すでに東京都内である。スワン仙人の地図ではゾンビっぽいマークと足がたくさん生えた人のマークが描かれている。

※ 1駅数え間違っていました。

 現実のこの跨川橋周辺は思いっきり住宅地なのだが、少し歩いたところにある清瀬中里緑地保全地域あたりが侵食してきているのか、作中世界の川原ではタケノコが掘れるようだ。
 辺りには巨大なブロッコリー、カリフラワー、紫キャベツ、コールラビなどが生えている。全てアブラナ科の野菜。他にフキなんかも見える。清瀬市は黒土で土壌がよく、都内で最も畑作が盛んな地域だ。
 コールラビは道の駅などでしかお目にかかれないレア野菜だが、カブみたいに太くて繊維っぽさのないキャベツの芯って感じで、生で食べると梨のような瑞々しさがあっておいしい。スープにしてもホクホク。私の推し野菜のひとつ。お試しあれ。

 清瀬市は昭和初期に多数のサナトリウムが建てられた土地でもある。これは自然豊かで空気が澄んでいるため、結核の長期療養に向いていると考えられたためだ。渡りゾンビたちがこの地を訪ねたのも必然かもしれない。

設定考察

世界は西武池袋線以外存在しない

 スワン仙人から聞いた話。クロヒョウキャラバンのネコ兄も同じ見解だという。
 他の路線を探して見つけられなかったということは、西武池袋線から離れた場所では空間が無限に引き延ばされて、駅にも人が住む集落にもたどりつけないということだろうか。西武池袋線の駅には他の路線との接続駅も複数あるので、線路自体が見つからないということは無いはず。それでもどこにも行けないわけだ。

 ところで、それがわかっているならスワン仙人はどうしてわざわざ川を渡っていたのだろうか? 線路の上を歩いたほうが絶対楽だし確実だろうに。
 「何も信じちゃダメ。信じるなら自分で確かめたこと」というメタっぽい発言がこれまでの展開にイマイチ噛みあっていないことといい、向かっている途中だったはずの吾野まで含めて何故か地図が完成していたことといい、彼の言動には不審な点が多い。

渡りゾンビ

 どこにでも現れどこまでも人間たちを追い詰める一般的なゾンビのイメージと少しだけ異なり、意外と繊細な管理が必要なようだ。暑くても寒くても湿気ってても乾いててもダメ。黒木はそんなゾンビの群れを率いてそのときそのときにちょうどいい気候の土地を渡り歩いている。
 で、実際のところ黒木はゾンビなの? ゾンビたちの女王とは名乗っても自分自身がゾンビだと明言していないけれども。

ピックアップ

タケノコ

 掘った瞬間なら生でも食べられるくらいなのに、収穫後ほんの数時間でアクが生成されてしまうため下茹でするまでスピード勝負。可能なら入手したその場で調理を始めるのがベター。昔読んだ本だとタケノコが埋まった土の上で焚き火して土壌ごと蒸し焼きにするという、森林破壊前提の調理法すら紹介されていた。
 そんなわけで生で手に入れても扱いが非常に面倒くさい山菜なのだが、市販の水煮がアク取りのために数時間茹でているのに対し、新鮮なものはそのあたり短時間で済むため風味が残り、格別の味わいとなる。「これ焼いて塩ふって食べるとおいしいよね」というのは山奥育ちならではの発言。

犬の嘔吐

 感染症や異物食、ストレスなど原因は様々考えられるが、猫の毛玉吐きと違って健康な状態で起こる症状ではない。

アートマン号

 晶が提案した電車の名前。
 元ネタはインド哲学用語。「存在や意識の本質」みたいなニュアンスがある。あくまで概念を指す用語ではあるが、ウパニシャッド哲学においては宇宙をつくった創造神と同一視されてもいる。
 世界が西武池袋線沿線以外に存在していないことを念頭に置いたネーミングだろうか。

アポジー号

 静留が提案した電車の名前。アポジーという言葉自体は葉香に教わった。
 全ての天体は何らかの主星を中心に楕円軌道を周回しているが、アポジーというのはそのうち主星から最も離れた地点のことを指す。対義語はペリジー。
 静留と葉香の心の距離は出会ってから一番遠く離れてしまった2年前のまま固定されている。“アポジー”というなら何年かかってもこれからもう一度接近していくはずだが・・・?

ゾンビ

 “動く死体”という意味でのゾンビは映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のジョージ・A・ロメロによる創作である。ロメロは“噛まれた者までゾンビになる”“脳が破壊されるまで活動を停止しない”など、先にホラー映画で人気を得ていた吸血鬼にインスパイアされた設定を複数盛り込み、現代に続くゾンビのキャラクターイメージを確立した。
 史実というか宗教文化としてのゾンビという言葉は“霊魂”くらいの意味でしかない。俗説でブードゥー教徒が毒物を使って異民族の脳機能を損傷させ奴隷にしていたという話があり、これが↑の映画の元ネタになったようだが、本当にそういうことが行われていたかというとかなり疑わしい。

 元が完全な創作だとはっきりしていることもあり、近年の映画等では大胆な設定改変が頻繁に行われているし、ホラー好きにも受け入れられている。生きた人間より素早いゾンビなんて昔は存在しなかった。

 復習。

 「静留ちゃんがゾンビになってたらネコ兄さんと一緒にいるほうがいいじゃん。安全じゃん!」

 玲実は合理的な思考ができる子です。直情型っぽく見えて、その実よっぽどブチギレていない限り、いつも4人のなかで一番冷静な判断をしています。
 理知的なようで案外すぐ感情に振りまわされる晶の相手をしているからこんな性格になったんでしょうか?

 「玲実ちゃんは静留ちゃんがゾンビになってたら、もう一緒にいられない、友達じゃないって言いたいの!?」

 撫子は平和主義者。普段は周りの空気感に同調した物言いばかりで自分の意見を主張しようとしません。どこかで借りてきたような言葉選びというか、一般論っぽい物言いを好みます。
 彼女の本性は理想主義者です。常に正しくありたいと願うから普段は周囲に同調的だし、反面、だから友達の和を乱すような“悪い人”を見ると急に攻撃的になるんです。

 「ゾンビだけど友達じゃん! ・・・ゾンビでも友達だよ。たぶん」

 晶はきわめて保守的で、ありとあらゆる変化を恐がる子です。単純に臆病だからなのですが、望む最終形(どんなときでもいつもどおりでありたい)が明確なぶん、意外に芯が強い子でもあります。譲りたくないところは絶対に譲りません。

 静留の主人公らしからぬ問題児っぷりが目立つ4人組ですが、案外一番精神的に幼いのは撫子だったりします。
 静留も玲実も晶も周りに反対されている逆境下で自分の意志を貫くことができますが、撫子はそこで一般論に逃げてしまうのです。“正しさ”を盾にして、本来自主判断すべきところをごまかそうとします。

 今話はそんな撫子が“正しさ”に裏切られ追い詰められてしまうお話。

ユア・ストーリー

 「でもさあ、リアルに考えてどうなんだろうね。そういうの。だって、私ら普通の人間でしょ。そういうのってなんかもっと特別な人がやることじゃないのかなって。――ああ、葉香のこと別にバカにしてるんじゃないよ? でも、なんかものすごい遠いこと話されてる気がして」

 一番星が空から落っこちてきたような心地がしました。

 葉香は静留のことが好きでした。尊敬していました。
 静留ならきっとどんなことでも実現できてしまうだろうと信じていました。
 静留が本気でアリクイと戦いたいと願うなら、それすらも本当に実現するだろうと。
 静留のわけわかんない行動力が好きでした。根拠もなく自信満々なところに憧れていました。無口で陰気な転校生相手でも気にせず自分のペースに巻きこんでいく唯我独尊っぷりに救われました。

 そんなあなたが。

 今さら。

 知ったような顔で地に足ついた言葉を語るのか。

 現実に折り合いなんてつけなくていいと思ってた。
 普通であろうとする必要なんてないと思ってた。
 特別な誰かになりたいと本気で夢見てた。

 ずっと、破天荒な静留を見てきたから。

 「・・・え、何?」
 「何って?」
 「いきなり黙ったから。何か変なこと言った?」
 「別に。『そうか』と思っただけ」
 「『そうか』って何? 私が言ったこと気に入らないんだったら言ってくれればいいでしょ」
 「――人それぞれだし」

 静留は悪くない。全然悪くない。
 だって、今こうして幻滅してしまっているのは、私が勝手に静留を信仰していたせい。
 静留のこと、何もわかってなかった。
 静留に勝手な夢を、妄想を、押しつけてしまっていた。
 私の心のなかにいた静留と、目の前にいる本当の静留は、別の人間だ――。

 「私も! 私も応援する。葉香のこと応援する。むちゃくちゃ応援する」
 「私?」
 「うん! あのピカーって輝く約束の星に約束する!」(第4話)

 本当は今度のことも静留に応援してほしかった。

 「前髪それでいい?」
 「いい、いい!」
 「もう。ちゃんと見てよ」
 「葉香がいいならいいの! 写真撮ろ、前髪記念だ!」(第3話)

 本当は静留に自分で決めたことを褒めてほしかった。

 「静留ちゃん何お願いした?」
 「秘密。何お願いした?」
 「えっ!? 秘密!」
(第5話)

 本当は静留からも何か突拍子もない夢を聞かせてほしかった。

 ――全部、葉香が勝手に静留を通して幻想を見ていただけでした。

 「・・・そうなんだ。静留ってそういう人なんだ」
 「はあ? なんだよ、そういう人って! 葉香こそそういう人だったんだ!」
 「そうだよ。私はこういうやつだから・・・! ごめん」
 「何? ごめんって!? 知らないからね、もう! 葉香のことなんか!」

普通なら

 「私は静留ちゃんが悪いと思うよ。いきなりダメ出しされたらヘコむしムカつくよ」
 「好きなことけなされたら余計ね」
 「わかって――」
 「静留ちゃんだってわかってるよ。ひどいこと言ったって」

 ここは静留に味方してあげるべきところだと思いました。
 3対1じゃさすがに静留がかわいそうだし、静留だって自分が悪かったって充分反省しているだろうし。そのうえさらに追撃するだなんて――。

 「・・・ひどいことかな? そんなにひどいこと言ったかな」

 なのに、撫子の予想に反して、静留は自分にどんな非があったのかわかっていませんでした。

 「だって、葉香ちゃんはだからひとりで池袋に行っちゃったんでしょ?」

 合理的思考の玲実は結果から遡って、静留の言葉が間違いなく葉香を傷つけたことを説明しようとします。

 「でも、葉香ちゃんがケンカしたせいで吾野を飛び出したってのは、これはたぶん事実だよね?」

 保守的な晶は静留の言葉がいつもの日常を変えたことを根拠に、静留の言葉に相応の影響力があったことを説明しようとします。

 「たとえ静留ちゃんが悪いこと言ったつもりがなくても、葉香ちゃんが傷ついたなら、それは悪いことなんじゃないの?」

 撫子だけ、ここで静留に正論をぶつけます。

 このとき静留は自分が葉香に言った言葉が本当にひどいものだったのか検証したがっていました。
 それに対して玲実は「葉香を傷つける言葉だった」、晶は「葉香に池袋行きを決断させるほどの言葉だった」と、葉香の事情がわからないなりに状況証拠から、それぞれ彼女がどのくらい傷ついたのか考える材料を提供しています。
 一方撫子が言ったのはただ「静留が悪い」という意味でしかない言葉です。静留の思索に協力するのではなく、むしろ「結論なんてわかりきっているんだから」と考えること自体を否定しているようなもの。

 いやまあ、葉香の数年越しの信仰をぶち壊したんですから本当にひどい言葉だったのは合っているんですが、そもそもこの場は静留の非を糾弾するためのものじゃありません。静留が知っていることを共有して、その流れで静留の疑問点もみんなで一緒に解消しようとしていたはずでした。

 「ふたりのことはふたりのことだから何とも言えないけど、私は静留ちゃんがこのこと今まで話してくれなかったのが悲しい」

 そのうえ静留の疑問を解消してやらないまま全然別の過失まで糾弾しにかかるんですから、そりゃ静留だってパニックにもなります。
 1個ずつ順番に処理させてあげて。第2話を見ればわかるとおり、自分のやらかしを理解しさえすればちゃんと謝れる子なんだから。

 たぶん、撫子ならこの程度の話時間をかけて考えるまでもないことなんでしょう。大抵の人はこの程度のわかりやすいトラブルなんかでいちいち躓きません。

 だけど、今悩んでいるのは静留なんですよ。人よりちょっと(だいぶ)心の機微に疎い子。
 撫子だって静留がそういう子だということくらいとっくにわかっていたでしょうに、どうして彼女のペースに寄り添ってあげられなかったんでしょうか。

静留を見るか、“普通”を見るか

 「静留ちゃんは私たちが勝手に着いてきたと思ってるの? みんなで池袋に行きたいと思ってたけど、静留ちゃんはそうじゃなかったってこと?」
 「私は――、池袋に行きたかっただけだよ」
 「静留ちゃんひとりで、ってこと?」
 「・・・そうかもね!!」

 こんなベッタベタな人間関係のトラブルをことさらに掘り下げるのは、私が普段観ているのが子ども向けアニメだからなんだと思います。

 普通の大人なら原因がどこにあるか一目でわかるような話でも、子どもにとっては丁寧な説明がなければ理解が難しい場合だってあるんです。子ども向けアニメって、設定解説はやたら雑なのに、ケンカとか仲直りとかを描くときはじっくり時間をかけるんですよね。
 高校生同士だって、そして大人同士だって、そういうのは当然あります。普通の人なら当然わかるだろうに、特定の誰かにとっては全然ぴんとこない話。大人になったらみんな自動的に最低限の知識や情動をインストールされるわけじゃありませんしね。静留が人間関係を苦手にしているみたいに、みんなどこかしら“普通未満”なところはあります。誰しも精神的にでこぼこしているものです。

 誰もが「当たり前」を共有できることが当たり前だなんて思わないでください。
 「当たり前」を共有できない人が特殊なだけだなんて思わないでください。
 どんな人でも何かしら「当たり前」を共有できない部分はあるんです。それこそが当たり前のことなんです。

 「だって、撫子ちゃんが落ち着こうって言ったでしょ? そんで落ち着いた静留ちゃんが戻ってきてたら? 出てった元の場所に」
 「出てって戻ってくることってある?」
 「あるかもしれないじゃん」
 「でも静留ちゃんだよ?」

 「静留ちゃんがちゃんと線路行ってるかどうかわかんないしね」
 「でも、道路は線路より危険だよ」
 「だよねえ。でも静留ちゃんだよ?」

 考えれば考えるほど、静留なら普通の人がやらない判断をする可能性が浮かび上がってきます。

 吾野では静留がみんなのリーダーでした。多少突拍子もないところがあったとしても、思い切りよくてみんなをグイグイ引っぱっていってくれる、頼れるような放っておけないような、愛すべきリーダーでした。
 静留なら何をやらかすかわかったものじゃないってこと、玲実も、晶も、もちろん撫子もわかっています。そのうえで友達やってたんですから。それなのに、どうして一晩頭を冷やして絶対に安全に合流できると思ってしまったのでしょう。

 「あのさ。ひどい男と付きあってる女の人が『ギャンブルさえなけりゃ、お酒さえ飲まなけりゃいい人なんです』って言って、それに対して『お酒飲むからそれは悪い人なんです』ってみんなアドバイスするじゃん。――これって、そういうこと?」

 玲実が超わかりにくくて、それでいてこのうえなく的を射た例え話を始めます。

 酒を飲んで暴れるようなやつなんてろくなもんじゃありません。一般論でいうとその通り。
 その手の男は大抵酒を飲まなくたってどこかでタガが外れます。普通の人ならお酒を飲んだくらいじゃ自重できるできる程度の当たり前のことを、その人は全然我慢できないわけですから。

 「さっさと別れたほうがいい」と、きっと私たちは口を揃えてアドバイスするでしょう。
 そのまま交際を続けてろくでもない目に遭った女性の話なんてネット上にも腐るほど転がっています。

 だけど、それでも別れない女性っていますよね。
 そういう女の人って、バカなんでしょうか? 自分だけはそんなことにならないと自惚れているんでしょうか? もしくは恋愛ドラマの主人公気取り? 主人公補正がかかるとでも信じてる?

 「ちょっと」
 「違う気がする」
 「むしろ逆かも。『こんなにだらしないのに好き!』『こんなにワガママだけど許す!』とか!」

 いいえ。

 もっとずっと単純な話。
 彼女たちは自分のパートナーを一般論でなんか見ていません。
 だって好きなんですから。自分にとって特別な存在なんですから。

 目の前にいる人を愛しく思う自分が見てきたことを信じるか、どこの誰が語ったことかもわからない言説を信じるか。これはそういう話です。

 たぶん、バッカじゃねーのって思っている人いますよね。私も正直そう思います。こんなん十中八九不幸になるに決まってる。

 改めて言います。

 誰もが「当たり前」を共有できることが当たり前だなんて思わないでください。
 「当たり前」を共有できない人が特殊なだけだなんて思わないでください。
 どんな人でも何かしら「当たり前」を共有できない部分はあるんです。それこそが当たり前のことなんです。

 そして、「当たり前(一般論)」が常に正しいなんて、思い上がらないでください。

 玲実が持ち出した例え話は相当極端で、大抵の人はそれこそ一般論を当てはめたくなるでしょう。
 だけどこれ、構図としては今話でずっとやってきた静留の話と全く同じなんですよね。

 どうです? 静留、マジで何も考えずに線路から外れましたし、ゾンビに襲われさえしなければ元の場所に帰るつもりでしたよ?

 「みんな仲よし」を実現するために当たり前の正論を振りかざした撫子は、むしろそのせいで静留とケンカ別れしてしまいましたよ?

 「『静留ちゃんにあんなひどいことを言われたけど友達』・・・って、葉香ちゃん思っているかなあ?」
 「思ってるよ。絶対思ってる――!」

 ほんの少し前まで静留のことなんかろくに見ようとせず、どこかの誰かが言ってた一般論でばかり論じようとしていた撫子が、いつの間にかちゃんと自分の言葉で語っています。
 私、撫子がちゃんと自分で考えて話しているところ、第6話にして初めて見たかもしれません。

 撫子は平和主義者であり、なおかつ彼女をそうさせている根底にある思いは強烈な理想主義です。
 「友達はみんな仲よしであるべき」。そう思うからこそ、自分も和を乱さないように自己主張を控えてきました。自分の言葉で話すのではなく、どこかの誰かが考えた無難そうな言葉を使っていました。

 「むしろ逆かも。『こんなにだらしないのに好き!』『こんなにワガママだけど許す!』とか!」

 世間一般での善悪評価の逆をいく彼女の言葉からは、だからこそ静留を大切に思う気持ちがまぶしいほどに伝わってきました。

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