
誰が何と言おうと、私はあなたたちを信じる!

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(主観的)あらすじ
いつもの朝、いつものおしゃべり、いつもの髪型。今日のはなもめっちゃイケてます。いつもと何も変わらない日が今日も続きました。明日もこれからもずっと続いていくでしょう。
明日ははぐたんたちとのお別れの日です。
クライアス社がなくなってもオシマイダーは現れつづけます。
はぐたんたちとのお別れはどう言いつくろったってやっぱり身を引き裂かれるように辛いです。
世界からトゲパワワがなくなることはありません。
けれど、楽しい昨日の次に今日が来たように、悲しい今日の次にも明日は必ず来るでしょう。
2030年のある日。はなは臨月を迎えていました。
未来の街並みは今から少し様変わりしていて、みんなはすっかり大人になって、新しく生まれた子どもたちもすくすく育っていて。
はなはアカルイアス社の社長になっていました。さあやは産科医になる夢を叶えていて、ほまれはフィギュアスケートで金メダルを取って、えみるは大スターになって、生まれたばかりのルールーは約束どおりえみるとまた友達になって。みんな、あのころなりたかった自分になれたように思えます。
未来は輝いています。はぐたんたちがやってきたあのドン詰まりの未来はもう少し先の時代の話で、実際のところこれからどうなるかなんて誰にもわかりません。今迎えている出産の苦しみだって想像を絶するほど。
けれど、こうしてはなが苦しんでいるときはさあやとほまれが傍にいて応援してくれます。あのころと何も変わらず、いつものように。
だから、未来は輝いています。
あのころと何も変わらず、いつものように、永遠に。
生まれてきてくれたはぐたんを胸に抱いて、はなはこれからはじまる明るい未来に夢ふくらませます。
子どもの姿のチャラリートたちが出てきたということは、彼らがトゲパワワに染まったあの未来はもう少し先の話になるのでしょう。あと10年くらい先になるんでしょうか。ルールーが少し前倒しで生まれてきているので未来が変わったのは確かですが、実際のところ本当にあの未来を回避できたかどうかはそのときになるまでわかりません。
けれど、それでいい。
そもそも『HUGっと!プリキュア』の戦いは具体的に未来を変えるためのものではありませんでした。
はなたちが戦ってきたものはトゲパワワ。理不尽な現実に心がささくれ立って、未来を諦めたくなる悲しい気持ち。
はなたちが守ってきたものはアスパワワ。どんな辛い現実を前にしても絶対に諦めず、未来を信じつづける心の輝き。
いつか途方もなく絶望的な現実が目の前に立ち塞がったとしても、諦めなければきっとなんとかなるでしょう。はなたちに限らず、プリキュアはいつだってそうして大切な日常を守ってきました。
だったら、未来でだって同じことです。
楽しい昨日、悲しい今日、つづく明日
現在は過去から連続してきた日々の先端にあり、そして現在の先に生まれていく日々はこれから未来へと連続していきます。
「フレフレ私! がんばれがんばれオー!」
今日、はなは髪を切りました。
第1話冒頭と同じように、なりたい自分の姿をノートに描き、床に敷物を敷いて、窓を開けて、わざわざ制服に着替えてから、まーた工作ばさみで。
きっとあのとき誰もが愛らしいアホっ子の未来に幸多からんことを祈りました。ぶっちゃけ「大人っぽいイケてるお姉さん」なんて今のお前にゃまだ似合わないと。似合いの髪型はもっと他にあるはずだろうと。
あからさまに切りすぎた変な前髪を見て、私たちは彼女を心から祝福しました。かわいい。似合ってる。これからのあなたの物語を応援したい、と。
あのときは部屋に風が吹き込んで、彼女に似合ってなかった「なりたいわたし!」のページをそっと隠しました。
今回は隠しません。今回はなが描いたものは、友達みんなと並んで、相変わらず変な前髪のままの自分の姿。私たちはこの姿が彼女にとてもよく似合っていることを知っています。たとえこれから彼女の友達がそれぞれ別の道を歩みはじめるのだとしても。
あれから1年経って、14歳になったはなはまた髪を切りました。
あのときと同じ、いつもの切りすぎた前髪に。
「よし! 今日もめっちゃイケてる!」
「ぷくく。お姉ちゃんって本当にお子ちゃまね」
変わったことと変わらなかったことがあります。
「・・・本当はカッコいいのに」
いいえ。そもそもいつを基準にして“変わった”“変わってない”を語ればいいのでしょうか。
ことりは自分のお姉ちゃんがキュアエールだと気付いて以来、少しお姉ちゃんのことを見直しました。
けれどお姉ちゃんがカッコいいことなんて本当はずっと昔に気付いていて、ただ、最近はちょっと忘れていただけだったのでした。
第1話の転校初日から比べると、はなには本当にたくさんの友達が増えました。
けれど今のはなからすると、こんなのいつものメンバー。
それでいて密かに彼女への思いを少しだけ改めた男子連中なんかもいたりします。
「今日はとてもいいお天気です」
「はい。本当に」
よく晴れた天気なんてありふれたもの。けれど、ふと見上げてみればなんだか不思議と特別に感じられることもあります。
「僕はこの空の色をずっと覚えているだろうな」
「正人、知らないの? 空はどこまでもつながっているんだよ」
いつから変わって、いつから変わっていないのでしょうか。はなをとりまく毎日はいつの間にか変わっていたり、いつものまま変わらなかったりしています。過去と現在と未来は途切れることなく連続しています。
あれだけ必死に最終決戦を戦ったというのにオシマイダーは相変わらず現れつづけます。
「やはり世界からトゲパワワは消えないということか」
「そりゃそうだよね。けど、みんなの心にアスパワワが満ちてるんだから!」
未来をかけた戦いを通して世界は変わったようで、実のところ何も変わっていません。いいえ、変わったのかもしれません。わかりません。いつか“変わった”“変わってない”を実感する日が来るまでは。
「そろそろ時間や」
悲しい出来事はどうしたって訪れます。
「えみる。ずっと大好きです。未来で待ってます」
「ほら。笑顔でしょ、ハリー。はぐたんと約束したじゃん」
ずっと前から決まっていたこの日を笑って乗り越えるため、はなたちはお互いにいくつか約束を交わしていました。そのおかげで踏みとどまることができた思いもあるはずです。けれどやっぱり、悲しいものは悲しい。
「まーまー!」「はぐたん!」「まーまー!」「はぐたん!」「まーまー!」「・・・はぐたーん!!」
結局完璧に約束どおりとはいきませんでした。笑ってお別れなんて無理でした。
けれど、こんな今日の先にも明日は来ます。
11年後の未来、はなはこの日の悲しみを乗り越えて、毎日を笑って暮らすことになります。
昨日までと変わらず、いつものように。
今日と変わって、いつものように。
現在と未来が途切れることなく連続しているからこそ。
「時計の針は動きだした。命が生まれ、未来が育まれていく――」
先週までラスボスだったオッサンがいつものごとくポエムをつぶやきます。
彼の前途を見送るのは野に咲く黄色いデイジーの花。その花言葉は「ありのまま」となります。
「永遠の少年」だったオッサンはもういません。彼と戦ったはなは彼の“永遠”を拒絶し、楽しいことも悲しいことも訪れうる、ありのままの時間の流れを選びました。
変わったり変わらなかったり、そのおかげで、笑ったり泣いたり。
なんだかどっちつかずではっきりしないけれど、それこそがはなの選んだ、ありのままの自分の姿。
はなの“永遠”
「永遠なんて要らない!」(第48話)
かつてはなは「永遠の少年」が世界の時間を止めてつくろうとした“永遠”を拒絶しました。
けれど今、大人になり新しい命を産み落とそうとしている彼女の傍には、かつて彼から贈られたのと同じ花が置かれています。
黄色くて太鼓のバチのような形をした花、クラスペディア。花言葉は「永遠」。
はなはよほどこの花のことを大切に思っているのでしょうね。
本来なら分娩室に生花を持ち込むべきではありません。どうしたって雑菌の温床になるからです。けれど彼女はわざわざガラスケースに入れてまで、無理を押してこの花を自分の手元に置きました。
彼女の夫と思しき男性も、彼女がこの花を好んでいるからか、あるいは自分もこの花を気に入っているからなのか、同じ花を(黄色いデイジーといっしょに)花束にして抱えています。
「子どものころなりたかった私に、私はなれたのかな?」
わかりません。まだ実感がありません。もしかしたらとっくになれているのかもしれませんし、後になって振り返ってみればまだまだ全然だったなと思うのかもしれません。
「バイバイ、子どもっぽいはな。大人っぽいイケてるお姉さんに――、へんしーん!」(第1話)
かつてはなは子どもっぽい自分を好きになることができませんでした。
クラスメイトがいじめられている現場を前にして、あるべき自分の理想を貫こうとして、だけど失敗して、あげく今度は自分がいじめられるようになって。
特別な才能を持った友達と自分は違うという現実を見せつけられて、何もできない自分がひどくカッコ悪く見えて、挫けて、守ると誓っていた子を守りきれなくて。
ずっと戦ってきたクライアス社の社長がすごく大人っぽい人で、これからそんな人と戦わなければならないことが恐ろしく感じられて、恐怖に震えて、変身できなくなって。
大人と違う子どもの自分が嫌いでした。何も持たない無力な自分が嫌いでした。
だけど。
「大丈夫、はなは間違ってない。もう我慢しなくていい。はなの未来は無限大!」(第23話)
「いつでもがんばり屋さん。誰かのために一生懸命になれるところ。失敗してもガッツで乗り越えるところ。素直で表情がクルクル変わって、見ているだけで元気になれるところ。まだまだいっぱいあるよ。私が憧れた、はなのステキなところ」(第11話)
「みんなに笑顔が。アスパワワが。――笑顔は、守るだけじゃない。笑顔が、みんなのアスパワワが、力をくれる!」(第24話)
お母さんが、友達が、周りにいるたくさんの人たちが、はなにもう一度立ち上がる勇気をくれました。
みんながはなを応援してくれて、みんながはなを好きでいてくれて、そのおかげではなは少しずつ少しずつ、自分のことを好きになれるようになっていきました。
「じゃあ君、ほまれのために何ができるの?」
「君って無責任だね。『がんばれ』って言われなくてもほまれはがんばるよ」
「応援なんて誰にでもできる。その無責任な『がんばれ』が彼女の重荷になっているんだよ」(第8話)
かつて唯一自分の取り柄らしい取り柄だと自負していた応援をメタクソに否定されて、落ち込んだことがありました。
けれど今の彼女はあっけらかんと笑っています。
「笑われたっていいじゃない。誰が何と言おうと、私はあなたたちを信じる! 何かあったときはどーんと任せろ!」
今の彼女は自分の応援に絶対の自信を持っています。
「『フレフレみんな! フレフレ私!』――私ははな先輩のこの言葉が大好きなのです」(第33話)
「ちゃんはなにもらった『がんばれ』もオレちゃんのハートに残ってっから。その節はサンキューでっす」(第42話)
「はな。フレフレして! さあやもはぐたんも! 今から私のハート、100%マジアゲするから!」(第42話)
はなが応援したことをみんなが感謝してくれて、はなが苦しいときはみんなが応援を返してくれて、そのおかげで応援の持つパワーを実感することができたからです。
「子どものころなりたかった私に、私はなれたのかな?」
その答えは大人になった今でもまだわかりません。
そういえばずっと年上のお婆ちゃんですら不安そうだったり立ち直ったりしたことがありました。もしかしたらこの問いはいつになっても答えが出ないものなのかもしれません。案外、ふとした拍子に答えが出ることもあるかもしれません。わかりません。
なんだかどっちつかずではっきりしないけれど、ただ、ひとつくらいは確かなことがあります。
「未来は楽しいことばかりじゃない。めげそうになることもいっぱいある。けれど、そんなとき、あのころの私の声が聞こえてくる」
「フレフレみんな! フレフレ私! いっくよー!」
自分とみんなを応援できる私が好き。
みんなと私を応援してくれるみんなが好き。
大好きな自分とみんなががんばっている毎日はとっても楽しい。
昨日が楽しかった。今日も楽しかった。ときどきは悲しい日もあるけれど、またいつか楽しい日は来てくれた。
「はな。フレフレ! がんばれ!」
「さあいくよ! 赤ちゃんがんばってる!」
だって、たとえ辛いことがあったとしても、それでもはなの未来の輝けることを信じて応援してくれる友達がいつもどこかにいてくれたから。
毎話オープニング冒頭に登場していた、キュアエールを象徴する花はマーガレットでした。その花言葉は「信頼」。
はなはたくさんのものを持つ少女でした。友達が増えるたび、誰かを応援するたび、はなの毎日はどんどん輝いていきました。
「永遠」の花言葉を持つクラスペディアの、もうひとつの花言葉は「心の扉を叩く」。
はながまわりのみんなと応援を交わしあい、お互いの未来を信じつづけるかぎり、はなと私たちの未来は永遠に輝きつづけるでしょう。
昨日がそうだったように。
今日がそうだったように。
明日もきっと。
それが、楽しいことも悲しいこともありのままに受け入れていくはなにとって唯一の“永遠”です。
「フレフレみんな! 未来は輝いてるよ! またね」
コメント
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ジョージ・クライは、「自分が愛した女は"犬死に"したんだ」という思いに囚われていたんでしょうね。そして女を"犬死に"に追いやった(と彼がみなした)民衆に復讐したいと考えた。「てめえらに明日のお天道さんは拝ませねえぜ」と。
でも一方で、みんなの幸せを最期まで願い求め続けた女の思いを自分が踏みにじるようなマネもしたくはなかった。そこで捻り出したアイディアが「時間を止めて現在までの幸せを固定化する。そして明日の幸せの可能性は、奪う」だった、のかなと。「このはしわたるべからず」「じゃあ橋の真ん中を渡ろう」と同レベルの屁理屈トンチ解決法。
そんなジョージの妄執を阻止するために若き日の野乃はな/キュアエールがやるべきだったことはーーーーーー自分の生き方を変える=歴史を変える(=ジョージの知る歴史における野乃はなが"犬死に"したと確定させる)ことではなく、"歴史通りに"自分の生き様を徹底的に貫く姿をアピールして、その結果としての"死に様"が野乃はなにとって決して無意味なものではなかったことをジョージに示すこと、だったんでしょうね。
正直……本当にこの決着で良かったのか釈然としない部分も残るんですが(実際、最終話のつくりには、過去48話でこだわってきたストイックな雰囲気を捨て「(「厳しい未来を変えられなかった」という)ビターエンドを大量のオブラートでくるんだ」甘い仕立てにせざるを得なかったツラさを感じる)、"ジョージ・クライが愛した野乃はな"を否定しない為には、この決着がベストだったのかもしれません。
ところで、野乃はな25歳が産まれてきた娘につけた名前「はぐみ」なんですが……漢字表記は「育美」なのかな。
私としては、「明日美」とかでも良かったんじゃないかと思うんですが。ホラ、彼女は将来のキュア"トゥモロー"なんだし。……余計なお世話でしたかな。
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基本的に私は(少なくともブログ記事にするアニメについては)ひととおり自分を納得させられるまで考察しつづけるので、「この描写はおかしい」とか「この展開は釈然としない」といった感想は持ちません。全ての描写にはちゃんと理由があり、目的があって登場しているんだという前提で視聴します。
この点においてはぶっちゃけ製作者の実際の考えすら真実としません。私が楽しんだ物語は、私にとっては、私の見たままの姿が真実です。
・・・なので、すみません。その手のコメントにはお返事しようがないです。