スタートゥインクルプリキュア 第3話感想 はじめての思考停止。

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いつも言ってるんだ。「まず相手の話を聞いてあげな」って。

(主観的)あらすじ

 スターカラーペンダントから不思議な音が鳴りました。ララたちの分析によると、詳細はまだわからないものの、おそらくはスタープリンセスの力に何か関係あるんだろうとのことです。
 キラやばー! ということで、ひかるはさっそくスタープリンセスの力を探しに飛び出していきました。一方でララはそんな彼女に腹を立てます。まだ分析が終わっていないのに探しに行くなんて効率が悪い! 今日のふたりはなんだか険悪な雰囲気です。

 実際、ひかるの行動はとても本気で探しているようには見えませんでした。ララたちが宇宙人だとバレてはいけないのにわざわざ人混みに入っていったり、ドーナツ屋さんに寄り道したり、あげくオカルトな噂話を仕入れてきたり。
 遊んでいるとしか思えなくてララはますますイライラしてきました。イライラしているララを見てひかるの方までムカムカしてきました。だんだん、スタープリンセスの力と関係ないことでまでお互いが気に食わなくなっていきました。・・・本当はケンカしたいわけじゃないはずなのに。

 険悪な雰囲気にフワが泣きだして、冷や水をかけられたようになったひかるとララは、もう一度話しあってみることにしました。すると実はふたりともスタープリンセスの力のことを真剣に考えていて、お互いそれぞれにまだ知らなかったこと、気付けていなかったことがたくさんあったんだとわかりました。
 だから、今度はふたりで協力しあってみることにしました。すると今度こそスタープリンセスの力――プリンセススターカラーペンが見つかって、さらには新たな強敵・テンジョウも撃退することができて、お互いがいてくれて良かったと心から思えるようになるのでした。
 ひかるとララの距離はこれまでよりもっと近くなり、お互いを名前で呼びあう親友になれたのでした。

 いわゆる名前呼び回。プリキュアシリーズにおいてこの“ケンカ→仲直り→お互いの呼び名を変える”というストーリーはたいへん人気があり、序盤のお約束として定番化しています。
 何度も繰り返されてきたストーリーなのでこの回で仲よくなること自体はもうあたりまえ。ぶっちゃけ友情を描くだけならこのアニメが『スタートゥインクルプリキュア』である必要すらありません。シリーズ屈指の名エピソード・『ふたりはプリキュア』第8話あたりを再放送したらよろしい。

 ですが、これはあくまで『スタートゥインクルプリキュア』の物語です。基本のストーリーに安定感のある、よく枯れたお約束展開だからこそ、ひかるとララのふたりでしか描けないこの作品ならではの独自性が浮き彫りになります。
 どういうきっかけでケンカし、何が理由で仲直りすることになるのか。
 例年、名前呼び回には各タイトルごとのカラーが色濃く詰まっています。

ケンカ

 「いったい何がしたいルン」
 
今話は子ども向けアニメとしては少し珍しい描写になっていました。
 主人公であるはずのひかるの行動意図が視聴者に隠されていたんです。普通、視聴者は主人公に感情移入するものなので、その障害になってしまうこの手の描きかたは特段の意図がなければなかなかやりません。

 例外はヒーローもの。ヒーローはそもそも憧れの対象なので、最初から感情移入先にはなりえません。だから古い作品にはヒーローの傍に必ず子どもキャラクターが配置されていましたし、近年の作品ではヒーローは変身するものとなって、変身前のキャラクターに親しみやすい性格が設定されるようになっています。
 この関係のわかりやすい例えとしてよく『ドラえもん』が挙げられていますね。
 あの作品はキャラクター人気としては圧倒的にドラえもんが目立っているんですが、物語としての主人公は実はのび太です。常にのび太の視点から事件が描かれています。感情移入先としての主人公・のび太、憧れの対象であるヒーロー・ドラえもんという構図です。

 そう考えると、今話のひかるの描きかたはやっぱり奇妙です。特に今作はもうひとりのプリキュアであるララの内面が一種の“大人”として描写されているので、彼女は彼女で子どもたちにとってなかなか共感しにくい。

 「きらヤバー! よーし、そうと決まったらプリンセスの力探しに行こう!」
 「えー、待ってられないよー! ぶー。もうつまんないよー!」
 「ララちゃん、音が。聞いて聞いて聞いて! ララちゃんララちゃんー!」
 「またデータ? 分析? ララちゃんもういいから!」

 
前話で大人として描かれたララと対比するように、今話のひかるの言動はいつも以上に子どもそのものです。見ていてちょっとイラッと来るように描かれています。
 子どもだって好きなキャラクターのこんな姿を見るのはイヤですよ。だって自分がこういうふるまいをしてお父さんお母さんに叱られた経験、きっと誰にでも一度や二度はあるはずですし。このシーンのひかるが悪い子だってことくらい、子どもでもわかります。

 「ちゃんとペンダントを分析しなきゃダメルン」
 「わからないルン。明日か明後日か一ヶ月後になるか・・・」
 「もう、うるさいルン!」
 「AI。分析しながら探すのと、分析しおわってから探すのと、どっちが早いルン?」

 
だからといってララの言動もいかにも大人。よりにもよって子どもにとって一番面白くないときのお父さんお母さんみたいな小うるさいことばかり言ってきます。こっちはこっちでイラッとします。

 「何も考えてないルン。昨日もバレそうだったルン」
 「買い物している場合じゃないルン」
 「なんでその蛍っていうの探さないといけないルン」

 
その後もひかるは好き勝手。気持ちはわかるようなわからないような。
 遼じいにバレなかったんだから大丈夫という経験則はわからないでもないし、好物のお店を見たら寄りたくなるのはよくわかるし、面白い話を聞いたら確かめたくなるのもそうだよねって感じ。
 でも同時に、それをララみたいな大人の人に見られたら呆れられてしまうっていうのも容易に想像できてしまいます。
 もし自分がひかるだったらどうするだろうって考えると、たぶんここまで勝手なことはしません。たぶんね。(現実に自制できるかどうかはともかくとして)いくら子どもだって人の嫌がることをしてしまうのはイヤなものです。

 だんだん、ひかるが視聴者たる自分とは違う、なにか異質な人間のように見えてきてしまいます。
 だからといってララもどちらかといえばお父さんお母さんみたいな子で、自分とは違う考えをしているような気がします。

 さて、私たち視聴者はいったいどういう視点から今話の物語を見つめたらいいのでしょうか?
 (まあ、オッサンオバサンならララの気持ちを充分理解できてしまうので、うっかりすると彼女に肩入れしそうになっちゃうのですが)

 「ララちゃん。フルネームで呼ばないでって言ったじゃん!」
 「そっちこそ“ちゃん”付けやめるルン!」

 
ついにはケンカがはじまります。そりゃそうだ。納得。
 ふたりの気持ちはなかなかわかるものではありませんが、ふたりの言動がケンカにつながってしまうことくらいなら誰にでもわかります。
 「ていうか、いっしょに来てって頼んでないじゃん!」
 「ペンダントのデータを集めたいルン。だからいっしょに来てるだけルン!」
 「私のペンダントさえあればいいってわけね!」

 
ふたりが当初の原因と関係ないところでヒートアップしていきます。
 たいていの子は普段からよく見ている光景です。家庭で、保育園で、小学校で、こういうわけのわからない言いあいをしているのをよく見かけるはずです。
 どうしてそうなっちゃうのかはよくわからないけれど、そうなってしまうことがあるという事実なら誰でも知っています。

 今話において視聴者はひかるの気持ちにもララの気持ちにも共感することができません。どちらも自分とはちょっと違う異物。どちらもちょっと何考えているんだかわからない。そう感じさせる物語構造です。
 わかることはただひとつ。そりゃケンカするわなってことだけ。

 ・・・あー、もうひとつありました。わかること。
 「フワー!! ・・・仲よくフワ。・・・仲よくフワ」
 ケンカってイヤだよね。
 するのも、見るのも。

 今話における視聴者の感情移入先は、実はフワだったりします。

仲直り

 ケンカはイヤです。
 するのも、見るのも。
 だから、たとえそれぞれの事情はわからないとしても、とりあえずケンカは止めてほしいと思います。
 でも、だからといって、じゃあどうやって止めさせたらいいのか。

 「いつも言ってるんだ。『まず相手の話を聞いてあげな』って」
 
次話で3人目のプリキュアとなる少女が、赤いガーベラの花とともに今話のキーワードを運んできてくれました。
 天宮えれな。ガーベラの「神秘」の花言葉がよく似合う、暖かくも不思議な包容力を漂わせた、独特の雰囲気がある女の子です。

 さて、そもそも今回のケンカの原因はいったい何だったでしょうか?
 ――わかりません。

 そう。わからないんです。
 「・・・わからないルン。地球人の考えは、私にはわからないルン」
 
私たち視聴者にはひかるの気持ちもララの気持ちもよくわかりません。そしてそれは、実は(もちろん)ふたりにとっても同じこと。ひかるはララの気持ちをわかっていませんし、ララもひかるの気持ちをわかっていません。
 なのに、なぜだかお互いのことを許せなくなってしまっているんです。
 ケンカの原因もお互いの気持ちも何もかもよくわかっていないくせに、どうしてでしょう、ただお互いを許せないという思いだけが確かなことのようになってしまっているんです。
 「ララちゃんなんか、ララちゃんなんか・・・大き――」

 おかしいと思いませんか?

 「キラやばー! やっぱり宇宙人だよね、何それ、触角!? かわいー!」
 「グイグイ来る! この地球人、宇宙人とか怖くないでプルンスか!?」
 「星座と宇宙、宇宙人とか大好きなの! あと、UMAにオカルト、それに――」
(第1話)
 ひかるは物怖じしない女の子です。本来なら未知の相手であるほどワクワクして、どんどん仲よくなりたいと考えるはずの子です。
 なのに、どうして今回に限って“わからない”=“大嫌い”にしてしまおうとしているのでしょうか。

 第1話のときと今回との違いって、いったい何だったでしょう。
 「本を開くと頭のなかが楽しい想像でいっぱいになるの。宇宙なんて何十回何百回も行ってるよ」(第2話)
 イマジネーションの有無です。
 ひかるは頭のなかで何度も宇宙旅行を経験してきたからこそフワやララたちの出会いに動じませんでしたし、むしろワクワクしました。プルンスによると普通の人は未知の存在に恐怖するらしいですが、ひかるの場合はイマジネーションによってその恐怖を超越してみせたんです。
 頭のなかの宇宙旅行はもちろん現実の宇宙とは全然違うものでしょうが、“未知の存在に出会える”という意味では空想も現実も同じことです。たくさん繰り返せばいずれ慣れるでしょうし、空想での経験が楽しいものであったなら現実もきっと楽しいはずだと期待することができます。

 今回はどうだったでしょう。
 ひかるは“未知の存在に出会える”ことを楽しみにできていたでしょうか。
 ララとの考えかたの違いをいつもの宇宙旅行と同じようなものとして考えられていたでしょうか。
 「恐怖は思考を停止する」(第1話)
 プリキュアの対立軸にあるノットレイダーたちは恐怖でもって人の思考を停止させることを志向します。
 今回ひかるとララはお互いに恐怖を感じたわけではありませんが、同じことです。ふたりは目の前にいる未知の存在を、未知の存在のままで放置しようとしました。思考することを止めていました。

 「まず相手の話を聞いてあげな」
 
この言葉の神髄は単に“相手の気持ちを知らなかったからケンカになってしまうんだ”というだけのものではありません。それだけでは第1話と第2話で描いてきた『スタートゥインクルプリキュア』の物語と合致しません。
 まず、あなたは相手の話を聞こうとしているか。あなたは相手に興味を持っているか。そこを問題にしています。
 「――あの!」
 「・・・そっちから話してルン」
 「・・・うん」

 
だって、今回のケンカはお互いのことをよく知らなかったことが原因だったんですから。
 お互いがお互いを知ろうとするなら、そんなもの、たったそれだけで自然に解消されます。

 今話でひかるの思考が視聴者にまで伏せられていたのは、お互いを知ろうとしない結果ケンカになってしまうという悲しい流れを、視聴者もいっしょになって体験させるための施策だと思われます。ああいうの、当人も周りにいる人も誰も得しないってことはもう充分伝わりました。
 なので、そろそろここらで種明かし。主人公に戻りましょう。

 「実はペンダントから音がしたんだ、向きを変えたら」
 「何かヒントないかなって、商店街のスタードーナツに行ったの。いろんな噂が集まるお店だから」
 「そしたらホタルの話が出たから何かあるかもって思って」

 
ひかるは案外いろんなことを考えていました。彼女はララと違って子どもですが、それならそれでと、子どもとしてできることをいつも考えている良い子です。前話でもそうでしたね。

 「なんで音がするのかよくわかんないし――」
 
ただ、体験した出来事を論理的に考察するのがちょっと苦手。見返してみると最初はスターカラーペンダントを水平に持っていたのに、音が鳴ることに気付いた2回目は垂直にして持っちゃっているんですよね。
 ホント、そこで分析的な思考ができるララたちに相談さえできていれば。

 ひかるの発見とララたちの分析を合わせると、今までの苦労は何だったのかという具合であっという間にプリンセススターカラーペンを見つけることができたのでした。

 例によってガーベラという花には他にもいくつか花言葉が託されています。
 たとえば、「常に前進」
 第1話でひかるが見せた、あの前のめりなワクワクこそが、ひかるとララのあいだに芽生えかけたケンカの種を取りはらいます。

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    コメント

    1. ピンク より:

      SECRET: 0
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      私たちの感情移入先が実はひかるじゃなくてフワ……なるほど。
      そういえば私も「[太字]プルンスとフワが[/太字]困ってるじゃないか」と自然に考えてましたね。
      ひかるの考えてること、全然気づきませんでしたし。

      今の時点だと、ひかるはマナから国語力を大幅に引いた子に見えます。
      自己が確立してるゆえ他者に合わせることを知らずかえって未熟に見えるという意味ではえりかも比較的近いですかね。

    2. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
      PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
      第三話まで視てきて、どうもララと星奈ひかるを"大人/子供"という形で区分けするのが今一つしっくりこない感じがしてきたんですよね。むしろ"プロ/アマチュア"で分けた方がしっくりくる感じがする。
      ララは、確かにプロではあるんだけどルーキーで経験不足。だからどうしても"頭でっかち"になりがちで、また独断専行型のパートナーと組まされたときにどう対処すれば良いか、そんなパートナーに心をかき乱されたときにどう落ち着ければ良いか、体得出来ていない。
      一方のひかるは、場数はかなり踏んでいるんだけど、責任を負わなくてよいアマチュアの気楽さ故に、いささか独善的で無神経なところをみせてしまったりする。
      ……という風に解釈した方が腑に落ちてくるんですよね、どうにも。何よりララって"制度上"大人ではあるけれども、精神的にまだまだ未熟で子供っぽいところがあって、実のところひかると精神的成熟度は違わないんじゃないかと思えるんですよ。
      では何故、本作においてララは"制度上"大人と設定されているのか?
      ひょっとすると、ララの故郷である惑星サマーンって「児童労働を公認する為に成人年齢を低く設定している星」なのかもしれません。「恒星間旅行を可能にした高度な科学技術を有している」「文明惑星間の連合に加盟している」ということから、サマーンは社会制度・文化面において洗練された"先進星"なんだろうな、という先入観を持ってしまうんですが、その実態は児童労働が公然とまかり通る"途上星"ーーーーーーなのではないか?と。
      余談ながらーーーーーー東映アニメーションが現地法人を置いている国で子供達の為の図書室を建設するプロジェクトを支援していることが話題になったんですが、この図書室の建設目的が児童労働に頼らなければならない社会状況の改善、なんですよね。
      そもそも、SFって「現実世界で起きている政治的・社会的問題を"寓話"という形で諷刺・告発する」役割を昔から担ってきた歴史があり、「"宇宙人のお話"にこと寄せて人種問題や民族対立、移民問題を描写する」のも定番ネタだったりするんですよね。宇宙SFテレビドラマの古典「スタートレック」など正に典型例でして。
      はたして、惑星サマーンに関する私の推測が当たっているのかどうか、今後の展開でサマーンがどのような星であるのか描写されるのをじっくり待ってみたいと思います。

    3. 疲ぃ より:

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       そういえば今回プルンスも割と視聴者に近い立ち位置でしたね。積極的にケンカを仲裁しようと立ち回ったり。(そしてうまくいかなくてオロオロしたり)
       私自身がそういう立ち回りをあまりしたがらない子だったからか、素でそちらには考え至りませんでした。たしかに普通そうですよね。プルンスにも共感しますよね。

       ひかるの“本当は聡いのに自己完結していてわかりにくい”感はなるほど、えりかっぽいですね。
       マナはほら、身近に優秀な調整役が2人もいたので・・・。あの子もあの子でソフトボール回みたいに1人で行動していると自己完結しがちな子でしたね。本人に自覚があるおかげで普段はガシガシ六花に頼れていましたが。

    4. 疲ぃ より:

      SECRET: 0
      PASS: 83849cf6295498c96deb555e00f4c759
       “実際に大人としてふるまえているか”というよりは“大人らしくふるまおうと努力しているか”で、私はララを大人だと評価しているので、たぶん東堂伊豆守様のプロ / アマチュア観とそこまで大きく違わないと思いますよ。ひかるの“自分が子どもであることを前提とした努力のありかた”と対照的なので、敬意を持って「大人」と呼んであげる方がふさわしいかなと思うくらいで。

       人類史を紐解くと、社会が発展すればするほど子どもの教育期間は確かに長くなる傾向があります。これは社会全体が子どもを長期間養ってやる余裕を持てるからであり、また、大人に要求される仕事水準が(技術的にも哲学的にも)高度になるからでもあります。まあ普通に考えたら機械化した文明が13歳相当の教育期間で大人扱いなんてしないですよね。
       ただ、たとえば現代の地球先進国より仕事のオートメーション化がはるかに進んでいた場合なら、案外そのかぎりでもないんじゃないかと思うんですよ。少なくとも技術の習得には時間を必要としなくなるわけですから。ララを見るかぎり精神面でも最低限の心構えはついているように思えますし。
       もし現代日本みたいに6+3+3+4年も教育する必要がない環境があるとしたら、その社会の人々は子どもたちをさっさと一人前として扱うことを選ぶ可能性だってあるかもしれません。何のためか? 一日でも早く仕事させてあげるためです。社会参画したり、自主独立したりといったことが本人の幸福であると信じる価値観のもとでなら、そういう選択だってありえます。
       SFとしては現在多くの人が苦痛に感じている“仕事”というものの意義を問い直すための寓話になりますね。

       まあ、さすがにこんなへそ曲がりなお話、絶対プリキュアじゃ扱わないと思いますが。この駄文自体ただの思考実験です。

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