君の名は。 カタワレ時という言葉の成り立ちについて思いを巡らせてみる

 君の名は。については前回で最後にするつもりだったのにね。
 今回は映画の内容にほとんど触れないタイトル詐欺だからオーケーオーケー。

 とはいえネタバレに配慮する気はないのでお気をつけください。

※ 11/7追記 「カタワレ時とは」「カタワレ時 方言」などの検索ワードでいらっしゃる方が意外と多かったので、その手の疑問に答える文言をちょっとだけ書き足しました。ただし言語学シロートの見解なのであんまり信用しないように。

小説 君の名は。 (角川文庫)

実は本題とあんまり関係ない前置き

 最近は「ハイ・ファンタジー」の定義が変わりつつあるようですね。偶然wikipediaの該当記事にたどり着いてびっくりしました。
wikipedia:ハイ・ファンタジー

 wikipediaによると、現在は以下3説があるようです。
異世界(現実とは別の世界)を設定し、そこで展開する物語。
・ヒロイック・ファンタジーの対義語。超人的な英雄が活躍するヒロイック・ファンタジーに対し、等身大の登場人物の物語
・異世界ファンタジーを「異世界だけで完結している物語」と「現実世界の登場人物が異世界を訪れる物語」に分けた時の、前者。

 なんてこと! 3つとも私の知っている定義と違う! 私の認識していた定義は「世界まるごとひとつを一から創造したもの」でした。歴史や地理、大気や大地の構成元素、技術、習俗、宗教等々ほんとうに何もかも。
 トールキンのような偏執的な設定魔がつくりあげる、限りなく矛盾の少ないオリジナル設定の塊と、そこを舞台に描かれるある種の「現実味がある」物語をハイ・ファンタジーだと認識していました。
 対義語の「ロー・ファンタジー」はそうやってつくりあげられた既存のハイ・ファンタジー群からいくつかの要素を拝借して、繁雑な世界構築作業を「誰もが知っている共通のイメージ(いわゆる“お約束”)」を組み合わせることによって軽減した作品。要するにダンジョン&ドラゴンズとかドラゴンクエストとかのRPGっぽい世界のことですね。そんな風に認識していました。

 もちろんトールキンだって一切の神話的・民話的知識の借用なしで『指輪物語』等を書き上げたわけではありませんが、「すべての設定に必然があり、ひとつの世界として相互に影響を与えあっている」ことこそがハイ・ファンタジーたる最低限の条件だと思っていました。

本題:言葉はいつだって揺らぎ変わるもの

 とはいえ言葉の定義は日々揺らぎ変わるもの。今どきトールキンのような超大作志向のファンタジー作家なんてそうそういませんから、古いままの「ハイ・ファンタジー」という言葉の需要はほとんどないでしょう。死語になるくらいなら、定義自体を今の人にとって使いやすいものに変えてしまった方が、それぞれの言葉に価値が宿るというものです。
 言葉は単なるコミュニケーションツールではありません。言葉は文化そのものの一側面です。使われれば残るし、使われなければ死ぬか、変わる。私は言葉のそういう性質が大好きなんです。

 だから「一所懸命」ではなく「一生懸命」、「傍ら痛い」ではなく「片腹痛い」を好んで使います。私の観測する世界には「一所を守ることに命を懸ける」人なんていません。「傍らに控えていて気の毒に思う気持ち」は「かわいそう」とか「気の毒」とか、もっとストレートな言葉で表すので、「カタハライタイ」は脇腹がムズムズするような滑稽さを笑う全く別の言葉。
 あえて「イオン」じゃなくて「ジャスコ」を使うこともありますが、これもまた単なる私の趣味。あんな駐車場のでっかい田舎臭のする施設が「イオン」なんてシュッとした名前であるものか。(もちろん通じなかったら言い直しますが)

 「言葉の定義がしょっちゅう変わっていたらコミュニケーションに困る」というのであれば、辞書を使えばいいんですよ。言語学者たちは嬉々として日々新しい言葉を収拾して回っています。彼らの汗と涙(嬉し涙)に感謝しましょう。
 というか自分が使う語彙なんてどうせ日々の会話で使われていますし、そのなかで無意識に更新されていくものです。「厨二病」とか「草食系男子」とかの比較的新しい言葉ですら、本来の意味で使っているような人がどれだけいますか? 本来の意味なんて関係なしに、私たちが日頃使っている言葉の意味は日々のおしゃべりのなかで少しずつ更新されています。こっちの更新速度の方が、辞書が版を重ねるよりよっぽど早いでしょうね。

 もし自分にとっての言葉の定義が世間と乖離しているならば、それはあなたが普段使わない言葉だからです。あるいはあなたが属する集団が世間一般と断絶しているからです。私も「ハイ・ファンタジー」について語りあうようなオタク友達なんていませんし。
 「主観的な死語」とでも名付ければイメージが通りやすいでしょうか。たぶんコレ私ですら今後二度と使わない気がしますが。またここにひとつの死語が生まれました。

タイトル詐欺:君の名は。に絡めた話はちょっとだけ

 「誰そ彼時」「彼誰そ時」「彼は誰そ時」 君の名は。の劇中において、これらの死んだ言葉が紹介されました。
 今どき夕暮れ時だからって、向こうにいる人の顔が見えない状況はほとんどありません。だって街灯あるし。なければスマホのライトでも点けるし。まるで使い道がありません。
 だから死語になりました。タソカレという音だけが残って、「黄昏」つまり夕暮れ時の日光の色合い+明るさを表す文字が当てられました。

 一方、糸守町ではカタワレ時という方言に変化しました。
 余談ですが、たぶんこの言葉、現実にどこかにある方言とかではなくてこの作品独自の創作ですね。「彼は誰」→「片割れ」だなんて、言葉はいくら響きが似ていたとしても、普通なら語義を完全に無視するような変化をしません。
 どこの方言であれ、そのベースは言語圏の中心都市で生まれます。日本だと江戸時代初期くらいまでは京都、以降は江戸/東京ですね。人がたくさん住んでいて、最新の文化に触れる機会が多いほど、コミュニティ内の語彙の更新ペースは早くなります。そうしてつくられた最新の言葉が人や物の流通に乗って言語圏中に伝播していきます。
 青森や熊本など、日本の端っこの方に特徴的な方言が存在するのは、距離的な都合で京都や東京との流通が弱く、最新の言葉がなかなか入って来なかったからですね。山間部や離島も同様です。入植活動があった北海道や元々独立国家だった沖縄にはまた別の事情もありますが、今回は関係ないので割愛。なんにせよ、どんな方言でもルーツを辿れば京都や東京に行き着き、すなわち意外と現代標準語や古語からはそれほど大きく逸脱しません。
 例えば津軽弁では「頭髪」を「じゃんぼ」、「友達」を「けやぐ」だなんていいますが、前者は明治時代によく見られた「ざん切り坊主」が短縮されたものですし、後者は「契約」を転じて特別な結びつきを表したものです。方言というと標準語とは全く別な言葉というイメージを持つ方もいるでしょうが、案外こんなものです。無茶な語義の転じ方はしません。「彼は誰」→「片割れ」なんて変化はよほどの事情がなければ起こりえません。

 けれど糸守町というコミュニティにおいてはそういう無茶な変化が起きました。これは夕暮れ時を「彼は誰」ではなく「片割れ」と表現したいという、よほど切実な需要があったことを意味します。
 おそらくは彗星が欠けて「カタワレ」が降ってきた事件のことではないでしょうか。1200年前に隕石が降ってきたの、夕暮れだったのかもしれませんね。今回もカタワレ時をちょっと過ぎたくらいに落ちてきましたし。
 警句のつもりか単に印象強かったのか、どういう事情かはともかく、糸守町においては夕暮れ時と「カタワレ」という言葉を強く結びつける文化が生まれました。だからこそ「彼は誰時」が廃れて「カタワレ時」の方が長く残ったわけです。

 やがて大火事で言い伝えが失伝して音だけが残り、半ば死んだ言葉になってしまった「カタワレ時」は、タキとミツハの邂逅によって新たな語義を獲得し、転生することになります。
 夢での出会いによって互いを互いの半身と思うほどに固く結ばれ、夢から醒めることで失ってしまった半身(カタワレ)をなおも追い求めた二人。彼らがほんのひとときだけ半身を取り戻すことができた、なおかつ現実のなかで初めて半身と出会うことができた、奇跡の時間。そんな全く新しい言葉へと。

 こういう見方をしてみると、言葉ってけっこうロマンチックなものだと思いませんか?
 言葉は生きています。たくさんの人生に寄りそって。

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