フリップフラッパーズ第9話感想 第二夜。あなたの居場所なんて、誰もくれない。

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パピカが心配? それともヤヤカ?

(主観的)あらすじ

 ヤヤカに最後通牒が下されました。ココナたちから欠片を奪わなければ、もはや彼女に居場所はありません。
 ココナはパピカを不審がります。パピカが自分を誰かと混同しているような気がします。今のパピカの隣は彼女の居場所じゃありません。
 そんな彼女たちが集まった今回のピュアイリュージョンは、まっさらな空間と、それから和室のようなトラップ。トラップの外ではパピカとヤヤカがココナを巡って争い、中ではココナの心が不安に揺れ、そしてトラップがココナの心に呼応して荒れ狂います。
 結局ココナは全身全霊で求めてくれたパピカを選び、迷いの晴れた心がトラップを崩します。選ばれなかったヤヤカは思い出を振り払うようにココナと戦いますが、それでもとどめだけはどうしても刺せません。彼女を見限った双子の攻撃がふたりに降り注ぎます。
 庇ってくれたヤヤカの身を案じるココナの隣で、パピカの様子がまたおかしくなります。「ミミは・・・私のパートナー!」

 与えられたことごとくが奪われる、今夜の夢は第二夜。和尚を殺すために悟りを求め、怒りと憎しみと情けなさとで身を焦がす夢。
 なんつー容赦ない試練。アスクレーピオスとパピカの隣、かりそめの居場所を根こそぎ没収。物語としては合点のいく展開なのですが、まさかここまでやるとは。
 一般的に子どもの居場所は大人から無条件に与えられるもので、子どもはそのことに疑問を持ちません。あるときふと疑問を抱き、与えられたものではない居場所を自らの手でつくりだそうとするのが思春期、ココナたちが戦っているものの正体です。現実を息苦しく思うのは、そこに自分で築いた居場所がないから。

ビタースイート

 「もう要らない」「必要ない」からの「これが最後だ。次は必ず手に入れろ」。えげつないですね。これが他人から与えられる居場所の怖さです。

 家族、学校、地域サークル・・・子どもが無条件に享受できる居場所はたいがい大人たちの愛情によって保障されています。普通、子どものうちは見返りを求められません。
 ひたすら無条件だからこそ、大人たちを他人として認識できるようになった思春期の子どもたちにとって、それは不公平で、いびつなものにも見えるでしょう。それはつまり理屈として、提供されている居場所は大人たちの愛情が途切れた瞬間に損なわれてしまうということを意味しますから。だから思春期の子どもたちは自分の居場所を自分の手でつくることに躍起になります。
 実際はよほどの不幸が起きなければ永続するんですけどね。大人は愛するもの。子どもは愛されるもの。大人と子どもの関係ってそういうものです。
 それでいて子どもが自分の居場所をつくろうとすることも決して無意味なことではなくて、それは愛されるばかりの子どもから愛することのできる大人へ羽化するための大切な試練となります。フリップフラッピング。あなたがあなた自身とどこかの誰かを愛せる大人になれますように。

 翻って、ヤヤカの置かれた環境はその意味で実に不健全ですね。居場所を得ることに対してどうして子どもが対価を支払わなければいけないのか。ただの最後通牒でしかない「これが最後だ」に許しのニュアンスを受け取って安堵してしまうほど、彼女はこの不健全に対等な居場所に縋ってしまっています。
 「覚悟が違う」と彼女は言います。ええ、違うでしょうとも。だってその覚悟は本来子どもには必要のないものですから。思春期のエネルギーは自分の居場所をつくるために費やされるべきであって、その前段階、他人から居場所を与えてもらうために消耗すべきものではありません。

 それからココナ。「覚悟はあんのか?」 そう問われたとき、第五話では「そんなのない!」と言い切っていた彼女が、今回は「あるよ」と考えを改めています。美術部の先輩を変えてしまった後悔から始まった、「大切なものを守りたい」という信念のことでしょうね。
 格好のつく強い言葉です。ヒーローっぽい。正しいっぽい。ですが、困ったことにココナの場合、このお題目を唱えて目指しているものがヤヤカと同じなんですよね。既存の居場所を失わないようにしているだけです。先輩のいる部室、ヤヤカのいる保健室、ココナと呼んでくれるパピカ。
 変わっていくそれらに目を背けて、あるいは反抗して、ココナは今ある大切な居場所を守ることに全力を注いでいます。それらは自分で築きあげた居場所ではなくて、相手が変わってしまえばこちらがいくら守ろうとしても損なわれてしまうものなのに。
 そのリスクに気付かず、彼女は守ることばかりを正しいことだと認識してしまいます。

 彼女たちの置かれている現実は苦いです。鬱屈していて、ちっともままならない。どうやら私たち視聴者が見てきた以上の重たい事情すらある様子。
 そこでココナは苦い現実から視点を変えて、甘い夢の方で頑張ることにしました。ヤヤカは現実に甘んじて、その苦みが少しでも和らぐように腐心してきました。
 けれど気がつけばココナも現実の方にばかり執心するようになっていて、だからココナとヤヤカは今回同じ破局にぶつかってしまいます。

 思い出の庭に咲いていた、そして今も保健室に生けられている花の名前はベゴニア。(別記事では違う花と勘違いしていましたね。あとで訂正します) その花言葉は「幸福な日々」「片思い」。ステキな花言葉はしかし、今は無き過去の思い出です。

そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまい

 自分はいきなり拳骨を固めて自分の頭をいやと云うほど擲った。そうして奥歯をぎりぎりと噛んだ。両腋から汗が出る。背中が棒のようになった。膝の接目が急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無はなかなか出て来ない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。涙がほろほろ出る。ひと思に身を巨巌の上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃに砕いてしまいたくなる。
 それでも我慢してじっと坐っていた。堪えがたいほど切ないものを胸に盛れて忍んでいた。その切ないものが身体中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦るけれども、どこも一面に塞がって、まるで出口がないような残刻極まる状態であった。

 第二夜の侍は悟りを求めて寺の一室に篭もります。それと同じに、ココナは自分の居場所を求めてトラップに篭もります。
 侍は和尚への憎しみに惑わされて悟りへの道を見失います。ココナはユユの嘘に惑わされて自分の望む居場所を見失います。
 今回のココナにはあんまりヒーローっぽさはなくて、どちらかというと囚われのヒロインのポジションです。閉じ込めているのは実質的に彼女自身の所在ない心ですけどね。「パピカ、ココナお姉ちゃんのこと心配してないみたい。ずっと食べ物のこと話してる。それと、お姉ちゃんじゃない人のこと」 ユユの嘘はココナにパピカを疑わせ、物理的にもパピカを拒絶させます。(結果からいうと脱出するには下策でしたね)

 今回のピュアイリュージョンはココナにとって荷が重いです。だって今の彼女は「守る」ことに執心していて、自分で自分の居場所をつくるという考えに意識が届いていませんから。そんな状態で自分とそれ以外を切り離してしまっては何も決められるはずがありません。
 「パピカが心配?」「それともヤヤカ?」「・・・ふたりに戦ってほしくない」 その気持ちはステキです。パピカもヤヤカもココナにとっては大切な居場所で、「大切なものを守りたい」という今の信念とも合致しています。けれど気持ちが消極的です。インピーダンスが伴っていません。
 第1話でパピカを失ったときのような、第5話でおばちゃんとイロちゃんを結び直そうとしたときのような、何が何でも自分の願いを叶えたいという切迫した思いに欠けています。
 だって、パピカが傍にいてくれるのはパピカがココナを求めてくれたからで、ヤヤカが傍にいてくれるのはヤヤカがココナを誘ってくれたからです。ココナの大切な居場所はココナがつくったものではありません。だからどうしたら守れるのかがココナにはわかりません。
 せめて変えることを恐れずにいられたなら、もう少し違っていたのでしょうけれど。

 ココナには解決できないので、今回鍵を握るのはココナの心を動かしうるパピカかヤヤカになります。ですがヤヤカもまたココナと同じ問題を抱えているので勝負にならず、ココナ争奪戦はパピカのひとり勝ち。
 「ぽっと出のぽっと野郎にココナの何がわかるんだよ! こっちはな、お前が会うよりずっと前から一緒なんだ!」 ヤヤカがどれほどの思い出を積み重ねたところで、そんなのココナにぶつけなければ意味がありません。この勝負はそういう勝負でした。ココナの居場所になろうとする気持ちが強いのはどちらか、そういう勝負でした。パピカにぶつけたって何の意味もありません。
 大切なら大切だと、居場所になりたいならなりたいと、居場所になってほしいならなってほしいと、強く願えばそれはきっと叶ったはずです。これまでのピュアイリュージョンはそういうところでした。ままならない現実と違って、夢は意思次第であなたをいくらでも強くしてくれます。
 けれどヤヤカはそこまで強くココナを求められませんでした。その願いはヤヤカの今の居場所と相反するからです。アスクレーピオスに与えられた居場所を守ろうとする限り、彼女は自分の本当に望んでいる居場所にたどり着くことができません。

ブランノワール

 目の前にふたつ、大切なものがあります。あなたはどちらを選びますか?
 ココナはパピカとヤヤカを比べて、パピカを選びました。ヤヤカはココナとアスクレーピオスを比べて、アスクレーピオスを選びました。けれどふたりにとっては選べなかった方もやっぱり大切で、無理矢理大切なものを諦めようとしたから、ふたりは誰も幸せにならない決闘をするハメになりました。
 思い出を踏み砕いたって、友達に刃を向けたって、どんな覚悟を振りかざしたって、それで大切なものを諦められるわけもなし、そんなことで幸せになれるわけがないじゃないですか。

 物語のヒーローたちはしばしば究極の選択を迫られ、そして両方をもぎ取ります。子どもだましのキレイゴトでしょうか? フィクションならではの理想論でしょうか? いいえ、その考え方は肝心なことを見落としています。諦められないから大切なんです。諦められないことを諦めて、それで幸せになんかなれっこないじゃないですか。
 片方だけを選んで幸せになろうとすることこそ、キレイゴトの理想論です。

 片方だけを選ぶことでしか大切なものを守れないと思うなら、その考え方自体が破綻しているんです。
 せっかく辛い思いをしてまで片方だけを選んだココナとヤヤカ。しかしココナが選んだパピカは「ミミは・・・私のパートナー!」と言ってココナの居場所を否定し、ヤヤカが選んだアスクレーピオスは「覚悟が足りない」としてヤヤカの居場所を否定します。

ナチュラルストレート

 パピカだけが迷いません。いかにも子どもらしいまっすぐさが「居場所」という思春期の悩みに打ち勝つというのも皮肉な話ですが、実際そんなものかもしれませんね。子どもの問題に真に向き合えるのは子どもだけ。何もかもを勝ち取ったとはいいがたいですが、それでも今回は彼女こそがヒーローです。

 「ココナを助けないと!」「お前の持っているアモルファスを渡せ!」 パピカに突きつけられた選択肢は欠片かココナかといったところでしょうか。正直なところフリップフラップで欠片に執着しているのはソルトだけかと思っていたんですが、この子も意外とこだわりますね。
 彼女はどちらも選びません。どちらも取ろうとします。ヤヤカに対してココナを助けるべきだと繰り返し提案しますが、ヤヤカが提示する条件は絶対に飲みません。
 「ダメ! 欠片がないと願いが叶わない!」「会いたい人に会えた」という彼女が、そのうえで求めるナイショの願い事って何なんでしょうね。大変にキナくさい。

 それはそれとして、ふたつ選んだからといって片方にかける思いが半減するものではありません。ココナを巡る争奪戦に勝つのは片方だけを選んだヤヤカではなく、両方ともを選んだ欲張り者のパピカです。ついでにヤヤカの食料(ENERGY BAR=よくあるグラノーラを固めたお菓子のことですね)まで奪い取る強欲っぷり。

 「ココナの方が大事!」「ココナの声も、ニオイも、本当は優しいところも、ココナの全部が好き!」「ココナ!」「ココナ!」「ココナ、ココナ!」
 これでもかと叩きつける好きって気持ち。思えば出会ったときもこのワンコっぷりがココナの心を開いたのでした。ヤヤカの蹴りを食らおうと、トラップに身を締めつけられようと、ココナがいる方をまっすぐ見据え、ココナココナと自分の望む居場所をまっすぐに求めます。その強い気持ちが、ココナの心を揺り動かします。ココナにパピカを選ばせます。パピカだけが「ココナの隣」という自分で選んだ居場所を勝ち取ります。
 ものを知らないから、守るものがないからこそ、こんなにまっすぐ行動できるというところはありますけどね。第2話で冒険とココナの安全を天秤にかけて、ココナとの冒険を諦めようとしたこともありましたし。けれど何にせよ、このまっすぐさは得がたい長所です。・・・ホント、なんでこんな子の変身後の姿が盾持ちなんだろう。

 自分で決めるのって大変です。それは自分を知ることで、自分を主張することで、これから行動するって宣言ですから。私は超ニガテ。
 ココナは進路志望を決めかねていました。彼女は自分を空っぽだと思っていて、自分を表に出せず、何かを変えることを恐れる気質ですから。それでも「どこでもよくはないから」と逃げない強さを持ち合わせているから、私は彼女をカッコイイとも思っているのですが。
 パピカのまっすぐさはその全てを達成するものです。ココナの傍にいたいという自分の気持ちに正直で、ココナに向かってそのことをはっきり主張できて、自分からココナに飛び込んでいくパピカだからこそ、「ココナの隣」という自分の居場所を勝ち得ます。ココナやヤヤカと違って誰かに与えられたわけでもない自分の居場所です。

 もっとも、人と人との関係性である以上、一方的に勝ち取るだけではやっぱり不完全で、今回せっかく勝ち取った「ココナの隣」も、「ココナの意志によって」傷つき倒れたヤヤカに明け渡されてしまうのですが。
 なかなか解釈に迷う描き方ではあるんですが、エンディング前のシーン、パピカが悲しそうな目で見つめているのはたぶんカメラ位置通りの視点ですよね。つまり傷ついたヤヤカではなく、その隣で涙を流しているココナ。

 フリップフラッパーズはボーイミーツガールの物語。私とあなたとの出会いが互いに影響を与えあい、それぞれを大きく変えていく物語です。誰も彼も変わらずにはいられません。いつまでも同じ居場所にいられるとは限りません。

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