魔法つかいプリキュア!第47話感想 明日という、今日に一番近い未来。

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明日も一緒だよ!

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(主観的)あらすじ

 今日は冬休み最終日。みらいはニガテだった数学をきちんと終わらせ、リコたちと一緒に出かけます。街ではみらいたちがこれまで出会ってきたたくさんの人たちが、みんな笑顔で暮らしています。彼らと出会うたびみらいたちも笑顔になります。
 みらいたちが向かった先は神社。初詣です。お願い事は、みんな笑顔で楽しく暮らせること、それから将来のこと。けれどよく考えると将来どうなるかは誰にもわかりません。3人の表情に少し暗い影が差します。けれど、「明日も一緒だよ!」みらいの笑顔がその影を吹き飛ばします。
 そんな矢先、異変が起こります。太陽が黒いものに飲み込まれ、ベニーギョがみらいたちに襲いかかり、そしてついに、デウスマストがその姿を現します。
 そんな中、みらいたちはリンクルストーンに導かれ、台風の目のように平穏な日常に迷い込みます。魔法界とナシマホウ界が一緒になった不思議な日常へ。

 前哨戦。1話まるごと日常回をやってエメラルドのミトメールを獲得すると予想していたのですが、思ったよりもガッツリ最終戦に進みました。そういえば初詣は元旦にするものって思いがちですが、本来はその年初めてのお参りを初詣というんでしたね。私の初詣は例年4月です。(お花見)
 みらいの「明日も一緒だよ!」は先送りにしていた彼女の危うさが良く表れていつつも、それを打ち破るための前向きさがにじみ出ていてステキなセリフですね。「悲しいお別れ」「立派な魔法つかいとは」「出自に由来する不安」 そう、3人の悩みの根底にあるものは不透明な未来への恐れでした。それを晴らすために必要なものは今日と明日が連続しているという確信、つまりは明るい前向きさです。
 それからキラキラプリキュアアラモード、ついに番宣が始まりましたね。キュアショコラのヅカっぽさがすっごい。キュアホイップの声優の演技はいかにもテレビ俳優出身って感じですが、これが最終回までにどこまで成長していくのかを見届けるのも1年アニメの楽しみですね。

ぽっかぽか

 「お鍋を食べたら冬の寒さも吹き飛ぶくらい、ぽっかぽかになるんだよ」
 お鍋、いいですね。私も今夜はなにか鍋物にしようかな。ひとり鍋って要するにほぼ煮物な気がしないでもないですが。

 常春の魔法学校に雪を降らせるデウスマストと対比して、冬の津成木市でもみらいたちは暖かく過ごしています。
 いい天気のお出かけ日和、暖かいコートに身を包み、暖かい家族に見送られて。街には彼女たちの知り合いがたくさんいます。魔法界から来たお兄さんお姉さん、勝木さんにまゆみ、ゆうとくん、先生、壮太・・・出会うたび、彼らもみらいたちもみんなで笑顔になります。それでもちょっぴり体が冷えたときはおしくらまんじゅうしましょう。そして今夜はみんなで食卓を囲んで、お鍋。今日もぽっかぽかの楽しい日常です。
 みんながいるから楽しいんです。ひとりぼっちだと寂しいし悲しい。そのことが「暖かい」と「寒い」に言い換えられています。だからこそ「暖かい」お鍋やおしくらまんじゅうはみんなで一緒に楽しむもの。
 ムホーを模倣した闇の魔法の究極系、ドクロクシーはあらゆるものを自分ひとりのみに吸収しようとしました。ムホーの連中もムホーひとつでなんでもできると豪語します。・・・その考え方は、結構お寒いんじゃないかな。ひとりぼっちじゃお鍋もおしくらまんじゅうもできません。(もっとも、これを書いている私自身ひとり暮らしを謳歌している身なのですが)

 この1年でみらいたちが描いてきたものは、そんな、みんなで一緒にいられることの幸せでした。
 だからみらいは願います。「魔法界もこっちの世界も、みんな一緒に笑顔になれたらいいな」 この幸せがいつまでもいつまでも続きますように。

未来

 はーちゃんの願い事もみらいとだいたい同じ。「みんなと一緒に楽しく過ごせますように」
 けれどリコは少し違っています。「立派な魔法つかいになって何をするか見つけるの」 1年前と違って将来のことばかり考えているわけではありませんが、それでもリコはやっぱり未来志向です。
 モフルンも「甘いクッキーをたくさん食べて、はーちゃんみたいに大っきくなれますようにモフ」としているので、どちらかというとリコに近い未来指向型ですね。

 話題が未来のことに及ぶと、必然としてどうしても避けられないものにぶつかります。
 「卒業したら・・・」「卒業したら、どうなるモフ?」「そうしたらどうなるのかしら」 彼女たちはこれまで未来のことを深く考えてきませんでした。考えないようにしてきた、というのが正確なところかもしれません。
 「悲しいお別れ」「立派な魔法つかいとは」「出自に由来する不安」 彼女たちが抱えている問題はすべてここに係ってきます。
 一度別れたあとで次にまた会えるかどうかわからないから、お別れは悲しい。
 未来の自分がどうあるべきか、どんな自分なら幸せになれるのか、わからない。
 もしもなにか大きな使命があるなら、いつか大好きな日常に帰れなくなる日が来るかもしれない。
 未来には夢が叶うかもしれないという希望が待っていますが、同時に思うようにはいかないかもしれないという絶望も潜んでいます。このあたりは前作Go!プリンセスプリキュアでも語られたテーマですね。
 幸せな現在を愛するみらいたちにとって、絶望は春野はるかたちが戦ったものとはまた違ったかたちで見えています。
 つまりは現在の幸せが損なわれるかもしれないという恐れ。

 「これからもずっと、今みたいにみんなと一緒にいられるのかな」 言っているそばからその答えは見えています。リコにとって「未来」は立派な魔法つかいに「変化」することと同義です。そういう願いを立てています。
 だとしたら、この大好きな日常も、「未来」においては「変化」しないわけがないじゃないですか。「みんなと一緒に」だけが不変だなんて、そんな都合のいい話は無いように思えます。「未来」は「変化」だからいいんです。将来の夢は今の自分とは違うからこそステキなんです。
 それがわかりきっているからこそ、未来の話題はみらいたちの表情に深刻な影を落とします。

 未来のことなんて誰にもわかりません。だからこそみらいとリコは最初のお別れを大いに惜しみ、ふたりでナシマホウ界に行くことを選びました。だからこそはーちゃんがいなくなったときふたりはこの上なく悲しみ、できることを全部やって彼女を探し続けました。だからこそはーちゃんは「ずーっと一緒にいられますように」と魔法をかけました。
 未来のことがわからないからこそ、幸せな現在を維持して、未来を先送りに、先送りに。

明日

 見方を変えましょう。「未来」とはどういうものでしょうか。「変化」するもの? 「誰にもわからない」もの? それはどうしてですか? それは、遠いからです。

 かつてリコは将来の夢を追い求めるばかりに現在の幸せをないがしろにしていました。家族や魔法商店街、周りの人々の愛情を素直に受け取れず、不出来な自分を呪って、常に張り詰めていました。
 そんな彼女を救ったのがみらいでした。みらいには夢がありません。夢があることをうらやましいといいながら、彼女の視点は常に現在にしか向いていません。とりあえず何も考えずに走り回っては紙の蝶を見つけ、寒くて魔法が使えないなら素直に暖まってから魔法に挑戦します。けれど、結果として彼女の行動はリコが夢に近づくための大きな助けとなりました。
 不思議なことに、未来を追い続けるよりも現在を楽しむ方が夢に近づけることもあるのです。というか一定の範囲においてはきっとどんなことでもそうです。
 俳優業なんかはまさにそういう業種だとよくいわれますね。ヘタに若いうちから演劇漬けになるよりも、普通に遊んで学んで人生経験を豊かにした方が芸の肥やしになると。子役が大人になっても俳優を続けられたなら、その子はきっとよほど豊かな人生を歩んでこれたのでしょうね。

 「未来」は確かに遠いものですが、そのくせなぜか「現在」の影響を大きく受けます。そして現在の影響を受けるというなら、いうほど「未来」は「誰にもわからない」ものでもないということになります。現在のふるまい次第である程度未来をコントロールできるということですからね。
 先ほどリコは「立派な魔法つかいになって何をするか見つけるの」と語りました。彼女だけ願い事ではなく目標ですね。彼女はすっかり視点を現在に向けながら夢を叶える術を心得ています。
 夢が遠くにあるからといって、初めから遠くを目指す必要なんてありません。むしろ遠くばかりを見て歩いていたら、足元の石に蹴つまずいて転んでしまいます。だから目の届く範囲に小さな目標を立てるのは良いことです。
 「こうして目を1年間のお願いや目標を、目を閉じて心の中で言うの」 初詣で立てる目標はほどよく時間的な縛りをつけられていて都合がいいですね。

 「明日も一緒だよ!」
 現在からでもよく見える、最も近い未来が「明日」です。「明日」は「未来」ですが、「現在」のすぐ近くにあるので、まるで現在のように、どんなかたちをしているのかがよく見えます。
 明日は学校があります。だから絶対にみんな一緒の楽しい日になります。1年後の未来、卒業後がどうなるのかはまだよく見通せませんが、例えば明後日は明日の明日、1週間後は明日の明日の明日の明日の明日の明日の明日です。明日をだいたい400回くらい繰り返せば卒業後の未来になります。現在と未来は連続しています。
 今はまだどうなるかわからない未来かもしれませんが、今とはずいぶん変わった未来かもしれませんが、それでも現在と未来は繋がっています。不安がる必要なんてありません。あなたが未来を先送りに先送りにするなら、それを400回繰り返した頃には立派に未来に到達しています。あなたが今日と明日をみんなで笑って過ごすなら、あなたはきっと1年後もみんなと一緒に笑っていられるでしょう。
 だって、1年も前の過去から、あなたはずっとそうして明日を積み重ね続けてきたんですから。

 実際のところ、お別れというヤツは不可避です。現実はそういう仕組みになっていて、そしてプリキュアはこういうところにシビアです。女の子が変身したり周りの大人がみんな善人だったりというファンタジーは描いても、視聴者たる子どもたちから現実を生きるための力をスポイルするような嘘はつきません。
 みらいはこれからお別れを経験することになるんだと思います。けれどそれが(スマイルプリキュア!最終回が描いたような)「悲しいお別れ」になるとは限りません。魔法つかいプリキュア!はそうならないようにたくさんの物語を積み重ねてきました。
 要は悲しくなければいいんです。「次にいつ会えるかわからない」のではなく「また今度絶対に再会できる」確信さえあれば、「別れの悲しみ」は「再会のワクワク」に変わります。きっとこの物語はそのために手を繋ぐ奇跡の魔法を提示し、たまにしか会えない友達を配置し、見方を変えさせ、故人とすら手を繋いでみせ、そしてみらいを太陽としてきたんだと思います。すべては幕が降りるその瞬間まで、みらいたちに笑顔でいてもらうために。
 どうかいつかみらいに訪れるかもしれないお別れがとびきり優しいものでありますように。

 もっとも、魔法つかいプリキュア!のことなので、また予想の斜め上をカッ飛んでくれる可能性もありますけどね。

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