超人女子戦士ガリベンガーV 第61話感想 お前らもおにぎりに興味あるだろ。過去最大級に興味ビンビンだろ。

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生徒役:電脳少女シロ、夏色まつり、犬山たまき

少年のおにぎりデカすぎないですか? デカくないですか、あのおにぎり。だって、まあまあ食べてあの大きさでしょ? 本当に顔面くらいあったんじゃないですか? だってあの、左側にいるサングラスの人も「あのおにぎりデカすぎねえか!?」ってちょっと笑ってますもんね。でけえよあのおにぎり。

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「そうです。お金。銭が入っていました」
「食べれんの? お金って食べられるの?」

 頭がいいのか真性のバカなのかときどきわからなくなるバーチャル3歳児。どっちにしろ3歳児としては驚異的なインテリジェンスなので問題ありませんね。そういえば最近はマミーポコパンツネタを聞くことがなくなりました。オムツ離れのお年頃です。ついに伝説の黒パン同盟がうなりを上げたり火を吹いたりするのでしょうか。
 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

夏色まつり

「あ、16歳? まあまあまあまあ」
「な、なんですか。ピチピチですよ」

 今をときめくホロライブ所属、自称清楚枠の16歳。見た目からして別に清楚キャラは目指していない感じに見えますが、もちろん実際のところもそんな感じです。なお、公式プロフィールではお祭りやイベントごとが大好きだとの記述がありますが、本人が言うように実際のところは全然そんなことはないそうです。
 割とベッタベタにテンプレキャラを演じたがるタイプのようで、基本的にはナンパ師キャラ、場の流れ次第で下ネタ魔やサイコパス風にもスイッチします。ついでにいうとその流れで共演者が真面目な性格だと自分も真面目にふるまいます。先日のガリベン納涼祭でもやたらと正統派な回答ばかりしていましたね。なんだ。意外にも本当に清楚枠だったのか。今回犬山たまきがやたらなついてことあるごとに絡みに行っていたのを見ても、たしかに面倒見よく周りの人から信頼されるような、本当に真面目な人間なのでしょう。
 ところで本人の裁量で自由に延ばせる門限とはいったい・・・?

犬山たまき

「江戸! 江戸ならわかります!」
「江戸しかわかんないだけじゃん」

 男の娘系の同人誌を描いていたら『わぁい!』とかいう誌名だけでジャンルをお察しされていた商業誌でデビュー、ただし本人は声優にもなりたかったとかで自分の作品のアニメに出演したりもしていた、なにかとアクティブなマンガ家・・・を母に持つバーチャルYouTuber。ちなみに肉体設定的にはこの番組の生徒(=ガリベンガーV)唯一の男子、ただし男の娘なので本質的にはちゃんと女の子ですのでご安心を。
 前回出演の際は意外とマトモだったとの評判高く、本人的にはちょっと大人しすぎたと反省することしきり。でも普段の言動を見ていてもこの人ってば場の空気を無視できない性格っぽいので、そもそも本質的に人畜無害だと思います。いっそわざわざマツタケ回に呼んだガリベンガースタッフのほうが頭のネジ抜けてたレベルじゃなかろうか。
 前回制服ブレザー、今回エプロンドレスと、男の娘キャラクターのド定番なコスチュームばかり好んで着るあざとい一面もありますが、何が一番あざといって、そりゃあもちろんミニスカートですよ。男の娘はミニスカートを履かなきゃ始まらない。何故かって? お前ちょっとは自分の頭使って想像してみろよ。心にマツタケ生やしてみろよ。ちなみに私は精神入れ替わり系TSものが好物なので、ただでさえ零細のTSF市場を脅かす女の娘ジャンルは基本的に仇敵です。

授業構成おさらい(+ 補足事項)

超難問:おにぎりの謎を解明せよ!

 今話の授業テーマはおにぎりです。おにぎり。はい。おにぎりです。
 米は人間の主食としてきわめて優秀な穀物です。水田さえ整備すれば連作障害が起こらず、条件次第では二期作すら可能、種籾1粒あたりの再生産量も爆発的な量になるため、単位面積あたりの年間生産カロリー量は小麦の3~4倍にも達します。収穫後乾燥させると水分含有量を15%程度にまで落とせるため貯蔵性に秀で、しかも胚乳が固く締まるぶん粒のまま脱穀することも容易。さらに、玄米のまま食せば蛋白質や脂質、各種ビタミンやミネラルも摂取することができ、炭水化物過多なところに目をつぶれば準完全食と見なすことさえできます。
 日本食は世界でも類を見ないほど主食という概念がはっきりしている食文化ですが、それもそのはず。だってこれさえ食っとけばとりあえず生きていけたんですもん。水田さえつくることができたらとりあえず集落ごと養えたんですもん。そりゃ特別な食べものって意識にもなる。軽食や携行食もとりあえずおにぎり食っとけって感じにもなる。(※ やっと本来のテーマに着地できた)
 ちなみに、実はおにぎりは割と日本独特の食文化です。世界的に主流の長粒種は粘りが少ないので握りこむのに適さず、また、短粒種を食べる中国には冷えた食事を好まない文化があるためです。日本のようにおにぎりを食べる食文化があるのはタイ北部などのもち米を食べる地域、それから台湾や韓国、北朝鮮など日本の植民地だった歴史がある地域くらいですね。最近はコンビニの海外展開や日本食ブームのおかげで人気も出てきましたが。

 高橋先生は横浜ユーラシア文化館の主任学芸員です。東京大学法学部卒ですが、かたちあるものを学びたくて考古学を学び直したという、骨の髄までフィールドワークに魅せられた人物です。もちろんおにぎりの研究専門だなんてことはありませんが、横浜市歴史博物館に勤めていたころ好評を博した企画展『大おにぎり展』に参加、さらにその図録である『おにぎりの文化史』のメイン執筆者となりました。

トピック1:いつから海苔を巻くのが一般的に?

 犬山たまきは戦後、電脳少女シロと夏色まつりは江戸時代と回答しました。

 「何に米粒が直接ついたらイヤか考えました。ズバリ、本なんですね。なので、本が大量に出版されて、読まれるようになってから海苔を巻くようになったと思うので、江戸時代だと思うんです」
 サンドイッチの発想ですね。読書ではないですが、江戸時代には観劇のおともとして助六寿司が流行っていたので、着眼点としては悪くないところをついています。

 よくマンガなんかで見かけるおにぎりには海苔が巻かれています。実際には現代においても必ず海苔を巻くものってわけじゃありませんし、少なくともあんなチョビひげみたいな小さい海苔は使いません。ですが、マンガでは巻きます。ビジュアル的にあんなわかりやすいデザインもないですからね。
 ところが、江戸時代に描かれた東海道五十三次において、おにぎりには海苔が巻かれていません。ただの白い塊です。東西の風俗を比較紹介した守貞漫稿においても、江戸のおにぎりは丸形か三角、関西では俵形でゴマがまぶされているとの記述だけ。もし海苔を巻くという発想さえあれば、もっとわかりやすくおにぎりを表現することだってできるはずなのに。
 これにより、そもそもこの時代のおにぎりには海苔が巻かれていなかったのではないかという推察をすることができます。

 なお、今回の授業は完全に考古学ベースなので、机上の理屈があんまり通用しない世界から展開されます。「これはどうして?」ではなく「これはこうだったんだな」的なアプローチというか。結果から入るというか。私もいつもどおりあれこれ調べはしたんですが、どうも先生の話を説明づけるような因果関係はなかなか見つかりません。
 改めて、文化というものは面白いものですね。必ずしも歴史の必然性だけには依らない、理不尽で突拍子のない、まるで人間のありかたそのものを投影しているような流れを描くことがあります。絵画史とかまさにそうですもんね。新しい画風が生まれるのは、たまたまその時代に天才が生まれて、他の画家がこぞって彼の作風をマネしたから。技術が充分成熟していても、国政がどれだけ安定していても、結局たまたま誰かが思いつかなきゃ何も生まれない。

 海苔というものは養殖技術が完成するまで結構な時間を要しました。

 一応の成立をみたのは江戸時代中ごろ。現在と同じ形状の板海苔が発明されたのもこの時期です。江戸の特産物のひとつとなり、地場にあった製紙技術を応用して薄く漉き乾かす製法が普及しました。だから江戸前寿司には海苔が欠かせないんですね。地物だから。
 江戸時代に海苔巻きはありました。けれど、おにぎりにも海苔を巻いていたという記録は見つかっていません。それだけ海苔というものは庶民が日常的に食べられる食材じゃなかったということです。あくまで外食で食べるもの。
 実は江戸時代はまだ海苔の生態が充分に理解されておらず、養殖技術が未熟で、安定した収量が得られなかったんですね。当時、海苔は“運草”とも呼ばれていたようです。

 では、海苔の養殖技術が完成したのはいつになるのかというと――、それは昭和24年。イギリス人の藻類学者・キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカーによる糸状体の発見が鍵となりました。
 はい。お気づきですね。これは先生が持ってきた写真資料より3年も後のことです。

 まあ、つまり、養殖技術が完成したから庶民に普及したのではなく、その前から徐々に市場価格は下がっていて、すでに庶民でも海苔は買えていたってことですね。

トピック2:おにぎりはいつからあるの?

 犬山たまきが縄文時代、電脳少女シロが弥生時代、夏色まつりが飛鳥時代と回答しました。
 ちなみに、縄文時代には稲作なかったんじゃね? というツッコミもあるでしょうが、実は岡山県の南溝手遺跡から籾の付着している縄文土器が出土しています。青森県の三内丸山遺跡からも、稲作の形跡こそなかったものの、山林の計画的管理や農作物栽培に基づく定住化が行われていたことが見てとれます。
 以前は縄文時代といえば狩猟文化、農業を行うにしても畑が痩せたら放棄する略奪農法だろうといわれていましたが、現在ではだいぶ定説が変わってきています。文化的に縄文時代と弥生時代はとてもなだらかな変遷を辿っていったのではないかといわれています。

 さて、ここでの正解は古墳時代。この時代の地層から炭化したおにぎりが出土したんですから、少なくとも飛鳥時代以前であることを疑うことはできません。

 ひと抱えほどある炭化米塊をCTスキャンしてみると、内部の密度にばらつきがあることがわかります。表面の密度が高く、内部の密度は低い。それだけではなく、内部だけで比べてみても密度の高いところと低いところがまばらに分布していることがわかります。
 つまり、単純に大きな器に入れられていたご飯の塊が自然に潰されたのではなく、1人前ずつ人の手で握られたものが積み上がってできたものということになるわけです。

トピック3:このおにぎりの具はなに?

 上の山遺跡は縄文以前の旧石器時代から江戸時代にかけての遺跡です。人間が住む土地の条件なんてだいたい決まっていますからね。長期間にまたがって遺物が出土する遺跡があるのはよく考えてみれば当然のことです。
 今回の出題は15世紀後半、つまり室町時代くらいの遺物ですね。

 「昆布かなあ。なんか昔からあるものって何かなって考えたら、海は創世記からあるから海草系かな」
 海草は素潜りでも採集できますからね。旧石器時代にはもう食べられていました。

 「まつりはお肉が入ってたら嬉しいので、シーチキンで!」
 マグロもカツオも縄文時代にはすでに食べられていました。足が早いの引っかかりますが、上の山地域は根岸湾に近いのでワンチャン・・・?

 「おかかですかね。梅干しはまだ早いと思うんで」
 現在の本枯節の製法が確立したのは江戸時代ですが、室町時代にはすでに削れるくらいの固さをもった干し鰹がつくられていたという記録があります。充分にありうる話でしょう。
 なお、実は梅干しも平安時代からありました。犬山たまきが言っているのは戦国時代に軍需品としての需要が高まって日本各地に梅農園がつくられた話のことでしょう。さすがマンガ家の息子。雑学知識が広い。

 正解は硬貨。火葬する際の副葬品だったと考えられます。三途の川の渡り賃ですね。私の地元では適当なノートの切れ端を使って子どもに手書きさせます。なので1,000,000,000,000円くらい持っていくのがザラだったりします。向こうの通貨に換金したら、渡し船、沈むんじゃなかろうか。
 食べものを棺に入れる地域も少なくないようです。なかにはメロンなど果物を入れる地域も。火葬に水分は厳禁なイメージがありますが、今の火葬設備はすごいので、それでもうまくやるとちゃんと焼けるようです。ただ、遺骨に着色されてしまうこともあるっぽいですね。

トピックex:1500年前のおにぎりを実食

 今でこそ炊飯器でワンボタンですが、“炊く”という料理法が本来いかに複雑で緻密な工程を経るのかはご存じのことと思います。
 米を炊く調理法が確立するのは鎌倉時代に入ってからのことです。それまでは当然、現在とは違う調理法で食べられていました。
 1500年前、古墳時代だと煮るか蒸すかですね。前者はお粥、後者はおこわになります。今回はおにぎりの授業なので蒸す調理法が紹介されましたが、当時メジャーだったのはどちらかというと煮る調理法。かさ増しできますし、子供や年配のかたでも消化できますしね。時代を経るごとにだんだん煮汁が少なくなって、やがて炊く調理法へと発展していくことになります。
 蒸すというのはそれだけ贅沢で特別なことだったので、主に祭事用として用いられていました。発掘されたおにぎりももしかしたら神餐だったのかもしれませんね。

 また、当時は精白米ではなく玄米が食べられていました。といっても精米技術が未成熟だったがゆえであって、貯蔵性や栄養価を考えてわざとそうしていたわけではないので、スーパーで見かけるようなしっかりぬかを残した玄米ともまた違います。いわゆる5分搗きくらいの加減だったといわれています。
 ちなみにこのブログでは第59話と今話つづけて玄米の栄養価を高く評価してきましたが、ぶっちゃけ現代では玄米から蛋白質やビタミンB6を摂取するより、普通におかずを1品増やしたほうがよほど栄養バランスが良くなるのでそこは誤解しないでくださいね。現代であえて玄米を食べるなら、消化の悪さを利用してのダイエット目的と割りきったほうがいいでしょう。

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