ひとりで歌うより、友達と歌おう。一緒に歌うと胸がぽかぽか暖かい。
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「ドタバタ校内放送! 響け、人魚の歌!」
活躍したひと
まなつ
とりあえずやることだけ独断で決めて細かいことは仲間に丸投げする、デキた(?)リーダー。おかげで自然と全員参加の態勢に持ち込めるという。トラブルが起きても場当たり対処でどうにかこうにか収めてくれるのでやたら頼もしくもある。将来はベンチャーを3つか4つくらい起業してみたらいいんじゃないかな。
ローラ
相変わらず人魚ゆえの行動制約は多いものの、リスク度外視で自分からデバってくるので最近ずっと忙しく活躍している。目立ちたがりなので校内放送ではマイクを握って離さないタイプかと思いきや、意外にもトーク内容を全部仲間に丸投げするという、まなつみたいな場まわしを堂々披露した。
トロピカってたもの
校内放送
トークラジオなのに演劇形式の分厚い台本を準備している謎番組。普通、台本なんて本物のラジオ番組でも30分あたり4~5ページあれば丁寧なほうよ? 中身もコーナーごとの時間配分と企画の概要、要所要所のキーワード(※ 音響スタッフがBGMや音響効果を入れるためのキッカケ)くらいしか書かないし。
逆をいうと、まなつが台本をブン投げたとき林田さんが焦っていたのは、MCの無軌道なトークを聞きながら音選びもタイミングも全部アドリブでやらなきゃいけなくなるからだったりする。林田さんはよくがんばった。
人魚の歌
航海中の船を惹き寄せて沈没させるという魔性の伝説。まあ、人魚が腰かけそうな岩場のある海域に不用意に近づいたら座礁するよね。
ちなみにアンデルセンの『人魚姫』では、人魚姫の5人の姉が沈没しつつある船の周りに集まって、「海の底は美しいところですよ」と歌って安心させようとするシーンがある。どこに安心できる要素があるというのか。人魚姫も王子様の船が沈むのを見たとき最初は同じことを考えていたが、人間は溺れたら死ぬんだということを思い出して慌てて救助した。
うまくいかなかったこと
メインMCの小森さんがお腹を壊して途中退場、まなつが漢字を読めなくて台本放棄、例のあの虫がスタジオに乱入して大騒ぎ、エンディングトーク前にゼンゼンヤラネーダ出現などなど、トラブルづくし。
やりきれたワケ
ぶっつけ本番でその場その場を柔軟に乗りきった。
「あやふやなんかじゃありません! 一度しかない今を楽しむ部活です。卒業生の先輩たちがペンちゃんのなかに宝物を入れたみたいに、ステキなことをいっぱい考えて、学校のみんなも一緒に楽しめたらいいなって」(第6話)
“今”に主眼を置きつつも、実のところ結構先を見据えた活動を志しているトロピカる部。
今楽しければそれでいい、という刹那的な考えかたではけっしてありません。実際に楽しめるのが今じゃ無くて未来になるとしても、なんにせよ楽しめるんだからと今を精一杯がんばるのがまなつという人物です。意外と未来志向な考えかたができています。
ローラが人前に出られず苦労しているのもその派生。今さえよければそれでいいんじゃなくて、ちゃんと将来まで考えているからこそ、安易に刹那的な享楽に耽ることが許されません。
さて、今話はそういうガチガチにマジメな基本姿勢のカウンターになるエピソード。私にとってはいろいろな意味でタイムリーでした。
今話のまなつたちは清々しいほどに何も考えていません。いや、さすがに何も考えていないなんてことはありませんが、ストーリーを牽引していたのは軒並み全て場当たり的な対応です。
生放送! トラブルそしてトラブル! 台本(←読めない)! やりたい放題! 大惨事!
まなつが台本をブン投げた時点で、楽しい放送になるよう入念に企画を立てていた放送委員の努力は水の泡と消えました。
けれどこれもまた「今、一番大事なことをやる」まなつらしさ。結果的に楽しくなるなら路線変更も厭いません。
人魚の歌は見世物じゃないつもりだったけれど、歌うべきタイミングだと思ったらローラも持論をあっさり撤回します。
「じゃああいつらをさっさとやっつけないとね」
「やることやってトロピカろう!」(第10話)
未来を楽しくするための事前準備がときには必要になります。もしかしたら準備自体はそれほど楽しくなくて、結果が出てはじめて報われることもあるかもしれません。
けれど、それもこれもつまるところは“楽しむため”。
最終的にみんなで楽しく過ごせるのなら、その場その場の判断でせっかく準備してきた計画をバッサリ捨ててしまうのも実は有り。だって、楽しむための準備なんです。ちょっともったいなく思うこともあるでしょうが、もっと楽しめる方法が見つかったならそっちを優先するのが正解です。
未来を楽しくすることも、今を楽しむことも、きっとどちらも等価で大切なことです。
計画、計画、無計画
「『聞いてもらえた』?」
「私たち放送委員の悩みなの。お昼ごはんはみんなお喋りしながら食べるでしょう? だから放送、あまり聞いてもらえないんだ」
「楽しんでもらえるような企画を考えてるんですけど・・・」
気持ちはよくわかります。
ブログも反響を期待して始めると最初のうちはびっくりするくらいアクセス数が伸びませんし、コメントもつきませんし、twitterとかでエゴサしても全然引っかかりませんし。ブログを始めた人の9割が1年以内でやめるといいますが、結局そういうところが大きいんですよね。6時間かけて書いた記事の初週閲覧数20件で平均滞在時間40秒とか、もうね。
収益化しないなら、特にアクセス数なんてどうでもいい数字のように思われがちですが、どういうかたちでもやっぱり反響って確かめたいものなんですよ。なんのかのいっても誰かに読んでもらいたいと思ったからこそ、手間暇かけて自作の文章を書いてネットに公開しているわけですから。一時期はweb拍手なんてものも流行りましたね。
演劇をやっていたときもそうでした。コメディシーンで客席から笑い声が聞こえてこないときは泣きたくなりましたし、クライマックスで張りつめた緊迫感が伝わってこないと不安になりました。舞台ではなく隣席の友人を見ているお客さんを見つけるたび悔しい思いをしました。緞帳が下りたとき拍手してもらえるとほっとしました。書いてくれた感想アンケートをみんなで回し読みするのは打ち上げの最高の肴でした。
その点、校内放送だとモチベーションを保つのはやっぱり大変なんでしょうね。演劇と違ってお客さんの顔が見えないので。ブログと違って公開先が狭いぶん、たまにでもリアクションをくれる人と遭遇する機会はいっそう少ないでしょうし。
たぶん、いうほど聞かれていないってこともないと思うんですけどね。
校内放送って、むしろ冒頭のまなつたちみたいにお喋りの話題としてこそ生きるものですし。普通はお悩みとかリクエストとかいちいち送る気になりません。数件でも投書が届いているならそれはよっぽどの事態。投書する面倒くささを乗り越えてでもどうしても伝えたい熱意があるっていうことです。
だったら、楽しみに聞いてくれている人の数はきっとその100倍はいると思います。根拠は一切ないですが、私の経験上、体感として。
「で、放送で何を話すんだ?」
「私、トロピカってることについていっぱい語りたい! さんごは?」
「え。何話せばいいんだろう?」
「みのりん先輩――」
「出演は無理。でも、裏方なら手伝ってもいい。ラジオ聞くの好きだから興味はある」
「ラジオ番組ってどんなこと話してるの?」
反響が少ないことに苦心する放送委員を尻目に、ウキウキで校内放送出演に立候補したまなつ。いつものようにさっそくみんなと打ち合わせます。この子、こういうかたちで自分のやりたいことに周りを巻きこむのが本当にうまいんですよね。一旦話しあいに参加してしまえばそれはもう他人事ではなく自分事。
もっとも、ここで話しあったことなんて本番ではろくすっぽ活かされないわけですが。そもそも正式に出演決定する前のピンチヒッターでしたしね、今回。
放送委員の子たちに至ってはまなつたち以上にしっかり企画を準備していたことでしょう。あんなゴツい台本を用意しているくらいですから。ジャンボパフェもどうせ放送でネタにすることありきでチャレンジしてきたんでしょ?(※ 無粋)
「――じゃあ、いいですか? マイクに喋った声は全校生徒の耳に届きます。生放送ですから」
「おっけー!」
「生放送・・・」
「ゴクッ」
「大丈夫。台本どおりにやれば・・・」
MCが変更になっても成立するレベルで台本を詰めていた放送委員も相当なものですが、まあ、そこまでやっても予定どおり進まないのが生放送というもので。(※ 演劇なんて1ヶ月も稽古しておいて本番はその場しのぎの連続よ!)
「えーっと。次の曲は・・・、ねえ、これなんて読むの?」
「ひまわり」
「へー! そうなんだ!」
「漢字、ちゃんと勉強したほうがいいぞ」
「ええと。この曲は、えっと、入る・・・じゃなくて、ナントカ雲・・・? うう。――ごめん! 台本が難しいので、喋ります!」
まさかまさか、MC未経験のピンチヒッターが台本をガン無視して進行するクソ度胸の持ち主だったとは。
放送委員の立てた企画も、まなつたちが考えた計画すらも、これで完膚なきまでご破算。出たとこ勝負のアドリブ大会はこうして始まりました。
出たとこ勝負なら任せとけ!
「え、ローラ!?」
「そう。私はローラ。トロピカる部の特別ゲストよ」
Aパートでまなつが例のあの虫を放しに出てしまって「どうしよう。トークのできる人がいない!」からのローラ乱入って流れだったのに、Bパートで普通にまなつが間にあっているところは気にしちゃいけない。
「あなたたちの放送聞かせてもらったわ。はっきり言って全然ダメ。騒がしいだけじゃない。私が見本を見せてあげるわ。こほん――。さんご。お悩み読んで」
「ええっと、『勉強ができません。どうしたらいいですか?』」
「それ、私も知りたい! どうしたらいい?」
「はい、あすか」
「え? ・・・勉強がんばれ!」
「がんばってもできないから相談してるんだよ」
「そ、そうか。悪い」
「はい次」
さすがローラ。安心感が違う。前話、風紀委員室に侵入するどころか移動中からとっくに見つかっていた実績はダテじゃない。意外と戦力にならない!
このトーク、まなつが帰ってきていなかったらいったいどうなっていたことやら。
「ぷはー! トロピカる放送だね!」
「あんな感じで大丈夫?」
「台本とは違うけど、面白かったです」
あらゆる準備をぶっちぎっておいてこの体たらく。
だけど意外とウケています。
もし仮に放送委員が考えた台本どおり進行できていたら・・・とか、まなつたちが考えていたプランが完成していたら・・・とか、そういうのは考えません。考える意味がありません。
どうせまなつをMCに据えた時点で台本なんて使えなかったし!
どうせローラもどっかで勝手に乱入してきただろうし!
それでも面白いからいいじゃんか、と割りきれる林田さんは人間ができていますね。ぜひ見習いたいところ。実際こういうのは楽しんだ者勝ちだと思いますし。
「大丈夫なの? 落第点取ると部活禁止になるけど」
「え、禁止!? ・・・私、テスト勉強やらないとダメじゃん」
「いつになったら勉強やるの? 全然やる気ないでしょ」
「やる気はあるよ。あるある! あるの! あるけど・・・、さっぱりわからないんだよー」
「ひとつ、わかったことがある。テスト勉強はトロピカらない」(第10話)
以前、やるべきだとわかっているのにどうしてもやる気になれなかったことがありました。
そういうことはどうしてもあるでしょう。未来のための準備も「今、一番大事なこと」のひとつではあるけれど、そういうのって必ずしも“今”楽しめることとは限りません。結局そういうときって自分のやる気を引き出すのが難しいもの。
やりたいこととやるべきことは常に一致しているのが理想ですが、がんばるタイミングと楽しむタイミングに時差がある場合だと、本来どんなにやる気が強い人でもなんとなく噛みあわなくなってしまうときがあります。第10話のまなつのように。
あのときは友達に支えられ、やる気を引き出すためのご褒美を提示してもらうことによって、なんとか乗りきることができました。
「なんだと!? 俺は魔女様がこれを食べたがっていると聞いたからつくったんだぞ! なのに後まわし!?」(第10話)
今話はあのときの別解です。
最終的には“楽しい”につながることだとはいえ、未来のために今をがんばるのは難しい・・・。だったら、そこまで未来ばかり重要視しなくてもいいんじゃないか。どうせある程度はままならないことが起きるのが未来というものでもあるんだし。どうせある程度はなんとかなるのも未来だし。
計画どおり進まない、準備していたものがムダになってしまう。それと同じくらい、案外出たとこ勝負でもなんとかなる場合はあるんじゃないか、結局自分が楽しむためにやっていることなんだからもう少し気楽に考えてもいいんじゃないかというお話です。
どんなことがあっても最後に幸せになれた人が勝ち、なんて考えかたが必ずしも正しいと私は思いません。
過去も現在も未来も、たくさん幸せになれたならそれが一番に決まっています。幸せと不幸せの順序なんて関係なく。
だからまあ、未来と今と、両方大事にして、両方がんばりながら両方楽しみながら、今を生きてみたっていいんじゃないですかね。
最近ちょっと、このブログと関係ないところで「大局を見据えて自分を律するべきところはできるかぎり厳しく律するべきだ」みたいな意見に触れて、これにどう答えるのが自分らしいかなとちょっと考えていたんですよね。
割と普段私がこのブログで書いていることってそういうムツカシイ考えかたに近い気もするんですが、いざ他人から同じことを言われると多少違和感を感じてしまうものだなあと。
元の物語からは多少逸脱した感想文になっているかもしれませんが、そんなわけで私にとってちょっとタイムリーな話題でした。
「みんな、悩みはいろいろね。悩んでいるときって気分ダダ下がりよね。そんな気分をあげたいときは――、私の歌を聞きなさい!」
ローラが歌います。
見世物じゃないとかなんとか、いつもの気難しいところをあっさりポイして、ローラ自身が歌うべきだと思ったところで自分から進んで歌いだします。
今、一番大事なことをやろう。
とりあえず歌って締めたらいろんな思いを含意している気になってくるし、なんとなくエモい感じもしてきます。
おトク!
コメント
今日のトロピカル~ジュプリキュアは3話連続敵地ルポ無しで、最終決戦目前も含めて今までなかったので極めて異例なパターンでしたね!!
で、ローラ・アポロドロース・ヒューギヌス・ラメールが自分専用のタイトスカートを穿いてお出ましすると「そのスカート」とプリキュア的に二重の意味で感慨深さがありました!!☆☆♬
前週のトロピカル~ジュプリキュアでも風紀委員長が「そのスカート。校則違反です」とGo!プリンセスプリキュアでは夢を持つキャラクターを絶望のオリに閉じ込めようとする際、「その夢。絶望のオリに」と敵幹部が口にするので女児向けプリキュア的に感慨深かったですね!!☆☆♬
それも2週間連続でなのです!!☆☆♬
さらにプリキュア本編にて2話連続でスカートというボトムスの名前がセリフに出るパターンは、女児向け史上初めてなので感無量です!!☆☆♬
まなつも「私も知りたい。(以下省略)」と声に出したので、キュアベースボールギャンブラーがキュアアイドルギャンブラーに「○○○(キュアベースボールギャンブラーの下の名前=キュアアイドルギャンブラーに対する自称)も気になります。教えて下さい」とプリキュアちゃんねるにて自作小説でアップすると、アイカツ!プラネットでは「私も気になる」とモジったセリフとして続きます
そして今日のトロピカル~ジュプリキュアにてそのまなつが「私も知りたい」と口にしたことで、小学生までの女の子向け作品的に感慨深くなって、さらに今度はプリキュア的にも感慨深くなりました!!☆☆♬
とはいえキュアホワイトソックスはまなつのことテストで赤点を取ってしまってから、自主的な勉強する気にはどうもなれないところから嫌いになって、昼休みの放送にてドデカい声を出すのでますます彼女のことが嫌いになりましたね!!
それでもスポーツに関する部活であれば自分のやりたいことがいろいろとありすぎてたった1つに絞り込めないという、キュアホワイトソックスが小6から中2の時に中学校の歴史を中心とした社会の先生になるとハラを決める前日までと同じように、自分自身の将来の夢はいろいろとありすぎてたった1つに絞り込めないというある意味、キュアホワイトソックスの妹分プリキュアでした!!
あとみのりちゃんに関しても、学年1位の好成績でその中にて1番は国語が得意というけど運動神経は全然ない。こちらもキュアホワイトソックスの妹分プリキュアですね
最近では性別にかかわらずスラックスもスカートも本人の意志で自由に選択できる学校が増えてきたようですね。でもまあ、男子がスカートを履くのは世間のジェンダー意識的にまだちょっと難しいかもですが。
そもそもスカートってスラックスに比べてファッション的な意味合いがより色濃い衣服ですしね。機能性だけ考えるならプリーツとか別に要らないわけで。女性が着る前提でファッション性を高めている以上、どうやったってそのファッション性には女性らしさがつきまとうわけで。男子が積極的にスカートを選ぶ合理的理由ってなかなか無いんですよね。
となると、生物学的性別が男性のトランスジェンダーですらなかなかスカートは選びにくい。制服のスカートを履くことは、それすなわち自分から積極的に性的アピールをしているという意味に捉えられかねません。世間の潮流がノンセクシャルな方向に進んでいるのでなおさらそうなっちゃいますよね。難しい。
いっそ人間もローラみたいにスラックスを履けない理由があったら楽なのかもですが。(暴論&問題発言)