私の歌じゃない。私たちの歌よ。
雪のプリンセスと奇跡の指輪!
活躍したひと
ローラ
基本、自分大好きな目立ちたがり人魚。だから自分のために何かしてくれる人のこともみんな大好き。そんなわけで自分第一主義な割に意外と人懐こいし献身的。もちろんスノーハートクルリングをくれたシャロンのことも好きになり、敵対しながら味方でもあるというややこしい立場を守りきった。
シャロン
雪の国シャンティアの次期女王。人口0の滅びた王国を笑顔あふれる国にするため、戴冠式を口実にたくさんの技芸者を呼び集め、そのまま自国民として閉じこめてしまう計画だった。人格は支離滅裂だったが人柄のよさは本物で、祖国に帰さないつもりだったはずのローラの、祖国で幸せになれることを心から祈っていた。
トロピカってたもの
シャンティア
どこかの別世界にある雪国。寒いには寒いが、しっかり着込んでしまえばあたり一面遊び道具が散らばっているも同然の広大な遊び場になる。雪合戦でも雪だるまでもスキー・スノボでも何でもござれ。雪を食べるのだけは推奨されないが、希望すればちゃんとしたかきごおりが食べ放題。本当は1万3000年前に滅びている。
友達
いつも一緒にいてくれる人。ときには誰かとケンカして思いがけず寂しい思いをする日もあるけれど、そんなときでも傍にいて楽しいことを共有してくれるありがたい存在。とはいえ友達だからって絶対ケンカしないわけでもないのだけれど。そんなときでもきっと、友達は友達のまま。
スノーハートクルリング
ローラとシャロンの友情の証。相手の幸せを祈って贈るアイテムとされており、そのくせ贈られた側が相手の幸せを心から祈ったときに初めて奇跡の力を発現する。つまり双方ともが真に思いあっていなければこのアイテムは意味をなさない。
うまくいかなかったこと
ローラとえりかがたびたびケンカしてしまい、お互い居心地の悪い思いをした。
戴冠式に招待した人たちがそろそろ帰ると言いだし、最初から支離滅裂だったシャロンの計画がはっきりと破綻してしまった。
やりきれたワケ
ローラにもえりかにも身近に友達がいてくれたおかげで孤独にならず、前向きな思いを抱きつづけることができた。お互いちゃんと謝ることができた。
シャンティアへの妄執以外の全てを失っていたシャロンのため、彼女から教わったシャンティアの歌をローラが歌い継ぐと約束した。これによりシャロンが今ここに蘇った奇跡が悲しいことではなかったことが決定され、幸せの国シャンティアは人々の心のなかに永遠にありつづけることとなった。
シャロンのキャラクター考察
↓物語考察用キャラクターシートの解説はこちらの記事で↓
1=A+C【誰の役に立ちたいか】滅びた国とその国民
2=B+D【誰に支えられているか】幸せだった日々への妄執
3=B+C【嬉しかった想い出】家族や国民の笑顔に囲まれて育った
4=A+D【傷ついた出来事】大好きだったもの全てを失いひとり生き残ったこと
A=1+4【がんばっていること】笑顔あふれる国をつくること
B=2+3【任せてほしいこと】(任せてくれる人は誰もいない)
C=1+3【よく気がつくこと】何かを心から大切にしている思いの強さ
D=2+4【恥ずかしいこと】孤独でいること
α=1+2+3+4【守りたいもの】自分が幸せだったころの想い出
β=A+B+C+D【変わるべきこと】思いを共有してくれる誰かの協力を得ること
γ=α+β+1+A【あるべき理想】シャンティアを自分以外にも愛してもらえるようになりたい
総じて、『トロピカル~ジュ!プリキュア』の文脈で『ハートキャッチプリキュア!』デューン戦を再演したような作品だと思いました。無限シルエットも出てくるし。(※ 正確にはプリキュア・ハートキャッチ・オーケストラと見るべきかもですが、最後殴らず救ったので実質無限シルエットのこぶしパンチ(暴論))
物語としてはとてもシンプル。プリキュア恒例、敵になってしまった子を救うためにぶん殴るやつ。ゲストキャラクターもシャロンひとりに抑えられ、徹底してコンパクトに収められた映画でした。
今回ついに前説が無くなったので「今年はどんだけ詰めこんだんだ!?」と身構えていましたが、オープニングは普通に流すわ、変身バンクもプリキュアひとりひとり個別バージョンのものを流すわという贅沢な尺の使いかた。ちょっと意外でしたね。前説が無くなったのは今回ミラクルライトが廃止されたからでした。コロナ禍じゃあ、まあね。しかたないよね。事前情報確認せずうっかり例年同様最後列に陣取っちゃったわけだけども。
ただ、シャロンのキャラクターは割に複雑な造形でしたね。
『トロピカル~ジュ!プリキュア』の一番大きなテーマは「今、一番大事なことをやろう!」で、『ハートキャッチプリキュア!』の主要テーマは「Change」。その両方に相反する立場となるとああいうふうになるのは納得ですが、そんな子を救うとなるとまあほろ苦い。登場直後から延々過去形でばかり国のことを話すあの儚さときたら!
それでいて、視聴者視点だとなんだか妙に絶対悪っぽい印象になるんですよ。だって同情することはできても更正の余地がなさそうなんだもん。救済するための取っかかりが見当たらないんだもん。過去に全部失ってしまった子なんだもん。いわゆる“無敵の人”状態。
「この子をどうやって救うの?」という問いかけだけならどうにでもなるんでしょうが、「この子を救う価値はあるの?」も被せられるとちょっと困ってしまいます。だってプリキュアは自分たちの日常を守るヒーロー。誰でも彼でも救う機械仕掛けの正義じゃないから。
そこのところ、ローラはがんばりましたね。ううん。そのあたりの理屈立てはむしろまなつがうまくフォローしてくれていました。そうでした。『トロピカル~ジュ!プリキュア』は“今、一番大事なことをやる”物語。「この子を救う価値はあるの?」だなんて命題に対する答えは最初から決まっているんでしたね。つくづく論点の整理が上手な子です。
「今、一番大事なことをやろう!」
そう言えるのは、今、その人の目の前に大事なものがあるからです。
だけどもしそれがことごとく失われたら?
もはや叶うことのない夢だとしたら?
やる気の物語を根底から覆しうる果てない絶望に対峙して、それでもローラは、まなつたちは、それからつぼみたちは、“今、一番大事なことをやる”意義を力強く歌いあげてくれました。
stand by you
今作の中心になるのはシャロンをいかに救うかの物語だったわけですが、その前にもうひとつ、ローラとえりかのケンカが大きく取り上げられます。
もちろんこれは1本の映画内でのできごとなわけですから、当然ふたつの事件は物語上意味のある繋がりを持っています。
Q5.希望ヶ花市に引っ越してきた当初、つぼみが心に誓っていたことは何だったでしょうか?
「私、花咲つぼみ。お父さんとお母さんがお婆ちゃんの住む希望ヶ花市でフラワーショップを開くことになり引っ越してきたんです。性格は恥ずかしがり屋で引っ込み思案。でも、転校を機にこんな性格を変えようと思ってます。ていうか、変えてみせます!」(『ハートキャッチプリキュア!』第1話)
『ハートキャッチプリキュア!』は自分を変えたいと望む子たちの物語でした。
その物語の果てに彼女たちが大きく変わったかといえばそんなことはありません。ただ、全く変わっていないかというとそれもまた違います。
彼女たちは変わりました。今の自分も好き。これから変わっていける自分も好き。そんな揺るがない自己愛を手に入れるかたちで。
Q6.えりかにとってつぼみはどういう友達だったでしょうか?
「私たちは最悪なんかじゃない。最高のコンビなのよ! 私はブロッサムが好き! 頭が良くていろんなところに気がつけるなんてステキだよ! きっと私たちはお互いの力が必要なんだよ!」(『ハートキャッチプリキュア!』第4話)
そしてつぼみとえりかの出会いは、彼女たちが自己愛を手に入れるための最初のきっかけでした。彼女たちは何もかも正反対で、自分にできないことを相手ならうまくできるなんてことが日常茶飯事でした。
昔のえりかは、なんというか、危うい子でした。
とにかくウザったく、他人との距離感がおかしい子でした。視聴者目線だとすごくかわいいけれど、実際に自分が巻き込まれる立場のつぼみやクラスメイトたちからすると迷惑千万でした。
どうしてこんな子になってしまったのかと思えば、実は内面はコンプレックスだらけ。モデルとして成功しているお姉さんと自分をいつも見比べていて、すぐスネて、ちょっとしたことでイジけて、気持ちはいつも焦ってばかりで。だから自分をアピールできそうな機会を見つけると無我夢中に出しゃばって、後になってから周りが迷惑そうにしていたことに気付いてしまう。そしてまた傷つく。
「ちゃんと言ってくれないとわかんないよ」とえりかはよく言います。はっきりした意思表明を求めるのは彼女の美徳でもありますが、他の人より少しだけ察するのが苦手だという意味でもあります。
えりかとは対照的に、つぼみはそういうところがすごく上手な子でした。つぼみがいるだけで、えりかが居心地悪く感じていた世界は不思議とうまく回っていくようになりました。えりかには、だから、つぼみが大切な友達になっていくのでした。
「私はね、つぼみやみんなのおかげで自分にもいいところがあるってわかったの。だから今はモデルのもも姉がうらやましいんじゃなくて、もも姉みたいなステキな人になりたいの」
「じゃあなぜ影の私がいる?」
「しょうがないじゃん。マイナスなことを言う影の私も、私なんだもん。・・・でもさ。あんたのこと嫌いじゃないよ。私、自分のこと全部大好きだから」(『ハートキャッチプリキュア!』第37話)
今回、えりかはローラとケンカしてしまいます。
ローラのことが嫌いだったからではありません。むしろ善意をもって接したつもりでした。それなのにどうにも気持ちが噛みあわず、不本意ながらギスギスした関係をつくってしまいました。まるで昔のえりかからちっとも成長できていないみたいに。
けれど、今のえりかはその失敗で自分を嫌いになることはありません。スネたりイジけたりはもうしません。
だって、今のえりかにはつぼみがいてくれるんですから。つぼみが友達として傍にいるかぎり、そんなに悪いように悪いように進んでしまうことはないと信頼できています。悪いようにならないのなら、きっとえりかの力ででも挽回できる。ちゃんと謝って、仲直りできる機会は来る。そう信じられるんです。
えりかはつぼみと出会って、そういうふうに変わることができました。
Q1.「トロピカってる」とはどういう意味だったでしょうか?
「『トロピカるぞー!』っていうのはね、常夏の太陽みたいにキラキラ眩しい幸せな気持ちが、胸の奥からこう、ぶわーっ!って湧きあがってくるような感じ!」(第1話)
まさに、そう。「トロピカってる」。
えりかのつぼみに対する信頼はとてもトロピカっていて、いつでも前向きでいるためのエネルギー源になっています。
『ハートキャッチプリキュア!』が変わる女の子たちの物語なら、『トロピカル~ジュ!プリキュア』はやる気を求める女の子たちの物語です。
Q2.ローラにとってまなつはどういう友達だったでしょうか?
「プリキュアは負けないわ! まなつのやる気は最強なんだから!!」(第10話)
友達といっても、ローラにとってのまなつは、えりかにとってのつぼみとは立ち位置が少し異なります。
最初は自分が女王になるためいいように利用してやるつもりでした。けれどまなつという子は良くも悪くもローラの想像の埒外にいる女の子で、いつも驚かされっぱなし。行動力と活力の塊のような子でした。
“やる気が強い”という意味では、ローラはまなつと似たようなタイプの子です。おそらくまなつと張りあえるくらい常にやる気をみなぎらせているのはローラくらいのものでしょう。
けれど、ローラはまなつと出会うまで、こんなにも共感できる、そして尊敬できる同年代の子が自分以外にいるなんて思ってもいませんでした。自分よりすごい人なんてグランオーシャンの女王様くらいしか知りませんでした。
「ねえ。女王様は私に何をさせたかったの? 私、女王様の言うとおりプリキュアを見つけた。次はどうすればいい?」
「あなたは、どうしたいのです?」
「私は・・・」
「あなたは私の言いつけどおり、人間の世界に行って、プリキュアを見つけました。自分ができることを精一杯やりました。だから。――だからもう、人間の世界に戻らなくても構いませんよ。女王候補として立派に役目を果たしたんですから」
「・・・よかった。ありがとう、女王様」(第17話)
いつしかローラはまなつに惹かれ、まなつに憧れ、もっとまなつたちと一緒にいたいと強く願うようになり、ついに人間世界を自由に歩くための両足を手に入れるに至りました。ただ、自分がそうしたいと思ったから。
ローラとまなつは似た者同士ではありますが、それでも、ローラはまなつと出会って変わったんです。
えりかは自分と対照的なつぼみと友達になり、ローラは自分と似た者同士のまなつと友達になりました。
えりかはつぼみの繊細な心配りを頼りにし、ローラはまなつの無限のやる気を頼っています。
けれどつまるところ、どちらも友達のおかげで変わることができ、そして、友達がいることで心に暖かな勇気を抱く――、トロピカることができるんです。
ケンカをしてしまいました。
お互い相手に思うように自分の気持ちを伝えられず、居心地の悪い思いをしています。コミュニケーション大失敗。
けれどふたりは前向きです。ただ一度の失敗がすなわち自分への信頼を損なうことにはなりません。
だって、今の自分があるのは、今ここにいてくれる友達との出会いがあったからなんです。友達のことを信じた分だけ、自分のことまで信じられる。どんなときでも傍にいてくれる友達との絆がその証明。
「この指輪は、相手の幸せを願って贈るものなの」
黄泉がえり
シャロン。
英語圏、フランス語圏で広く使われている女性名。アルファベットで綴ると「Sharon」もしくは「Charon」になります。歴史を辿るとどうやらルーツは2つ。ひとつはヘブライ語で“森”を表す言葉。もうひとつは、ギリシャ神話における賽の川原の渡し守・カロン(Charon)。
Q4.過去、現在、未来。まなつたちが一番大切にしているものはどれでしょうか?
「そっか。わかった! 私たちの部活、何をやるかが。――今、一番大事なことをやる部だよ!」(第6話)
「あやふやなんかじゃありません! 一度しかない今を楽しむ部活です。卒業生の先輩たちがペンちゃんのなかに宝物を入れたみたいに、ステキなことをいっぱい考えて、学校のみんなも一緒に楽しめたらいいなって」(第6話)
まなつたちが大切にしているのは、今さら改めて確認するまでもなく、現在です。
過去や未来をないがしろにしているわけではありません。過去があるから今何を大切にするべきかわかるし、未来があるから今何をがんばればいいのかわかるんです。
過去と現在と未来は連続しています。むしろ、現在を大切にしているということはすなわち、過去も、未来も、自分の人生におけるあらゆる瞬間全てを大切にしていることに他なりません。
だとすれば、過去も未来も奪われてしまった子はどうすればいい?
シャロンは1万3000年前の彗星の衝突で滅びた古代王国の生き残りなんだそうです。正確には生き残りですらなく、一度滅びたはずの肉体を彗星の不思議パワーが偶然に蘇らせた亡霊。災いの星のパワーが失われるとシャロンも消滅するという時限付きの奇跡。
父王、母妃は死にました。大好きだった国民たちもみんな死にました。
さあ、何をしましょう?
生前は笑顔あふれる自分の国を立派に引き継いでいきたいと考えていました。けれど国は失われ、きっと喜んでくれるだろう人たちもみんな失われていました。
さあ、何をしましょう?
「今、一番大事なことをやろう!」
そう言うのは簡単だけれど、シャロンは肝心の大事なことをもはや持たないんです。
人間の精神性というものは過去・現在・未来によって醸成されます。過去に経験した“嬉しかったこと”“悲しかったこと”を元に好嫌善悪の指向性が決定され、さらにどんな未来に憧れるかによって今努力すべき目標が設定されます。
シャロンには愛する人たちがいました。その人たちのためだからこそいくらでも努力できたはずの大きな夢がありました。今はもうどちらも遠い時間の彼方に失われてしまったけれど。
何のために生まれて、何をして生きるのか。昔は答えられていたはずなのに、今となっては何もない。
さあ、何をしましょうか?
欠損だらけの心でシャロンがどうにか絞り出した行動原理は、妄執。
「私も、笑顔あふれる王国をつくりたい。――今度こそ」
それで喜んでくれる人たちはもういません。
たとえ実現させたくとも王国自体がそもそも滅びています。
そんな願いに執着する意味なんて絶無です。
だけど、もう、それしかない。
Q7.ダークプリキュアはどうして生まれ、そしてどのように消えていったでしょうか?
「ゆり。すまない。私はお前を苦しめるためにダークプリキュアをつくってしまった。キュアムーンライトを倒すためだけに存在する、心のない人形。もういいんだ、ダークプリキュア。・・・もう、いいんだ。――私は娘同士を戦わせてしまった。ダークプリキュア。お前は私の娘だ」(『ハートキャッチプリキュア!』第48話)
かつて、シャロンの他にも何も持たず生まれてきた少女がいました。
ただひとりのプリキュアを倒すためだけに生みだされた哀れな人形。彼女は誰かに愛される必要などなく、彼女を誰かが愛する道理もありませんでした。唯一今果たすべき使命だけを生きる目的とし、なぜ使命を果たさなければいけないのか、使命を果たした先で自分がどうなるのかを考えることもありませんでした。彼女は、そもそも自分はそういう存在なのだと運命を受け入れていました。
けれど彼女が生まれてきた意味は、後天的に、生みの親によって与えられました。
ひとりの娘として、愛されるべき存在として、愛することができる存在として、彼女はその人生の終わりに、自身の存在意義を再定義してもらえたのでした。
シャロンは全てを失っています。
その意味ではとても怖い存在です。
「この子をどうやって救うの?」というだけなら辛うじて答えを出せなくもありません。ただ、「この子を救う価値はあるの?」という問いを重ねると、これはとたんに難しい問題になります。
手を差しのべる人がいなければ、どんなにかわいそうな子であっても救われることがないからです。そして、手を差しのべるべき価値が見つからなければ、今度は救う側が無機質な正義の奴隷になってしまうからです。
ダークプリキュアは開発者が父親として当然に抱くべき愛を思い出したことによって救済されることになりました。けれど、シャロンにはそういった関係にある人物すらいません。彼女は窮極にひとりぼっちです。
とても、怖い存在です。
「あのとき約束したの。『一緒にステキな女王になろう』って」
けれど、それならプリキュアにシャロンは救えないのかというと、それは違う。
一番大事なこと
Q3.ローラはどうしてグランオーシャンの次期女王になりたがっているのでしょうか?
「・・・ハッ! いい気になってる場合じゃないでしょ、ローラ! 私の目的は任務を果たして女王様に認められ、次の女王になることよ! そう。人間の子なんて私が女王になるための捨て駒!」(第1話)
ここに、大いなる野望を抱いたトンチキ人魚がいました。
たくさんの国民に囲まれ、たくさんの国民に愛されている今の女王様に憧れ――。要するに、ただ誰よりもたくさんチヤホヤされたかったがためだけに次期女王候補として名乗りを上げた、自尊心旺盛目立ちたがりガールでした。
彼女がシャロンと親交を結んだのはきっと必然ではなく偶然。
だって、あまりにも性格が正反対です。シャロンが女王になりたいのは国と国民のために持てる力を尽くしたいからで、ローラが女王になりたいのは自分がチヤホヤされたいから。偶然お喋りする機会があり、偶然次期女王候補という共通点を語りあえて友達になることができましたが、本当は性根も、女王という立場に対する考えかたも、まるで違っていました。
さすがに「ローラちゃんかわいい!」「ローラちゃんエラい!」が欲しいだけじゃ女王は務まらないでしょうが、ローラという子はそんなつまらないことは考えていませんし、たぶん女王になったらなったで立派にこなしてしまえることでしょう。タチが悪いことにそういう実力は実際持っています。
とにかく、自分かわいさこそがローラという子のアイデンティティのほとんど全て。
そう。本当にそれだけの子です。
だから、シャロンが本性を明らかにしたとき、ローラに彼女の気持ちは理解できませんでした。
説得の機会を得てなお、ローラの言葉はシャロンを心変わりさせるには足りませんでした。
だって、ローラが憧れている女王様なら、シャロンみたいなことはきっとしません。あの人はローラに自律的に生きることを求めていました。誰かに言われてわけもわからず従うのではなく、自分なりの目的意識を持って、自分のために行動なさいと。
死んでいった人たちに義理立てしているのならまだわからないでもありません。けれどシャロンに「あなたが尊敬するお父さんやお母さんがこれで喜ぶと思う?」と伝えてみても、その言葉が響いた様子はありませんでした。彼女自身、とっくに承知のうえの様子でした。
それでいて、どうにも自分が得するためにみんなに迷惑をかけているようにも見えないのです。「笑顔あふれる王国をつくりたい。それが私の願い」 あれは真摯な言葉だったように思えました。なのにこんな、誰も笑顔になれない、ただただ不幸だけを積み上げていくような暴挙は支離滅裂でした。
ローラにシャロンの気持ちはわかりません。わかりっこありません。
ローラの基本的な行動原理は、まなつに教わり、女王様の追認を受けた、「今、一番大事なことをやろう!」です。
こんな誰にとっても無益でしかないことをあえてやる理由なんか、ローラには想像も及びません。
「ラメールの今一番大事なことは?」
だけど、そんなローラだからこそ、シャロンのためにできることがある。
Q8.つぼみたちはデューンに対し、どうして愛の力で戦ったのでしょうか?
「――でも、私はあいつが憎いのよ。あいつのせいで私はコロンやお父さんを失ってしまった。憎しみが力になるのなら、私はそれでも構わないわ!」
「情けないこと言わないでください! お願いです。憎しみのまま戦えばきっと負けてしまいます。悲しみや憎しみは誰かが歯を食いしばって断ち切らなきゃダメなんです。・・・私たちががんばってプリキュアしてきたのは何のためなんですか? コロンやお父さんがゆりさんに託したものは何なんですか? ――月影ゆり!! 私が憧れたキュアムーンライト!! あなたが何をしたいのか。何をするべきなのか。そして何のために戦うのか。自分で考えてください!」
「・・・私たちは憎しみではなく、愛で戦いましょう」(『ハートキャッチプリキュア!』第48話)
憎しみや悲しみはそのままでは次々連鎖してしまうもので、終わらせるためには誰かの番になったとき、その人の意志で断ち切るしかありませんでした。もちろん簡単なことではありません。誰だって憎むこと悲しむことをひとりで耐えるなんてしたくないものです。憎しみに染まってしまう人のことを、私たちは無責任に批難することはできないでしょう。
けれど。
放っておけない気持ちはあります。その人が不幸に堕ちていくのを黙って見ていられない思いがあります。きっと誰にだってあります。近しい人にも。そうじゃない人にも。
あのときつぼみたちは、だから、愛で戦いました。当事者が耐えることでしか断ち切れない憎しみや悲しみの連鎖を、それでも外側から終わらせるために。
簡単なこと。つぼみたちは自分たちも他人事ではないという思いを抱いて戦ったんです。ゆりや、他のたくさんの不幸な人たちのことを大好きだという、放っておきたくないという、自分なりの立場から手を差しのべて。愛で心を繋ぎあって。
「憎しみは自分を傷つけるだけ。――食らえ、この愛」(『ハートキャッチプリキュア!』第49話)
ローラという子は、きっと愛で憎しみの連鎖に介入したつぼみたち以上に、自分の気持ち最優先の女の子です。
今、一番大事なことをやろう。
たとえシャロンの気持ちが理解できなくたって、それでもローラにできることはあるはずです。
「シャロンがくれたこの指輪にかけて、凍りついた王国を救う!」
ここはしあわせのくに
Q9.雪国というのは楽しいところでしょうか? それとも恐ろしいところでしょうか?
「氷点下の友達。雪原に響く笑い声。“ウキウキ”が、“わくわく”が、キラキラの結晶に変わるよ! 『大好き』をこの一球に込めて」(挿入歌『大好きのSnowball』)
楽しいに決まっているじゃないですか! だって、ここはシャロンがみんなをこの国に繋ぎとめようと必死の思いで用意してくれたテーマパークなんです。
まなつたちも全力で楽しみました。招待されたみんなもちろん笑顔でした。全部が全部楽しいできごとばかりではなかったかもしれませんが、この楽しい時間をつくってくれたのは間違いなくシャロンです。
シャンティアがステキな場所だったから、ローラはシャロンのことも好きになりました。
Q10.誰かとケンカしてしまったとき、どんな人が傍にいてくれると嬉しいでしょうか?
「『大切』と触れあう心に日だまりのような希望が灯る。奏でましょう、風に乗せて。ぬくもりに羽ばたく喜びの歌」(挿入歌『シャンティア~しあわせのくに~』)
友達がいてくれる。たったそれだけで救われる思いがありました。
孤独なシャロンは自ら破滅への道を突き進んでいきましたが、幸いにして彼女はローラと出会いました。
ローラにシャロンの気持ちがわかるわけではありません。ローラの言葉がシャロンに通じるわけでもありません。だけど、それでも、ローラはシャロンをひとりぼっちにしようとは思いませんでした。
シャロンは誰も幸せにならない妄執に取り憑かれています。
彼女が愛したシャンティアはすでに滅んでいます。
シャロンがこれからどんな努力をしようと、どれだけ努力を積み重ねようと、全て無意味に終わる未来がすでに確定しています。
でも、そんなのローラには関係ありません。
ローラがシャロンに対して抱く友情には、そんなつまらない事情なんて少しも関係ありません。
「シャロン! 凍りついたあなたの心、私たちが溶かす!」
そんなのシャロンは頼んでいません。勝手なおせっかいです。
えりかとつぼみみたいな関係性があるように。ローラとまなつみたいな関係性があるように。一言に“友達”といってもその関わりあいかたは千差万別。ただ、共通して言えるのは、友達という存在はどんなときでも彼女たちをひとりにはしませんでした。
「私にはあの子がいてくれる」 そう信じられることが心に安らぎをくれました。
シャロン。1万3000年前に滅んだ古代王国の唯一の生き残り。
大好きだった国も国民ももうこの世界には存在せず、大好きだった笑顔ももう二度と見ることができず、たったひとり突然遠い時間のかなたに放り出されました。そのどうしようもないさびしさ、やるせなさが、彼女の心を狂わせました。
でも、そんなのローラには関係ありません。
シャロンがどんなに壮絶な事情を抱えていたとしても、それでローラがシャロンのことを諦めるべき理由にはなりえませんでした。
シャロンにだって、そんなローラの気持ちは関係ないことなのかもしれません。
シャロンからすればローラは自分を妨害しようとする敵のひとりかもしれません。
それでも、そんなのローラには関係ないんです。
何があったって、もしかしたら敵だと思われているかもしれなくたって、傷つけられたって、それでも、ローラはシャロンをひとりぼっちにはさせませんでした。
Q11.シャンティアは幸せの国です。どうしてでしょうか?
「私は誓います。国のため、国民のため、力を尽くすことを」
シャロンがそう願ったからです。現実がどうあれ。
そして、プリキュアたちも同じことを願ったからです。辛い戦いもいっぱいしたけれど。
見る人によってはこれのどこが幸せの国なんだと思うかもしれません。
シャロン自身、自分のしていることが幸せをつくることには繋がらないとわかっていたフシがあります。
けれど、ローラは「ここはしあわせのくに」と歌いあげました。
だって――。
Q12.シャンティアは幸せの国です。誰にとってでしょうか?
「私、この国が大好きだよ。シャロン。私、あなたに笑ってほしい。この国が笑顔であふれるように」
だって、シャンティアは実際楽しいところだったからです。ローラにとって。
そしてまなつにとっても。さんごにとって。みのりにとって。あすかにとって。えりかに、つぼみに、いつきに、ゆりに、くるるんに、シプレに、コフレに、ポプリに、シャロンに招待してもらえた全ての人たちにとって、みんなにとって、間違いなくここは幸せの国だったからです。
シャンティアでの雪遊びはとても楽しいものでした。シャロンが精霊ホワンを通じて丁寧にもてなしてくれたのもあって、楽しい想い出がいっぱいできました。戴冠式もステキでした。世界中からすごい芸人たちが一堂に集まって、多種多様な芸を見せあうことができました。それから、新しい友達もできました。
この国ではみんなが幸せを感じながら滞在していました。
「笑ってほしい? どうやって? お父さまもお母さまも全員亡くしたのよ?」
それを、今ここにあるありのままの現実の姿を、どうかシャロンにも見てほしい。
どうかシャロンにとってもシャンティアが幸せの国であっていてほしい。
ローラにとって、それが今、一番大事なこと。
「綿雪を纏う天使が着替えた花ドレス。ほころんだみんなの笑顔輝く。ここはしあわせのくに」(挿入歌『シャンティア~しあわせのくに~』)
シャンティアに咲く可憐な花、スノードロップの花言葉は「希望」です。
かつて、人類の始祖・アダムとイブが禁忌を犯してエデンの園を追放されました。堕とされた地上はちょうど冬の季節で、楽園での暮らししか知らなかったふたりにとってなおさらに厳しい環境でした。
我が身の不遇を嘆き悲しむイブ。そんな彼女を憐れみ、ひとりの天使が、ほんの少しだけの祝福を与えます。「もうすぐ春が来ます。だから絶望しないでください」 そう言い添えて。
天使のくれた祝福は空から舞い降りる雪をスノードロップの花弁へと変え、やがて彼の言ったとおりに春のぬくもりが訪れました。以後、アダムとイブは健やかに地上を愛で満たしたのでした。
だからスノードロップの花言葉は「希望」。絶望をはね返すほどの輝かしい希望。
過去と現在と未来は連続しています。
なのにシャロンが愛していたお父さんお母さん、大好きだった国民たちはことごとく死に絶え、王族として国を守っていく意味まで失われました。
過去と未来の両方を同時に失ったシャロンは、だから現在からも目を背け、叶いっこない妄執に囚われるようになってしまいました。
今、ローラが彼女のため新たに過去を描きます。
「楽しかったよ」と。「あなたのおかげで皆が笑顔だったんだよ」と。
今、ローラが彼女のため新たに未来を描きます。
「歌いつづけるよ」と。「あなたがここにいてくれた奇跡、みんなで永遠に語り継いでいくよ」と。
かつてサバーク博士が父親としてダークプリキュアを救ってみせたのと同じことを、シャロンの友達であるローラが再現してみせます。
ここはしあわせのくに。私がそう歌うんだから、そうなんだ。
誰が否定しても、あるいはシャロン本人が否定したって、ローラという子はこういうとき自分らしさを曲げないでしょう。そういう我の強さ、自己愛、誇り高さを、この子は持っています。
敬愛する女王様もそうあれと言ってくれました。友達のまなつももちろん同じ思いです。
ローラがここにいるかぎり、シャロンの過去と未来は、そして現在は、けっして失われません。
「芽吹く春。真夏の太陽。秋から冬の星。笑いあい過ごせる日々が“特別”。とても幸せな――、ここはしあわせのくに」(挿入歌『シャンティア~しあわせのくに~』)
結局のところ、シャロンが本当に守りたかったものは、自分が幸せだったころのシャンティアの想い出だったといえるでしょう。それは成し遂げられました。ローラが歌い継いでくれることによって。
これはシャロンひとりでは絶対に成せなかったことです。ひとりで国ひとつつくりあげるなんて誰から見ても無謀なのは明らか。だけど、もし誰かと協力できたなら。たとえば人々の間で歌い継がれるなどといった方法でなら、不可能は可能になりえました。
シャロンに本当に必要だったことは、つまり、孤独から抜け出すことだったんです。シャンティアを自分以外にもたくさんの人に愛してもらうこと。思えば彼女が最初に願ったことこそが、そして現世に蘇った彼女がまず最初にしたことこそが、彼女に希望をもたらす最重要のカギだったのでした。
とても幸せな――、ここはしあわせのくに。
シャロンが楽しませ、ローラが歌い継いだシャンティアは、ふたり絆を繋いだからこそ、今、誰にとっても幸せの国たりえるのでした。
コメント
映画観ました!
あの筋書き、なるほどフレッシュプリキュアでは少々手に余りますね……こころの花の要素もトロプリとの親和性高いですし(それはそれとして、いつかフレプリにもコラボの機会が来てほしい)
戴冠式に『幸せな国を作る人を呼ぶ』という点で引っかかりましたが、なんとなくまんまと流されてしまいました。
次にポプリとくるるんが鉢合わせたところで「ネガティブなこと考える人を牢に次々閉じ込めたんだな!」「国王夫妻も娘に親として不安を感じてて、それで閉じ込められたのか!」と見事に明後日の方向な妄想を数分間で繰り広げましたw
多分、地下牢はミスリード要員ですかね。しれっと移動するくるるんが可愛かったです。
そういえばテレビ本編の魔女様たちも何か悲しい事情がありそうですが、シャロン様が今回救われたようにいつか幸あらんことを。
私的に『フレッシュプリキュア!』は商店街の人たちあってこそなところがあるので、出演するなら舞台は四つ葉町であってほしいです。(たぶんない)
そこまでいかなくても見守ってくれる支援者がいるタイプの脚本ならきっと映えるでしょうね。あの子たちももしシャロンと知り合ったら救おうとする子たちでしょうが、今回の映画みたいな個人間の心の触れあいよりも自分が帰属するコミュニティに迎え入れるってニュアンスが強いですし。
それにしてもあの特に意味のない地下シーンね!
振りかえって考えてみても本当に意味がないシーンなんですけど、くるるんのおかげで間が保ってたというか。くるるんじゃないと許されないというか。むしろくるるんがいるならああいうシーンがあって然るべしというか。あのシーンが存在すること自体がくるるんの本質を克明に描いているというか。くるるんいいよねっていうか。
地下牢脱出シーン含め、実にくるるんワールドでしたね。
映画版、初日に映画館で観てきました。
序盤に白い蒸気機関車が2両の客車を牽引して雪の国に行く場面ですが、何と申しましょうか、旧満州の荒野を行く特急「あじあ」を思い出しました。
当時日本国鉄の蒸気機関車がおしなべて黒だった(ばい煙の汚れを目立たせないため)のに、こちらの機関車や灰色や緑色に塗られ、客車も、濃いが緑色。
しかしこちらの機関車は、白、客車も、白。
単線の線路をひたすら雪の国に向けて進む機関車は、まさにあの「あじあ」を牽引した「パシナ」型蒸気機関車を見るようでした。
客車の車内は、1930年代当時の3等車そのものの設備。後ろの客車は、当時の国鉄の展望車をみるような車両でした。~ちなみにあじあ号の展望車は、ドーム型であのような外に出られるデッキはありませんでした。
それにしても、雪の国へと進む列車、そして、到着したその駅の雰囲気というのがまさに、満州国の新京(当時)かハルビンを思い起こさせる雰囲気にあふれていました。
~当時もちろん生まれていませんし、両親とも戦後生まれ、戦争を知らない子どもたちの子どもの第一世代ですけど、鉄道がらみに限らず多数の書籍に多く触れてきておりますので、そのあたりは、なぜか、肌身レベルでわかるような感じになってしまっている自分に、びっくりです(苦笑)。
そういうベースがあって、あののちの物語につながっているのかと思うと、確かに、シャンティアの国と満州国に相通じる点を感じないわけにはいかなくなりました。
どちらも、今はもう「ない」国なのですから・・・。
それともう一つ、ローラとシャロンのやり取り、プリキュアを観ている子どもたちにとってはものすごくいい教材となる事例でしたね。
外交儀礼とか、世界史上の国同士、特に、ヨーロッパ各国の王室・帝室の人間関係は、このような形で行われてきた、ということ。
さすがローラということで、プリキュア御意見番としては、あっぱれ!ですな。
現実の蒸気機関車が黒かった理由は考えたこともなかったですが、なるほど、純白の蒸気機関車ってだけで見るからにファンタジーな雰囲気が出ていましたよね。
シャンティアの風景もすごく不思議で、いびつで、非現実的な異国情緒にあふれていましたね。
建物の雰囲気が中央アジアなんですよ。ヨーロッパと中国の折衷みたいな意匠で、構造も明らかに砂漠地域仕様になっているのに、なぜか雪国だっていう。(あんな天井の高い部屋で暖が取れるか! あんな丸っこい屋根じゃ雪で潰れるわ!) もうそのあたりで何かおかしいぞ?って思っていたら、案の定幻の国でしたね・・・。
ちなみに回想でのシャンティアは全然違う常識的な建物になっていたので、あの中央アジア感は狙ってわざとああいう美術にしたものだと思われます。シャロンもシルクロードで東西と繋がっていたあの地域の歴史に憧憬を抱いていたのかもしれませんね。世界中の芸人を招待するのにあの地域ほどふさわしい場所もありませんし。