多田くんは恋をしない 第7話感想 あなたを見つめる今が楽しい日々であるほどに。

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諦めたら終わりだから、ね。

(主観的)あらすじ

 ニャンコビッグが出かけたきり帰ってきません。小さな頃からずっと一緒に育ってきたゆいは不安でいっぱいです。けれど山下犬先輩が探そうと言ってくれました。テキパキと手際よく捜索の指揮を執ってくれる彼をゆいは頼もしく思います。
 ニャンコビッグは美容院の前で見つかりました。そこの飼い猫であり彼の懸想の相手でもあるチェリーちゃんに会いに来ていたようです。事件は解決しました。でも・・・ゆいにとってはハッピーエンドではありませんでした。
 美容院の店主さんは山下の片想い相手だったのです。同じく山下に密かに片想いしていたゆいにとって、それは胸を締めつけられるような現実でした。すぐそばにいるのに、私の手はどうしても触れたいところに届かない・・・。
 翌日もニャンコビッグは懲りずに出かけます。それでも諦めたら終わりだ、とでも言わんばかりに。

 「私はあなただけを見つめる」。太陽を追いかけて首を動かすヒマワリの姿に重ねて託された花言葉です。
 ヒマワリはいつも太陽だけを見つめていますが、太陽の方はヒマワリだけを見つめかえしてくれるわけではありません。そもそも太陽を見つめているのはヒマワリだけではありません。さらにいうなら、せっかく好きで庭に植えたヒマワリも家の方ではなく四六時中太陽ばかりを見つめているわけで。・・・片想い。

あの日からずっと

 「ゆい。猫には昔から、歳を取るとふらーっと旅に出るという言い伝えもあるんだよ」
 「やめてよ爺っちゃん! ニャンコビッグはまだまだ若いし、家出もしないし、旅にも行かないもん!」

 今話は多田の妹であるゆいの恋模様が描かれた物語でしたが、その割に序盤でじっくり描かれたのは彼女と山下犬との絡みではなく、彼女がいかにニャンコビッグを大切に思っているかの描写でした。なんと、本格的に捜索をはじめる前の段階でAパートを使いきってしまった! せっかくふたりきりのデートだったというのに!
 つまりはそれだけ、彼女とニャンコビッグとの関係が、彼女の片想いの物語において重要だということですね。

 「小さいときからずっと一緒に大きくなってきたのに。ニャンコビッグがいなくなるなんて、考えられないよ」
 前話、シャルルの登場をきっかけに、多田はテレサとの間のどうしようもなく遠い距離をはじめて意識しました。彼女が来てからの楽しい日々は案外儚いものなのかもしれない。居心地のいい今の関係性がいつまでも続けられるわけではないと。
 ニャンコビッグは10歳だそうです。両親が亡くなるという痛烈の日から指折り数えて、ゆいにとっては彼と過ごした時間はほとんどそっくりそのまま、取り戻した平穏な日常の歳月そのものでした。なるほど、ほとんど入れ違いだったんですね。
 いなくなるなんてとてもじゃないけど考えられません。今ニャンコビッグがいなくなってしまったら、今度は誰を頼って日常を取り戻せばいいんだろう?

 「ねえ、お兄ちゃん。ニャンコビッグが朝まで帰って来ないなんてはじめてだよ。夜ご飯も食べてないし・・・」
 「ついにアイツもダイエットを始めたか」

 多田との奇妙な温度差は、きっとそれぞれの10年を埋めてくれたものの違い。多田はカメラを手に取りました。ゆいはそれと同じに、ニャンコビッグを抱きしめたんですね。
 多田が父親と同じNikonのカメラを愛用しているように、ニャンコビッグにも“カノジョ”をはじめとした父親の残り香が宿ってもいたり。

 ひょっとして山下犬を好きになったのもそのつながりなのでしょうか。
 「子どものときから動物の本が好きで何度も読んでるし。ゆいちゃんの好きな推理小説みたいなもんかな」
 自分にとって一番大切なものを共有してくれる人だから。どれだけ嫌われようとも、絶対に諦めず、愛そうとしてくれる人だから。
 『戦慄のニャンコビッグ』ブログに登場する“k君”はおそらく山下健太郎のk。伊集院薫のkもあえて分けずに混在させているっぽいですけどね。あのブログのかわいらしい文体にはニャンコビッグと同じくらいにk君への好感もにじみ出ています。
 「あ、ちなみにk君は無事でした(*´ω`*)v」(第1話)
 ニャンコビッグを愛でる人に悪いヤツはいない。

 「そうだよね。ごめん、ゆいちゃん。ニャンコビッグは家出しない!」
 「ゆいちゃん。探そう、ニャンコビッグ。猫のことなら動物好きな僕に任せて。一緒に見つけよう」

 ふたりのk君が励ましてくれます。やはりニャンコビッグを愛でてくれる人に悪いヤツはいません。
 ・・・なのに、ゆいをときめかせるのが山下犬の方だけなのは伊集院の伊集院たる所以か。それとも10年という付き合いの長さが恋慕よりも気安さを強く感じさせてしまうのか。(精一杯のフォロー)

片想い

 ニャンコビッグ→チェリーちゃん。
 あるいは、ゆい→山下犬。
 山下犬→チア姉。
 他にもシャルル→テレサだったり、テレサ→多田、多田→テレサ、アレク→シャルルとか。
 カップル決め打ちっぽい作風ながら、意外と複雑味を帯びてきました。もちろんドロドロな恋愛小説に比べたらずっとシンプルではあるのだけれど。あと伊集院だけ蚊帳の外だけれども。
 ピン先輩→HINA、委員長→はじめちゃん? アレは実質両思いみたいなものでしょ。ナチュラルにデートしやがって。

 というわけで片想いなのはみんな同じなわけですが、中でもゆいの片想いは、どうしてか涙が出るほどに切なく感じられたのでした。
 「誰かを好きになることがこんなに辛いなんて知らなかった・・・!」
 その思い人は、片想いの苦みを知りながらもあんなに優しく笑っていたのに。
 どうしてこうも違うんだろう。
 あの人と違って私が弱いせいだろうか。

 そうじゃないんです。
 「好きだよ。昔っから弟としてしか見られてなくて、相手されてないけどね」
 「チア姉が笑ってくれていたらそれだけで幸せなんだ」

 山下犬の恋は初めから諦めとともにはじまりました。
 もちろん、それでも本当に諦めるという選択肢は無くて、だからこそ彼は自分とは全然タイプの違う多田に憧れるようになったのでしょうけれども。
 ただ、彼の場合はその恋が成就しないことが当たり前だったんです。だから苦みを感じつつも笑っていられるんです。いつまでもニャンコビッグや山下犬と一緒にいたいと願うゆいと違って、彼の恋は初めから(そしてきっと終わりまで)チア姉が遠くにいるのが普通だったから。

 「好きな人が笑ってるだけで幸せなんて、私は嫌だよ! 傍にいるなら手をつなぎたい。おしゃべりもしたい。一緒にいろんなことしたいよ」
 前提が違うんです。恋破れることでそれまでの日常が劇的に変わってしまう人と、そうじゃない人。
 ニャンコビッグがいないことに対するゆいと多田の温度差と同じです。多田にはカメラがありますが、ゆいにとってはそれがちょうどニャンコビッグなんです。だからいなくなるなんて考えられません。考えたくありません。
 山下犬と出会ってからの日々がゆいにとって楽しいものであればあるほど、失いたくないと思えば思うほどに、彼女は彼に恋い焦がれます。絶対に分かたれることのない、安心できる、特別な関係を欲するようになります。
 恋をすればこそ余計に、それが得られないと思い知ったときには深く傷つくでしょうが、それでも恋することからは逃れられません。だって、彼が遠くに行ってしまうことなんてそもそも考えられませんから。そもそも考えたくありませんから。

 涙が出るほどの苦みは、それだけあなたが今の日常を幸せに感じている証拠です。
 それだけ分かちがたいものを傍に得られている証拠です。

 10年前、あなたはひどく悲しい思いを経験しました。誰よりも大切だった人を永遠に喪いました。
 けれど、それでもあなたは立ち直りました。また別の大切な温もりを胸に抱きしめて。
 やがてあなたは幸せな日々のなかで毎日笑うようになりました。大切なものが日常の中にどんどん増えていくごとに。

 さて、再び訪れた大切なものとのお別れの危機に際して、あなたはどうするべきでしょうか。

諦めたら終わりだから

 「好きなこと、なかったことにはできないから。チア姉が笑ってくれていたらそれだけで幸せなんだ。バカだよね」
 幸せに生きるために寄り添いたい、恋い焦がれているものが、しかしどうしようもなく遠くにあると思い知ったとき、山下犬はそれでも諦めませんでした。

 「あの笑顔は反則だよね。それが、本気で恋に落ちた瞬間だったんだ」
 たとえ相手が自分を求めていない、まるで太陽のような少女であったとしても、ヒマワリ色の髪の男はそれでも初恋を諦めませんでした。

 そのお別れが幸せな日々の崩壊を意味するなら、それでも諦めずにいるしかないんです。
 諦めないからといって人の思いが誰かの心をねじ曲げられるわけではなく、まして死の運命を覆すことなんてできなくて、結局逃れられないお別れというものは厳然と存在するわけだけれど。それでも、それがイヤだというなら抗うしかないんです。

 結果が変わらないのなら無意味で女々しい行為だとお思いでしょうか?
 いいえ。
 大切な友達を変えてしまったテレサの後悔は、それからの彼女を強い少女になるよう律しました。
 大切な両親との別れに際してイジワルをしてしまった多田の後悔は、それからの彼を優しく親切な男性になるよう律しました。

 叶わない思いというものはどうしてもあります。
 不可避のお別れというものもやはりあるものです。
 昨日までの楽しい日々が壊れてしまうようなことは、人生のなかでどうしても何度も出てきます。たとえ諦めなかったとしても。
 それでも、諦めないことは無意味じゃない。
 あらゆる可能性のなかで。その生涯の全幅のなかで。
 それでも、諦めないことにはきっと意味があるはずです。

 たとえば、山下犬の悲恋が多田への憧れをつくり、そしてゆいと彼との縁をつないでくれたみたいに。

 「また行くの? ニャンコビッグ。一緒だね、私たち。――行ってらっしゃい!」
 どうか、それでもこの楽しい日々が続くことを諦めませんように。

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