デリシャスパーティプリキュア 第37話感想 許せない人を許すための“正義”。

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私がここに立っていられるのはみんなのおかげです。みんな。本当にありがとう。

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「ひそむ怪しい影・・・あまねの文化祭フィナーレ!」

Lead Character:がんばったひと

あまね

Major Happening:大きなできごと

 脱獄したナルシストルーがしんせん中学校の文化祭に潜伏していることが発覚。あまねが発見したものの、どうにも様子がおかしい。あのナルシストルーが生徒会の後輩や双子の兄たちと普通に仲よさそうにしていたのだ。
 あまねと正面から接するぶんには相変わらずの悪態ぶりだったが、あまねは彼に対する認識を少し改めることにした。きっかけがあれば変わってくれる日も来るかもしれないと信じて、彼をクッキングダムへ護送する。

Sub Questions:小さなできごと

最後の文化祭

 あまねは中学生活最後の文化祭を、生徒会長として迎えることになった。ジェントルーとして犯した罪の意識に苛まれ、一時は生徒会長を辞めようさえと思ったが、結局こうなった。
 この1年を振りかえって改めて思う。自分はみんなに支えられてここまで来たのだと。いつしか、あまねの奉じる正義は“罰するもの”から“許すもの”に変わっていた。

食わず嫌い王

 ナルシストルーは極端な偏食のせいで人付きあいも苦手としてしまい、それで食事という行為そのものに逆恨みといえる憎悪を抱いていた。
 ところが今話、食わず嫌いしていたりんご飴が存外おいしかったことで、彼はこれをつくった人間(※ 実はあまね)に興味を持つことになる。
 彼から人間関係を奪ったものが食事であるならば、それを回復させつつあるのも食事。ナルシストルーには通用しないと思われていたおいしいごはんの力は、ほんの少し巡りあわせが変わるだけでちゃんと彼に届きうるのだった。

Battle Depiction:どんなバトルだったか

 ナルシストルーがところ構わず全方位に悪態をつくせいで、バトルのついでに彼の処刑が執行されることになった。
 その彼をあまねが庇う。プリキュアになる前は自分自身すら厳格に罰するのが彼女なりの正義だったが、今の彼女の正義は人を許すこともできるようになっていた。

I’m curious !:気になるポイント

文化祭ごはん

 ラーメンだの日本そばだのりんご飴だの、今どき現実の中学校でこの手の調理を伴うクラス出し物が許可される学校は無い。はず。
 ただし、食品衛生法的には一応不可能じゃなかったりする。文化祭の出し物は一般に“営業”ではなく“教育活動”の一環とみなされるため、そもそも営業許可が必要ない。たとえ衛生環境が不充分な学校内で調理した食品であっても、法律上は販売できてしまうのだ。
 もっとも、現実的には昔から文化祭といえば集団食中毒の温床だったため、たとえ法律が許しても学校事務局や教育委員会がそれを許さないだろう。しんせん中学校は大人たちが相当がんばってこの文化祭を実現してくれたものと思われる。

 ちなみに、大学のサークル出店の場合は“教育活動”なんて名目が通るわけがないので普通に営業許可が必要になる。現地調理を伴わない手づくりお菓子などの販売であっても最低限営業届出は出さなければならないし、きちんと認可を受けた食品加工場で製造・包装しなければならない。無理ゲー。

りんご飴

 りんご飴に用いられる小型のリンゴは総じて貯蔵性が悪く、今の時期ですらおいしさを保っていられる品種がほとんど無い。翌年夏以降なんて何をかいわんや。縁日のりんご飴がおいしくないといわれるのはこのせい。一時期流行したりんご飴専門店でも使用されるリンゴは専ら「ふじ」などの大型品種だった。
 ただし、20年ほど前に青森県三戸市で「ミニふじ」という新品種が開発されて状況が変わりつつある。このリンゴは小型ながら「ふじ」並みの長期貯蔵が可能となっているため、もしこれが全国的に知られて生産量も向上すれば、今後は通年でシャキシャキした味わいのりんご飴を楽しめるようになるかもしれない。

 以上、本編にも私個人にも1ミリも関係ない宣伝でした。

 日本語で「正義」というと”道義的な正しさ”みたいなニュアンスが強くて押しつけがましい印象になりがちです。あまねがよく言う「正義」はむしろ、「justice」に近いニュアンスだと思ったほうが納得しやすいかもしれませんね。

 裁判所によく置かれている正義の女神像は天秤と剣を携えています。欧米的価値観における「justice」とはあれのこと。天秤は第三者的な公平性を、剣は何者にも侵されない強い独立性をそれぞれ象徴しています。
 対立する二者の間に立って、どちらの立場にもおもねることなく冷徹な審判を下す。それが「justice」です。

 初期のあまねがやたら自分に厳しかったのはこのためです。
 個人としてはどうしようもない事情があったことを知っていても、それを知らない周りがどう思うかはまた別。自分に近しい人たちが同情して許してくれたとしても、自分と元々無関係だった被害者から見てどうなるかというときっと話が違ってくる。
 あまねは自分の判断に常に客観性を求めていました。
 そんなもの、そもそも一個人が持てるものではないと私なんかは思うんですけどね・・・。私たちは自分の眼球と自分の脳を通してしか世界を観測することができません。私たちの目の前にある世界は全て主観でできています。

 そんなわけで、これまであまねが奉じていた”正義”はむしろ客観性を欠いていました。
 個人的な感情を排しようとするあまり逆に必要以上に自分に厳しくなりがち、また、強い憎しみが残るナルシストルー相手になるとどうしても冷静になりきれず、そこでもまた自己嫌悪に陥っていました。

 正義って、たぶんそういうものじゃないです。
 だって、何のために人を裁く必要があるのかを考えてみればわかること。審判は正義の名のもとに悪人を攻撃したくて行われるものではなく、むしろその逆。2つの相反する立場を平等に調整し、お互い遺恨なく社会秩序を保ちつづけるためにこそ、審判が必要になるんです。正義の女神は、だからこそ片方だけの味方にはならないんです。いついかなるときも絶対に。
 その意味で、正義の本質はけっして断罪などではなく、保護と協調。人が周りとの関係のなかでみんな一緒に幸せに生きようとするときに必要になるもの。自らの正義のために自分が苦しむことになるのは根本的に間違っています。
 お互いを認めあい、許しあうことこそが、あまねの目指すべき道となるでしょう。正義は全ての人の味方です。

みんなのおかげ

 「みなさん、今日はお疲れ様でした。私も生徒会長として最後の務めを果たせました。・・・実は、一度だけやめようと悩んだことがありました。けれど『みんなを笑顔にしたい』、その大事な気持ちを失わずに続けてこれたのは、みんなの支えがあったから。私がここに立っていられるのはみんなのおかげです。みんな。本当にありがとう」

 あまねとナルシストルーの関係性を軸に描かれた今話の物語は、あまねの生徒会長引退スピーチで締めくくられます。

 「あまねはいつもそうだよね。だから今度は私があまねを救う番。もし何か悩みがあるなら言って。生徒会に問題があるならみんなで解決しよう」(第17話)

 「あまねに心を許せる友達がいて安心した」
 「うむ。あまねは悩んでいてもなかなか話してくれんのだ」
(第18話)

 「君たちから心のこもったプレゼントをもらってすごく嬉しかったから、自分ひとりで考えるより、一緒に考えてもらえたらって」(第19話)

 あまねはこれまでたくさんの人に支えられて生きてきました。
 元々器用な性質で責任感も強く、大抵のことはひとりでできましたし、実際多くのことを自分ひとりでこなしてきました。
 ずっとそうだったので、あまねは他人に頼るということをほとんどしてきませんでした。頼ろうという素振りを周りに見せてきませんでした。

 それなのに。必要ないというのに。
 あまねの周りの人たちはそれでも彼女が助けを求めてくれる日をそっと待ちつづけ、ひとりで何でもできてしまう彼女を、けっしてひとりにはしませんでした。
 あまねの心が挫け、自分をどうしても許すことができず、自暴自棄になりかけていたそのとき初めて、あまねは自分がどれほど多くの人に支えられていたのかを知ることになりました。

 その物語の結実としてなら、このスピーチはラストを飾るにふさわしいものでしょう。
 けれど今話の物語の核はあまねとナルシストルーの関係性です。あまねと周りのみんなの関係性は今回さほど描かれませんでした。

 そういう今話の締めくくりとしてだと、果たしてこのあまねのスピーチは本当にふさわしいものだといえたでしょうか?

「ごはんは笑顔」の例外

 「どうも食事に対して恨みがあるみたいなのよね。自分に合う食べものがあまりなかったうえに、好き嫌いも激しいらしいの。そのうえ極端な猫舌で、みんなと一緒に食事をするのが苦手だったみたい」
 「もしかして、『ごはんは笑顔』じゃなかったのかな?」
 「そうね・・・。プライドをこじらせ、居場所もなくて、それでブンドル団に入ってしまったのかも」
(第33話)

 これまでの物語のなかで唯一、ゆいですら「ごはんは笑顔」が当てはまらない人もいるのだと認めるしかなかった人物。それがナルシストルーです。
 純粋に食事が嫌いなだけ。ごはんを食べて笑顔になってもらおうにも、その取っかかりすら見あたりません。あげく、性格がひん曲がっていて逆恨みまでしてくるというどうしようもない人物。

 善人か悪人かでいえば間違いなく悪人です。
 情状酌量の余地があるかとなると1ミリたりとも存在しない。
 性根の根本からすでに独善的で、どこまでいっても社会不適合者。

 そんな彼がしんせん中学校にやってきました。

 「すみません、先生。これ直せます?」
 「は? なんで俺様が」
 「くっ。無理なのか・・・」
 「無理だと!? 舐めんな!」
 「――おお!」
 「先生、ありがとうございます!」
 「ふっ。俺様に不可能はない」

 なんか、思っていたよりだいぶ人当たり柔らかく。

 別に心を入れ替えたわけではありません。
 ただただ、本当にたまたま、偶然そんな感じの場の流れになっただけ。
 本当にただそれだけのこと。

 「しつこいやつだな。――む!? これが、“うまい”というものか・・・。」
 「おいしいですよね!」
 「お気に召したようでなにより」
 「うちの妹がつくったんだよ」
 「ふうん。――そいつに会ってみたいな」

 だというのに、です。
 性格ひん曲がりすぎて絶対更正しないだろうなと思われたあのダメ人間が、何故かこんな偶然でしかない場の流れで、急速に社会性を発揮してみせるのです。
 「ごはんは笑顔」唯一の例外だと思われたこの男が、なんか普通に食べたものをおいしいと認め、あげく、そのおいしいごはんを通じて他人に興味を示したのです。

 わけのわからない光景でした。
 だけど、それがあまねの目撃した真実。
 認めるほかありません。あまねは、そして誰もが、ナルシストルーという人物の人となりを見誤っていました。
 彼は「ごはんは笑顔」の例外なんかではありませんでした。おいしいものを食べれば当たり前においしいと感じる、あまねたちと同じ普通の人間だったのです。

 その衝撃たるや。

世にあまねく正義とともに

 「レシピッピを解放しろ! それと、ナルシストルーも!」
 「ナルシストルーを? まさか助けようとでも?」
 「然るべき場所に戻したいだけだ。とことん反省してもらうためにもな」

 かつて、あまねはけっして許されてはならない罪を犯しました。
 あまね自身がそう審判しました。被害者の気持ちを考えるなら、他の誰が許してくれようとも、自分だけは絶対に菓彩あまねを許してはならないと。
 それがあまねなりの正義でした。
 許されないことをした者は絶対に許してはならない。それこそが公正な正義であると。そのような者に優しさを向けるのは不適当で、不平等な行いだと。

 だというのに、あまねの周りにいた人たちは頑としてあまねを許そうとしました。どんなにあまねが自分の不義を訴えても納得してくれず、逆にあまねを説き伏せてでも、絶対にあまねを許そうとしていました。

 あのとき彼女たちはなんといって自分を説得したでしょうか?
 そう。そうです。そうですとも。

 「過去は変えられない。でも、未来はこの瞬間からつくっていけるんだよ! あまねさん! 明日はどんな自分になりたい?」(第18話)

 何があっても許されてはならないあまねに対し、彼女たちは未来は変えられるんだと言ったのです。だから許すのだと。

 「私は、私の正義を貫くだけだ!」

 だからあまねも許します。
 この、明らかに更正の余地がないはずだった根っからの悪人のことを。
 許そうにも許せない、今でも顔を思いだすたび憎しみが募るこの男のことを。

 誰もがみんな、未来ではどうなっているのかわからないのだから。
 みんな、未来であまねが変われることを祈ってくれたのだから。
 だからあまねは変わりますし、ナルシストルーにもいつか変わってくれることを望みます。

 たとえ今はまだ許せなかったとしても。
 未来のナルシストルーまで許せないかといえば、それは今のあまねにはまだわからないことです。
 かつてのあまねがプリキュアとして戦う今の自分の姿を想像できなかったように。

 今、あまねの胸にあるこの正義は、みんながあまねを許すために贈ってくれた正義。

 「『みんなを笑顔にしたい』、その大事な気持ちを失わずに続けてこれたのは、みんなの支えがあったから。私がここに立っていられるのはみんなのおかげです。みんな。本当にありがとう」

 だからこそ、あまねがナルシストルーの未来を望んだ今話を締めくくる言葉は、彼女を支えてくれたみんなへの感謝こそがふさわしい。

コメント

  1. ピンク より:

    あの位置でミニマム化したら、下手すりゃセクレトルーのスカートの中が見えちゃうんじゃ……という色々台無しすぎるツッコミはさておき。

    なんだかりんご飴を食べてみたくなりました。
    粉もの好き&胃袋があまり強くないため、お祭りに行っても結局買ったことないんですよね。

    いやしかし、まさかあの偏食家を(偶然とはいえ)一気にココロデリシャスに持っていくとは。
    現実的には食物アレルギーとかも考えられるため、もえたちの促し方が必ずしも正しいってわけではないですけど……まあ野暮ってもんですね。りんごを食べたことないっぽい人の反応でしたし。
    単純に得意分野で「ありがとう」と言われる機会が得られた点も良かったのかなと。

    で、次回はめちゃくちゃ重要回の予感が。
    コメコメ1世に癒されつつ、最終決戦序章に向けて弾みをつけたいところですね。

    • 疲ぃ より:

       冷静になっていただきたい。パワハラ上司のパンツなんぞ見えたところで嬉しいだろうか。
       個人的な意見ではありますが、あまり好きじゃない人のソレってエロスというより普通に汚物にしか見えないんですよね・・・。

       私が子どものころは小型リンゴのシェアがほとんど長野産で占められていたので、意外と昔は青森県にりんご飴の屋台ってなかったんですよね。私も食べたことないです。

       ナルシストルーの場合はプライドをこじらせていたって話なので、どこかで自分の口に合うか確かめることすらイヤになっちゃったんでしょうね。
       現実的にはアレルギーも警戒しなくちゃいけないというのはそれはそう。ただ、それもケースバイケースですよね。食べさせるにあたって普通はその場でそれなりのコミュニケーションは取るはずなので、よっぽど関係がこじれていなければアレルギーも申告してもらえるものでしょうし。(※ ナルシストルーは言ってくれなさそう)

  2. 亀ちゃん より:

    前週のデリシャスパーティプリキュアはプリキュアではほぼ毎年のように恒例の文化祭でした
    ナルシストルーの「何で俺様が」というセリフは今となってはシックリ着ますね!!☆☆♬
    日曜の8時30分から始まって10時までに終わるアニメ的に感慨深いセリフと言えます!!☆☆♬
    でもって明日はデリシャスパーティプリキュアの最新作ですね!!
    楽しみです、ワクワクします

    • 疲ぃ より:

       ヤローのツンデレの定型句ですね。「なんで俺様が」。もはや古典芸能の域。

       最近なんか私ずっと師走なので、私から見て一昨日がデリシャスパーティプリキュアの最新作でした。最新作といえばプリキュアシリーズの次回作も発表されました。

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