じいやさん優しいー! ハグー!
「ココロノキオク」
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大きな出来事
メインキャラクター:かれん
目標
担当患者である篠崎さんの気持ちに寄り添う。
課題
篠崎さんは骨折で入院中の高校2年生。術後の経過は良好だが、どういうわけかリハビリにきわめて非協力的。どうしてリハビリしたがらないのか理由も話してくれない。
作業療法士はすでにさじを投げ気味な様子。かれんの指導医もあまりやる気を感じられない人柄で、今かれんが篠崎さんの担当から外れてしまったら、彼女に心から寄り添おうとする人は周りにひとりもいなくなってしまうかもしれない。
解決
かれんはとにかく篠崎さんの気持ちを理解しようとした。つれない態度でも挫けず毎日声をかけつづけ、趣味を共有しようとしてみたり、自分でも車椅子に乗ってみたりした。
そういうかれんのがんばる姿を見て篠崎さんは次第に心を開き、自分が部活で陸上をやっていたこと、部長候補として期待されていたこと、完治が1年後ではもう復帰できないという心の苦しみをうち明けてくれた。
ピックアップ
脛骨骨幹部骨折
脛骨というのは足のスネの前側、皮膚のすぐ下にある太い骨のこと。骨幹部は骨の真ん中。つまり、脛の骨が真ん中からポッキリいってしまった状態という意味。
足の裏からの振動を直に受けとめている骨のため、直接的な事故のほか、跳躍運動を伴う激しいスポーツで疲労骨折することも多い。篠崎さんの場合は日頃の練習で疲労が蓄積していたところにハードルをぶつけてしまったのが原因だと思われる。
太い骨が真ん中から折れているだけに治療には相応の時間がかかる。短くても半年、長引くと1年以上。
「少し気になる患者さんがいて」
脛骨骨幹部骨折は報告例も多く、ハードルとの衝突が原因ならおそらく開放骨折というわけでもなく、実際篠原さんの術後の経過は良好とのことなので、急変することはほぼありえない。
この状況で救急車のサイレンに怯えるかれんはノイローゼぎみなのかもしれない。連日アルコールを避けているのもオンタイムだからというわけではないのだろう。
ビッグアップル
ウォッカとアップルジュースを混ぜただけのシンプルなカクテル。ウォッカベースなので味はほとんどアップルジュースそのもの。
じいや
坂本さん。忙しく世界中を飛びまわっている両親に代わり、かれんを幼少時代からずっと育ててきた執事。(※ 執事の仕事じゃねえ!とかツッコんではいけない)
かれんが風邪をひくたびいつも看病してくれた。かれんがミルクを看病することになったとき、その手ほどきをしてくれたのもこの人。かれんが医者を志したきっかけ。
車椅子の目線から見える世界
車椅子使用者の目線の高さは女性でだいたい105cm程度。これはだいたい5~6歳児が立ったときの高さと同じくらいで、しかも大人の手荷物だとか歩き煙草だとかの高さともちょうど重なる。
大人には気付きにくい身近な危険の例としてよく注意喚起されているので、ちょうど子育て中の人が多いであろう『Yes!プリキュア5』世代にはそちらの意味で馴染み深いかもしれない。
ミルキィローズ
プリキュアシリーズ史上2人目(4人目?)の追加戦士。『Yes!プリキュア5』のときお世話遊びぬいぐるみになっていた妖精キャラが『Yes!プリキュア5 GOGO!』でプリキュアと肩を並べて戦うヒーローに成長したということで、当時プリキュアのおもちゃでよく遊んでいた子どもたちに猛烈な人気があった。マーケティング的にはキュアマジェスティやキュアフェリーチェのルーツといえるかもしれない。
パンチ1発で地面にクレーターをつくる子としても有名。
放送当時まだ青いバラは開発されておらず、青いバラといえば花言葉は「奇跡」、現実には存在しえないものの象徴として扱われていた。
今話のサブタイトル、「ココロノキオク」なんですね。そっちにフォーカスが向くんですね。かれんと篠原さんとの心の交流とかじゃなくて。
まあ、実際今回かれんがやったことは第1話ののぞみとそれほど大きく変わりませんし。
周りが非協力的ななか、子どものシリアスな問題に体当たりでぶつかっていって、根本的な解決はできなくともその子の信頼を得る。
最終的に篠原さんはリハビリに応じるようになりました。るみちゃんのケースと違って苦い後味も残さない完全なハッピーエンドです。だいたいのところはね。
篠原さんが高校の陸上部に復帰できない現実は変わりませんし、かれんが責任感を強く持ちすぎてノイローゼ気味になっている問題も解決していません。周りの大人も頼りにならない人ばかり。
・・・ちょっとずつ、今作が何を描こうとしているのかはっきりしてきましたね。
プリキュアシリーズで大人の人といえばほとんどが尊敬できる人ばかりでした。なにせ子ども視点で描く物語ですからね。みんな子どもたちのことを思いやって行動し、子どもに恥じない立派な態度を見せてくれていました。
プリキュアは子どもだけがなれる特別なヒーローでしたが、このシリーズの大人たちはときにプリキュアにもできないことを平然とやってみせ、ときにプリキュアを守ろうと矢面に立つことすらあり、プリキュアから見ても常に頼りになる存在でした。
それが、今作ではどうでしょう?
「学費を払えるのか?」と冷や水をかけてくる校長。自暴自棄になっているるみちゃんのお父さん。面倒くさい面倒くさいとしか言わない指導医。無責任で他人事な態度ばかりのその他モブ。
大人の視点からみた大人の姿は――、そんなにも信じられないですか?
バッドエンド後のエピローグ
「あ。篠原さん、陸上部なんですか。運動お好きなんですね。大丈夫ですよ。リハビリさえすれば走れるようになります。1年後目指してがんばりましょう」
「・・・そんな、1年後とか――! そんなの全然大丈夫じゃないって、何度も言ってるじゃない!!」
たぶんね。
子どもだった経験がある人なら、きっと誰しも共感できるはずの思いなんですよ。こういうのって。誰だって一度くらいこういう気持ちになったことがあるはずです。
高校2年生にとっての「1年後」。その重み。その暗さ。ここまでヒントが出ていてピンとこないんだったら、なんだかんだいってかれんももう子どもの感性じゃなくなったってことです。
このテーマは最近『ひろがるスカイ!プリキュア』第35話でも描かれていましたね。あっちは中学2年生で、野球肘でした。
中学高校の部活って各2年半しかないんです。今いるメンバーで活動できる時間に限ったらさらに短い。自分が花型になれるのは大抵3年生になってからですから、そっちの期間もやっぱり短い。
そのうちの、1年なんです。
もちろん、中学校が終わったあとは高校があります。高校が終わったあとには大学もあります。卒業したからって人生まで終わるわけではありません。展望も可能性も、自己ベストだってどんどん伸びていくものでしょう。
でも、高校は中学校じゃないし、大学も高校じゃない。
同じメンバーでずっと部活ができるわけじゃない。顧問の先生だって替わる。
中学校でも高校でも、1年生でも2年生でも3年生でも新1年生でも、ずっと変わらず周りに期待してもらえるわけでもない。
引退って、本当の意味で毎回引退なんですよ。
「私、陸上部でさ。次の部長候補でメチャクチャ張りきってた。私ががんばらなきゃ、しっかりしなきゃって思ってた。無理してがんばってた。先生と同じ。だからあの日も、足に違和感があったのを、大したことない、平気だって――。で、こんなになっちゃって・・・」
「もう陸上部には戻れない。1年後に走れたって、私は卒業だもん。こんなにがんばってたのに・・・!」
それは呪詛でした。
もはや自分のどんな努力でも、あるいはどんな大人の協力があってもなおどうすることもできないとわかりきっている、絶望しかない未来の物語でした。
大人の言うことを聞いてリハビリすることにいったいどんな意味が?
今すぐ走れるようにしてくれる?
いつものグラウンドで、みんなが応援してくれている前で?
大会に出て、自己ベストを記録して、優勝トロフィーをもらえる?
それができない「1年後」に、それが許されない「自分の未来」に、いったいどんな意味が。
いっそ呪われてしまえ、これからの自分。
得られるはずだった幸せ。勝ち取るはずだった名誉。みんなと分かちあうはずだった達成感。
それらを全部無くした自分なんてもう要らない。そんなのもう私じゃない。“私”じゃない人生なんて1秒たりとも生きたくない。これ以上“私”を汚さないで。
大人は「いくらでもやり直せる」と言います。人生は90年あるんだって言います。
それは実際事実です。
大人になればわかります。
小学校中学校高校大学社会人、案外、各ライフステージは切れ目なく繋がっています。実感として連続しています。
だけど子どもの世界にそんなの関係ありません。
2年半のうちの1年間は、本当にたった2年半しか無いうちの貴重な1年間なんです。
子どもの日の想い出
「先生、さっき車椅子に乗ってたでしょ。なんで?」
「え。見てたの? ・・・きちんと知りたかったのよ。――全然知らない世界があった。でも、これから車椅子でリハビリするナナちゃんの気持ちはわからないまま。それでも知りたかったの」
まるで見当違いの方向に全力で挑んでしまうかれん先生に危うさを感じつつ、篠崎さんは好感を持ちます。
この人はつまり、生きる価値を全て失った自分に、あちらの論理でなにがしかの生きる価値を見出している人でした。
この人にとって、どういうわけか自分はあそこまで必死になるほどの理由になりうる存在のようです。
それなら。この人に喜んでもらうためになら。・・・もうちょっとがんばってみてもいいかもしれない。
「生徒会長なんだからしっかりしなきゃって、SOSを出してる自分の気持ちにフタをして押さえこんでたら・・・、前に進めなかった」
「・・・で? どうなったの?」
「後輩が助けてくれたの。そしたら、心からそうありたいと思うことができた」
かれんはプリキュア史上初めての、初変身に失敗したプリキュアでした。
生徒会長として常に周りのみんなのため“だけ”にがんばる子でしたから。
プリキュアは自分たちの日常を守るためのヒーローです。正義のために戦っているわけではありません。
だって、プリキュアとは夢の前借りなんです。何か目標があるからこそ人は成長することができます。やりたい夢。貫きたい信念。守りたい大切な何か。それを叶える力が欲しくてみんな大人になるのであって、そして、プリキュアの奇跡とはそういう自分が未来に持ちうるパワーを子どものうちにちょっとだけ体験するもの。だから、どんな理由だっていいから“自分のために”奇跡を起こしたいと願えない子はプリキュアに変身することができません。
今の篠崎さんと少し似ているかもしれませんね。
そのときのかれんには本当に自分のための願いごとがなかったんです。
好きな人なら自分の両親。だけどふたりは昔から忙しく世界中駆けまわっていて、家にはほとんど帰って来ない。「会いたい」とワガママを言っても困らせてしまうだけ。
だから、かれんは「会いたい」と思わなくなりました。
だから、かれんは何も望まなくなりました。
「このあいだはとっても楽しかったです。水無月先輩って大人だし、キリッとしているし、みんなから信頼されてるし。私と全然違うなあって。・・・でもね、ひとつだけ私と同じとこ見つけたんです。お父さんとお母さんが大好きなところ!」
「先輩がご両親と電話してるところを見てそう思ったんです。心配かけないように優しく気を使ってるって。じいやさんもそう言ってました。あんなに優しく人を思うことができる水無月先輩がプリキュアになれないはずないですよ! 絶対なれます!」(『Yes!プリキュア5』第6話)
そのころ自分では自分の願いなどないと思っていたのだけれど、必ずしもそうじゃないんだよと。かれんの心のなかにも本当は願いごとがあるんだよと。かれんに気付かせてくれた子がいたのでした。
かれんがプリキュアになれたのは彼女の発見のおかげでした。
「かれん。ミルクがビッグアップルを好きな理由はなーんでだ? ミル」
「え?」
「ずーっと前。ミルクの看病をしてくれたことがあったミル。ミルクはあのリンゴの味が忘れられないミル。あと、ミルクはかれんが大好きミル」
それから、かれんが将来の夢を持つようになったのも自分以外の人のおかげでした。
「思いだした。私が風邪をひいたときも、じいやがリンゴをすりおろして食べさせてくれたんだった。――じいや。私のためにいつもこんなに大変な用意をして看病してくれてたの?」
「いえ。大変ではございません。私はお嬢様にはいつも元気な笑顔でいてほしいですから」
「・・・じいや。――ありがとう」(『Yes!プリキュア5』第34話)
大変な苦労を苦労と思わない善意。そしてなにより深い愛情。
あの日そういうものに憧れたから、あのときめきが忘れられないから、今、かれんは医者を志しています。
かれんはそういう来歴がある人物です。
自分には何も無いと思い込んでいて、だけどいつも周りの誰かに自分らしさを再発見してもらって、そうして自分らしくなっていく。逆説的ですが、そういう成長をしてきた子です。
だからこそ、彼女は信じます。
当たり前のように。
事実、当たり前の真理として。
篠崎さんには未来がある。
今はこの先どうすればいいか何も思いつかないかもしれないけど、いつか絶対やりたいことは見つかるし、やれるようになる。走るのが好きなんだったらまた走りたいと思うはずだし、走れるようになる。
自分で見つけられないなら誰かに見つけてもらえばいい。
きっといつか、また自分のために一生懸命になれるようになるはずだから。
助けてくれる人
のぞみにはココ。かれんにはじいや。その他にもたくさんの人に見守られながら、彼女たちは大切なことを学び、少しずつ大人になっていきました。
「今日の宿直は・・・、水無月先生とかあ。あの先生は扱いにくいよなあ。あーあ、ダルぅ」
あのころは周りにいる大人たちみんな頼もしかったのに、それがどうして今はこう信頼の置けない人たちばかり周りに集まってしまったのでしょう。
これが大人向けアニメ作品だから?
現実はプリキュアワールドと違って世知辛いものだから?
さあ? そうかもしれないし、全然関係ない理由かもしれない。
でも、今回かれんの視点からこの世界を眺めているうち、ちょっと思ったんですよね。
「あそこまで拒否するには何か理由があるんでしょうか?」
「さあ? どうしても相性が悪い患者っているんだよね。しょうがない、しょうがない。医者あるあるだって。――嫌ならもういいよ。今度から俺が篠崎さんのとこ行くわ」
「・・・いいえ! 私に担当させてください! お願いします!」
「ふうん、そう?」
この人、案外いい人そうだなって。
現時点で担当医のかれん以上に篠崎さんの患者情報を詳しく把握しているということは、このふてぶてしい態度の男性医師はかれんの指導医です。(※ というかスタッフロールにそう書いてありました) 指導医というのは新米の医師が臨床の現場で実務経験を積むのを監督し、適宜助言を与える立場の医師のことです。要は教育係。
医師の立場からすると篠崎さんはどう考えても面倒くさい患者です。何も言うことを聞かない。積極的にこちらの仕事の邪魔をしようとする。モンスターペイシェントに片足突っ込んでます。研修中の新人に担当させるにはちょっと荷が勝ちすぎているかもしれません。
それを「相性が悪い患者」とオブラートで包んだ表現をしたうえ、面倒な患者と知りながら自分で引き受ける。それも、「嫌ならもういい」としてです。かれんの能力不足が原因だと言っているのではなく、かれんの負担を気遣うかたちで交代の提案をしてくれています。
かれんのことを「扱いにくい」先生だと評していますが、そりゃそうだ。研修医の身でありながら非番でもアルコールを控えるほど極端に責任感が強く、おそらく外科でしょうにリハビリにまで首を突っ込むワーカホリック。仕事に慣れていないうちからそんなことをしてたらまず自分が潰れるわ。でも、かれんが「やりたい」と言う限り好きにさせてくれるんですよね。何か起きたとき監督責任を問われるのはこの人なのに。
のぞみの学校の校長先生もそうでした。
のぞみが持ってきたハチャメチャな提案に「すぐには無理だ」「えこひいきだと思われてしまう」とひとつひとつ問題点を指摘し、それでも引こうとしないのぞみに学費という言葉で教師としての領分を自覚させる。
ちゃんと先達として相談に乗ってくれる人たちではあるんですよね。かれんやのぞみの仕事にかける理想が普通より高すぎるだけであって。
「先生なのにるみちゃんの力になれなかったね。助けられなかった。がんばったけどムダだった。誰も力を貸してくれなかったし、助けてくれなかった。私は無力だ。どうせ何もできないんだから何もしないほうがいいよ。・・・ひとりで眠ってたほうがいい」(第2話)
誰も力を貸してくれなかった、助けてくれなかった? そんなことはないと思いますよ。
協力する気がない人はもっとばっさり切り捨てます。こっちの言い分を聞く時間すら惜しみます。いちいち議論なんてしてくれません。
第1話からずっと言っていますが、のぞみたちは大人になって中学生のときよりも欲張りさんになりました。昔よりもずっと大きな成果を目指すようになりました。
きっと、だから周りの大人たちのキャパシティを越えてしまってるだけだと思うんですよね。中学生に自力で叶えられない願いごとを叶えてあげるのと、大人の本気の理想を叶えるのとでは難易度が全然違います。
かれんものぞみも本当に立派な大人になりました。
ああいうふうに子どもたちの信頼を勝ち取るのだけでもすでに誰にでもできることではありません。私にゃ絶対無理だ。
だからこそ、認識すべきです。
子どもだったころは周りの大人みんなが自分よりも優れた力を持っていました。
今は違います。おそらく、あなたたちはすでにそんじょそこらの年上の人たち以上に優秀な大人になっています。誰も彼もが今のあなたたちの要求水準についていけるわけではないんです。
「足るを知れ」と言うつもりはありません。
もっと周りの善意を信じてみては? と。そう思うんです。
そうしたら――、だってほら、あなたたちは得意でしょ? みんなで力を合わせるのって。
大人にとって、きっと大人って一方的に助けてくれる存在じゃないと思うんです。
助けあい一緒にことを成し遂げる、仲間なんじゃないかなって。そう思うんです。
コメント
「ミルクってそんなに林檎好きだったっけ??」と思ってたら、なかなか素敵な理由でした。
言われてみればじいやの仕事内容って、実質家政婦さんでしょうね。
たしか、本来は使用人さん全体のリーダー的なポジションのことを執事と呼ぶんでしたっけ。
アニメとかだと『男性の使用人さん』くらいの意味に留まりがちなのは、いわゆるメイドさんの認知度が高すぎる故か、単に部下の使用人さんを複数人描くと大変だからなのか……。
あのままじゃリハビリに向かわせられなかったであろう辺り、少なくとも篠崎さんにとって指導医さんは良くない先生だったのかな……と思う次第です。
まあ、患者の立場でしかお医者さんと接したことがないから言えることかもですけど。
本来の執事の仕事ってあんまりロマンがないですからねー。男性使用人の取り纏め役兼、男主人の秘書役みたいな感じなので。家内の女性と接する機会が少ないというか、そもそも屋敷内で働く時間が少ないというか。
当たり前っちゃ当たり前ですが、イケメンやイケオジに身の回りのお世話をしてもらえる機会って現実にはあんまりないんですよね。せいぜいフットマンくらいでしょうか。(実際に不倫の温床になっていたのでこっちを出すと今度はやたら生々しくなっちゃうんですが)
ちょっと複雑な思いがあるんですが、あれ、指導医さんが担当になったら篠崎さんの心の問題が解決することはなかったでしょうね。
今回の件、現実だったらそもそも篠崎さんがモンスターペイシェント扱いされかねない案件です。ベッドから車いすに移ったあと暴れる患者とか一番退職者が出やすい典型例。病院スタッフの精神衛生を思いやれる(ホワイトな)上役であるほど関係スタッフには事務的な付き合いに徹するよう指示するでしょうね。
「水無月先生メンドくせー」ってそういう意味です。かれんが人並み以上にがんばれる人だったから奇跡的に今回の成果が出せたのであって、あんなの普通はかれんも篠崎さんも両方病んで終わりですよ。
体調管理をミスして重傷を負い陸上選手生命を棒に振った挙げ句、不貞腐れてリハビリをボイコット、親身になって何とかリハビリを受けさせようと世話を焼く水無月かれん先生に八つ当たりする高校生、篠崎ナナ。
父親が仕事で失敗した挙げ句自暴自棄になった煽りを食って、ダンスに賭けた夢を断念させられたにもかかわらず、この悲運を受け入れ、彼女の夢を守ろうと奔走するも上手く行かず自分の非力を涙ながらに詫びる夢原のぞみ先生に、愚痴一つこぼすことなくむしろのぞみを気遣ってみせる小学生、片桐るみ。
この二人、どちらが“真っ当”なコドモ、なんでしょうね……。
自責の念に苛まれ涙を流すのぞみに「私ダンス続ける」と言うるみ――――もしかするとこの言葉は、今にも潰れてしまいそうに見えたのぞみを立ち直らせる為に、るみがついた“優しい嘘”だったのかもしれません。
そしてのぞみも多分るみの“嘘”に感づいていて、以後ダンスのことに自分からは(今さらあまりにも白々しいので)触れず、「もっとがんばっていい先生になる」と一方的に自分自身の夢の決意表明を始める。「るみちゃんが夢を捨てることについて、私にとやかく言う資格はもはや無い。でも私は自分自身の夢を諦めない。だから、出来ればるみちゃんも自分の夢を諦めないで」、と。
そんなのぞみへのるみの返答が「もういい先生だと思うけど」……。タオル投げちゃったよこの子。
とにかく片桐るみって子は非常に“オトナ”な子供で、自分の中の溢れかえる熱情を徹底的に押し殺し封印して、おまけに自分の為に尽力してくれたオトナへの配慮までしてくれる――――つまり、子供じみた夢への渇望を未だ捨てられない夢原のぞみを置いてきぼりにして、“オトナ”の側に踏み出してしまっているんですね。だからシャドウに取り込まれたのぞみは嘆くわけですよ。「“誰も”力を貸してくれなかった。助けてくれなかった」と。
のぞみにとってみれば、るみが(篠崎ナナが水無月かれんにやったように)自分に向かって悔しさや悲しさを率直にぶつけてきてくれたなら、なんなら「のぞみ先生の嘘つき!のぞみ先生の言うことなんかもう信じない!」とか悪態ついてきてくれても、むしろ救いになったかもしれない。るみが“オトナ”な心の封印を解いて、子供じみた熱情をさらけ出してくれたなら、のぞみは自分がるみの為にやってきたことが無駄ではなかったと一筋の光明を見いだせたかも、しれない。
ここら辺、ナナに心の中の熱情を自分にぶつけてもらうことが出来、最後には「リハビリ行こ」と、自分と共に闘うことを決意してもらうことが出来た水無月かれんと、結末が大きく分かれた部分で――――この事が、やけに禍々しい復活版キュアドリームと、比較的清々しい復活版キュアアクアの差異となって現れているのかもしれませんが、さて。
るみちゃんの決意表明はまあ、これがフィクションじゃなくて現実にあった美談として語られるなら、私も信用しないでしょうね。
そんな立派な心がけを実践できる精神力があるなら普段から大人顔負けの努力ができているでしょうし、もちろんその努力を通して大人顔負けの実力もすでに身につけていることでしょう。子どもが未熟なのは体だけじゃなく、心もです。というか心のほうがよっぽど発展途上。そんな決心ひとつだけで簡単に生きかたを変えられるものではありません。ああいうのは人並み以上のストレス耐性があってはじめて実行できるものでしょう。
私がのぞみの立場だったら“優しい嘘”ですらなく、いかにも子どもらしいその場限りの言い繕い、実際には何も変えられず有言不実行で終わるバッドエンドを予想しちゃいますね。
子どもにあそこまで言わせてしまった。しかも自分含めて結局誰も助けてあげられないんだから、おそらくるみちゃんは救われないだろう。そんなふうに思っていっそう罪悪感を募らせるところです。
篠崎さんの八つ当たりっぷりも相当厄介ですが、どっちを相手にするのがマシかといわれたら・・・、うーん、篠崎さんのほうがまだ楽かなあ・・・?(プリキュアらしからぬ決めかた)